1. 明正天皇(みょうしょうてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 38ページ ...
2. 明正天皇
日本大百科全書
皇室系譜に109代とされる女帝(在位1629~43)。名を興子といい、後水尾(ごみずのお)天皇の第二皇女として生まれる。母は徳川秀忠(ひでただ)の娘東福門院和子 ...
3. 明正天皇
世界大百科事典
1623-96(元和9-元禄9) 第109代に数えられる天皇。在位1629-43年。名は興子(おきこ)。後水尾天皇の第2皇女,母は皇后和子(徳川秀忠の女東福門院 ...
4. めいしょう‐てんのう【明正天皇】
デジタル大辞泉
[1623〜1696]第109代天皇。在位1629〜1643。名は興子。後水尾天皇の第2皇女。母は徳川秀忠の娘和子。紫衣(しえ)事件によって後水尾天皇が譲位、7 ...
5. めいしょう‐てんのう[メイシャウテンワウ]【明正天皇】
日本国語大辞典
第一〇九代天皇。後水尾天皇の皇女。名は興(おき)子。母は東福門院和子(徳川秀忠の女)。紫衣事件による朝幕関係の悪化で、寛永六年(一六二九)後水尾天皇が譲位したあ ...
6. めいしょうてんのう【明正天皇】
国史大辞典
陵名は月輪陵。なお追号は奈良時代の女帝元明・元正両天皇の諡号の各一字をとりあわせたものである。ちなみに明正天皇は、手芸を好み、押絵の作品が由緒の寺院に伝えられて ...
7. めいしょうてんのう【明正天皇】
日本人名大辞典
1624*−1696 江戸時代前期,第109代天皇。在位1629-43。元和(げんな)9年11月19日生まれ。後水尾天皇の第2皇女。母は徳川和子(東福門院)。父 ...
8. 明正天皇[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:0件 【逐次刊行物】:1件 『日本の手紙 10 明正天皇宸筆の御消息』田中良一 ...
9. みょうしょうてんのう【明正天皇】
日本人名大辞典
⇒めいしょうてんのう ...
10. 明正天皇諡 (見出し語:明正天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 950ページ ...
11. 明正天皇讓位 (見出し語:明正天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 561ページ ...
12. 明正天皇欲レ贈二太上天皇尊號於德川秀忠一 (見出し語:太上天皇【篇】)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 1555ページ ...
13. 阿茶局
日本大百科全書
のおてんのう)のもとに入内したときは、和子の母代わりとして上洛。また1623年の皇女(のちの明正天皇(めいしょうてんのう))出産の際にも上洛して世話した。後水尾 ...
14. 阿茶局
世界大百科事典
その活躍は家康没後におよび,1620年(元和6)秀忠の女和子(東福門院)入内の際の母代りや23年の皇女(明正天皇)誕生のおりの生母和子への近侍,また家光時代の2 ...
15. あちゃのつぼね【阿茶局】
国史大辞典
も勤めている。家康の没後も厚遇を受け、東福門院入内の母代を勤め、元和九年(一六二三)の皇女(明正天皇)誕生の際、門院に侍して従一位に叙され、神尾一位殿といわれた ...
16. いちじょうあきよし【一条昭良】
国史大辞典
元和七年(一六二一)右大臣、寛永六年(一六二九)八月関白となり、九月左大臣・従一位に進み、十一月明正天皇の受禅により、関白を改めて摂政に任ぜられた。ついで同九年 ...
17. いまおおじどうさん【今大路道三】
国史大辞典
昇殿を許され、後陽成院より橘姓と今大路の家号とを賜う。元和九年(一六二三)東福門院の難産(のち明正天皇)を治し、寛永三年(一六二六)秀忠に従い京都に滞在中大御台 ...
18. えどじだい【江戸時代】 : 朝幕関係
国史大辞典
水尾天皇が突然譲位したことは、幕府に朝廷統制機構の引締めを必要とさせた。寛永七年七月十三日、明正天皇即位に伴い、わずか八歳の女帝を支える朝廷の要として、摂家に対 ...
19. えんまんいん【円満院】
国史大辞典
円満院門跡は歴代平等院と号し、のちには宇治平等院をも管掌した。近世には寺領六百十九石、現在の宸殿は明正天皇の御殿を下賜されたもので、正保四年(一六四七)の移建。 ...
20. えんまんいん【円満院】滋賀県:大津市/中部地域
日本歴史地名大系
近江八景画賛は現行の近江八景の成立を知る最も古い史料である。円満院宸殿は正保四年(一六四七)明正天皇の旧御殿を譲受けたもので、紙本墨書の後深草天皇宸翰御消息断簡 ...
21. かじゅうじ【勧修寺】京都市:山科区/勧修寺村地図
日本歴史地名大系
もので、本堂は寛文年中霊元天皇より仮内侍所を拝領、書院(国指定重要文化財)と宸殿は元禄一〇年明正天皇の旧殿を賜ったものである。寺宝の国指定重要文化財に蓮花蒔絵経 ...
22. かすがのつぼね【春日局】
国史大辞典
許されて天盃を授かった。これは公家衆に希代の儀との批評をうけたのである。この直後、天皇は興子内親王(明正天皇)に譲位してしまう。同八年、近江佐和山(彦根)に至り ...
23. かんえい【寛永】
デジタル大辞泉
江戸前期、後水尾天皇・明正天皇・後光明天皇の時の年号。1624年2月30日〜1644年12月16日。 ...
24. かんえい[クヮンエイ]【寛永】
日本国語大辞典
元和一〇年(一六二四)二月三〇日、甲子(かっし)革命により改元。寛永六年(一六二九)一一月以降明正天皇、同二〇年一〇月以降後光明天皇。同二一年一二月一六日、正保 ...
25. かんえいぶんか【寛永文化】
国史大辞典
後水尾・明正天皇の寛永年間(一六二四―四四)を中心とした近世初頭の文化をさし、桃山文化の残映と元禄文化への過渡的役割を果たした。ふつう元和偃武ののち、明暦―寛 ...
26. 勧修寺
世界大百科事典
を整えた。現存の主な建物は17世紀後半のもの。本堂は霊元天皇の仮内侍所,書院(重文)と宸殿は明正天皇の旧殿を賜って移建したもので,宮廷建築の典雅さをしのばせる。 ...
27. きょうとごしょ【京都御所】京都市:上京区/京都御苑地図
日本歴史地名大系
本格的な内裏造営に着手した(続史愚抄)。同年正月二六日木作始が行われ、六月一〇日に立柱、翌年六月一八日、明正天皇は仮皇居より遷幸している(禁裏日次記)。内裏の敷 ...
28. 近世和歌集 27ページ
日本古典文学全集
十五歳にして元服。慶長十六年(一六一一)、十六歳で百八代天皇に即位する。寛永六年(一六二九)、明正天皇に譲位。在位中は幕府との間に緊張関係が生じるなど多難であっ ...
29. 玉露叢
世界大百科事典
び一種の編年史である。中でも,大坂夏の陣,1626年(寛永3),34年の家光上洛,1630年明正天皇即位,36年朝鮮人来朝,37年島原一揆の記事などは詳しい。《 ...
30. ぎょくろそう【玉露叢】
国史大辞典
参勤などについて記し、特に大坂夏の陣、寛永三年(一六二六)・同十一年の徳川家光の上洛、寛永七年の明正天皇即位、寛永十三年の朝鮮人来朝、寛永十四年の島原の乱の記事 ...
31. 百済寺
世界大百科事典
寄進されたという。1573年(天正1)織田信長の兵火にかかったが,徳川家康は寺領を寄進し,のち明正天皇の命で,1650年(慶安3)までに復興した。菊地 勇次郎 ...
32. こうあみ[カウアミ]【幸阿彌】
日本国語大辞典
永祿一二〜慶長一五年(一五六九〜一六一〇)〔五〕一〇世。長重(ながしげ)。七世の三男。狩野探幽の下絵を使い、明正天皇即位の蒔絵調度を製作。作品に徳川家光の長女千 ...
33. 幸阿弥家
日本大百科全書
道具類を製作する。10代長重(ながしげ)(1599―1651)は長晏の三男で、家老の命により明正天皇(めいしょうてんのう)即位の蒔絵調度類を製作したほか、家光( ...
34. 幸阿弥家
世界大百科事典
への婚儀諸調度に蒔絵した。10代長重(1599-1651)は長晏の三男。東福門院入内諸調度や明正天皇即位調度類に蒔絵を施した。また37年(寛永14)から3ヵ年を ...
35. こうあみけ【幸阿弥家】
国史大辞典
十代長重は十九歳の時、養子先からよびかえされて家を継ぐ。寛永七年(一六三〇)徳川家光の命により明正天皇即位の蒔絵調度を制作、また同十四年より三ヵ年を費やして尾張 ...
36. こうたいじ【晧台寺】
国史大辞典
あたったが、やがて寛永三年(一六二六)同寺を現在地に移転した。同十九年閏九月、一庭は参内して明正天皇から了外広覚禅師と勅諡され、寺号も海雲山普照晧台寺と改められ ...
37. こうたいじ【晧台寺】長崎県:長崎市/長崎町/寺町
日本歴史地名大系
転。一庭の評判は広まり、その帰依する者四万八千余人といわれ、同一九年に三代将軍徳川家光および明正天皇と面接、天皇から了外広覚禅師の諡号と紫衣を受け、また海雲山普 ...
38. ごこうみょうてんのう【後光明天皇】
国史大辞典
諱は紹仁(つぐひと)、幼称は素鵞(すが)宮という。同十九年十二月十五日親王宣下、翌二十年十月三日明正天皇の譲りを受けて践祚、同月二十一日即位式を挙げた。在位十二 ...
39. ごさくらまち‐てんのう[:テンワウ]【後桜町天皇】
日本国語大辞典
宝暦一二年(一七六二)践祚(せんそ)。在位九年。皇位を継ぐべき後桃園天皇がまだ幼少であったので、明正天皇の故事にならって践祚したもの。元文五〜文化一〇年(一七四 ...
40. 御当代記 将軍綱吉の時代 9ページ
東洋文庫
399,401妙法寺 222,399む向井正盛 45村高左兵衛 113め目あかし五郎兵衛 102明正天皇 142,328も毛利綱元 373毛利長吉 211毛利吉 ...
41. 後水尾天皇
世界大百科事典
の幕府に対する天皇の不満を爆発させる契機となり,同年11月8日,突如,和子所生の興子内親王(明正天皇)に譲位。在位18年,明正・後光明・後西・霊元の4天皇,51 ...
42. ごみずのお‐てんのう【後水尾天皇】
デジタル大辞泉
後陽成天皇の第3皇子。名は政仁(ことひと)。禁中並公家諸法度の制定などによる幕府の圧迫に対する不満から明正天皇に譲位、その後4代にわたって院政を執った。学問・詩 ...
43. ごみずのお‐てんのう[ゴみづのをテンワウ]【後水尾天皇】
日本国語大辞典
紫衣事件など幕府の朝廷に対する圧迫の不満や灸治のため、中宮和子(二代将軍徳川秀忠の娘)所生の明正天皇に譲位し、以後、天皇三代、約二七年間院政を行なう。慶安四年( ...
44. ごみずのおてんのう【後水尾天皇】
国史大辞典
いた立后の儀が行われた。在位十九年にして、同六年十一月八日俄かに皇后所生の女一宮興子内親王(明正天皇)に譲位し、爾来院にあること五十二年、その間慶安四年(一六五 ...
45. ごみずのおてんのう【後水尾天皇】
日本架空伝承人名事典
取った。ために天皇は憤懣抑えがたく、あえて幕府に諮ることなく、和子所生になる七歳の興子内親王(明正天皇)に譲位した。幕府に対する報復的手段が譲位であった。天皇が ...
46. さたじんじゃ【佐太神社】大阪府:守口市/大庭一番村地図
日本歴史地名大系
法童坊孝以が書写し、「佐太宮記仮名書」を作成した。尚政は、これらとともに後水尾院の和歌懐紙、明正天皇宸筆渡唐天神尊像、東福門院筆の歌仙二幅対などを添えて、慶安元 ...
47. しえじけん【紫衣事件】
国史大辞典
この事件により朝廷では、後水尾天皇がすでに六月に譲位の内意を近臣に伝え、十一月俄かに興子内親王(明正天皇)に譲位した。沢庵らは九年七月、天海の請で赦されて江戸に ...
48. 女帝
世界大百科事典
は僧道鏡の政治的野心によると考えられる。9世紀以後はながく女帝の即位はなかったが,江戸時代に明正天皇(在位1629-43),後桜町天皇(在位1762-70)の2 ...
49. 女帝(女性天皇)[皇室]
現代用語の基礎知識 2016
第43代・元明天皇。第44代・元正天皇。第46代・孝謙天皇。第48代・称徳天皇(孝謙天皇の重祚)。第109代・明正天皇。第117代・後桜町天皇。 ...
50. 昔夢会筆記 徳川慶喜公回想談 9ページ
東洋文庫
時に禁中並公家諸法度,紫衣事件等幕府の圧迫がはげしく.29(寛永6)年中宮和子(徳川秀忠女)の生んだ明正天皇に譲位。のち明正,後光明,後西,霊元の4代にわたり院 ...