NHK大河ドラマ「光る君へ」特集
ジャパンナレッジは約1900冊以上の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書」サービスです。
➞ジャパンナレッジについて詳しく見る
  1. トップページ
  2. >
  3. カテゴリ一覧
  4. >
  5. 歴史
  6. >
  7. 歴史上の人物
  8. >
  9. 天皇
  10. >
  11. 明正天皇

明正天皇

ジャパンナレッジで閲覧できる『明正天皇』の国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典のサンプルページ

国史大辞典
明正天皇
めいしょうてんのう
一六二三 - 九六
一六二九―四三在位。幼称は女一宮。諱は興子(おきこ)。後水尾天皇の第二皇女、母は皇后和子(東福門院)。嫡出の第一子で、将軍徳川秀忠の外孫にあたる。元和九年(一六二三)十一月十九日誕生。寛永六年(一六二九)十月二十九日内親王宣下が行われ、ついで十一月八日父天皇の突然の譲位決行により受禅、翌七年九月十二日即位式が行われた。女帝の即位は奈良時代の称徳天皇以来のことであったが、当時皇位を継ぐべき皇男子がなかったため、代わってその即位をみたのであろう。在位十五年にわたり、その間父上皇が院政をとったが、寛永二十年十月三日皇弟紹仁親王(後光明天皇)に譲位。以後仙洞に在ること五十四年にして、元禄九年(一六九六)十一月十日崩御。七十四歳。明正院と追号し、京都泉涌寺山内に葬った。陵名は。なお追号は奈良時代の女帝元明・元正両天皇の諡号の各一字をとりあわせたものである。ちなみに明正天皇は、手芸を好み、押絵の作品が由緒の寺院に伝えられている。→(つきのわのみささぎ)
[参考文献]
辻善之助『日本文化史』五
(武部 敏夫)


日本大百科全書(ニッポニカ)
明正天皇
めいしょうてんのう
[1623―1696]

皇室系譜に109代とされる女帝(在位1629~43)。名を興子といい、後水尾(ごみずのお)天皇の第二皇女として生まれる。母は徳川秀忠(ひでただ)の娘東福門院和子(かずこ)。1629年(寛永6)、紫衣(しえ)事件に代表されるような多年にわたる幕府の干渉や圧迫に抗議して、病身を理由に後水尾天皇が突然譲位した。皇子が早世のため、わずか7歳で践祚(せんそ)、翌30年9月12日に即位した。幼少でもあり政務の実権は父の上皇にあったが、900年ぶりの女帝が再現された。在位14年ののち弟の後光明(ごこうみょう)天皇に譲位した。御陵は京都市東山区今熊野泉山町月輪(つきのわ)陵。
[佐々悦久]



世界大百科事典
明正天皇
めいしょうてんのう
1623-96(元和9-元禄9)

第109代に数えられる天皇。在位1629-43年。名は興子(おきこ)。後水尾天皇の第2皇女,母は皇后和子(徳川秀忠の女東福門院),幼称を女一宮という。1629年(寛永6)10月内親王宣下,ついで11月父天皇の譲りをうけて践祚した。この譲位は,紫衣(しえ)事件などに見られるような幕府の干渉に反発してにわかに強行されたもので,ときに皇位を継ぐべき皇子は早世し,嫡出の第1皇女である天皇がしばらく皇位を継承することとなったのである。女帝は,実に奈良時代の称徳天皇以来のことであった。在位15年で,皇弟の後光明天皇に譲位。なお追号は元明,元正2天皇の諡号(しごう)の下の1字を採って併せたもので,ともに女帝であることにちなむ。
[武部 敏夫]

上記は、日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書サービス「ジャパンナレッジ」のサンプル記事です。

ジャパンナレッジは、自分だけの専用図書館。
すべての辞書・事典・叢書が一括検索できるので、調査時間が大幅に短縮され、なおかつ充実した検索機能により、紙の辞書ではたどり着けなかった思わぬ発見も。
パソコン・タブレット・スマホからご利用できます。


明正天皇の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 76
※検索結果は本ページの作成時点のものであり、実際の検索結果とは異なる場合があります
検索コンテンツ
1. 明正天皇(みょうしょうてんのう)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 38ページ ...
2. 明正天皇
日本大百科全書
皇室系譜に109代とされる女帝(在位1629~43)。名を興子といい、後水尾(ごみずのお)天皇の第二皇女として生まれる。母は徳川秀忠(ひでただ)の娘東福門院和子 ...
3. 明正天皇
世界大百科事典
1623-96(元和9-元禄9) 第109代に数えられる天皇。在位1629-43年。名は興子(おきこ)。後水尾天皇の第2皇女,母は皇后和子(徳川秀忠の女東福門院 ...
4. めいしょう‐てんのう【明正天皇】
デジタル大辞泉
[1623〜1696]第109代天皇。在位1629〜1643。名は興子。後水尾天皇の第2皇女。母は徳川秀忠の娘和子。紫衣(しえ)事件によって後水尾天皇が譲位、7 ...
5. めいしょう‐てんのう[メイシャウテンワウ]【明正天皇】
日本国語大辞典
第一〇九代天皇。後水尾天皇の皇女。名は興(おき)子。母は東福門院和子(徳川秀忠の女)。紫衣事件による朝幕関係の悪化で、寛永六年(一六二九)後水尾天皇が譲位したあ ...
6. めいしょうてんのう【明正天皇】
国史大辞典
陵名は月輪陵。なお追号は奈良時代の女帝元明・元正両天皇の諡号の各一字をとりあわせたものである。ちなみに明正天皇は、手芸を好み、押絵の作品が由緒の寺院に伝えられて ...
7. めいしょうてんのう【明正天皇】
日本人名大辞典
1624*−1696 江戸時代前期,第109代天皇。在位1629-43。元和(げんな)9年11月19日生まれ。後水尾天皇の第2皇女。母は徳川和子(東福門院)。父 ...
8. 明正天皇[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:0件 【逐次刊行物】:1件 『日本の手紙 10 明正天皇宸筆の御消息』田中良一 ...
9. みょうしょうてんのう【明正天皇】
日本人名大辞典
⇒めいしょうてんのう ...
10. 明正天皇諡 (見出し語:明正天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 950ページ ...
11. 明正天皇讓位 (見出し語:明正天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 561ページ ...
12. 明正天皇欲太上天皇尊號於德川秀忠 (見出し語:太上天皇【篇】)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 1555ページ ...
13. 阿茶局
日本大百科全書
のおてんのう)のもとに入内したときは、和子の母代わりとして上洛。また1623年の皇女(のちの明正天皇(めいしょうてんのう))出産の際にも上洛して世話した。後水尾 ...
14. 阿茶局
世界大百科事典
その活躍は家康没後におよび,1620年(元和6)秀忠の女和子(東福門院)入内の際の母代りや23年の皇女(明正天皇)誕生のおりの生母和子への近侍,また家光時代の2 ...
15. あちゃのつぼね【阿茶局】
国史大辞典
も勤めている。家康の没後も厚遇を受け、東福門院入内の母代を勤め、元和九年(一六二三)の皇女(明正天皇)誕生の際、門院に侍して従一位に叙され、神尾一位殿といわれた ...
16. いちじょうあきよし【一条昭良】
国史大辞典
元和七年(一六二一)右大臣、寛永六年(一六二九)八月関白となり、九月左大臣・従一位に進み、十一月明正天皇の受禅により、関白を改めて摂政に任ぜられた。ついで同九年 ...
17. いまおおじどうさん【今大路道三】
国史大辞典
昇殿を許され、後陽成院より橘姓と今大路の家号とを賜う。元和九年(一六二三)東福門院の難産(のち明正天皇)を治し、寛永三年(一六二六)秀忠に従い京都に滞在中大御台 ...
18. えどじだい【江戸時代】 : 朝幕関係
国史大辞典
水尾天皇が突然譲位したことは、幕府に朝廷統制機構の引締めを必要とさせた。寛永七年七月十三日、明正天皇即位に伴い、わずか八歳の女帝を支える朝廷の要として、摂家に対 ...
19. えんまんいん【円満院】
国史大辞典
円満院門跡は歴代平等院と号し、のちには宇治平等院をも管掌した。近世には寺領六百十九石、現在の宸殿は明正天皇の御殿を下賜されたもので、正保四年(一六四七)の移建。 ...
20. えんまんいん【円満院】滋賀県:大津市/中部地域
日本歴史地名大系
近江八景画賛は現行の近江八景の成立を知る最も古い史料である。円満院宸殿は正保四年(一六四七)明正天皇の旧御殿を譲受けたもので、紙本墨書の後深草天皇宸翰御消息断簡 ...
21. かじゅうじ【勧修寺】京都市:山科区/勧修寺村地図
日本歴史地名大系
もので、本堂は寛文年中霊元天皇より仮内侍所を拝領、書院(国指定重要文化財)と宸殿は元禄一〇年明正天皇の旧殿を賜ったものである。寺宝の国指定重要文化財に蓮花蒔絵経 ...
22. かすがのつぼね【春日局】
国史大辞典
許されて天盃を授かった。これは公家衆に希代の儀との批評をうけたのである。この直後、天皇は興子内親王(明正天皇)に譲位してしまう。同八年、近江佐和山(彦根)に至り ...
23. かんえい【寛永】
デジタル大辞泉
江戸前期、後水尾天皇・明正天皇・後光明天皇の時の年号。1624年2月30日〜1644年12月16日。  ...
24. かんえい[クヮンエイ]【寛永】
日本国語大辞典
元和一〇年(一六二四)二月三〇日、甲子(かっし)革命により改元。寛永六年(一六二九)一一月以降明正天皇、同二〇年一〇月以降後光明天皇。同二一年一二月一六日、正保 ...
25. かんえいぶんか【寛永文化】
国史大辞典
後水尾・明正天皇の寛永年間(一六二四―四四)を中心とした近世初頭の文化をさし、桃山文化の残映と元禄文化への過渡的役割を果たした。ふつう元和偃武ののち、明暦―寛 ...
26. 勧修寺
世界大百科事典
を整えた。現存の主な建物は17世紀後半のもの。本堂は霊元天皇の仮内侍所,書院(重文)と宸殿は明正天皇の旧殿を賜って移建したもので,宮廷建築の典雅さをしのばせる。 ...
27. きょうとごしょ【京都御所】京都市:上京区/京都御苑地図
日本歴史地名大系
本格的な内裏造営に着手した(続史愚抄)。同年正月二六日木作始が行われ、六月一〇日に立柱、翌年六月一八日、明正天皇は仮皇居より遷幸している(禁裏日次記)。内裏の敷 ...
28. 近世和歌集 27ページ
日本古典文学全集
十五歳にして元服。慶長十六年(一六一一)、十六歳で百八代天皇に即位する。寛永六年(一六二九)、明正天皇に譲位。在位中は幕府との間に緊張関係が生じるなど多難であっ ...
29. 玉露叢
世界大百科事典
び一種の編年史である。中でも,大坂夏の陣,1626年(寛永3),34年の家光上洛,1630年明正天皇即位,36年朝鮮人来朝,37年島原一揆の記事などは詳しい。《 ...
30. ぎょくろそう【玉露叢】
国史大辞典
参勤などについて記し、特に大坂夏の陣、寛永三年(一六二六)・同十一年の徳川家光の上洛、寛永七年の明正天皇即位、寛永十三年の朝鮮人来朝、寛永十四年の島原の乱の記事 ...
31. 百済寺
世界大百科事典
寄進されたという。1573年(天正1)織田信長の兵火にかかったが,徳川家康は寺領を寄進し,のち明正天皇の命で,1650年(慶安3)までに復興した。菊地 勇次郎  ...
32. こうあみ[カウアミ]【幸阿彌】
日本国語大辞典
永祿一二〜慶長一五年(一五六九〜一六一〇)〔五〕一〇世。長重(ながしげ)。七世の三男。狩野探幽の下絵を使い、明正天皇即位の蒔絵調度を製作。作品に徳川家光の長女千 ...
33. 幸阿弥家
日本大百科全書
道具類を製作する。10代長重(ながしげ)(1599―1651)は長晏の三男で、家老の命により明正天皇(めいしょうてんのう)即位の蒔絵調度類を製作したほか、家光( ...
34. 幸阿弥家
世界大百科事典
への婚儀諸調度に蒔絵した。10代長重(1599-1651)は長晏の三男。東福門院入内諸調度や明正天皇即位調度類に蒔絵を施した。また37年(寛永14)から3ヵ年を ...
35. こうあみけ【幸阿弥家】
国史大辞典
十代長重は十九歳の時、養子先からよびかえされて家を継ぐ。寛永七年(一六三〇)徳川家光の命により明正天皇即位の蒔絵調度を制作、また同十四年より三ヵ年を費やして尾張 ...
36. こうたいじ【晧台寺】
国史大辞典
あたったが、やがて寛永三年(一六二六)同寺を現在地に移転した。同十九年閏九月、一庭は参内して明正天皇から了外広覚禅師と勅諡され、寺号も海雲山普照晧台寺と改められ ...
37. こうたいじ【晧台寺】長崎県:長崎市/長崎町/寺町
日本歴史地名大系
転。一庭の評判は広まり、その帰依する者四万八千余人といわれ、同一九年に三代将軍徳川家光および明正天皇と面接、天皇から了外広覚禅師の諡号と紫衣を受け、また海雲山普 ...
38. ごこうみょうてんのう【後光明天皇】
国史大辞典
諱は紹仁(つぐひと)、幼称は素鵞(すが)宮という。同十九年十二月十五日親王宣下、翌二十年十月三日明正天皇の譲りを受けて践祚、同月二十一日即位式を挙げた。在位十二 ...
39. ごさくらまち‐てんのう[:テンワウ]【後桜町天皇】
日本国語大辞典
宝暦一二年(一七六二)践祚(せんそ)。在位九年。皇位を継ぐべき後桃園天皇がまだ幼少であったので、明正天皇の故事にならって践祚したもの。元文五〜文化一〇年(一七四 ...
40. 御当代記 将軍綱吉の時代 9ページ
東洋文庫
399,401妙法寺 222,399む向井正盛 45村高左兵衛 113め目あかし五郎兵衛 102明正天皇 142,328も毛利綱元 373毛利長吉 211毛利吉 ...
41. 後水尾天皇
世界大百科事典
の幕府に対する天皇の不満を爆発させる契機となり,同年11月8日,突如,和子所生の興子内親王(明正天皇)に譲位。在位18年,明正・後光明・後西・霊元の4天皇,51 ...
42. ごみずのお‐てんのう【後水尾天皇】
デジタル大辞泉
後陽成天皇の第3皇子。名は政仁(ことひと)。禁中並公家諸法度の制定などによる幕府の圧迫に対する不満から明正天皇に譲位、その後4代にわたって院政を執った。学問・詩 ...
43. ごみずのお‐てんのう[ゴみづのをテンワウ]【後水尾天皇】
日本国語大辞典
紫衣事件など幕府の朝廷に対する圧迫の不満や灸治のため、中宮和子(二代将軍徳川秀忠の娘)所生の明正天皇に譲位し、以後、天皇三代、約二七年間院政を行なう。慶安四年( ...
44. ごみずのおてんのう【後水尾天皇】
国史大辞典
いた立后の儀が行われた。在位十九年にして、同六年十一月八日俄かに皇后所生の女一宮興子内親王(明正天皇)に譲位し、爾来院にあること五十二年、その間慶安四年(一六五 ...
45. ごみずのおてんのう【後水尾天皇】
日本架空伝承人名事典
取った。ために天皇は憤懣抑えがたく、あえて幕府に諮ることなく、和子所生になる七歳の興子内親王(明正天皇)に譲位した。幕府に対する報復的手段が譲位であった。天皇が ...
46. さたじんじゃ【佐太神社】大阪府:守口市/大庭一番村地図
日本歴史地名大系
法童坊孝以が書写し、「佐太宮記仮名書」を作成した。尚政は、これらとともに後水尾院の和歌懐紙、明正天皇宸筆渡唐天神尊像、東福門院筆の歌仙二幅対などを添えて、慶安元 ...
47. しえじけん【紫衣事件】
国史大辞典
この事件により朝廷では、後水尾天皇がすでに六月に譲位の内意を近臣に伝え、十一月俄かに興子内親王(明正天皇)に譲位した。沢庵らは九年七月、天海の請で赦されて江戸に ...
48. 女帝
世界大百科事典
は僧道鏡の政治的野心によると考えられる。9世紀以後はながく女帝の即位はなかったが,江戸時代に明正天皇(在位1629-43),後桜町天皇(在位1762-70)の2 ...
49. 女帝(女性天皇)[皇室]
現代用語の基礎知識 2016
第43代・元明天皇。第44代・元正天皇。第46代・孝謙天皇。第48代・称徳天皇(孝謙天皇の重祚)。第109代・明正天皇。第117代・後桜町天皇。  ...
50. 昔夢会筆記 徳川慶喜公回想談 9ページ
東洋文庫
時に禁中並公家諸法度,紫衣事件等幕府の圧迫がはげしく.29(寛永6)年中宮和子(徳川秀忠女)の生んだ明正天皇に譲位。のち明正,後光明,後西,霊元の4代にわたり院 ...
「明正天皇」の情報だけではなく、「明正天皇」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶

明正天皇と同じ天皇カテゴリの記事
舎人親王(日本大百科全書(ニッポニカ))
天武天皇の第三皇子。母は天智天皇の娘新田部皇女。知太政官事穂積親王の亡きあとは皇親の長老として重んぜられ、新田部親王とともに皇太子首親王(聖武天皇)を輔翼する責務を負った
天皇(改訂新版・世界大百科事典)
日本国憲法に定める日本国および日本国民統合の象徴。天皇の歴史前近代の天皇オオキミとスメラミコト〈天皇〉は〈オオキミ〉とも〈スメラミコト〉とも呼ばれた。しかしこの二つの日本語は決して同義ではなく,むしろ両者の質の違い,それぞれの用いられる次元の相違に注目することが
皇位継承(改訂新版・世界大百科事典)
7世紀末までの皇位継承を《古事記》《日本書紀》によってみると,16代の仁徳天皇まではほとんどが父子間の直系相続であり,仁徳以後持統までは,父子間相続6,母子間1,兄弟間10,姉弟間2,叔父・甥間1,夫婦間2,三親等以上をへだてた相続3の計25例で
摂政(国史大辞典)
天皇に代わって万機を摂り行う者、または摂り行うことをいう。関白に類する職として関白とともに摂関といい、関白と同じく、摂ろく・執柄・博陸などの唐名があり、その地位に因んで一の人・一の所などと称され、殿下ともいわれた
関白(国史大辞典)
万機に関与する重職で摂政に類似する。したがって摂政と合わせて摂関・摂ろく・一の人・一の所などと称し、執柄・博陸・殿下などの唐名がある。関白の語は『漢書』霍公伝に、宣帝が諸事まず霍光に関白してから奏上せしめたとみえているが
天皇と同じカテゴリの記事をもっと見る


「明正天皇」は天皇に関連のある記事です。
その他の天皇に関連する記事
豊明節会(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
新嘗祭の翌日の辰日、および大嘗祭においては午日に、天皇が出御して行われる公儀の宴会。荷田在満『大嘗会儀式具釈』に「豊明トハ宴会ヲ云、古クハ宴会豊楽等ノ字ヲ直ニトヨノアカリト訓ズ、大嘗新嘗ノ後ニハ必宴会アリ、仍テ大嘗ノ豊明、新嘗ノ豊明ナドトハイヘド
文官分限令・文官懲戒令(日本大百科全書)
1899年(明治32)3月に第二次山県有朋(やまがたありとも)内閣の手で公布された、一般文官の身分および職分の保障に関する規定と、懲戒に関する規定。前者では、官吏の身分保障、免官、休職、降任、休職中の俸給、復職などについての原則が規定され、官吏の身分
太上天皇(国史大辞典・日本国語大辞典)
譲位した天皇の称。「だいじょうてんのう」とも訓む。略して上皇あるいは太皇ともいい、また御在所を意味する院の称も用いられ、さらにその御在所を神仙の居所に擬して仙院・仙洞・藐姑射山(はこやのやま)・茨山(しざん)などとも称された。
上皇(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
譲位した天皇の尊称。正式には太上(だいじょう)天皇と称する。中国の太上皇(たいじょうこう)、太上皇帝の称に始まり、太上は最上または至上の意。日本では697年(文武天皇1)譲位した持統(じとう)天皇が初めて太上天皇と称し、大宝令(たいほうりょう)
昭和天皇(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一九〇一 - 八九 一九二六―八九在位。明治三十四年(一九〇一)四月二十九日午後十時十分、東宮御所に生誕。皇太子明宮嘉仁親王(のちの大正天皇)と皇太子妃節子(のちの貞明皇后)の第一皇子。五月五日明治天皇より裕仁(ひろひと)と命名され
天皇に関連する記事をもっと見る


ジャパンナレッジは約1900冊以上(総額850万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のインターネット辞書・事典・叢書サイト」です。日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶