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カルバン

ジャパンナレッジで閲覧できる『カルバン』の世界文学大事典・世界人名大辞典のサンプルページ

デジタル版 集英社世界文学大事典
カルヴァン ジャン
Jean Calvin
フランス 1509.7.10-1564.5.27
フランスの宗教改革者。北フランスのピカルディー地方ノワイヨンに生まれ,パリ,オルレアン,ブールジュの各大学で神学,法学を修め,さらにフランソワ1世の創設した王立教授団において,人文学を学んだ。22歳にして『セネカ〈寛仁論〉注解』Annei Senecae De Clementia(1532)を出版し,ユマニストとしての出発をはじめたが,1532年末から33年初めごろ回心を経験し,福音主義者となった。34年10月,オルレアンにおいて論文『魂の眠りについて』De Psychopannychia(42刊)を執筆するが,折から起こった〈檄文(げきぶん)事件〉のためフランス内地を離れ,ストラスブールを経てバーゼルに赴く。この地で36年『キリスト教綱要』(解説後出)初版をラテン語で出版し,新教徒の精神的指導者として内外に認められるようになった。同じ36年7月,スイスでの宗教改革を進めていたギヨーム・ファレルに説得されて,ジュネーヴの宗教改革に参加する。37年1月に「ジュネーヴ教会規則」を市会に提出し,以後次々に文書を作成して改革を達成しようとするが,市当局と対立し,ファレルと共に38年追放される。38年9月から41年8月までストラスブールに滞在,亡命フランス人のための牧師,また同市高等学院教師として働く。この間,ローマ・カトリック教会から枢機卿ジャック・サドレを通してローマ教会への復帰を呼びかける公開書簡が,ジュネーヴ市会宛に送られてきたのに対し,辛辣(しんらつ)きわまる『サドレへの返書』Epistre au cardinal Sadolet(39)を著してカトリック側を沈黙させた。41年再び請われてジュネーヴに復帰し,こんどはファレルの助力なしで改革に着手する。ジュネーヴにおける彼の立場はあくまで教会指導者であったが,市に対しては憲法作成と運営に顧問として参与し,極めて道徳性の高い,かつ国際的に開かれた都市国家ジュネーヴを実現させ,一方で国家から独立した自律的,自己訓練的教会を作り上げることに成功した。さらに子供から成人に至るまで徹底的な宗教教育と一般教育を施して個々人の意識改革を行った。すなわち人生の目的と幸福は神を知りかつ賛美することにあると考え,最高の権威を聖書に置き,救いは行いの功績によってではなくイエス・キリストを信じる信仰のみによって得られる,という改革神学の要諦(ようてい)を日ごとの聖書講解,日曜ごとの説教,信仰問答,書簡やパンフレットなどあらゆる手段を使って伝達したのであった。その著作は膨大なものであり,大判の全集59巻に収められた作品のほかにも説教,書簡,小品などがあり,ラテン語とフランス語で書かれている。一方カルヴァンには多くの敵もあり,かつての同僚セバスチヤン・カステリヨンとの確執やボルセックとの予定論論争などは激烈なものであった。三位一体論をめぐってのミカエル・セルウェトゥスとの闘いはカルヴァンによる告訴,市会による裁判と死刑判決,火刑処刑という苛酷(かこく)な結果に終わった。このセルウェトゥス事件はカルヴァン派が勝つか反カルヴァン派が勝つかの死闘であり,これを辛くも乗り切ったカルヴァンは,59年ジュネーヴ・アカデミー(のちのジュネーヴ大学)を設立し,多くの牧師を養成してフランス語圏に送り出したほか,ヨーロッパ各地からの学生を国家の指導者層としての実力をつけて送り返した。61年「ジュネーヴ教会規則」決定版を出し,市民総会で承認されたので彼の改革の大要が完成した。
 彼の思想の代表のように見られている〈予定論〉は,彼の神中心的神学の帰結というべき教義であって,彼自身必ずしも思想の中軸に据えていたわけではないが,新旧両教徒間の争いが宗教戦争になるに至って,新教徒こそ神に選ばれた者であるとの意識を与える武器として働くようになる。またこの世の政治統治の意義を,人民の安全と自由を最大限に保護することにあると考え,良心の自由を侵害するものに対しては抵抗すべきであると説いたカルヴァンの思想は,テオドール・ド・ベーズをはじめ彼の後継者たちに受け継がれて抵抗権思想として確立し,今日に至るまで強い影響力をもっている。
(久米あつみ)


岩波 世界人名大辞典
カルヴァン
Calvin, Jean
本名:J. Chauvin(Cauvin; Caulvin)
1509.7.10~64.5.27

スイス(フランス生まれ)の宗教改革者.

ノワヨンに生まれる.コヴァン(Cauvin)の姓をラテン化,さらにフランス化してカルヴァンと称した.トゥールーズ,オルレアンで法律を学び,パリ大学で神学を研究した.〈突然の回心conversio subita〉によって福音主義に転向 [1533頃].迫害によってバーゼルに去り,ラテン語で大作《キリスト教綱要:Institutio christianae religionis》を出版し [36],フランスのプロテスタントに対し寛容と理解を請う《国王への書簡:Épître au roi》を序文とした.帰国したがジュネーヴに行き [同],図らずもG.ファレルと共に教会改革を指導することになったが追放され [38],ストラスブールで神学校教授および説教者となった.その間に各地の宗教会議に出席してドイツの宗教改革者を知ったことは,のちの活動に少なからぬ影響を与えた.懇請に応じ再びジュネーヴに行き [41],神政政治を実現するため教会規則(ordonnances ecclésiastiques)を制定し,礼拝の儀式制度から市民の社会生活に至るまで,果敢な刷新を断行した.反対者はカステリオ(Sebastian Castellio 1515~63)の追放,セルウェトゥスの焚殺のようにことごとく排除し,ジュネーヴを教会都市とすることに成功,同市を長くヨーロッパの改革派教会の牙城とした.また学校を起こし [59]各地から来た多数の学生を訓練した.彼の教えの根本は聖書に表明される神の言葉であって,この教義は信仰のみによる義化と予定との二原理に貫かれている.彼によれば,人は業績によってではなく信仰によって救われ,この信仰は神から与えられる,しかも神はこの恩恵を人間の創造に先だって予定されている選ばれた者に限って与える.カルヴィニズムは各国の精神文化に影響を与えた.

〖全集〗Opera quae supersunt omnia(Corpus Reformatorum, 第29-87巻), 1863-1900.〖選集〗Opera selecta, 4巻, 1926-36.〖参考〗E.Doumergue:Jean Calvin, 7巻, 1899-1927.

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検索コンテンツ
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2. カルバン(Jean Calvin)
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3. カルバン
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4. カルヴァン ジャン
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フランスの宗教改革者。北フランスのピカルディー地方ノワイヨンに生まれ,パリ,オルレアン,ブールジュの各大学で神学,法学を修め,さらにフランソワ1世の創設した王立
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7. カルバン派教会
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8. ひかる‐ばん【光盤】
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23. ウェストミンスター信仰告白
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25. ウェーバー(Bruce Weber)
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26. ウォルケルス
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27. エグモント
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スペイン人総督アルバ公の圧政に苦しむネーデルラントのためにこれに抗議、フェリペ2世に直訴に及んだ。カルバン派との協力も辞さないこの抵抗運動のために同志ホールン伯
28. エグモント伯(Lamoraal, Graaf van Egmond)
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29. エコランパディウス(Johannes Oecolampadius)
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30. エティエンヌ父子
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庇護を受け,その工房は人文主義者たちの交流の場となったが,宗教改革弾圧の激化と共に1550年カルバン指導下のジュネーブに亡命。同地で印刷出版をおこなう一方,風刺
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38. オランダ史画像
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42. オルレアン
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43. 改革派教会画像
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44. 改革派教会
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45. かいかくは‐きょうかい[‥ケウクヮイ]【改革派教会】
日本国語大辞典
〔名〕カトリック教会に対し、宗教改革の原理に基づくプロテスタント教会の総称。狭義には、ルター派教会に対し、カルバン主義の信仰に基づく教会をさす。カイカクハキョー
46. カイペル(Abraham Kuyper)
世界大百科事典
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50. カドワース
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彼の認識論にはデカルトの影響が強いが、物心の二元論ではなく、精神的形成力の存在をも認めた点で異なる。道徳説ではカルバン派の主意説を退け、永遠なる道徳法の存在を認
「カルバン」の情報だけではなく、「カルバン」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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