1. エリザベス(1世)
日本大百科全書
イギリスのチューダー朝5代目の女王(在位1558~1603)。愛称は「よき女王ベス」。9月7日に生まれる。父はヘンリー8世、母はアン・ブリン。幼少時から怜悧れい
2. エリザベス[1世](Elizabeth Ⅰ)
世界大百科事典
1533-1603 イギリス,チューダー朝の女王。在位1558-1603年。ヘンリー8世と2番目の妃アン・ブーリンの子。1536年母が刑死し非嫡出子とされたが,
3. エリザベス1世(Elizabeth I)
世界人名大辞典
〔1533.9.7~1603.3.24〕 イングランドおよびアイルランド女王[1558/1603].ヘンリー8世とアン・ブーリンの娘としてロンドンに生まれ,議会
4. アスカム(Ascham, Roger)
世界人名大辞典
12.30〕 イギリスの人文学者.母校ケンブリッジ大学ギリシア語講師[1538頃],のちエリザベス1世の家庭教師[48],メアリ1世のラテン語秘書[53]となる
5. あだ名
日本大百科全書
その容貌から「リャボイ」(あばた面)とよんでいた。バージン・クイーンの名のある独身のイギリス女王エリザベス1世にちなんで名づけられたアメリカ合衆国のバージニア州
6. アメリカ合衆国画像
世界大百科事典
南部はアメリカのなかでもっとも古い歴史をもち,また近年きわめてめざましい発展を続けている地域である。エリザベス1世にちなんで名づけられた北アメリカ最初のイギリス
7. アルマダ
日本大百科全書
スペインとイングランドは北ヨーロッパと大西洋の2方面でことごとくその利害が衝突した。1587年2月、エリザベス1世がカトリックのスコットランド女王メアリー・スチ
8. アレン(Allen, William)
世界人名大辞典
イギリスの聖職者.オックスフォード大学に学び,そのセント・メアリズ・ホール学寮長となった[1556]が,エリザベス1世即位[58]の後,カトリック信仰の故に大陸
9. アングリカン・チャーチ
世界大百科事典
維持する教会の基礎を固めた。メアリー1世の時代に一時ローマ教会に復帰した英国国教会は,8年エリザベス1世の登位によって,ふたたびローマより独立した国民教会として
10. アンドリューズ(Andrewes, Lancelot)
世界人名大辞典
英国教会の神学者.チチェスター[1605],イーリー[09],ウィンチェスター[18]の主教となる.エリザベス1世,ジェイムズ1世②の信任が厚く,また多方面の才
11. アン・ブリン
日本大百科全書
イギリス王ヘンリー8世の第2王妃。エリザベス1世の母。父はトマス・ブリン(後のウィルトシャー・オーモンド伯)。ブリン家はロンドンの富裕な商人で、市長も出している
12. アン・ブーリン(Anne Boleyn)
世界大百科事典
アンは33年1月ひそかに国王と結婚し,5月クランマー大主教はこの結婚を合法と宣言した。9月には女児(のちのエリザベス1世)が誕生する。しかし男児出生を望む国王は
13. アン・ブーリン(Anne Boleyn)
世界人名大辞典
離婚しようとして教皇庁と対立し,イングランド宗教改革の発端をなした.王と結婚[33]後,まもなく娘(のちのエリザベス1世)を生んだが,流産が続き,男子後継者の誕
14. アーガイル(Argyll, Archibald Campbell, 5th Earl of)
世界人名大辞典
に寄与した.初期にはギーズのメアリのプロテスタント暴動鎮圧を支援する[1559]が,のちエリザベス1世と結託[同-60].スコットランドのメアリ・ステュアート治
15. イギリス画像
日本大百科全書
15世紀末にはチューダー朝のもとで絶対主義時代を迎え、ヘンリー8世のときローマ教会から分離し、エリザベス1世の治世には海外への進出の機運が高まった。次のスチュア
16. イギリス
世界大百科事典
ッパ大陸の西岸に近接する人口の多い小島国であることによって,長年にわたり規定されてきた。エリザベス1世(在位1558-1603)以降のイギリスは海外に発展し,巨
17. イギリス音楽
日本大百科全書
あてはめるシラビック様式の楽曲の作曲が進められた。メアリー・スチュアートのカトリック反動のあとに即位したエリザベス1世は、これらの楽曲のほかに、従来のラテン語に
18. イギリス音楽
世界大百科事典
明らかである。 黄金時代 16世紀を通じて栄えたチューダー朝は,音楽好きのヘンリー8世とエリザベス1世を生み出し,イギリス音楽史上最大の黄金時代を迎えた。ヘンリ
19. イギリス史画像
日本大百科全書
ューダー朝に絶対主義の時代を迎える。以上の中世史から近代への移行期に位置づけられるのが、エリザベス1世の治世とスチュアート朝である。 17世紀に戦われた二つの革
20. イギリス史(年表)
日本大百科全書
修道院解散(~1539)1549ロバート・ケット一揆1555メアリー1世のプロテスタント処刑始まる1558エリザベス1世即位(~1603)1559国王至上法、礼
21. イギリス美術
世界大百科事典
ルネサンス様式と後期ゴシック(垂直様式)の混交した16世紀前半の〈チューダー様式〉の後,エリザベス1世の時代(1558-1603)には,イタリア風のシンメトリー
22. イギリス文学
世界大百科事典
品にはイタリアの空の明るさと世俗性,フランス宮廷の優美と洒脱がたっぷり見られる。 展開 エリザベス1世の治世は,イギリス・ルネサンスをその絶頂期に導く。英詩も,
23. イタリア戦争画像
世界大百科事典
,1559年,アンリ2世とスペイン王フェリペ2世,そしてフランスと結んでいたイギリス女王エリザベス1世との間にカトー・カンブレジの和約が結ばれ,幕を閉じることに
24. イングランド教会
日本大百科全書
1554年、メアリー1世治世下に国教会のローマ・カトリック教会への復帰が実現したが、58年のエリザベス1世(在位1558~1603)の登位とともに、ふたたび「教
25. ウィンザー(イギリス)
日本大百科全書
~87)の時代につくられた城はテムズ川の南岸に位置する。16世紀にはペストの流行を避けたエリザベス1世がこの城に滞在した。またビクトリア女王夫妻をはじめ多くの歴
26. ウィンザーの陽気な女房たち
日本大百科全書
イギリスの劇作家シェークスピアの喜劇。時のイギリス女王エリザベス1世の「恋に悩むフォルスタッフが見たい」との要望にこたえ、わずか2週間で書き上げたといわれる。1
27. ウェントワース(Wentworth, Peter)
世界人名大辞典
l W. 1533~93)と共に庶民院の権利や発言の自由を主張,王位継承問題について女王エリザベス1世を批判して数度入獄,獄中死した.
28. ウォルシンガム(Walsingham, Sir Francis)
世界人名大辞典
学[1548-50],グレイ法曹学院[52]で学び,メアリ1世の治世は海外に亡命するが,エリザベス1世即位と共に帰国して庶民院議員となり[59],W.セシルを助
29. 改訂新版 英国史 217ページ
文庫クセジュ
;ルターの宗教改革 1534 ヘンリー8世の国王至上法成立(イギリス国教会の独立始まる) 1558 エリザベス1世(~1603)即位. 1588 スペイン無敵艦
30. 英語の語彙 6ページ
文庫クセジュ
ケ教授の学界での地位を確固たらしめたものは『アルフレッドの時代における動詞文の構造』と『エリザベス1世の同時代人トーマス・サックヴィル ―― 人と作品』の2大著
31. 英語の語彙 197ページ
文庫クセジュ
82, 86, 88, 92 エラスムス Erasmus, Desiderius 81 エリザベス1世 Elizabeth I 4 エリフスリス Ælfthry
32. エジャトン(Egerton, Thomas, Baron Ellesmere, Viscount Brackley)
世界人名大辞典
イギリスの法学者,政治家.オックスフォード大学,法曹学院に学び,法廷弁護士となる[1575].エリザベス1世に認められて勅選弁護士となり,法務次官[81],法務
33. エセックス(Essex, Robert Devereux, 2nd Earl of)
世界人名大辞典
ンダに出征して勇名を得[1586],主馬頭に任ぜられ[87],レスター伯に代わって老年のエリザベス1世の寵臣となった.F.ドレイクらとスペインに遠征[89],フ
34. エセックス(Robert Devereux, 2nd Earl of Essex)
日本大百科全書
1586年オランダでスペイン軍と戦い、勇名をはせ、翌年主馬頭に任じられて、継父レスター伯にかわってエリザベス1世の晩年の寵臣ちょうしんとなる。フランスでプロテス
35. エセックス伯(Robert Devereux, 2nd Earl of Essex)
世界大百科事典
1566-1601 イギリスの軍人。ケンブリッジ大学卒。エリザベス1世の晩年,若くして宮廷の寵児となる。終始,対スペイン戦における強硬派を代表。1590年秘密結
36. エリザベス朝演劇[演劇]
イミダス 2018
経て、イギリスが政治的安定を得、経済の発展と海外進出を果たした時期に、演劇も盛んになった。エリザベス1世とその後継者のジェームズ1世はともに演劇を保護したので、
37. エリザベス様式
日本大百科全書
エリザベス1世の治政時代(1558~1603)に流行したイギリスの建築様式。チューダー様式とジェームス1世様式との間に挟まれた過渡的様式。依然としてゴシックの垂
38. エリザベス様式
世界大百科事典
エリザベス1世の治世(1558-1603)にイギリスの工芸・装飾にみられる様式。イギリスへのルネサンス様式の採り入れはヘンリー8世以来,H.ホルバイン(子)を宮
39. 扇
日本大百科全書
また1593年、フランス王アンリ4世妃は、12本のスペイン扇を残したことが記されている。イギリスの女王エリザベス1世(1533―1603)は箒型扇を愛好した。
40. オニール(O'Neill, Hugh, 3rd Earl of Tyrone)
世界人名大辞典
支配権を認められる[80年代]が,次第にイングランドと対立,カトリックのスペインと通じてエリザベス1世に対する大規模な反乱を組織した[95-].ゲール氏族を率い
41. オニール家
世界大百科事典
た。息子のシェーン・オニールShane O'Neill(1530-67)は,コンの庶子でエリザベス1世が相続人と認めたマシューを滅ぼし,イギリス軍との戦いを続け
42. オラニエ公ウィレム(1世)画像
日本大百科全書
国の基礎が置かれた。ウィレムは、同盟を率いてスペインと戦い、ドイツ新教諸侯、イギリス女王エリザベス1世、フランスのユグノー派の援助を求めて外交交渉にあたり、新国
43. オランダ史画像
日本大百科全書
)の政治的指導とウィレムの息子、総督マウリッツの軍事的活躍などにより、さらにイギリス女王エリザベス1世の支援を受けて7州の軍事的解放に成功し、1609年スペイン
44. オランダ独立戦争
日本大百科全書
フェリペ2世に対する臣従拒否宣言をし、フランス王アンリ3世の弟アンジュー公やイギリス女王エリザベス1世を主権者に迎えようとしたが失敗し、結局7州が各自、州主権と
45. 音楽画像
世界大百科事典
改革によっても助長された。イギリスでは1534年の英国国教会成立に伴い,ヘンリー8世からエリザベス1世の時代にかけて,サービスserviceやアンセムanthe
46. オンス
日本大百科全書
)の16分の1で、28.35グラムである。トロイポンドは5760グレーンとして、16世紀エリザベス1世のとき法令として制定され、貴金属と薬品専用とされた。別に7
47. 海上保険
世界大百科事典
が移住し貿易を営んでいたが,海上保険も彼らによってイギリスに移入された。その後海上保険はエリザベス1世の手によってイギリス人の経営に移され,やがてイギリスの海外
48. 花卉園芸画像
日本大百科全書
1597年にはジョン・ジェラルドJohn Gerard(1545―1612)が独自の本草書を出した。彼はエリザベス1世に仕えて多くの園芸種のコレクションをもって
49. カクトアール
世界大百科事典
される。名はフランス語の〈caqueter(おしゃべりをする)〉に由来する。イギリスでもエリザベス1世のころ,ファージンゲール・チェアと呼ばれる肘掛けのない椅子
50. 仮装舞踏会
世界大百科事典
のヘンリー7世やヘンリー8世の時から祝祭が派手になり,イタリアの仮装舞踏会も入ってくる。エリザベス1世の時代にはページェントと呼ばれる市民的祝祭が最高潮に達し,