1. おうぎし【王羲之】(Wáng Xīzhī)
世界人名大辞典
字:逸少〔307[永嘉1]~65[興寧3]〕 中国東晋の政治家,書人.瑯琊臨沂(現,山東臨沂)の人.生没年については諸説がある.303[太安2]~61[升平5
2. 王羲之画像
日本大百科全書
中国、東晋とうしん時代の能書家。中国、日本において書聖として尊重される。東晋の建国に功労のあった王導おうどうの従弟いとこ王曠おうこうの子。字あざなは逸少いっしょ
3. 王羲之
世界大百科事典
た詩を集めて1巻とし,その巻首に王羲之みずからが筆をふるって書いたのが有名な《蘭亭序》である。355年退官後もこの地に住み,10年間の余生を楽しんだ。 王羲之は
4. おう‐ぎし[ワウ‥]【王羲之】
日本国語大辞典
中国、晉代の書家。字(あざな)は逸少。琅邪(ろうや=山東省)の人。官は右軍将軍で、官名によって王右軍ともいわれる。楷、行、草三体の書体を芸術的完成の域にまで高め
5. おうぎし【王羲之】
国史大辞典
三〇七―六五 東晋時代の能書家。字は逸少。西晋の永嘉元年(三〇七)、琅邪臨沂(山東省)に生まれる。土地の名族王氏の出身で、父曠は淮南太守。祖父は王正。導の従子
6. 王羲之(おうぎし)
古事類苑
文學部 洋巻 第3巻 663ページ
7. 王羲之 【おう・ぎし/ワン・シーヂー】
世界文学大事典
得ている。唐の太宗李世民は彼の書を酷愛し,「蘭亭序」(解説後出)を昭陵に殉葬せしめ,また自ら『晋書』王羲之伝の賛を撰するほどであった。ただ『晋書』は「年五十九に
8. 【王羲之】おう(わう)ぎし
新選漢和辞典Web版
人名。晋(しん)の有名な書家。字(あざな)は逸少(いっしょう)。右軍(ゆうぐん)とも呼ばれる。草書・隷書(れいしょ)(今の楷書)にすぐれ、後世、書聖と仰がれた
9. 王羲之『十七帖』[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
13世紀の拓本。作品部各24.4×12.7cmメトロポリタン美術館所蔵
10. 王羲之書(著作ID:4369786)
新日本古典籍データベース
おうぎししょ 書道
11. えいこう【衛恒】(Wèi Héng)
世界人名大辞典
(ちょうし)の筋を得たというのに対し,恒はその骨を得たといわれる.鍾繇(しょうよう)の書法を王羲之(おうぎし)に伝えた衛夫人はいとこにあたる.当時,汲郡の不準が
12. えいふじん【衛夫人】(Wèifūrén)
世界人名大辞典
著した衛恒(えいこう)のいとこにあたり,汝陰太守李矩の妻.書は鍾繇(しょうよう)の法を善くし,王羲之(おうぎし)はこれを師とした.仮託の著であろうが,書論に《衛
13. えにん【懐仁】(Huáirén)
世界人名大辞典
中国唐初期の弘福寺の僧.長年にわたって王羲之(おうぎし)の書を学び,その筆法を自家薬籠中のものとした.王羲之の行書を集字して《聖教序》を刻し,忠実に王羲之書を再
14. おうい【王廙】(Wáng Yì)
世界人名大辞典
3]~322[永昌1]〕 中国東晋の官僚,書家.瑯琊臨沂(現,山東臨沂)の人.王導の従弟で,王羲之(おうぎし)の叔父にあたる.叛将王敦(おうとん)によって平南将
15. おうきし【王徽之】(Wáng Huīzhī)
世界人名大辞典
字:子猷 中国東晋の政治家,書家.瑯琊臨沂(現,山東臨沂)の人.王羲之(おうぎし)の第5子.官ははじめ軍閥桓温(かんおん)の参軍となり,のち黄門侍郎に至った.
16. おうけんし【王献之】(Wáng Xiànzhī)
世界人名大辞典
諡号:憲〔344[建元2]~88[太元13]〕 中国東晋の政治家,書人.瑯琊臨沂(現,山東臨沂)の人.王羲之(おうぎし)の第7子.父とともに二王と並称され,羲之
17. おうこう【王洽】(Wáng Qià)
世界人名大辞典
れば,領軍王洽が右軍王羲之(おうぎし)に手紙を送り,ともに古形を変えようといったが,今に至っても鍾繇(しょうよう),張芝(ちょうし)を法としていると言ったのに対
18. おうこくしょう【王穀祥】(Wáng Gǔxiáng)
世界人名大辞典
篆刻を能くし,わけても画は写生に巧みで,一枝一葉を画けば生彩があり,士林に重んじられた.書は王羲之,王献之や趙孟頫(ちょうもうふ)を学んだ.〈行書千字文〉などが
19. おうしゅう【王修】(Wáng Xiū)
世界人名大辞典
陽(現,山西太原市)の人.王濛(おうもう)の子.官は中軍司馬.書は隷書に巧みであった.友人の王羲之(おうぎし)が王導(おうどう)から賜与された鍾繇(しょうよう)
20. おうしょう【皇象】(Huáng Xiàng)
世界人名大辞典
(こしょう)は今,書聖の名がある,といい,《書断》では張芝(ちょうし),鍾繇(しょうよう),王羲之(おうぎし)らとともに〈神品〉にランクされている.〖文献〗 三
21. おうじゅん【王珣】(Wáng Xún)
世界人名大辞典
徐邈らとともに孝武帝(司馬曜372/96)の厚遇を得た.彼の《伯遠帖》は,清の乾隆帝の時に,王羲之(おうぎし)の《快雪時晴帖》,王献之(おうけんし)の《中秋帖》
22. おうたく【王鐸】(Wáng Duó)
世界人名大辞典
とに董其昌(とうきしょう)と肩を比べて賞せられていた.楷書は魏の鍾繇(しょうよう)から東晋の王羲之(おうぎし)にいたる,いわゆる魏晋小楷をみごとに展開しながら,
23. おうちけい【王知敬】(Wáng Zhījìng)
世界人名大辞典
善くし双絶と称された.太宗(李世民)の時には,校書郎の官にあり,褚遂良(ちょすいりょう)とともに王羲之(おうぎし)の書の鑑定に当たった(《二王等書録》).則天武
24. おうちとう【王穉登】(Wáng Zhìdēng)
世界人名大辞典
少なく,今日では〈王穉登本十七帖〉の名によって知られる.同帖への跋,〈李公麟瀟湘臥遊図跋〉〈王羲之快雪時晴帖跋〉などの題跋をよく残している.著に《呉郡丹青志》が
25. おうちょ【王著】(Wáng Zhù)
世界人名大辞典
学び,とりわけ楷行書にすぐれた.彼の書風は当時を風靡し,翰林院の正書体である院体の模範として称せられ,また王羲之(おうぎし)になぞらえて〈小王の書〉ともいわれた
26. おうどう【王導】(Wáng Dǎo)
世界人名大辞典
諡:文献〔276[咸寧2]~339[咸康5]〕 中国東晋の政治家,書家.瑯琊臨沂(現,山東臨沂)の人.王羲之はその従子にあたる.元帝(司馬睿(しばえい))が琅邪
27. おうようじゅん【欧陽詢】(Ōuyáng Xún)
世界人名大辞典
弘文館学士に至り,渤海男に封ぜられた.書は最初王羲之(おうぎし)を学び,また北斉の劉珉(りゅうびん)に学んだという説もあるが,大体において王羲之の伝統を受け継い
28. かいしん【解縉】(Xiè Jìn)
世界人名大辞典
いずれをもよくしたが,特に小楷にすぐれ,また草書を好んで狂草を善くした.書学にも造詣が深く,王羲之以後の名筆は,智永,蘇軾,米芾(べいふつ),趙孟頫(ちょうもう
29. かいそ【懐素】(Huáisù)
世界人名大辞典
よばれ,張旭(ちょうきょく)と合わせて〈張顛素狂〉とよばれる.従兄に当たる鄔彤(おとう)から王羲之(おうぎし)の《悪渓》《小王》《騒労》の三帖を授かり,張旭の古
30. がんしんけい【顔真卿】(Yán Zhēnqīng)
世界人名大辞典
で,各体の書をよくしたが,とりわけ楷書に優れた.筋骨たくましい重厚な書は,当時の主流であった王羲之(おうぎし)の貴族的な感性とはかなり異質で,革新的なものであっ
31. きょうりつこう【姜立綱】(Jiāng Lìgāng)
世界人名大辞典
現,浙江永嘉)の人.官は中書舎人,太常少卿に至った.若くして書を能くし,鍾繇(しょうよう),王羲之,趙孟頫(ちょうもうふ)を学んで一家を成したという.とりわけ楷
32. きょじゅん【許詢】(Xǔ Xún)
世界人名大辞典
かず,生涯任官しなかったため,許徴士とも呼ばれる.山水を好み,会稽(現,浙江紹興)に隠居して王羲之(おうぎし),劉惔(りゅうたん),謝安らと交遊し,清談家として
33. きょまい【許邁】(Xǔ Mài)
世界人名大辞典
遍歴して仙道修行に励み,去世後には地仙となったとされる.山陰県(紹興)で逸民の生活を楽しんでいた王羲之(おうぎし)は親密に付き合い,その霊異の事績を述べた伝記を
34. けいこう【啓功】(Qǐgōng)
世界人名大辞典
回),中央文史研究館館長,中国書法家協会主席.西泠印社社長等を務めた.書は碑帖研究に精しく,王羲之,顔真卿,柳公権等を広く学び,啓功体と尊称される行草表現を確立
35. けいとう【邢侗】(Xíng Tóng)
世界人名大辞典
でこなして,董其昌とともに〈北邢南董〉,さらに張瑞図,米万鍾を加えて〈邢張董米〉と称された.王羲之,王献之を深く学んで神を得,唐宋の名家をよしとせず,羲之を継承
36. げんけん【阮研】(Ruǎn Yán)
世界人名大辞典
梁鵠(りょうこく)らとともに名があげられており,庾と同時かそれ以前の人であろう.その行・草は王羲之(おうぎし)から出ており,特に筋力が最もすぐれると評され,また
37. こうていけん【黄庭堅】(Huáng Tíngjiān)
世界人名大辞典
を作ることにあり,南宋になってからは江西詩派の祖として仰がれるようになった.書も多くを学び,王羲之(おうぎし)を高く評価したが,欧陽詢(おうようじゅん),虞世南
38. こじゅうぎ【顧従義】(Gù Cóngyì)
世界人名大辞典
研山を得たのでその号がある.居を玉泓館という.書に巧みで,楷書は鍾繇(しょうよう),行草書は王羲之・王献之を学んだ.書画・古法帖・古印等の収蔵に富み,諸帖をよく
39. ごきょ【呉琚】(Wú Jū)
世界人名大辞典
得た.諸官を経て,鎮安軍節度使,判建康府となった.文集に《雲壑集》がある.書では鍾繇(しょうよう),王羲之(おうぎし)を学んだが,特に米芾(べいふつ)の書を完璧
40. さいけい【蔡京】(Cài Jīng)
世界人名大辞典
形成する面があったことは否めない.書は徐浩,沈伝師(しんでんし),欧陽詢(おうようじゅん)を学び,晩年は王羲之(おうぎし)を法とし,書の正統を身につけた.元来,
41. さいじょう【蔡襄】(Cài Xiāng)
世界人名大辞典
助けて反対派を厳しく攻撃した.文化人としては茶を嗜み,《茶録》《荔枝譜》の著を残している.書は王羲之(おうぎし)を慕い,顔真卿(がんしんけい)を学んで,楷書・行
42. しきどうじん【識道人】(Shídàorén)
世界人名大辞典
作って売り,人々はそれを宝とした.《書断》(妙品)に,欧陽通(おうようとう)の言として,識道人は王羲之(おうぎし)の甥であって,その書は伯父にそっくりであると述
43. しとん【支遁】(Zhīdùn)
世界人名大辞典
》巻8)はその成果で,大小2種の《般若経》を対比しつつ,般若思想の本質を明らかにした.謝安や王羲之などの名流貴族と交遊し,都建康(南京)で清談の座に加わっては,
44. しゃあん【謝安】(Xiè Ān)
世界人名大辞典
)の人.王氏とともに東晋の望族.官は吏部尚書に至った.40歳頃までは出仕せず,会稽に幽棲して王羲之(おうぎし),支遁(しとん)らの名士と交遊し,はなはだ人望があ
45. しゃどううん【謝道韞】(Xiè Dàoyùn)
世界人名大辞典
りゅうじょ)の風に因(よ)りて起こるに若(し)かず」の句でこれをしのいだ話が知られる.のちに王羲之の子,王凝之に嫁した.孫恩の乱[399:隆安3]で夫や子を失っ
46. しゅうはくき【周伯琦】(Zhōu Bóqí)
世界人名大辞典
ほしいままにした.篆書は殊にすぐれ,奎章閣を宣文閣と改名したとき,勅命によりその篆額を書した[41:至正1].王羲之の《蘭亭序》,智永の《千字文》を臨模させ,石
47. しょうとん【章惇】(Zhāng Dūn)
世界人名大辞典
徹底的に弾圧し,高太后が立てた孟皇后を廃位に追い込んだ.しかし徽宗(きそう)即位後,弾劾・左遷された.書は王羲之風の伝統派を学んだ.〖文献〗 宋史471.東都事
48. しょうよう【鍾繇】(Zhōng Yáo)
世界人名大辞典
書壇の大宗であって,王羲之(おうぎし)は,漢の張芝(ちょうし)とともに鍾繇を尊崇し,この2者の他は見るに足らずと評し,また庾肩吾(ゆけんご)の《書品》は,張芝・
49. しんど【沈度】(Shěn Dù)
世界人名大辞典
1366~1418)らはみな書に巧みだったが,永楽帝は特に沈度の書を好んで寵愛し,「我が朝の王羲之」と称えて重要な詔勅はみな書かせたという.弘治帝も沈度の書を酷
50. じょこう【徐浩】(Xú Hào)
世界人名大辞典
予)が即位すると再び中書舎人となり,吏部侍郎,集賢殿学士となった.書を善くし,それが伝統派の王羲之(おうぎし)の流れを汲むものであったことは,経歴からも作品から