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日本歴史地名大系

日本歴史地名大系
大平山元遺跡
おおだいやまもといせき

[現]外ヶ浜町蟹田大平・蟹田山元

蟹田かにた川左岸の標高二六−二八メートルを有する低位河岸段丘上に営まれた、旧石器時代終末から縄文時代草創期の遺跡群。遺跡は三地区に分かれ、それぞれ大平山元I・同II・同III遺跡と呼称されている。昭和五〇年(一九七五)から五ヵ年にわたり県立郷土館が発掘調査を実施し、平成元年(一九八九)および同一二年から現在にいたるまで町教育委員会が調査を行っている。その結果、I遺跡では局部磨製石斧・石鏃・尖頭器・石核のほか、若干の縄文時代草創期に属する無文土器が出土し、II遺跡では舟底形石器・彫器・尖頭器・ナイフ形石器に加えて、湧別技法(北海道の湧別川流域に多い石器製作法)による細石刃などの刃器、石器製作所や焼礫を含む礫群(炉跡)などの遺構も発見された。またIII遺跡では尖頭器・彫器・ナイフ形石器のほかに、細石刃核も出土している。

なおI遺跡で発見された土器に付着していた炭化物について、名古屋大学の加速器質量分析法による放射性同位炭素年代測定を行って暦年修正したところ、一万六千五二〇年前という測定結果を得ている。(「大平山元I遺跡発掘調査報告書」青森県立郷土館・一九七九年、「大平山元II遺跡発掘調査報告書」同郷土館・一九八〇年、「大平山元III遺跡発掘調査報告書」同郷土館・一九八一年、「大平山元I遺跡の考古学調査」大平山元I遺跡発掘調査団・一九九九年)

〈平成一八年三月〉

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1. おおだいやまもといせき【大平山元遺跡】青森県:東津軽郡/蟹田町/大平村
日本歴史地名大系
[現]外ヶ浜町蟹田大平・蟹田山元 蟹田川左岸の標高二六−二八メートルを有する低位河岸段丘上に営まれた、旧石器時代終末から縄文時代草創期の遺跡群。遺跡は三地区に分
2. 大平山元遺跡
日本史年表
出現.放射性炭素AMS法によると1万6000年前に遡るという. 縄文時代 始まる(青森県 大平山元遺跡 ・長野県 神子柴遺跡 ・神奈川県 寺尾遺跡 など)。
3. 縄文時代
日本史年表
出現.放射性炭素AMS法によると1万6000年前に遡るという. 縄文時代 始まる(青森県 大平山元遺跡 ・長野県 神子柴遺跡 ・神奈川県 寺尾遺跡 など)。
4. ちょうじゃくぼいせき【長者久保遺跡】青森県:上北郡/東北町/甲地村
日本歴史地名大系
る。出土石器のなかで円鑿は刃部に研磨の痕が認められ、昭和五〇年以後調査された東津軽郡蟹田町大平山元遺跡の土器を伴う円鑿との比較において、縄文文化と旧石器文化の接
5. 寺尾遺跡
日本史年表
出現.放射性炭素AMS法によると1万6000年前に遡るという. 縄文時代 始まる(青森県 大平山元遺跡 ・長野県 神子柴遺跡 ・神奈川県 寺尾遺跡 など)。
6. 神子柴遺跡
日本史年表
出現.放射性炭素AMS法によると1万6000年前に遡るという. 縄文時代 始まる(青森県 大平山元遺跡 ・長野県 神子柴遺跡 ・神奈川県 寺尾遺跡 など)。
7. 前1万1000年
日本史年表
出現.放射性炭素AMS法によると1万6000年前に遡るという. 縄文時代 始まる(青森県 大平山元遺跡 ・長野県 神子柴遺跡 ・神奈川県 寺尾遺跡 など)。
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