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  11. 桜田治助

ジャパンナレッジで閲覧できる『桜田治助』の辞書・事典・叢書別サンプルページ

歌舞伎事典・世界大百科事典

新版 歌舞伎事典
桜田治助
さくらだじすけ
 歌舞伎作者。四世まである。
【初世】1734‐1806 俳名左交。号柳井隣・花川戸。江戸生れ。幼名蒔田喜三郎、または治三郎、通称笠屋善兵衛・中村平吉ともいうが不詳。宝暦七(1757)年歌舞伎作者三宅清蔵(のち津村と改姓)の世話で江戸・市村座の狂言作者となり、田川治助を名のる。同年一一月津村と改姓。壕越二三次(治)に随身し、一時堀越を名のったのち桜田治助となる。宝暦一一年上京、上方狂言を修業して江戸に帰り、三世市川団蔵付の立作者として頭角をあらわす。明和六(1769)年四世市川団十郎の市川揃の大一座の立作者に抜擢され、以後《御摂勧進帳ごひいきかんじんちょう》(安永二年)をはじめ当り狂言を書き、〈江戸の花の桜田〉と称された。天明五(1785)年以降は隠居格となり、盟友四世松本幸四郎のために筆を取った。作風は初期の宝暦振の寛闊さに加え、最盛期には幸四郎と組んでの病的なほどの極端な穴狙いで、穿ちによる新しさを追求し、明るさのなかにも翳りのある作風が天明期の江戸で圧倒的な共感を呼んだ。《貢曾我富士着綿みつぎそがふじのきせわた》の二番目助六の書替え狂言など三〇余種の台本が伝わり、歌舞伎史上文学的にもっとも価値の高い作者として位置付けられるが、あまりに高踏的な精神のゆえか舞台での伝承はない。常磐津の《戻駕色相肩もどりかごいろにあいかた》、富本の《花川戸身替の段はなかわどみがわりのだん》、長唄の《教草吉原雀おしえぐさよしわらすずめ》など所作事の作詞者としても、歌舞伎史上最高の地位に揺ぎはない。門下に笠縫専助・木村園夫えんぶ・村岡幸治・福森久助・二世桜田治助がいる。
【二世】1768‐1829 俳名調布・左交。江戸生れ。父はごみ舟の株を持つ。幼名藤次郎、通称ごみ半。笠縫専助に入門、栄半次の名で寛政二(1790)年河原崎座に初出勤。清水・松田と改姓したのち松島陽助から松島半次となる。この頃から初世に随身、その没後初世の旧姓を名のって田川章作となり、文化五(1808)年に治助を継ぐ。文化一四年三世三津五郎付の立作者となる。晩年は初世の後家に名跡をかえし、松島てうふを名のった。変化舞踊流行の旗手として常磐津の《源太》、清元の《傀儡師》、長唄の《再春菘種蒔またくるはるすずなのたねまき》など名作を残すが、台本にはみるべきものがない。
【三世】1802‐1877 俳名左交。深川仲町山城屋の子。文政七(1824)年葛飾音助の名で初出勤。二世門下となり、松島半次・てうふを経て天保四(1833)年に治助となる。天保九年四世中村歌右衛門と提携し中村座での地位を確立、文久二(1862)年に名跡を園治に譲ったのちも桜田左交の名で立作者を勤めた。一方、安政三(1856)年からは狂言堂・狂言堂左交の名で森田座(のち守田座・新富座)の立作者も兼ね、市村座の河竹黙阿弥、中村座で同座した三世瀬川如皐と明治の初めまで三座体制を維持した。新作は少なかったが、古老として重きをなし、常磐津の《三世相錦繡文章さんぜそうにしきぶんしょう》(安政四年)などを書く。
【四世】生没年不詳。文久二年三世の門人二世木村園治が継いだ。
[古井戸 秀夫]


改訂新版 世界大百科事典
桜田治助
さくらだじすけ

歌舞伎作者。4世まである。(1)初世(1734-1806・享保19-文化3) 俳名左交。号柳井隣,花川戸。江戸生れ。幼名蒔田喜三郎,または治三郎,通称笠屋善兵衛,中村平吉ともいうが不詳。1757年(宝暦7)歌舞伎作者三宅清蔵(のち津村と改姓)の世話で江戸市村座の狂言作者となり田川治助を名のる。同年11月津村と改姓。壕越二三治(次)に随身し,一時堀越を名のったのち桜田治助となる。61年上京,上方狂言を修業して江戸に帰り,3世市川団蔵付の立作者として頭角をあらわす。69年(明和6)4世市川団十郎の市川揃の大一座の立作者に抜擢され,以後《御摂勧進帳(ごひいきかんじんちよう)》(1773)をはじめ当り狂言を書き〈江戸の花の桜田〉と称された。85年(天明5)以降は隠居格となり,盟友4世松本幸四郎のために筆を取った。作風は初期の宝暦振りの寛闊さに加え,最盛期には幸四郎と組んでの病的なほどの極端な穴ねらいで,うがちによる新しさを追求し,明るさのなかにもかげりのある作風が天明期(1781-89)の江戸で圧倒的な共感を呼んだ。《貢曾我富士着綿(みつぎそがふじのきせわた)》の二番目助六の書替狂言など30余種の台本が伝わり,歌舞伎史上文学的にもっとも価値の高い作者として位置付けられるが,あまりに高踏的な精神のゆえか舞台での伝承はない。常磐津節の《戻駕(もどりかご)》,富本の《身替りお俊》,長唄の《吉原雀》など所作事の作詞者としても歌舞伎史上最高の地位に揺ぎはない。門下に笠縫専助,木村園夫(えんぷ),村岡幸治,福森久助,2世桜田治助がいる。(2)2世(1768-1829・明和5-文政12) 俳名調布,左交。江戸生れ。父はごみ舟の株を持つ。幼名藤次郎,通称ごみ半。笠縫専助に入門,栄半次の名で1790年(寛政2)河原崎座に初出勤。清水,松田と改姓したのち松島陽助から松島半次となる。このころから初世に随身,その没後初世の旧姓を名のり田川章作となり,1808年(文化5)に治助をつぐ。17年3世三津五郎付の立作者となる。晩年は初世の後家に名跡をかえし松島てうふを名のった。変化舞踊流行の旗手として常磐津節の《源太》,清元節の《傀儡師(かいらいし)》,長唄,清元節の《舌出三番叟(しただしさんばそう)》など名作を残すが,台本にはみるべきものがない。(3)3世(1802-77・享和2-明治10) 俳名左交。深川仲町山城屋の子。1824年(文政7)葛飾音助の名で初出勤。2世門下となり松島半次,てうふを経て33年(天保4)に治助となる。38年4世中村歌右衛門と提携し中村座での地位を確立,62年(文久2)に名跡を園治に譲ったのちも桜田左交の名で立作者を勤めた。一方,56年(安政3)からは狂言堂,狂言堂左交の名で森田座(のち守田座,新富座)の立作者も兼ね,市村座の河竹黙阿弥,中村座で同座した3世瀬川如皐と明治の初めまで三座体制を維持した。新作は少なかったが古老として重きをなし常磐津節の《三世相錦繡文章(さんぜそうにしきぶんしよう)》(1857)などを書く。(4)4世 生没年不詳。1862年(文久2)3世の門人2世木村園治がついだ。
[古井戸 秀夫]

[索引語]
調布(人名) ごみ半 松島てうふ 桜田左交 狂言堂左交
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検索コンテンツ
1. 桜田治助
日本大百科全書
歌舞伎かぶき作者。4世まである。初世(1734―1806)江戸作者中興の祖と称され、金井三笑さんしょうとともに安永あんえい・天明てんめい期(1772~89)の作
2. 桜田治助
世界大百科事典
なり田川治助を名のる。同年11月津村と改姓。壕越二三治(次)に随身し,一時堀越を名のったのち桜田治助となる。61年上京,上方狂言を修業して江戸に帰り,3世市川団
3. さくらだ‐じすけ【桜田治助】
日本国語大辞典
中後期の江戸を代表する歌舞伎作者。俳名左交(さこう)。代々世話物、所作事に名作が多い。初世、享保一九~文化三年(一七三四~一八〇六)。二世、明和三~文政一二年(
4. さくらだじすけ【桜田治助】
国史大辞典
歌舞伎狂言作者。明治時代中期までに四代を数えるが、初代が最も有名で、二代目・三代目これに次ぐ。 (一)初代 一七三四―一八〇六 俳名左交、別名柳井隣・花川戸
5. さくらだじすけ【桜田治助】
歌舞伎事典
り、田川治助を名のる。同年一一月津村と改姓。壕越二三次(治)に随身し、一時堀越を名のったのち桜田治助となる。宝暦一一年上京、上方狂言を修業して江戸に帰り、三世市
6. Sakurada Jisuke 【桜田治助】
Encyclopedia of Japan
Name of a succession of major dramatists in the kabuki theater. Jisuke I (1734−1
7. さくらだ-じすけ【桜田治助(初代)】
日本人名大辞典
1734−1806 江戸時代中期-後期の歌舞伎作者。享保(きょうほう)19年生まれ。江戸の人。壕越二三治(ほりこし-にそうじ)に師事し,一時京坂で上方狂言をまな
8. さくらだ-じすけ【桜田治助(2代)】
日本人名大辞典
1768−1829 江戸時代後期の歌舞伎作者。明和5年生まれ。初代笠縫専助(かさぬい-せんすけ)の門から初代治助に入門し,文化5年2代を襲名。脚本は地味であった
9. さくらだ-じすけ【桜田治助(3代)】
日本人名大辞典
1802−1877 江戸後期-明治時代の歌舞伎作者。享和2年生まれ。2代桜田治助の門弟で,天保(てんぽう)4年3代を襲名。6年4代中村歌右衛門にとりたてられて立
10. さくらだ-じすけ【桜田治助(4代)】
日本人名大辞典
伎作者。藤本吉兵衛(3代瀬川如皐(じょこう)),のち3代桜田治助の門人。宝屋基助,2代木村園治をへて,文久2年(1862)4代桜田治助を襲名し,守田座の立(たて
11. 桜田治助(初世)[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:1件 【逐次刊行物】:1件 『歌舞伎作者の研究』河竹繁俊『初代桜田治助』金沢康隆
12. 桜田治助(三世)[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:0件 【逐次刊行物】:1件 『治助・如皐・黙阿弥』河竹繁俊
13. 相生源氏高砂松(著作ID:79209)
新日本古典籍データベース
あいおいげんじたかさごのまつ 桜田治助三世(さくらだじすけ3せい) 河竹新七二世(かわたけしんしち2せい) 脚本 文久元初演
14. 青砥稿(著作ID:596372)
新日本古典籍データベース
あおとぞうし 桜田治助三世(さくらだじすけ3せい) 松島専助(まつしませんすけ) 脚本 弘化三初演
15. 青砥調(著作ID:596418)
新日本古典籍データベース
あおとばなし 桜田治助三世(さくらだじすけ3せい) 清水賞七(しみずしょうしち) 脚本 嘉永二初演
16. 青砥藤綱
世界大百科事典
)7月江戸市村座初演《名誉仁政録》(3世桜田治助作)や,前記《模稜案》の脚色作である1846年(弘化3)7月市村座初演《青砥稿(ぞうし)》(3世桜田治助作),ま
17. あおとふじつな【青砥藤綱】
日本架空伝承人名事典
)七月江戸市村座初演『名誉仁政録』(三世桜田治助作)や、前記『模稜案』の脚色作である一八四六年(弘化三)七月市村座初演『青砥稿(ぞうし)』(三世桜田治助作)、ま
18. 赤松蟾兎見島台(著作ID:597933)
新日本古典籍データベース
あかまつつきみのしまだい 赤松玉兎見島台 桜田治助一世(さくらだじすけ1せい) 脚本 寛政一二初演
19. 『明烏』
日本史年表
壬辰〉 この年 初代鶴賀若狭掾、 『明烏』 を作曲。 1851年〈嘉永4 辛亥〉 2・‐ 3代目桜田治助作詞・清元千蔵(一説に太兵衛)作曲 『明烏』 、江戸市村
20. あけ‐がらす【明烏】
日本国語大辞典
(1)新内節。初世鶴賀若狭掾(わかさのじょう)作詞作曲。本名題「明烏夢泡雪」。(2)清元節。三世桜田治助作詞。清元千蔵作曲。本名題「明烏花濡衣(あけがらすはなの
21. あけがらす【明烏】
国史大辞典
救い出す。新内節の代表曲。 (二) 清元節「明烏花濡衣(あけがらすはなのぬれぎぬ)」の略称。三代目桜田治助作詞。清元千蔵(一説に清元太兵衛)作曲。花柳寿輔振付。
22. あけがらす【明烏】 : 明烏/(二)
国史大辞典
(二) 清元節「明烏花濡衣(あけがらすはなのぬれぎぬ)」の略称。三代目桜田治助作詞。清元千蔵(一説に清元太兵衛)作曲。花柳寿輔振付。嘉永四年(一八五一)二月江
23. 明烏(浄瑠璃新内節)
日本大百科全書
で8世市川団十郎の時次郎と初世坂東しうかの浦里により劇化上演されたときの浄瑠璃で、作詞は3世桜田治助。その脚本は後世に残り、時次郎に操を立てる浦里が、雪中でやり
24. 明烏花濡衣(著作ID:600759)
新日本古典籍データベース
あけがらすはなのぬれぎぬ 明烏雪浦里 明烏手向の一節 桜田治助三世(さくらだじすけ3せい) 浄瑠璃/清元 嘉永四刊
25. 明烏花濡衣(著作ID:600760)
新日本古典籍データベース
あけがらすはなのぬれぎぬ 明烏雪浦里 明烏手向の一節 桜田治助三世(さくらだじすけ3せい) 脚本 嘉永四初演
26. あげ‐まき【総角・揚巻】画像
日本国語大辞典
角がモデルとされる。〔二〕(揚巻)長唄「助六姿裏梅(すけろくすがたのうらうめ)」の通称。三世桜田治助作詞。十世杵屋六左衛門作曲。歌舞伎所作事、安政四年(一八五七
27. 朝日奈(著作ID:602368)
新日本古典籍データベース
あさいな 桜田治助三世(さくらだじすけ3せい) 浄瑠璃/大薩摩 慶応三初演
28. 浅妻船
日本大百科全書
郎が初演した『月雪花名残文台つきゆきはななごりのぶんだい』という七変化へんげ舞踊の一つ。2世桜田治助作詞、2世杵屋きねや佐吉作曲、3世藤間勘兵衛・2世市山七十郎
29. 浅妻船
世界大百科事典
きはななごりのぶんだい)》の一つ。本名題《浪枕月浅妻(なみまくらつきのあさづま)》。作詞2世桜田治助,作曲2世杵屋(きねや)佐吉,振付3世藤間勘兵衛と市山七十郎
30. あさづまぶね【浅妻船】
国史大辞典
長唄の曲名。「浪枕月浅妻(なみまくらつきのあさづま)」の通称。二代目桜田治助作詞。二代目杵屋佐吉作曲。三代目藤間勘兵衛・初代市山七十郎振付。文政三年(一八二〇
31. 浅間嶽
日本大百科全書
734初演)をはじめ『家桜傾城姿いえざくらけいせいすがた』(1736)、『傾城浅間嶽』(初世桜田治助作詞。1792)があり、河東かとう節に『恋桜こいざくら反魂香
32. 浅緑露玉川(著作ID:82371)
新日本古典籍データベース
あさみどりつゆのたまがわ 桜田治助三世(さくらだじすけ3せい) 浄瑠璃/常磐津 安政三初演
33. 的当歳初寅曾我(著作ID:610388)
新日本古典籍データベース
あたりどしはつとらそが 桜田治助一世(さくらだじすけ1せい) 本屋宗七(ほんやそうしち) 桜田治助二世(さくらだじすけ2せい) 鶴屋南北四世(つるやなんぼく4せ
34. 当南枝梅春の日(著作ID:610402)
新日本古典籍データベース
あたりなんしうめにはるのひ 桜田治助一世(さくらだじすけ1せい) 浄瑠璃/常磐津 享和三初演
35. 仇略積睦言(著作ID:84208)
新日本古典籍データベース
あだなやつしつもるむつごと 桜田治助二世(さくらだじすけ2せい) 浄瑠璃/常磐津 文化一四初演
36. 吾妻与次兵衛
日本大百科全書
絡ませて脚色するようになった。「吾妻与五郎物」または「双蝶々物」とよばれる系統でおもな歌舞伎かぶき脚。本に初世桜田治助作『関取菖蒲絺せきとりしょうぶかたびら』、
37. 海人(士)
世界大百科事典
しやぼんのたまとり)》,通称《玉取蜑(あま)》。1832年(天保3)7月江戸中村座初演。3世桜田治助作詞。10世杵屋(きねや)六左衛門作曲。4世中村歌右衛門四変
38. 更名桜の盞(著作ID:616319)
新日本古典籍データベース
あらためてはなのさかずき 桜田治助二世(さくらだじすけ2せい) 浄瑠璃/富本 文政一一初演
39. 在姿浄瑠璃世界(著作ID:86884)
新日本古典籍データベース
ありしすがたじょうるりせかい 新高尾 桜田治助一世(さくらだじすけ1せい) 浄瑠璃/富本 寛政二初演
40. 粟餅
世界大百科事典
1845年(弘化2)正月江戸中村座初演。4世中村歌右衛門,2世市川九蔵(後の6世団蔵)ほか。作詞3世桜田治助。作曲5世岸沢式佐。振付藤間大助(後の2世藤間勘十郎
41. あわ‐もち[あは‥]【粟餠】
日本国語大辞典
五二号〔1897〕飲食門「同所赤羽根橋際の粟餠 佃島の佃煮」【二】歌舞伎所作事。常磐津。三世桜田治助作詞。四世岸沢式佐作曲か。西川芳次郎(初世花柳寿輔)振付。本
42. 情競傾城嵩(著作ID:624726)
新日本古典籍データベース
いきじくらべけいせいがたけ いきぢ競傾城が嶽 坂東秀佳(ばんどうしゅうか) 作 桜田治助二世(さくらだじすけ2せい) 代作 歌川国安一世(うたがわくにやす1せい
43. いちはらの【市原野】
日本国語大辞典
歌舞伎所作事のだんまり。富本。のちに常磐津に改曲。三世桜田治助作詞。名見崎徳治作曲。本名題「当稲俄姿画(わせおくてにわかのすがたえ)」の上の巻。文久三年(一八六
44. 魁駒松梅桜曙〓(著作ID:639009)
新日本古典籍データベース
魁駒松梅桜捺物 月欠皿恋路宵闇 河竹新七二世(かわたけしんしち2せい) 桜田治助三世(さくらだじすけ3せい) 桜田治助四世(さくらだじすけ4せい) 脚本 慶応元
45. 一心太助
世界大百科事典
果たした。1855年(安政2)7月江戸中村座初演の《名高手毬諷(なにたかしまりうた)実録》(3世桜田治助作)で4世市川小団次が太助ほか5役を演じ好評。ほかに83
46. いっしん‐たすけ【一心太助】
日本国語大辞典
伎脚本。時代世話物。(1)本名題「名高手毬諷実録(なにたかしまりうたじつろく)」。八幕。三世桜田治助作。安政二年(一八五五)江戸中村座初演。(2)本名題「芽出柳
47. いっしんたすけ【一心太助】
日本人名大辞典
たすけてさまざまな活躍をする。歌舞伎の初演は安政2年江戸中村座の「名高手毬諷(なにたかしまりうた)実録」(3代桜田治助作)。
48. いっしんたすけ【一心太助】
日本架空伝承人名事典
果たした。一八五五年(安政二)七月江戸中村座初演の『名高手毬諷(なにたかしまりうた)実録』(三世桜田治助作)で四世市川小団次が太助ほか五役を演じ好評。ほかに八三
49. いなかげんじ[ゐなかゲンジ]【田舎源氏】
日本国語大辞典
歌舞伎所作事。富本。清元。三世桜田治助作詞。名見崎友治作曲。初世花柳寿輔振付。本名題「名夕顔雨旧寺(なにゆうがおあめのふるでら)」。嘉永四年(一八五一)江戸市村
50. 田舎源氏(歌舞伎舞踊劇)
日本大百科全書
本名題『名夕顔雨の旧寺なにゆうがおあめのふるでら』または『田舎源氏露東雲つゆのしののめ』。3世桜田治助作。1851年(嘉永4)9月江戸・市村座で8世市川団十郎の
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