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国史大辞典・世界大百科事典

国史大辞典
三論宗
さんろんしゅう
仏教の一宗派、南都六宗・中国十三宗の一つ。インドの竜樹の『中論』『十二門論』とその弟子の提婆の『百論』の三部の論書を所依として立宗しているので三論宗という。インドでは中観宗という。宗義は仏教の根本的な哲学である般若皆空・諸行無常で代表される空の哲学を根幹としている。他宗では経の価値の高下を説くのに対して、この宗では人々を導く方法において一切の経典では区別はあるが、元来は執着を離れるためである点で、同一価値を持つとするが、特にこの世界の現象そのものには実体がない、すなわち空であるという点を強調している点に特徴がみられる。インドでは四世紀中期ころから盛行をみ、中国へは五世紀の初め鳩摩羅什(くまらじゅう)によって『百論』『中論』『十二門論』が漢訳され、研究された。のち道生・曇済・法朗を経て、法朗の門下より隋の嘉祥大師吉蔵を出した。三論宗という宗の組織体系を与えたのは吉蔵で、吉蔵を宗祖とする。吉蔵は釈迦の教理は唯一理の顕揚で、二諦八不の理を終極の思想とし、破邪即顕正すなわち諸宗の偏執を取り除き、中道の理を顕すことを本旨とした。日本への伝来は吉蔵の弟子で聖徳太子の師である高麗僧恵灌に始まる。恵灌は推古天皇三十三年(六二五)に三論を伝え、飛鳥元興寺に住し、のち河内国井上寺に移ったが、大化二年(六四六)に宮中で三論を講じた。この恵灌の法脈より入唐求法僧智蔵が出で法隆寺に留住して学徒を教導して盛んとなり、のちこの法流を元興寺流と称した。一方智蔵に三論教学を学んだ道慈は、大宝二年(七〇二)に入唐留学し、吉蔵の法孫元康より三論宗を受学し、大安寺を平城右京に創建するが、天平九年(七三七)四月に大般若会を創始して、三論宗を弘めた。この法流から善議・安澄・勤操などの学僧が輩出したが、この流れは大安寺流と呼ばれた。法相宗とともに古代国家の仏教の根幹を形成した。天平十九年二月の『法隆寺伽藍起并流記資財帳』『大安寺伽藍縁起并流記資財帳』に三論衆と別三論衆、同年の『元興寺伽藍縁起并流記資財帳』および延暦十三年(七九四)五月の『弘福寺文書目録』には三論宗・別三論供田の名称がみえ、少なくとも法脈所伝と教理の相違に基づくと推定される二学派の存在したことが認められる。三論宗の名の初見は『正倉院文書』の天平勝宝四年(七五二)閏三月十八日付の「六宗厨子」彩色に関する「充厨子彩色帳」で、第三厨子が三論宗とあり、同年八月二十四日の東大寺三論宗牒にもみられるが、前年五月の経疏出納帳に「六宗布施法」とあり、すでに三論宗は六宗の中に包含されたとすべきで、学派の成立は天平勝宝三年で、東大寺においては大仏開眼供養会を目標として成立をみたと思われる。「无相之宗教」といわれた当宗は法相教学に押されて学徒減少し衰微したようで、延暦十七年・同二十一年・同二十二年など再三にわたって三論宗復興が計られ、大同元年(八〇六)正月に至って、太政官符を以て五宗の年分度者十二人のうち、三論宗は成実宗専攻僧一人を含めて三人と定められ、成実宗は教理の類似から三論宗の付宗となった。弘仁四年(八一三)正月の御斎会において勤操は「三論ハ是レ祖君ノ宗」と説いて教理を宣揚し、西大寺玄叡は『三論大義鈔』を著わし、願暁はまた『金光明最勝王経玄枢』を著作したが、その門下に聖宝が出でて、東大寺内に東南院を建て、三論宗の本所となり延〓・観理などが輩出、延久三年(一〇七一)宣旨を以て元興・大安二寺の三論宗を吸収し、以後覚樹・永観・慧珍・珍海などが出で、鎌倉時代には聖守が出で、室町時代中期には英憲・英訓の学匠が出でたが、衰退の一途をたどり江戸時代末に至って衰亡した。
[参考文献]
『三論祖師伝集』(『大日本仏教全書』)、『三国仏法伝通縁起』(同)、井上光貞「南都六宗の成立」(『日本古代思想史の研究』所収)
(堀池 春峰)


改訂新版 世界大百科事典
三論宗
さんろんしゅう

普通には中国,日本の仏教宗派の一つとされる。インドからチベットへ流伝した中観派に対応するものとして,中国仏教においては三論学派があった。クマーラジーバ(鳩摩羅什)晩年の訳になる竜樹(ナーガールジュナ)の《中論》《十二門論》および提婆(だいば)の《百論》の三論を主として研究・講義し,またその哲学にもとづいて禅観を実践する学僧たちの学統である。クマーラジーバ没後,辺境地域に流散していた学統が南朝後半期に摂山棲霞寺を中心に再統合され発展せしめられ,つづいて隋の嘉祥大師吉蔵によって南北両系統の三論学の伝統が集大成された。吉蔵は,当時姸を競っていた諸学派の中にあって,〈破邪顕正〉(有無いずれにも滞(とどこお)ることのない三論の玄義)こそが仏教の根本真理であることを確立した。しかし中国においては〈三論宗〉の語が用いられたことはない。日本においても奈良遷都以前から元興寺,大安寺などに〈三論衆〉があり,吉蔵の学統を伝えていたが,天平勝宝年間(749-757)になってはじめて東大寺において〈三論宗〉の学団が南都六宗の一つとして公的に確立されたと考えられる。以後,三論学派が〈三論宗〉と呼ばれるようになるのである。
[荒牧 典俊]

[索引語]
三論学派 吉蔵
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検索コンテンツ
1. 三論宗
日本大百科全書
中国仏教の一宗派(学派)で、日本にも伝わり南都六宗の一つに数えられる。『般若経はんにゃきょう』の空くうを論じた『中論』『百論』『十二門論』の三論に基づくのでこの
2. 三論宗
世界大百科事典
(749-757)になってはじめて東大寺において〈三論宗〉の学団が南都六宗の一つとして公的に確立されたと考えられる。以後,三論学派が〈三論宗〉と呼ばれるようにな
3. さんろん‐しゅう【三論宗・三論衆】
日本国語大辞典
3C前〕六・新院崩御「三論宗の学生成宝已講が、勧修寺に忍つつかくれゐたりける」*米沢本沙石集〔1283〕四・一「宗ごとに、『我が宗勝れたり』とのみ偏執するに、我
4. さんろんしゅう【三論宗】
国史大辞典
関する「充厨子彩色帳」で、第三厨子が三論宗とあり、同年八月二十四日の東大寺三論宗牒にもみられるが、前年五月の経疏出納帳に「六宗布施法」とあり、すでに三論宗は六宗
5. 三論宗(さんろんしゅう)【篇】
古事類苑
宗教部 洋巻 第1巻 449ページ
6. 【三論宗】さんろん しゅう
新選漢和辞典Web版
《仏教》仏教宗派の一つ。推古天皇のとき、高麗(こうらい)の僧慧灌(えかん)が伝え、のち唐へ留学した道慈が立てた宗名。
7. Sanron school 【三論宗】
Encyclopedia of Japan
Buddhist school that employed three philosophical treatises as its basic texts:
8. 遊外僧入支那三論宗 (見出し語:三論宗【篇】)
古事類苑
宗教部 洋巻 第2巻 468ページ
9. さんろんしゅう‐てん【三論宗点】画像
日本国語大辞典
〔名〕(正しくは「東大寺三論宗点(とうだいじさんろんしゅうてん)」)ヲコト点の一つ。第三群点に属する。主として東大寺、高野山、醍醐寺、勧修寺、石山寺などの三論宗
10. さんろんしゅう の 三伝(さんでん)
日本国語大辞典
三論宗が、わが国に三回にわたって伝えられたこと。すなわち隋の吉蔵の弟子、慧灌が推古天皇の三三年(六二五)に伝えたのが第一伝、その後、慧灌の弟子、智蔵が唐に渡って
11. 三論宗血脈(著作ID:2434813)
新日本古典籍データベース
さんろんしゅうけちみゃく 仏教 
12. 慧灌弘三論宗 (見出し語:慧灌)
古事類苑
宗教部 洋巻 第1巻 453ページ
13. 智藏弘三論宗 (見出し語:智藏)
古事類苑
宗教部 洋巻 第1巻 449ページ
14. 道慈弘三論宗 (見出し語:道慈)
古事類苑
宗教部 洋巻 第1巻 449ページ
15. とうだいじさんろんしゅう‐てん【東大寺三論宗点】
日本国語大辞典
〔名〕〓さんろんしゅうてん(三論宗点)
16. えきん【慧均】(Huìjūn)
世界人名大辞典
e-gyun) 中国または百済の仏僧,三論学者.中国三論宗の興皇寺法朗の弟子で吉蔵の同門といわれる.従来,中国僧とされてきたが,中国で三論宗を学び,故郷の百済に
17. きちぞう【吉蔵】(Jízàng)
世界人名大辞典
摂山棲霞寺の僧朗②,摂山止観寺の僧詮,興皇寺の法朗の系譜に連なり,中国三論宗を大成した.若くして法朗のもとで出家し,21歳で具足戒を受ける.隋の中国統一[589
18. ごずほうゆう【牛頭法融】(Niútóu Fǎróng)
世界人名大辞典
〔594[開皇14]~657[顕慶2]〕 中国隋-唐初の僧.俗姓は韋氏.もとは三論宗系の学僧であったらしいが,安史の乱前後の頃,禅宗のなかに牛頭宗なる一派が形成
19. ちぞう【智蔵】(Zhìzàng)
世界人名大辞典
〔620頃~93頃〕 飛鳥時代の中国人僧.《三国仏法伝通縁起》によれば,法隆寺に三論宗を伝えた(三論宗第二伝).《懐風藻》によれば俗姓は禾田氏とされるが,熊凝氏
20. あしうらかんのんじ【芦浦観音寺】滋賀県:草津市/蘆浦村
日本歴史地名大系
聖徳太子の開基、秦河勝が創建したと伝える。白雉二年(六五一)に奈良法隆寺覚盛が再興、天平三年(七三一)三論宗として再建され、僧房二八宇を数えたという(大安寺三綱
21. あみだじ【阿弥陀寺】茨城県:岩井市/長須村
日本歴史地名大系
ろに所在。屈施竜山称名院と号し、真宗大谷派。本尊阿弥陀如来。寺伝によると大化五年(六四九)に三論宗長洲寺として恵鎮が創建し、弘仁三年(八一二)九代証恵の時に天台
22. 安澄
日本大百科全書
平安時代初期の三論宗さんろんしゅうの僧。安澄大徳ともいう。俗姓は身人むとべ氏。丹波たんば国船井郡(京都府)の人。奈良大安寺の善議ぜんぎ(729―812)から三論
23. あんちょう【安澄】
国史大辞典
で身人(身人部、むとべ)氏と伝えている。道慈が将来した新しい三論宗を大安寺の善議につき習学し、勤操(ごんぞう)とともに大安寺三論宗を代表する学僧であった。延暦二
24. あんちょう【安澄】
日本人名大辞典
うじ)7年生まれ。善議(ぜんぎ)に三論をまなび,密教にも通じ,勤操(ごんぞう)とともに大安寺三論宗を代表する学匠。法相(ほっそう)宗西大寺の泰演(たいえん)とな
25. あんらくしゅう【安楽集】
国史大辞典
第十二大門は謗法(ほうぼう)の罪を戒めて上述の所説を信ぜよと勧めている。道綽が本書を著わした動機は当時三論宗の嘉祥吉蔵(かじょうきちぞう)が盛んに無相大乗(諸法
26. いちじつ‐ちゅうどう【一実中道】
仏教語大辞典
唯一絶対の真実の理法はそのままが、中道であるということ。 八宗綱要 下・三論宗 「無得正観之月、浮一実中道之水」
27. いちねん‐じょうかく【一念成覚】
仏教語大辞典
いう。 秘蔵宝鑰 下・七 「雖然無階之階級不壊五十二位。階級之無階不碍一念成覚」 八宗綱要 下・三論宗 「一念成覚是短也、三祇成仏即長」
28. いっしょう 入妙覚(にゅうみょうかく)
日本国語大辞典
(妙覚は悟りの世界、仏の境界)仏語。天台宗に説くところで、三論宗や唯識宗などが三大阿僧祇劫(さんだいあそうぎこう)という長い間にわたって修行しなければ悟りに達し
29. いんねん‐しゃくぎ【因縁釈義】
仏教語大辞典
三論宗で、一切の法(もの)を解釈する方法に四種の釈義を用いるなかの一つ。一つのものを他のものを借りて解釈する方法。花ということを明らかにするのに、それが咲く樹の
30. う‐きょう[‥ケウ]【有教】
日本国語大辞典
と。(2)空教に対し、小乗の倶舎宗(くしゃしゅう)、大乗の法相宗をさしていう。一切皆空を説く三論宗に対して、唯識(ゆいしき)の本有を説くところからいう。(3)末
31. う‐きょう【有教】
仏教語大辞典
1 空教に対していう。小乗の俱舎宗(成実宗の側から)、大乗の法相宗(三論宗の側から)に対していう。 大乗伝通要録 下・一ノ一三 「慈氏付阿僧。已下所明之、謂仏
32. うしょとく‐けん【有所得見】
仏教語大辞典
誤った、とらわれた考え方。これこそ真理と思いこんでとられた見解。 八宗綱要 下・三論宗 「問、其破邪者何等耶。答、総破一切有所得見」
33. うしょとく‐だいじょう【有所得大乗】
仏教語大辞典
う有・空のとらわれを去ったところに真実の中道があると執する大乗をいう。三論宗が否定する見解の一つ。 八宗綱要 下・三論宗 「問、其破邪者何等耶。答、総破一切有所
34. 宇治拾遺物語 149ページ
日本古典文学全集
聖武天皇が現在地に造営。別当である僧都。『日本往生極楽記』『今昔』巻一五‐四話は済源僧都とする。済源は、三論宗の学僧、権少僧都。天徳四年(九六〇)四月没、七十六
35. 宇治拾遺物語 299ページ
日本古典文学全集
推古二十五年(六一七)、聖徳太子が創建、和銅三年(七一〇)、平安遷都により現在地(奈良市大安寺)に移転。三論宗以下諸宗兼学の寺院であったが、空海の別当就任以後、
36. 宇治拾遺物語 363ページ
日本古典文学全集
梵語Devaの音表記。三世紀ごろの人。バラモン族の出、竜樹の高弟。『広論』二巻などの著者で、三論宗の祖。ここは竜樹菩薩に対する尊称。困難な道中。『今昔』巻四―二
37. うそう‐しゅう[ウサウ‥]【有相宗】
日本国語大辞典
〔名〕仏語。法相宗の異名。三論宗を無相宗というのに対する。*選択本願念仏集〔1198頃〕「且如〓有相宗
38. えかん【恵灌】
国史大辞典
これが日本の僧正第二であるともいう。のち河内国に井上(いかみ)寺を建てて三論宗を弘め、九十歳近くで寂したとも伝えられるが、わが国の三論宗は恵灌を以て第一伝として
39. 恵灌
日本史年表
625年〈推古33 乙酉〉 1・7 高句麗王、僧恵灌をすすめる. 恵灌 を僧正に任じる(三論宗第一伝)(紀)。
40. えかん【恵灌】
日本人名大辞典
高句麗王の命をうけて来日。大和(奈良県)元興(がんごう)寺にはいり僧正となる。日本にはじめて三論宗をつたえた。のち河内(かわち)(大阪府)に井上(いかみ)寺を創
41. 慧灌
日本大百科全書
生没年不詳。7世紀中ごろ渡来した三論宗の僧。恵観とも記す。高句麗こうくりの人。日本に三論宗を伝えた最初の人とされる。初め隋ずいに入って嘉祥寺かじょうじの吉蔵きち
42. 慧灌
世界大百科事典
広めたとある。このように慧灌の事績に異説はあるが,南都の仏教界では慧灌を三論宗の第1伝に位置づけている。中井 真孝 三論宗
43. えし【恵資】
日本人名大辞典
?−? 飛鳥(あすか)時代の僧。三論宗。白雉(はくち)3年(652)宮中に恵隠(えおん)をまねいて「無量寿経」の法門論議をおこなった際,論議者(問者)となった。
44. えじ【恵慈】
国史大辞典
(『日本書紀』)。聖徳太子はこれを師として経論を学んだが、『三国仏法伝通縁起』によると恵慈は三論宗の学者で成実宗にも通じていたという。翌四年十一月法興寺が竣功す
45. えそう【恵聡】
国史大辞典
逍遙したと記されている恵総は、おそらく恵慈の誤りであろう。『三国仏法伝通縁起』中、成実宗には三論宗の学匠で成実宗にも通じ、恵慈・観勒とともに太子の仏法の師となっ
46. えちのしょう【愛智庄】滋賀県:愛知郡
日本歴史地名大系
国司は元興寺側の主張を全面的に認めている。延久三年(一〇七一)東南院院主は三論宗長者を兼ね、元興寺・大安寺の三論宗を吸収して三論宗の本所となり、両寺の三論供関係
47. えちのしょう【愛智荘】
国史大辞典
このころ、東大寺三論宗も同じ郡内に元興寺三論宗領と隣接ないし入り組んだ場所に墾田を求め、集積活動を行なっていた。ここが東大寺封戸のおかれた大国郷・藪郷にあったた
48. えに‐きいち【会二帰一】
仏教語大辞典
二乗(声聞・縁覚)を認めて菩薩乗に帰すること。法相宗や三論宗などの三乗の説。 定宗論 六 「此之両宗(略)且約三乗、有異有共。雖曰会二帰一而令帰婆娑菩薩、雖曰弘
49. えみょう【恵妙】
日本人名大辞典
?−680 飛鳥(あすか)時代の僧。三論宗。唐(とう)(中国)にわたり,帰国後,大和(奈良県)法興寺にすんだという。大化(たいか)元年十師のひとりにえらばれ,百
50. えみょう‐しゃくぎ【依名釈義】
仏教語大辞典
文字や名称などの意味だけを解釈説明する仕方。三論宗で用いる四種釈義の一つ。 三論大義鈔 一・二諦義 「言釈名者、凡有四義。一依名釈義、謂真是真実之義、俗則浮虚之
「三論宗」の情報だけではなく、「三論宗」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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