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  11. 法相宗

ジャパンナレッジで閲覧できる『法相宗』の辞書・事典・叢書別サンプルページ

国史大辞典・世界大百科事典

国史大辞典
法相宗
ほっそうしゅう
南都六宗、日本八宗の一つ。諸法の決択(けっちゃく)をすることから法相宗という。『大方広仏華厳経』『解深密経』『如来出現功徳荘厳経』『阿毘達磨経』『楞伽経』『厚厳経』の六経と、『瑜伽師地論』『顕揚聖教論』『大乗荘厳経論』『集量論』『摂大乗論』『十地経論』『分別瑜伽論』『観所縁縁論』『二十唯識論』『弁中辺論』『大乗阿毘達磨集論』の十一論を所依(しょえ)とする宗派。唯識宗・応理円実宗・中道宗ともいう。本山は奈良市の興福寺と薬師寺。本宗の教理はインドの無著・世親の兄弟が組織した。世親は弥勒・無著の説を受けて大成に努め、『摂大乗論釈』『唯識二十論』『唯識三十論頌』『百法明門論』を著わした。特に『唯識三十論頌』は本宗の教理を体系化した根本論典で、安慧・難陀・護法らの十大論師がその研究と註釈に努め、本宗は全インドを風靡した。その内、護法は学説を樹立し、それを弟子の戒賢に那爛陀僧院で伝授した。そのころ入竺した玄奘は戒賢に師事し本宗の奥秘を受け多数の経典を長安に持ち帰り翻訳に専念し、『唯識三十論頌』に対する護法の説を中心に集大成したのが『成唯識論』十巻である。玄奘の弟子窺基(慈恩大師)はその編纂への参加を許され、教義を確立して法相宗を成立させた。よって護法宗または慈恩宗ともいう。窺基には『成唯識論述記』二十巻、『成唯識論掌中枢要』四巻、『大乗法苑義林章』七巻など多数の著述があり、「百本の疏主」と称される。弟子の慧沼は『成唯識論了義燈』七巻、その弟子の智周は『成唯識論演秘』七巻を述し、ここに本宗の正義を確立した。この『枢要』『義燈』『演秘』の三書を「唯識三箇の疏」と称し、『述記』とともに唯識の指南書となっている。本宗は七世紀中ごろから八世紀中ごろにかけてわが国に伝わり、第一伝道昭、第二伝智通・智達、第三伝智鳳・智雄、第四伝玄〓とされる。第一・二伝は元興寺を拠点に広まり南寺伝、第三・四伝は興福寺を拠点に広まり北寺伝と呼ぶ。南寺の学窓は早く衰えたが、行基・義淵(ぎいん)・善珠・護命・明詮・玄賓・常騰・長載・慚安、特に喜多院空晴(こうじょう)の門下、仲算・明憲らにより盛況を呈する。平安時代末、菩提院蔵俊が傑出し、本宗研究の精髄『唯識論第六巻菩提院鈔』を著わし、その門に覚憲、覚憲の門に貞慶、貞慶の門に良算・興玄・覚遍・円玄・璋円・円経と法系が続く。本宗は二寺のほか法隆寺や薬師寺など南都の諸寺の間でも相承されたが、南北朝時代以降宗勢は衰え、わずかに光胤・興基・営尊・長乗らにより古徳の相伝を保った。江戸時代、将軍に進講した喜多院空慶が有名で、また東大寺に清慶、法隆寺に叡弁、薬師寺に高範が輩出した。各宗の教学が勃興するとともに、他門の学匠中には本宗を兼学する者も多く、元禄ころ、唯識論の関連の書が多数出るなど宗勢はやや栄えた。しかしその後はさらに衰え、明治維新には興福寺の廃寺、法隆寺・薬師寺の真言宗所轄で法相宗は壊滅しかけたが、明治十五年(一八八二)興福寺・法隆寺が法相宗として独立して二本山とし、初代管長に法隆寺の千早定朝が就任した。明治十九年薬師寺が法相宗へ加入、昭和二十五年(一九五〇)法隆寺が聖徳宗として独立。以来興福寺・薬師寺の二本山となる。
[参考文献]
佐伯良謙『唯識学概論』、佐伯定胤『法相宗綱要』、深浦正文『唯識学研究』上、富貴原章信『日本唯識思想史』
(高田 良信)


改訂新版 世界大百科事典
法相宗
ほっそうしゅう

中国仏教十三宗の一つ。中インドのナーランダ寺で戒賢に師事した玄奘(げんじよう)が,唐初に帰国して伝えた護法(ダルマパーラ)の《成唯識論(じようゆいしきろん)》の学説に基づき,《解深密経》《瑜伽論》などを所依の経論として,慈恩大師窺基(きき)が開宗した宗派。唯識宗,慈恩宗などともよぶ。法相とは諸法つまり万象が有する本質の相状のことで,識以外の何物も存在しないと説くのがインドで成立した唯識派つまり瑜伽行派であり,窺基は師の玄奘が訳出した《成唯識論》の注釈たる《成唯識論述記》などを著し,法相を五位百法に分類し分析的に説明した。玄奘と窺基が唐の高宗の厚い信任を得たことから,法相宗は一世を風靡したが,その教義がインド仏教を直輸入した色彩が濃く,教理組織が繁雑をきわめたこともあり,武周朝(690-704)に法蔵の華厳宗が隆盛になるにしたがい,宗派としてはしだいに衰えてしまった。
[礪波 護] 日本では法相宗は八宗および南都六宗の一つであり,入唐求法僧により数次にわたって伝えられた。653年(白雉4)道昭が入唐留学して玄奘に受学し,帰国後飛鳥元興(がんごう)寺でこれを広め,658年(斉明4)に入唐した智通や智達も帰国後に当宗を広めた。これらは同系統に属し,平城右京に元興寺が創建されるに及んで法相宗も移り,元興寺伝,南伝といわれた。703年(大宝3)に智鳳,智雄らが入唐し,また717年(養老1)に入唐した義淵の弟子玄昉(げんぼう)も,ともに濮陽の智周に師事して法相を修め,帰国後これを広めた。なかでも玄昉は興福寺にあって当宗を興隆し,興福寺法相宗の基をきずいた。興福寺伝または北伝といわれる。8~9世紀には法相宗は隆盛を極め,多くの学僧が輩出した。ことに興福寺では賢憬(けんけい),修円,徳一などが傑出し,修円は同寺内に伝法院を創建,その1流は伝法院門徒と称せられた。元興寺には護命(ごみよう),明詮などの碩学が出たが,のち元興寺法相宗は興福寺に吸収され,興福寺は法相宗を所依とする1宗専攻の寺となった。平安末期以降にも蔵俊,貞慶,覚憲,信円らが輩出した。1882年に興福,薬師,法隆の3寺が大本山となったが,第2次大戦後,法隆寺は聖徳宗を標榜して離脱し,興福寺,薬師寺の2本山が統括するにいたった。
[堀池 春峰]

[索引語]
玄奘 窺基 唯識宗 慈恩宗 法相 成唯識論述記 元興寺伝 南伝 玄昉 興福寺伝 北伝 聖徳宗
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検索コンテンツ
1. ほうそう‐しゅう[ホフサウ‥]【法相宗】
日本国語大辞典
〔名〕「ほっそうしゅう(法相宗)」に同じ。*人情本・英対暖語〔1838〕四・序「法相宗(ホフサウシウ)の開山なりける、道昭和尚」ホーソーシュー
2. ほっさう-しゅう【法相宗】
全文全訳古語辞典
〔名詞〕《仏教語》仏教の宗派の名。南都(=奈良)六宗の一つ。万物の存在は人間の認識活動により規定されるとする。日本には七世紀半ばに伝来した。法隆寺・興福寺・薬師
3. 法相宗
日本大百科全書
如に対する一元的志向が強かったのに対し、法相宗は真如が諸法となることはけっしてなく諸法自体の原理としての阿頼耶識あらやしきを強調した。基の弟子に法相宗第二祖とな
4. 法相宗
世界大百科事典
修め,帰国後これを広めた。なかでも玄昉は興福寺にあって当宗を興隆し,興福寺法相宗の基をきずいた。興福寺伝または北伝といわれる。8~9世紀には法相宗は隆盛を極め,
5. ほっそう‐しゅう[ホッサウ‥]【法相宗】
日本国語大辞典
ほうそうしゅう。*百座法談〔1110〕三月二七日「属累品は法相宗の心はおくの勧発品の次におき給へし」*古今著聞集〔1254〕二・四九「一乗院大僧都定昭は法相宗
6. ほっそうしゅう【法相宗】
国史大辞典
法隆寺・薬師寺の真言宗所轄で法相宗は壊滅しかけたが、明治十五年(一八八二)興福寺・法隆寺が法相宗として独立して二本山とし、初代管長に法隆寺の千早定朝が就任した。
7. 法相宗(ほっそうしゅう)【篇】
古事類苑
宗教部 洋巻 第1巻 459ページ
8. Hossō sect 【法相宗】
Encyclopedia of Japan
One of the six sects of Nara Buddhism. The sect draws on the doctrine of the Ind
9. 法相宗與天台宗宗論 (見出し語:法相宗【篇】)
古事類苑
宗教部 洋巻 第1巻 430ページ
10. 法相宗寺院數 (見出し語:法相宗【篇】)
古事類苑
宗教部 洋巻 第3巻 9ページ
11. 遊外僧入支那法相宗 (見出し語:法相宗【篇】)
古事類苑
宗教部 洋巻 第2巻 467ページ
12. 法相宗秘事絵詞
日本大百科全書
鎌倉後期(14世紀初頭)の絵巻。国宝。唐の高僧で法相宗の開祖、玄奘三蔵げんじょうさんぞうの伝記を叙したもので「玄奘三蔵絵」ともいう。全12巻、76段からなる大作
13. 法相宗秘事絵詞
世界大百科事典
の絵巻。古くは《玄奘三蔵絵》と呼ばれていたが,玄奘は法相宗の開祖と仰がれ,その行業を著すことから《法相宗秘事絵詞》とも称する。日本の法相宗の中心である興福寺大乗
14. ほっそうしゅうひじえことば[ホッサウシュウヒジヱことば]【法相宗秘事絵詞】
日本国語大辞典
絵巻物。一二巻。紙本着色。鎌倉後期の作。法相宗の祖師、唐の玄奘三蔵の一代記を題材としたもの。玄奘三蔵絵ともいう。極彩色の華麗・精緻な大和絵で描かれ、筆者は高階隆
15. 法相宗義略問答鈔(著作ID:275047)
新日本古典籍データベース
ほっそうしゅうぎりゃくもんどうしょう 仏教 
16. 法相宗章疏目録(著作ID:494553)
新日本古典籍データベース
ほっそうしゅうしょうしょもくろく 勅撰法相宗章疏目録 注進法相宗章疏 注進法相録 注進法相宗疏目 法相宗章疏目 蔵俊(ぞうしゅん) 仏教 書目 安元二
17. 法相宗名目随身鈔(著作ID:1018833)
新日本古典籍データベース
ほっそうしゅうみょうもくずいしんしょう 法相宗名目 法相名目見聞随身鈔 見聞随身鈔 法相名目 政祝(せいしゅく) 仏教 
18. 法相宗論義(著作ID:275081)
新日本古典籍データベース
ほっそうしゅうろんぎ 糸心(ししん) 仏教 
19. ほっそうしゅうひじえまき【法相宗秘事絵巻】
国史大辞典
⇒玄奘三蔵絵(げんじょうさんぞうえ)
20. 玄昉弘法相宗 (見出し語:玄昉)
古事類苑
宗教部 洋巻 第1巻 468ページ
21. 天台宗與法相宗宗論 (見出し語:天台宗【篇】)
古事類苑
宗教部 洋巻 第1巻 430ページ
22. 天台法輪摧破法相外道銘(著作ID:3474940)
新日本古典籍データベース
てんだいほうりんさいはほっそうげどうめい 天台法相宗論記 良助親王(りょうじょしんのう) 仏教 
23. しょう【慧沼】(Huìzhǎo)
世界人名大辞典
〔650[永徽1]~714[開元2]〕 中国唐代の仏教者.淄州淄川(現,山東淄博)の出身.俗姓は房氏.法相宗第二祖.15歳で出家.玄奘(げんじょう)や基(き)に
24. き【基】(Jī)
世界人名大辞典
極めたが,玄奘滅後,法相宗の掲げる三時教判,五性各別説などに対して,華厳宗や天台宗などから批判がなされ,法相宗の教勢は次第に衰退していった.慈恩寺の翻経院で示寂
25. たんねん【湛然】(Zhànrán)
世界人名大辞典
)の曇一に律を学び,呉郡(江蘇蘇州)の開元寺で《摩訶止観》を講義した.玄朗の没後は,華厳宗,法相宗,禅宗などに対抗して,大いに天台教観を鼓吹,天台宗の中興と称さ
26. しゅう【智周】(Zhìzhōu)
世界人名大辞典
法相学を学び,報城寺に住して講説に活躍した.新羅の智風,日本に法相宗をもたらした智鳳,智鸞,智雄,玄昉はみな智周に学んだ.法相宗の第三祖に列せられる.〖主著〗
27. あかさかだいまち【赤坂台町】東京都:港区/旧赤坂区地区地図
日本歴史地名大系
水谷小路とよぶ。台町側に水谷の屋敷があったためだろう(赤坂区史)。専福寺は小野妹子開創と伝え、法相宗から天台宗に変わって鎌倉にあったが、五七世善海が真宗に改宗、
28. 秋篠寺
日本大百科全書
(保延1)以来数度の兵火にかかって、わずかに講堂(現在の本堂)を残すのみとなった。創建当初は法相宗であったが、834年(承和1)真言宗醍醐寺だいごじ派に転じ、さ
29. 秋篠寺
世界大百科事典
奈良市にある寺。もと法相宗であったが,真言宗,浄土宗(西山派)を経て,現在は単立寺院。創建年次については776年(宝亀7)と780年の2説がある。もと内経寺とい
30. あきしの‐でら【秋篠寺】
日本国語大辞典
奈良市秋篠町にある寺。初め法相宗、次いで真言宗、浄土宗西山派に属した。現在は単立宗教法人。宝亀一一年(七八〇)善珠が開創。光仁、桓武天皇の勅願所。国宝の本堂を残
31. あきしのでら【秋篠寺】
国史大辞典
奈良市秋篠町にある寺院。もと法相宗で真言宗に転宗し、現在は浄土宗西山派に属する。創建について宝亀七年(七七六)・十一年の二説がある。寺号は秋篠の地名より起った
32. あきはさん【秋葉山】静岡県:周智郡/春野町/領家村
日本歴史地名大系
背中に秋葉の二字を乗せた蝦蟆が現れたことにより付けられたとされる。同寺は当初霊雲院と称しており、また法相宗であったがのち曹洞宗に転じたと伝える(「掛川誌稿」など
33. あくにんしょうき‐せつ[アクニンシャウキ‥]【悪人正機説】
日本国語大辞典
悪人の成仏の問題は大乗仏教の「仏性論」にはじまり、天台宗は「悉有仏性」説、法相宗は「五性各別」説(声聞・縁覚など成仏せず)をとる。悪人の救済は主として浄土教で問
34. あさくさはしばちよう【浅草橋場町】東京都:台東区/旧浅草区地区地図
日本歴史地名大系
ほかに境内には古跡年貢地が含まれていた。天台宗不動院は砂尾山橋場寺と号し、天平宝字四年(七六〇)法相宗寺院として起立され、寛元年間(一二四三―四七)に天台宗に改
35. あすかぶっきょう【飛鳥仏教】
国史大辞典
奈良仏教の盛行を導く上で、大きな役割を果たした。道昭は、在唐時代に玄奘について学び、したがって法相宗を伝えたとされるが、むしろ当時盛行していた摂論宗を伝えたと考
36. あずちのしゅうろん【安土宗論】
国史大辞典
南禅寺の鉄叟景秀とその伴僧の華渓正稷、たまたま安土に来ていた因果居士(華厳宗の学者か)・法隆寺の仙覚坊(法相宗の学僧)の四人を判者とし、十三問答を重ねたが、信長
37. あそうぎゃ【阿僧伽】
日本国語大辞典
ga の音訳)インド瑜伽行派(ゆがぎょうは)の祖で法相宗の開祖とされる無著(むじゃく)菩薩の梵名。あそう。アソー
38. あそう の 流(なが)れ
日本国語大辞典
無著菩薩の流派。法相宗。*源平盛衰記〔14C前〕一四・興福寺返牒事「我等受〓阿僧之流(アソウノナガレ)
39. あだちぐん【安達郡】福島県
日本歴史地名大系
白沢村の高松山廃寺からは平安時代初期とみられる古瓦が出土し、徳一開基の寺伝もある。かなり古くから法相宗や天台宗が伝播したと考えられる。「吾妻鏡」文治五年(一一八
40. あだな‐しき【阿陀那識】
仏教語大辞典
vijñāna の訳「識」との合成。「阿陀那」は執持・執我などと訳する 1 第八阿頼耶識の別名。法相宗ではこの識が、善悪の行為の種子と共に、我々有情の身体とを維
41. あっ‐けん【悪見】
仏教語大辞典
1 法相宗で説く五位百法の心所有法五十一のうちの六根本煩悩の一つ。あやまって対象を捉える慧のはたらきをいう。これをさらに開いて五つに分ける。 →五見 八宗綱要
42. あつまりむら【集村】滋賀県:草津市
日本歴史地名大系
訴え、翌年落着した(集共有文書)。集落北寄りに真宗仏光寺派の阿弥陀寺がある。天武天皇の頃建立され法相宗であったという。永治元年(一一四一)天台宗に改宗、天文年間
43. あみだじ【阿弥陀寺】熊本県:熊本市/熊本城下/細工町懸
日本歴史地名大系
本尊阿弥陀如来。「国誌」によればもと来迎院と称し、大宝年間(七〇一―七〇四)行基の開基による法相宗の寺に始まるという。現在池上町の妙観山麓に「らいごういんびら」
44. あみだじむら【阿弥陀寺村】熊本県:熊本市
日本歴史地名大系
末村とともに春日村に合併。浄土宗大宝山来迎院は「国誌」に「里俗古阿弥陀寺ト称ス」とあり、もと法相宗で行基が開基した阿弥陀寺(現細工町)の僧房が当初あったところと
45. あらまきむら【新巻村】群馬県:吾妻郡/東村
日本歴史地名大系
寺が載り、天保一〇年(一八三九)の画師五谷作の吾妻三十三番札所の額が残る。弥陀山正泉寺はもと法相宗で、村上村(現北群馬郡小野上村)にあって弥陀山観音寺と称し、慶
46. 阿頼耶識
日本大百科全書
仏教の瑜伽行唯識ゆがぎょうゆいしき学派(単に瑜伽行派または唯識学派ともいわれ、中国と日本では法相宗ほっそうしゅうとよばれる)のたてる根源的認識。この学派は、眼め
47. あんえ【安〓
国史大辞典
十二年の間三部経の念誦、四種三昧を修学した。承和十一年(八四四)出羽国講師となって赴任すると、今まで法相宗しか学んでいなかった国内の人々は安慧の講説を聴いて天台
48. あんしゅう【安秀】
日本人名大辞典
?−971 平安時代中期の僧。法相宗(ほっそうしゅう)。奈良興福寺の平源に唯識(ゆいしき)をまなぶ。天徳2年の維摩会(ゆいまえ),応和3年の宗論(しゅうろん)の
49. あんしょうじ【安生寺】佐賀県:鳥栖市/田代村
日本歴史地名大系
子授け・乳授けの「太田の観音さん」として親しまれてきた。稿本「基肄郡村誌」に、養老六壬戌年月日不詳法相宗僧行基自カラ観音ノ仏体ヲ刻シ小堂ヲ建テ之ヲ安置スト後数百
50. あんちょう【安澄】
国史大辞典
延暦二十年(八〇一)ごろには、宗義を異にする法相宗との間に論争がはげしく、三論専攻の学僧はともすれば減少しつつあったが、安澄は法相宗の宗義を再三論破した論客であ
「法相宗」の情報だけではなく、「法相宗」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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南都六宗、日本八宗の一つ。諸法の決択(けっちゃく)をすることから法相宗という。『大方広仏華厳経』『解深密経』『如来出現功徳荘厳経』『阿毘達磨経』『楞伽経』『厚厳経』の六経と、『瑜伽師地論』『顕揚聖教論』『大乗荘厳経論』『集量論』『摂大乗論』
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