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源氏物語

ジャパンナレッジで閲覧できる『源氏物語』の日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典のサンプルページ

日本大百科全書(ニッポニカ)
源氏物語
げんじものがたり

平安時代中期の11世紀初め、紫式部によって創作された長編の虚構物語。正しい呼称は「源氏の物語」で、「光源氏(ひかるげんじ)の物語」「紫の物語」「紫のゆかり」などの呼び方もある。後世は「源氏」「源語」「紫文」「紫史」などの略称も用いられた。主人公光源氏の一生とその一族たちのさまざまの人生を70年余にわたって構成し、王朝文化の最盛期の宮廷貴族の生活の内実を優艶(ゆうえん)に、かつ克明に描き尽くしている。これ以前の物語作品とはまったく異質の卓越した文学的達成は、まさに文学史上の奇跡ともいうべき観がある。以後の物語文学史に限らず、日本文化史の展開に規範的意義をもち続けた古典として仰がれるが、日本人にとっての遺産であるのみならず、世界的にも最高の文学としての評価をかちえている。
[秋山 虔]

巻冊数・成立事情

現存の『源氏物語』は次の54巻からなる。
1桐壺(きりつぼ) 2帚木(ははきぎ) 3空蝉(うつせみ) 4夕顔(ゆうがお) 5若紫(わかむらさき) 6末摘花(すえつむはな) 7紅葉賀(もみじのが) 8花宴(はなのえん) 9葵(あおい) 10賢木(さかき) 11花散里(はなちるさと) 12須磨(すま) 13明石(あかし) 14澪標(みおつくし) 15蓬生(よもぎう) 16関屋(せきや) 17絵合(えあわせ) 18松風(まつかぜ) 19薄雲(うすぐも) 20朝顔(あさがお) 21少女(おとめ) 22玉鬘(たまかずら) 23初音(はつね) 24胡蝶(こちょう) 25蛍(ほたる) 26常夏(とこなつ) 27篝火(かがりび) 28野分(のわき) 29行幸(みゆき) 30藤袴(ふじばかま) 31真木柱(まきばしら) 32梅枝(うめがえ) 33藤裏葉(ふじのうらば) 34若菜(わかな)上 35若菜下 36柏木(かしわぎ) 37横笛(よこぶえ) 38鈴虫(すずむし) 39夕霧(ゆうぎり) 40御法(みのり) 41幻(まぼろし) 42匂宮(におうのみや) 43紅梅(こうばい) 44竹河(たけかわ) 45橋姫(はしひめ) 46椎本(しいがもと) 47総角(あげまき) 48早蕨(さわらび) 49宿木(やどりぎ) 50東屋(あずまや) 51浮舟(うきふね) 52蜻蛉(かげろう) 53手習(てならい) 54夢浮橋(ゆめのうきはし)
紫式部が『源氏物語』の執筆に着手したのは、夫の藤原宣孝(のぶたか)に死別した1001年(長保3)から、一条(いちじょう)天皇中宮彰子(しょうし)のもとに出仕した1005、1006年(寛弘2、3)までの間と推定されるが、54巻が、どの時点でどのあたりまで書かれたのかは明らかにしがたい。全部が完成したのちに発表されたのではなく、1巻ないし数巻ずつ世に問われたらしいが、まず最初の数巻が流布することによって文才を評価された式部は、そのために彰子付女房として起用されたのであろう。宮仕えののちも、しばしば里邸に下がって書き継いだとおぼしいが、また、すでに書かれた巻々の加筆改修も行われたらしいことが『紫式部日記』の記事によって知られる。なお、現行の巻序の順に書かれたのかどうか、現行の54巻の形態が当初のものであったのかどうかなど、論議が重ねられているが、決着をみない。その擱筆(かくひつ)の時期は、紫式部の没年について定説のないこととあわせて、明確にしがたい。
[秋山 虔]

あらすじ

『源氏物語』は、その主題・構成に即して、第1部(1「桐壺」から33「藤裏葉」まで)、第2部(34「若菜上」から41「幻」まで)、第3部(42「匂宮」から54「夢浮橋」まで)の三部作としてとらえることができる。
[秋山 虔]

第1部「桐壺」~「藤裏葉」

第1部は、主人公光源氏の出生以前から始まる。ある帝(みかど)の後宮(こうきゅう)で、故大納言(こだいなごん)の娘の桐壺更衣(きりつぼのこうい)は、支援する後見(うしろみ)もないまま多くの后妃(こうひ)たちを引き離して帝の愛を独占し、やがて無類の美貌(びぼう)と才質に恵まれた第2皇子を生んだ。しかしながら更衣は同輩たちの憎悪嫉妬(しっと)の的となり、皇子が3歳の年、心労のあまり病死した。更衣の遺児の皇子は帝の庇護(ひご)のもとに成長し、学問諸芸の万般に神才を発揮した。帝はこの皇子を東宮(とうぐう)にたて、やがては皇位を譲ろうと願ったが、周囲の支持も得がたくて断念し、臣籍に下して源姓を賜ることになった。東宮となったのは、右大臣の娘弘徽殿女御(こきでんのにょうご)腹の第1皇子朱雀院(すざくいん)である。12歳で元服した源氏の君は、左大臣の娘で、帝の妹宮を母とする葵の上(あおいのうえ)と結婚し、その社会的地位の安泰も約束されたが、しかし母桐壺更衣の亡きあと後宮の藤壺(ふじつぼ)に迎えられて父帝の最愛の妃となった先帝の四の宮を恋慕し、ついに抑えがたい情熱に駆られて密通し、その結果藤壺は身ごもった。2人は絶対に知られてはならぬ罪を共有したのである。ふたたび藤壺に近づくことを禁圧された源氏は愛の渇きに苦しみ、ここに際限ない女性遍歴が始まる。藤壺の姪(めい)の紫の上を北山にみいだし、無理に自邸二条院に迎え取ったのも、この少女に藤壺のおもかげを求めてのことである。藤壺はやがて男子冷泉院(れいぜいいん)を生んだが、秘密を知らぬ帝は、源氏に生き写しの皇子の誕生に歓喜した。
源氏20歳の年、帝は朱雀院に譲位し、冷泉院が東宮となったが、しかし朱雀院の治世になると、その母弘徽殿大后(おおきさき)や右大臣一族の繁栄と表裏して、源氏や左大臣の勢力が衰退に向かうのは必然であった。源氏の生活にも不幸の影が忍び寄る。正妻葵の上が長男夕霧を出産ののち、執拗(しつよう)な物の怪(もののけ)に取り憑(つ)かれて死去したのである。その物の怪は、賀茂(かも)の斎院(さいいん)の御禊(ごけい)の日に、葵の上の一行との車争いによって辱められた六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)の生霊(いきりょう)なのであった。御息所は、いまは故人である前東宮の妃であり、かねてより源氏を忍びに通わせる人であったが、この事件のために源氏との仲を断念し、おりから伊勢(いせ)の斎宮(さいくう)として下向する娘とともに京を離れた。こうして源氏の身辺には暗雲がたち始めるが、ことに23歳の年父院が崩御されるや、右大臣一派の専横によってしだいに苦境に追い詰められた。そうした状勢のもとで、源氏と、尚侍(ないしのかみ)として朱雀院の寵愛(ちょうあい)を受けていた朧月夜(おぼろづきよ)との仲が露見する。朧月夜は右大臣の娘、弘徽殿の妹で、入内(じゅだい)前から源氏とは忍びの仲だったのである。激怒した弘徽殿や右大臣は、この機会に源氏を謀反者に仕立てて政界から抹殺しようとたくらんだ。源氏は26歳の春、自ら京を離れて須磨(すま)の地に退居し、謹慎の生活に入ったが、1年後、暴風雨に襲われ、夢枕(ゆめまくら)に現れた父帝の亡霊の教えに従い、明石(あかし)の海岸に居を構える明石の入道の邸(やしき)に移住した。やがて入道の娘明石の君と契って、その腹に明石の姫君をもうける。
源氏は2年余の流浪ののち都に召還され、まもなく朱雀院にかわって冷泉院の治世になると、政界に返り咲いた左大臣らとともに栄華への道を直進することになったが、しかしその段階になると源氏はしだいに左大臣家と対立関係を深めるに至った。葵の上の兄であり、かつては無二の盟友であった頭中将(とうのちゅうじょう)を制圧し、無類の権勢を確立したのである。源氏32歳の年、藤壺が崩御し、夜居(よい)の僧の密奏によって自己の出生の秘密を知った冷泉院は、父源氏に譲位しようとしたが、源氏はその意向を返上し、やがて太政(だいじょう)大臣から准太上(だいじょう)天皇の位に上り、六条院という地上の楽園を建設して栄華を極めた。
以上、源氏39歳までを語る第1部の概要であるが、この間、帝の后妃でありながら源氏と共有した罪に苦しみつつ冷泉院を守(も)り立てた藤壺の一生はもとより、空蝉(うつせみ)、夕顔、末摘花(すえつむはな)などとのあやにくな交渉をはじめとして、夕顔の遺児玉鬘(たまかずら)が源氏の愛の対象となって心を砕きつつも鬚黒大将(ひげくろのたいしょう)の妻に収まる経過、源氏の長男夕霧が頭中将の娘雲居雁(くもいのかり)との幼い恋仲をさかれたものの、ついには晴れて結ばれる経緯、その他さまざまの人生が複雑に織り込まれながら、前記のごとき源氏の栄華の完成の過程が構成されている。
[秋山 虔]

第2部「若菜上」~「幻」

ところが第2部に入ると、物語の世界の基調は暗転し、朱雀院の重い病から語り起こされる。院は出家を願うが、すでに母女御に先だたれている内親王女三の宮(おんなさんのみや)の将来が憂慮されるので日夜思案に迷っていた。婿選びに苦慮したすえ、結局源氏にゆだねることによって出家することができたが、しかし女三の宮の源氏への降嫁によって、源氏と紫の上との年来の信頼関係を軸として保たれてきた六条院の調和が崩れ始める。もっとも源氏の世間的栄華は従前と変わりなく、むしろ増さるものであったといえよう。そして紫の上に養育されて東宮妃となった明石の姫君に男子が誕生し、この男子が将来帝位に上るであろうことも確実ゆえ、源氏の家門の末長い繁栄は約束されている。もとより誇り高く賢明な紫の上は、その知恵をもって六条院世界の秩序・調和の維持に努めたが、ついには心労のため病を得、六条院を去って二条院で養生する身となる。その紫の上の看病に源氏が余念のないころ、女三の宮は、かねてより彼女に思慕を寄せていた柏木(かしわぎ)に迫られ、身を許して身ごもった。この真相を知った源氏は、この事態を、かつて父院を裏切って藤壺と密通した罪の報いとして受容するほかない。女三の宮は罪の子薫(かおる)を生んでまもなく出家し、柏木は犯した罪の重みに堪えられず病み臥(ふ)していたが、源氏の長男夕霧に後事を託して世を去った。夕霧は柏木の遺族をいたわるうちに、残された妻落葉(おちば)の宮への同情はやがて恋慕に変じて、一方的に思いを遂げた。そのために夕霧と正妻雲居雁との仲も険悪化するに至る。こうして源氏の身辺には数々の不幸な事態が生起するが、そのなかで病状の悪化した紫の上は、源氏51歳の年に死去した。源氏は紫の上を追慕しわが生涯を顧みながら1年を過ごし、出家への心用意を整えた。こうして第2部は、源氏の無類の栄華が崩落していく過程が、さながら必然的な姿で語られている。現世の富も名声も、そして愛も絶対ではないのである。
[秋山 虔]

第3部「匂宮」~「夢浮橋」

第3部になると、源氏亡きあとの縁者の物語であるが、若干の後日譚(たん)を経て、いまは20歳となっている罪の子薫(かおる)と宇治の姫君たちとの交渉が宇治の地を背景として新しく語り起こされ、巻45の「橋姫」から最終巻「夢浮橋」の10巻は「宇治十帖(うじじゅうじょう)」とよばれている。わが出生の秘密を感じ取って世間への執着を断ち、出家への本願を抱く薫は、宇治に隠棲(いんせい)する俗聖(ぞくひじり)八の宮を求道の先達と仰いで通ううちに、その娘大君(おおいぎみ)にひかれ、やがて八の宮の死後大君に求婚するが、大君は薫と結ばれたなら、相手を理想化しての敬愛関係が崩壊するであろうことを恐れて、拒否した。かわりに妹の中の君を薫にめあわせようとするが、薫は、いまは中宮となっている明石の姫君の皇子匂宮(におうのみや)と中の君との仲をとりもち、結婚させた。しかし中の君の身の上を憂慮した大君は、心労の果てに病死した。大君を失った薫は、彼女のおもかげを中の君に求めたが、中の君から異腹の妹浮舟の存在を知らされ、尋ね出して宇治に住まわせた。しかし浮舟はやがて匂宮に迫られて契りを交わすはめになり、ついに進退に窮したすえ、宇治川に身を投じようと決意したが、横川(よかわ)の僧都(そうず)に救われて小野の山里に隠れ住み、僧都の得度により出家した。失踪(しっそう)した浮舟を捜し求めた薫は、その生存を聞きつけ、浮舟の弟を使者にたて浮舟を訪ねさせたが、浮舟はこれを見ず知らずの人として背を向けるのであった。現世における諸縁を断とうと努め、誦経(ずきょう)と手習いに明け暮れる浮舟は、薫の手の届かぬ境地を生きる人となっていた。
[秋山 虔]

享受・影響

『更級(さらしな)日記』に語られる菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)の『源氏物語』への心酔は、同時代の享受の例として知られるが、これはかならずしも特殊な例ではあるまい。『源氏』は宮廷社会に限らず一般の貴族の家庭にも急速に流布した。貴族社会の繁栄期は、紫式部の生存した藤原道長の時代以後衰退の一途をたどったが、そうなれば過去の文化の盛栄を憧憬(しょうけい)する人々の心に『源氏』はますます権威をもって君臨することになる。院政期に、その一部が現存する『源氏物語絵巻』のような絵画芸術が宮廷の事業として制作されたことも、『源氏』が名作として評価されたことを示す。『狭衣(さごろも)物語』『浜松中納言(はままつちゅうなごん)物語』『夜の寝覚(ねざめ)』や『堤(つつみ)中納言物語』以下中世にかけてつくられた擬古物語はもとより、摂関時代の編年史の『栄花(えいが)物語』や以後の史書にも『源氏』の影響は著しい。和歌の詠作にも『源氏』がよりどころとなり、「源氏見ざる歌よみは遺恨(ゆいこん)の事なり」という『六百番歌合』の藤原俊成(しゅんぜい)の発言は、以後、中世の歌壇・連歌壇の風潮を規制するものとなった。宴曲、能楽にも『源氏』に取材する例が多く、さらに下って浄瑠璃(じょうるり)や歌舞伎(かぶき)の世界にも『源氏』は浸透したが、俳諧(はいかい)、川柳(せんりゅう)、雑俳(ざっぱい)などへの投影ともあわせて、それらは『源氏』が民間伝承と化した状態を物語るといえよう。中世から近世へかけての新旧文化の交代期を反映して『源氏物語』の受容は大衆化し、『湖月抄(こげつしょう)』ほかの啓蒙(けいもう)的な注釈や本文が数多く版行され、梗概(こうがい)書や俗語解・俗訳書も少なくはなく、『源氏』のもじりとして特筆される井原西鶴(さいかく)の『好色一代男』や柳亭種彦(りゅうていたねひこ)の『偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)』もそうした基盤のうえにつくられたのであった。
近代に入っても、与謝野晶子(よさのあきこ)、窪田空穂(くぼたうつぼ)、谷崎潤一郎(じゅんいちろう)、円地文子(えんちふみこ)などによって現代語訳が行われ、舟橋聖一や北条秀司(ひでじ)によって演劇化されるほか、多くの梗概書、翻案などが読者を獲得しているのは、『源氏物語』に日本人の美意識や感受性の原型がみいだされるからでもあろう。
なお、『源氏』は早くA・ウェーリーの優れた英語訳(1923~1933)によって海外にその価値が認められ、この英訳に基づくさまざまの外国語訳が生まれた。第二次世界大戦後、欧米における日本古文化の研究の進みとともに『源氏』への関心も深まり、ユネスコの1965年度(昭和40)の世界偉人暦に紫式部が最初の日本人として登載されもした。E・G・サイデンステッカーの英語訳(1978)、R・シフェールの仏語訳(1978)や林文月の中国語訳(1974~1978)、豊子©の同じく中国語訳(1980~1982)がそれぞれ全訳として話題をよんだ。I・モリスの『光源氏の世界』(1964、日本語版1969)のごとき精緻(せいち)な研究も生まれた。A・ピカリック編集の『浮舟――源氏物語の愛』(1982)には、サイデンステッカーやA・マイナーらアメリカの研究者のさまざまの方法による論文10編が収められている。
[秋山 虔]

諸本と研究

『源氏物語』は、その成立期以来多くの人々によって書写されたが、平安時代の写本は伝存しない。現存する本文は鎌倉時代以降に書写されたもので、藤原定家の校訂した青表紙本(あおびょうしぼん)と河内守(かわちのかみ)源光行(みつゆき)・親行(ちかゆき)父子の校訂した河内本(かわちぼん)の両系統であり、そのいずれにも属さないのを別本と称する。青表紙本は紫式部の原本に近いと目されているが、河内本・別本に古形を伝える場合も少なくない。
注釈は平安末期の藤原伊行(これゆき)『源氏釈』に始まり、これを受けて藤原定家『奥入(おくいり)』がつくられた。ついで『原中最秘抄(げんちゅうさいひしょう)』『紫明抄(しめいしょう)』『異本紫明抄』など河内家による注釈が鎌倉期につくられたが、南北朝期の四辻善成(よつつじよしなり)『河海抄(かかいしょう)』によって、これまでの研究が統合された。『河海抄』に至るまでは故事、出典、引き歌等の考証研究が主であったが、室町期になると、文意・文脈に即した鑑賞的方向を打ち出した一条兼良(いちじょうかねら)『花鳥余情(かちょうよせい)』が書かれ、ついで肖柏(しょうはく)・三条西実隆(さねたか)『弄花抄(ろうかしょう)』、藤原正存『一葉抄(いちようしょう)』などがあるが、実隆・公枝(きんえだ)・実枝(さねき)ら三条西家3代にわたる源氏学が『細流抄(さいりゅうしょう)』『明星抄(みょうじょうしょう)』に結実した。実隆の外孫九条稙通(たねみち)『孟津抄(もうしんしょう)』も大著であるが、実枝の甥(おい)中院通勝(なかのいんみちかつ)『岷江入楚(みんごうにっそ)』は三条西家の研究を中心とする最大の諸注集成として注目すべきものである。
江戸期に入ると、印刷技術の発達によって、従来は公家(くげ)・僧侶(そうりょ)を担い手とした文芸・学問が庶民層に解放され、古典籍が続々出版されるようになり、版行された『源氏物語』の注釈には、切臨(せつりん)『源義弁引抄(げんぎべんいんしょう)』、能登永閑(のとえいかん)『万水一露(ばんすいいちろ)』、釈子真(しゃくししん)『首書(しゅしょ)源氏物語』、北村季吟(きぎん)『湖月抄』などが相次いでいるが、ことに歌注・傍注に要領よく古注を取捨案配して自説を加えた『湖月抄』は、類書を圧して広く流布した。この『湖月抄』を土台として、契沖『源註拾遺(げんちゅうしゅうい)』、賀茂真淵(かもまぶち)『源氏物語新釈』、本居宣長(もとおりのりなが)『源氏物語玉(たま)の小櫛(おぐし)』、鈴木朖(あきら)『玉の小櫛補遺』、石川雅望(まさもち)『源註余滴(げんちゅうよてき)』、萩原(はぎわら)広道『源氏物語評釈』等の、国学者たちによる優れた注釈が続出した。
明治期以後、現在まで『源氏物語』の注釈、研究書、研究論文の数量は膨大である。それらは重松信弘『増補新攷源氏物語研究史』(1980・風間書店)、阿部秋生・岡一男・山岸徳平編『源氏物語 上下』(『増補国語国文学研究史大成3・4』1977・三省堂)により、研究史の初期以来の展開とともに知ることができる。最近は年間150編から200編に及ぶ関係論著が発表されており、その総目録は紫式部学会編の年刊研究誌『むらさき』に収められている。現在刊行されている全注釈(参考文献欄参照)には、すべて青表紙本の再建を目標として校訂された本文が用いられている。
[秋山 虔]

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世界大百科事典
源氏物語
げんじものがたり

平安中期の物語。54巻。作者は紫式部。

構成

現代では全編を三部構成と見る説が有力である。第1部は,1桐壺(きりつぼ),2帚木(ははきぎ),3空蟬(うつせみ),4夕顔,5若紫,6末摘花(すえつむはな),7紅葉賀(もみじのが),8花宴(はなのえん),9葵,10賢木(さかき),11花散里(はなちるさと),12須磨,13明石,14澪標(みおつくし),15蓬生(よもぎう),16関屋,17絵合,18松風,19薄雲,20朝顔,21少女(おとめ),22玉鬘(たまかずら),23初音(はつね),24胡蝶,25蛍,26常夏(とこなつ),27篝火(かがりび),28野分,29行幸(みゆき),30藤袴(ふじばかま),31真木柱(まきばしら),32梅枝(うめがえ),33藤裏葉(ふじのうらば)。第2部は,34若菜上,35若菜下,36柏木(かしわぎ),37横笛,38鈴虫,39夕霧,40御法(みのり),41幻(まぼろし)。(番外)雲隠(くもがくれ)。第3部は,42匂宮(におうみや),43紅梅,44竹河(たけがわ),45橋姫,46椎本(しいがもと),47総角(あげまき),48早蕨(さわらび),49宿木(やどりぎ),50東屋(あずまや),51浮舟,52蜻蛉(かげろう),53手習,54夢浮橋(ゆめのうきはし)である。橋姫以下10巻を一般に〈宇治十帖〉と呼ぶ。

あらすじ

物語は時代を数十年以前にさかのぼる延喜・天暦(醍醐天皇~村上天皇)の時代に取って出発する。桐壺帝最愛の第2皇子は生母の身分が低くて臣籍に下され,美貌のゆえに〈光源氏(ひかるげんじ)〉と呼ばれて,さまざまの女性と恋の遍歴を重ねる。なかでも亡き母に似た父帝の中宮藤壺(ふじつぼ)との恋は苦しく,その間に罪の子〈冷泉帝〉が生まれる。父帝の死と共に源氏は逆境に陥り,須磨,明石にさすらうが2年後に許されて帰京する。以後は幼帝の後見として勢威が備わり,六条院の大邸宅を築いて,最愛の紫上(むらさきのうえ)のほか関係のあった女性たちを集めて住まわせる。源氏の地位は太政大臣から準太政天皇に達した(以上第1部)。初老の源氏は兄朱雀院に頼まれてその皇女女三宮(おんなさんのみや)と結婚する。未熟な宮はやがて青年柏木と密通し,薫(かおる)を生む。夫の裏切りに傷ついた紫上も傷心の末病死する。悔恨と追憶の1年を経た歳暮に,源氏は出家の用意を整える(以上第2部。なお雲隠巻は名のみで,内容はない。後人の注記が巻名に誤られたらしい)。薫は聖僧のような光源氏の異母弟の八宮を仏道の師として宇治へ通ううちに,その娘の大君に心を寄せる。大君は薫を受け入れず,妹の中君(なかのきみ)をと望む。窮した薫は友人の匂宮を中君に手引きするが,大君は心痛のあまり病死する。薫はやがて大君に似た異腹の妹浮舟を宇治に隠して通いはじめる。この事をかぎつけた好色の匂宮は,さっそく出かけて浮舟をわが物とする。板挟みとなった浮舟は投身をはかるが,救われて,小野の僧庵に入って尼姿となり,やがてその生存を知った薫の迎えにも応じようとはしなかった(以上第3部)。

書名,巻名

書名は,古くは《源氏の物語》が普通だったらしく,鎌倉時代には《光源氏物語》と呼ぶことが多い。ほかに《紫の物語》の称もあり,略して《源氏》《源語》ともいう。巻名は紫式部の命名によるらしい。ただし第1部の内部には成立上複雑な問題が伏在するようで,特に,帚木・空蟬・夕顔・末摘花・蓬生・関屋と玉鬘より真木柱に至る10巻の計16巻は後から追加挿入されたとか,第3部の匂宮・紅梅・竹河の3巻は他人の作とする説などがあるが,なお一説たるにとどまる。

主題と構想

第1~3部の間には,内容のみならず,その創作方法や思想・基調の上にもかなり大きな変化が見られる。第1部の青年期の光源氏には,皇族圏を舞台におおむね明るい幸福感が満ちているが,その物語の進行には,予言とその実現や,貴種流離譚の型式が忠実に守られており,その間に神秘的な住吉信仰・天神信仰,あるいは当時の通俗的な求婚譚や継子(ままこ)物語がからませてある。要するに超越的存在が人間を支配する古代信仰や民間伝承の古型に近いのである。その構想は,個々の造型や描写に一貫する写実性と微妙に食い違っており,そこに古代物語としての特異なおもしろさがある反面,渾沌不透明の印象も免れない。第2部の源氏の老年期に入ると,女三宮降嫁を機に舞台は暗転し,第1部のような超越的な外枠は取り外されて,事件は人間の行為によって内側から引き起こされ,集団を成す人々のからみあいの中から必然の結果が生み出される。第1部に多かった芸能論,教育談義の類があらかた姿を消し,華やかな年中行事も激減する。それと共に晩年の紫上の像を通じて,女性の孤愁,男女のつながりへの濃い不安が漂いはじめる。悔恨と失意と愛する者の死の悲しみを経て,死者への追憶と美しい鎮魂のしらべの中に第2部は終わる。第3部では,習作的な冒頭の3帖を経て,宇治十帖に入ると,物語はにわかに透明度を加える。舞台は都を去って,へんぴな山里である。主人公の薫はその名に値しないほどに格が小さく,作者の共感はもはや彼の上にはなく,もっぱら宇治の姫君たちに寄せられる。大君がやさしい薫の求愛を拒んでみずから死を選び取ったかのごとき姿や,浮舟が運命にもてあそばれ,宇治川に投身後救われて出家する姿には,第2部に見えた不安の影がさらに一段と濃くなった跡が見える。しかし浮舟は最後まで母親を恋い慕うのであり,物語は浄土信仰に救済を求めるよりは,むしろなおあくまで人間の原点に踏みとどまっている。それが平安朝物語たるゆえんであった。

主人公

《源氏物語》は聖代といわれた延喜・天暦の時代を目安として書かれた時代物といわれており,このことは第1部に限ってはある程度あてはまる。それにともなって,光源氏のモデルも古来何人かの親王やまた流謫(るたく)の身となった事歴の類似性から,源高明(たかあきら),藤原伊周(これちか),菅原道真などが挙げられる。たしかに部分的にはそれを裏書きする証拠もあるが,特定の1人に措定することはできない。一方,先行文学特に《伊勢物語》の影響なども明らかである。作者は史実や先行作品の中から多くの材料を得,それをうまく組み立てて豊かな肉付けを与えたのであり,そのエネルギーは作者自身の求める理想の男性像創造の願望に基づくものであろう。作者が夫に死別した直後,さびしい日々を支えるよりどころとして物語が書き始められたと想像されるのもこのためである。源氏はその美貌と才能・資質によって多くの女性を獲得し,六条院の主として顕貴を極めるが,その美質はすべて女性の心を直接感能的にとらえるものである。〈なまめかし〉,つまり清楚でほっそりと色白で,女性をくどく殺し文句のたくみさ,またその一方ではいつまでも女を見捨てない〈心長さ〉,さらに純粋でひたむきで,ときには平素の思慮分別を失って暴発する激しさなど,要するに理想の人といっても聖人君子からは遠く,男の肉体と欲望とのなまぐささを持つ存在である。その優しさと激しさとの共存が女心を酔い痴れさせるのである。また源氏は世俗に伍してこれに打ち勝つ強さを持ちながら,基本的に反世俗,反政治の風雅の世界に属しており,それが彼の美の保証ともなっている。第2部以降,老境の源氏に悲傷の色は濃くなるが,彼のこうした反俗と愛の純粋性は最後まで貫かれるのである。

表現の特徴

《源氏物語》が古来賞揚されてきた主因はその名文とされたことにある。しかし現代では,それを西洋風の近代散文に比較して〈朧写〉などとおとしめるようにもなった。けれども《源氏物語》の文体は,近代散文のように音楽性を排除し,明晰な記述と伝達のみを旨とするものとは趣が違っている。その文体は多様であるが,基本的には朗読向きにできていて,息の長さに合わせた句切れを基本としている。また,特にたとえば恋の高潮点に達した場合などには,意識的に五七調,六七調のごときリズミカルな文体に整えられる。またいわゆる〈本歌取り〉の技法が頻用されて,一つの場面効果を周知の古歌の持つイメージと二重写しにして拡大しようとすることも多い。自然描写にも,個々の事物を即物的,具体的に客観描写することはなく,草木,山野,風雨,日月,音響などすべてが一体化して醸し出す気分が包摂的にとらえられる。この場合色彩など視覚よりは聴覚による印象がより豊かなのは,こうした情調表現の方法と関係が深い。人物造型に,たとえば美人の表現に当たってはほとんど細部描写を避けるのが常で,〈春のあけぼのの霞の間より,おもしろき樺桜の咲き乱れたるを見る心地す〉(〈野分〉巻,紫上の容姿)のごとき比喩ないし象徴の方法がむしろ一般であり,女性たちを各種の花に見立てるのも,そのためである。しかし,具体的即物的描写は,たとえば末摘花の醜貌描写では執拗なほどに行われていて,このことは美の造型についての意識的方法とみられる。美はあくまで一回的直観的な瞬時の体験であって,分析によって納得される類のものではないことが,《源氏物語絵巻》における〈引目・鉤(かぎ)鼻〉の様式と似て,こうした方法を取らせたものかと思われる。

この物語の最大の特徴は心理表現である。そこでは丹念緻密な分析的記述が行われるのであり,自然描写が前述のごとく,情調表現に化しているのも,自然を独立した対象と見ず,それを登場人物の心理の投影と見ることが多いためである。人間の心理の内側のひだひだをくまなく確かめてゆくあいだの,鋭い洞察と自由繊細な表現は他に比類がない。また物語に特有の〈草子地(そうしじ)〉も多彩な発展の跡を見せている。作者はこれによって擬装された語り手,聞き手,読み手,記録者などの,どの地点にも自由に出入りすることができるし,またときには草子地を借りずみずから作者の次元に立って客観的叙述を試み緊張した文をつづることもできる。こうして自由自在に物語の文体を使い分けることで,主人公の弁護や人物の多元描写,あるいは臨場感の増幅などが可能となる。草子地は《源氏物語》の表現性を多元的に拡大するための重要な手段なのである。

本文史,研究史

作者の執筆過程には不明な点が多いが,確実に分かっているのは,1008年(寛弘5)11月以前に少なくとも若紫巻まではでき上がっていたことと,《更級日記》には,1021年(治安1)に菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)は叔母からその54帖をもらい受けたとあることである。その完成は1010年代の初めころであろう。当初から確定した一本があったわけではなく《紫式部日記》によれば,その量はともかくも草稿本,中書本,清書本の3種があったとみられる。これらがそれぞれ世に出て転写を重ねるあいだに,当然本文間の異同が生じ,さらに他人の手による誤写,付加,削除などによって大きな混乱を生じた。加えて後人による補作の巻々が生まれるに及んで,平安末期には,収拾不能のありさまに陥ったのであった。補作とみられる巻々は,桜人(さくらひと),狭蓆(さむしろ),巣守(すもり),法(のり)の師,憂栖(うきす),雲雀子(ひばりこ),八橋(やつはし),挿櫛(さしぐし),花見,嵯峨野上,嵯峨野下,釣殿(つりどの)の后(きさき)などであり,ほかに輝く日の宮もある。これらの中には現存巻名の異名と推定されるものも含まれているが,すべてがそうとは思えない。平安末期に流行した《法華経》60巻になぞらえて,6巻を追作,計60巻としたものらしいが,この13の異巻名はそれをさらに越えていて,鎌倉時代には63巻仕立ての《源氏物語》もあったらしく,続編の〈山路の露十帖〉という記述もある。追補6巻は人々が思い思いにかってに作り上げたため,こういう結果となったのであろう。

本文もまた当時は浮動性の多いものだったようで,陽明文庫本にその面影の一部を残している。こうした異本群の混乱を救い統一した形に整えようとしたのが鎌倉初期の藤原定家および,ともに河内守となった源光行(みつゆき)(1163-1244)・源親行(ちかゆき)父子であった。定家は当時の善本とされた7本をもとに〈青表紙本〉を整定し,光行・親行らはさらに多くの本を参考にして〈河内(かわち)本〉を整定した。前者は簡潔で余情にまさり,後者は文意の通ずることに重きを置いた注釈的本文となった。以後,鎌倉から南北朝ごろまで河内本が優位を占め,それ以後は青表紙本がそれに取って代わるようになった。近世の流布本も青表紙本系であるが,それは河内本がかなり混入した肖柏本系の本が主で,純粋な青表紙本を重んずる立場から,現在では《湖月抄》(《源氏物語湖月抄》)のような近世流布本を敬遠して,古写本の中から善本を求めることとなり,〈大島本〉(平安博物館)などが重んぜられている。零本の類では,平安朝古写の《源氏物語絵巻》詞書や,前田家蔵定家筆の柏木・花散里両巻,定家筆本を臨模した明融本(その中の9巻)などがある。河内本にも鎌倉古写の尾州家本や高松宮家本などがあるが,文学的評価のうえで,河内本は青表紙本に劣ると一般に見られていて流布してはいない。しかし平安末・鎌倉初頭の本文は青表紙本よりも河内本に近いと思われるので,問題はなお残っている。

享受鑑賞の面では,すでにこの物語執筆中から一条天皇をはじめ人々の賞賛を得ていたのであり,寛弘年間(1004-12)の末年に成った《為信(ためのぶ)集》にも,《源氏物語》を材料とした多くの歌がある。《源氏物語》以降の物語が《栄華物語》のような歴史物語をも含めて,すべてその強大な影響力を受けていることは今さらいうまでもなく,特に鎌倉時代の擬古物語では,用語の末々まで模していることが多い。歌壇もまたその影響は免れず,平安末期には〈源氏に寄する恋〉という歌題ができて多くの歌が詠まれており,藤原俊成の〈源氏見ざる歌よみは遺恨の事なり〉とか藤原良経の〈紫式部が源氏,白氏が文集,身に添へぬ事はなし〉などの賛辞が続いた。こうした人々の中から〈物語沙汰する人〉,つまり研究者が現れた。定家,光行・親行や後述の藤原(世尊寺)伊行(これゆき)を筆頭に源具氏,藤原家良,葉室光俊,藤原知家ら,また《弘安源氏論義》(1280)に出席した飛鳥井雅有,藤原定成その他がいる。研究の始まりは系図で,当時は〈譜〉〈氏文〉とも呼ばれて,平安末ころから成書もできていたらしい。現存古系図には,前述の〈巣守〉の断片と見られる記述を有するものがある。構想上の整理を試みた縦・横の〈並び〉の巻の称もこのころに生まれた。

最も重要なのは注釈で,最初の《源氏釈》は藤原伊行著,ほとんどすべて引歌考証である。これを《奥入(おくいり)》とも呼んだのは巻末に付載されたからだが,これを増補した定家の《奥入》がより有名となった。河内方の《水原(すいげん)抄》は大部なものだったが散逸した。その秘説を集めたのが《原中最秘(げんちゆうさいひ)抄》である。親行の弟素寂(そじやく)の《紫明(しめい)抄》も,この学統である。京都ではこのころ了悟の《幻中類林》が出て独自の主張を試み,やや下って長慶天皇の辞書《仙源抄》が成り,碩学花山院長親も名高い。四辻善成(よつつじよしなり)(1326-1402)の《河海(かかい)抄》は博引旁証,注釈の基礎を築いた。室町時代には,一条兼良の《花鳥余情》は鑑賞や語法面に新機軸を開き,宗祇およびその周辺の連歌師たちもそれぞれ業績を残している。三条西実隆はこのころの代表的な文化人であるが,肖柏の講釈をまとめた《弄花(ろうか)抄》のほか,《細流(さいりゆう)抄》《源氏物語系図》(いわゆる新系図)を作った。その子孫が公条(きんえだ)-実澄(さねずみ)(実枝)-実条であり,彼らの手で《明星抄》《山下水(やましたみず)》が成った。実枝の甥の中院通勝(なかのいんみちかつ)が細川幽斎の協力を得て完成した《岷江入楚(みんごうにつそ)》もこの学統を受けたもので,中世古注の集大成である。なお室町末から江戸初期にかけては,ほかに《覚勝院抄》《孟津(もうしん)抄》《紹巴(じようは)抄》などの古注があり,特に《湖月抄》は簡便な注によって,永く標準的な流布本の位置を占めた。これらの古注類は考証や鑑賞面に大部のすぐれた成果を挙げてはいるものの,物語の本質論や文芸的理解となると,当時の儒仏思想の功利的な教戒観に左右されがちであったのはやむをえない。江戸時代に入ると,国学の勃興とともにいわゆる〈新注〉の時代となり,契沖の《源注拾遺》や賀茂真淵の《源氏物語新釈》がいずれも文献学的実証を志向し,ついで本居宣長の《源氏物語玉の小櫛》は,その総論に,物語の本質は〈もののあはれ〉すなわち純粋抒情にありとする画期的な論を立てて,中世の功利主義的物語観を脱却した。しかし宣長以後は幕藩体制下,儒教倫理による《源氏物語》誨淫(かいいん)説の横行によって,その研究もふるわず,わずかに萩原広道の《源氏物語評釈》の精密な読解が注目されるにすぎない。

鑑賞・享受史と影響

読者の鑑賞享受はいうまでもなく作品成立とともに始まるわけで,日夜部屋にとじこもって耽読したという《更級日記》の作者が好例である。鎌倉時代にはそうした人々の手になる評論書として,《無名草子》のほか《源氏人々の心くらべ》《源氏狭衣歌合》《伊勢源氏十二番女合》《十番の物あらそひ》などがあって,物語の巻々,場面,登場人物のよしあし・好悪にわたってさまざまの批評を加えている。これと関連するものに,中世を通じて数多く現れたいわゆる〈女訓物〉がある。女子教育特にしつけやたしなみを教えるために,《源氏物語》の登場人物を引いてさとすのである。阿仏尼の《乳母(めのと)の文》のほか《乳母の草子》《身のかたみ》《竹馬抄》等があり,近世に入っても大部な成瀬維佐子(大高坂(おおたかさか)維佐)の《唐錦》がある。旧大名家などに多く伝えられる,いわゆる嫁入本の《源氏物語》も多くはその趣旨のものであろう。また中世には梗概本が多く作られた。和歌はもれなく掲げ,他は梗概だけを記す物で,名も《源氏大鏡》《源氏大綱抄》《無外題》《光源氏一部歌》《十二源氏袖鏡》など種々である。戦乱下,人々は大部の原作を読むゆとりもなく,簡便な代用品として好まれたのである。そのうち《源氏小鏡(こかがみ)》は連歌の付合(つけあい)の作法書で,連歌師の中には,宗牧(そうぼく)のように懐中からこれを放さなかった人もある。近世の《十帖源氏》《絵入源氏》,あるいは現代の入門書にもこの類の本は少なくない。

《源氏物語》が後代に与えた影響は,文学作品はもとより,各種の芸能や工芸美術に至るまで甚大である。たとえば,鎌倉時代の宮廷で〈若菜下〉巻の女楽を模して楽しんだと伝え(《とはずがたり》),室町時代には〈初音〉巻頭を朗読するのを元旦の恒例としたという。謡曲,宴曲,御伽(おとぎ)草子にも《源氏物語》に材を求めたものが多い。近世に入っても,連歌に続く俳諧の付句などに依然としてこの伝統は伝わった。松永貞徳の弟子の北村季吟が《湖月抄》を著し,談林から出た西鶴が光源氏に想を得て,《好色一代男》を作り上げたなどはその一例である。その他上田秋成,近松門左衛門あるいは歌謡類にもその影響はみとめられる。近世小説では秋成のほか,末期の柳亭種彦の《偐紫田舎(にせむらさきいなか)源氏》も源氏物語の翻案物として名高く,好色本と呼ばれる類の中には,この物語に託したものが多い。遊女の呼び名を〈源氏名〉というが,こうした傾向もこの時代の源氏物語享受の一面を示すものといえよう。

明治以降の現代文学の主流は西洋近代文学の圧倒的な影響下にあるが,その中にたとえば硯友社(けんゆうしや)の人々とか,日本的回帰を示した谷崎潤一郎,あるいは川端康成,また最も西欧的な教養を身につけた堀辰雄,中村真一郎,さらに与謝野晶子,円地文子,永井路子,田辺聖子らの女流作家たちが,さまざまの形で《源氏物語》の世界をおのおのの創作に再現しているのである。また1922年から33年にかけてのアーサー・ウェーリーの英訳によって広く世界に知られるようになり,独・仏語などにも翻訳されて,近年,世界の人の共有財とさえなりつつあることも注目される。

文学作品のみでなく,近年にはその劇化・映画化もたび重なっており,絵画・工芸の分野でも,平安末期に成った伝隆能(たかよし)筆《源氏物語絵巻》に始まる源氏絵は,その伝統が永く伝えられて服飾工芸にも大きな影響を与え,華麗な衣装・調度品の出現を見た。そのほか香道の〈源氏香〉や遊戯の〈投扇〉など,関連するものははなはだ多いのである。日本の美しい心と言葉の原点として,《源氏物語》は永く人々の手によみがえり続けるであろう。
→物語文学
[今井 源衛]

[索引語]
紫式部(人名) 柏木 浮舟 宇治十帖 光源氏 藤壺 紫上 女三宮 柏木 薫 浮舟 光源氏物語 紫の物語 源語 末摘花(源氏物語) 住吉信仰 天神信仰 本歌取り 草子地 更級日記 藤原定家 源光行 源親行 青表紙本 河内(かわち)本 肖柏 為信(ためのぶ)集 藤原俊成 藤原良経 弘安源氏論義 源氏釈 藤原伊行 奥入(おくいり) 水原(すいげん)抄 原中最秘(げんちゆうさいひ)抄 紫明(しめい)抄 幻中類林 仙源抄 四辻善成 河海(かかい)抄 花鳥余情 三条西実隆 弄花(ろうか)抄 細流(さいりゆう)抄 明星抄 山下水(やましたみず) 中院通勝 細川幽斎 岷江入楚(みんごうにつそ) 契沖 源注拾遺 源氏物語新釈 本居宣長 萩原広道 源氏物語評釈 女訓物 阿仏尼 乳母(めのと)の文 成瀬維佐子 唐錦(成瀬維佐子) 源氏小鏡(こかがみ) 西鶴 好色一代男 偐紫田舎(にせむらさきいなか)源氏
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41. げんじものがたりたまのおぐし【源氏物語玉の小©】
国史大辞典
本居宣長の『源氏物語』研究・注釈書。九巻。寛政五年(一七九三)宣長六十四歳のころ起稿し、同八年完成、同十一年に刊行された。一・二の巻は総論、三の巻は年立、四の ... ...
42. 『源氏物語注』
日本史年表
1553年〈天文22 癸丑①〉 2・22 山科言継, 『源氏物語注』 を書写(言継卿記)。 ... ...
43. げんじものがたりひょうしゃく【源氏物語評釈】
デジタル大辞泉
源氏物語の注釈書。14巻13冊。萩原広道著。安政元年〜文久元年(1854〜61)刊。第8巻「花宴」までで中絶。旧説に検討を加え、独自の解釈を施したもの。 ... ...
44. げんじものがたりひょうしゃく[ゲンジものがたりヒャウシャク]【源氏物語評釈】
日本国語大辞典
「源氏物語」の注釈書。一四巻一三冊。萩原広道著。嘉永七年(一八五四)、文久元年(一八六一)刊。第八帖「花宴」まで。本居宣長の「物のあはれ論」に賛成しながらも、安 ... ...
45. 絵巻物にみえる冠の纓[図版] 画像
国史大辞典
源氏物語絵巻 紫式部日記絵巻 長谷雄草紙 御再興大嘗会図 随身庭騎絵巻 (c)Yoshikawa kobunkan Inc. ... ...
46. 絵巻物に見る直衣姿[図版] 画像
国史大辞典
直衣布袴 冬の烏帽子直衣 華文綾の直衣 夏の冠直衣 引直衣 浮線綾の直衣の前後 源氏物語絵巻 信貴山縁起絵巻 春日権現霊験記 扇面法華経冊子 枕草子絵巻 紫式部 ... ...
47. Genji monogatari emaki 【源氏物語絵巻】
Encyclopedia of Japan
General term for illustrated handscrolls (emakimono) portraying scenes from the ... ...
48. 源氏物語/おもな登場人物
日本大百科全書
葵の上(あおいのうえ) 左大臣の長女。母は大宮。光源氏と結婚。いかにも権門の深窓の女君らしく端正であるが、それが源氏には冷たく取りすました麗人として心隔てられる ... ...
49. げんじものがたりおくいり【源氏物語奥入】
デジタル大辞泉
⇒奥入(おくいり) ... ...
50. 愛する源氏物語
デジタル大辞泉プラス
歌人、俵万智による「源氏物語」に登場する和歌の現代語訳・解説集。2003年刊。翌年、第14回紫式部文学賞受賞。 2015年10月 ... ...
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源氏物語(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
平安時代中期の11世紀初め、紫式部によって創作された長編の虚構物語。正しい呼称は「源氏の物語」で、「光源氏の物語」「紫の物語」「紫のゆかり」などの呼び方もある。後世は「源氏」「源語」「紫文」「紫史」などの略称も用いられた
玉鬘(源氏物語)【玉かづら】(日本古典文学全集・日本架空伝承人名事典)
日本古典の最高傑作――光源氏の波瀾万丈の生涯を描いた大長編 主人公・光源氏の恋と栄華と苦悩の生涯と、その一族たちのさまざまの人生を、70年余にわたって構成。王朝文化と宮廷貴族の内実を優美に描き尽くした、まさに文学史上の奇跡といえる。藤原為時の女(むすめ)で歌人の紫式部が描いた長編で
桐壺(源氏物語)(日本古典文学全集・日本国語大辞典)
〔一〕帝の桐壺更衣(きりつぼのこうい)への御おぼえまばゆし帝(みかど)はどなたの御代(みよ)であったか、女御(にようご)や更衣(こうい)が大勢お仕えしておられた中に、最高の身分とはいえぬお方で、格別に帝のご寵愛(ちようあい)をこうむっていらっしゃるお方があった。
帚木(源氏物語)(新編 日本古典文学全集)
〔一〕 「光源氏」と、その名だけは仰山(ぎようさん)にもてはやされており、それでも、あげつらい申すにははばかられるような過(あやま)ちが多いということだのに、そのうえさらに、こうした色恋沙汰(ざた)の数々を後々の世にも聞き伝えて、軽薄なお方との浮名(うきな)を流すことになりはせぬかと、ご自分では秘密にしていらっしゃった裏話までも語り伝えたという人の
空蝉(源氏物語)(新編 日本古典文学全集)
〔一〕源氏、空蝉を断念せず、小君を責める〔一〕 お寝(やす)みになれぬままに、「わたしは、こうも人に憎まれたことはこれまでもなかったのに、今夜という今夜は、はじめて人の世がままならぬものと身にしみて分ったから、恥ずかしくて、もうこのまま生きてはおられそうもない気がする」などとおっしゃるので、小君は涙をさえこぼして横になっている。
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蓬生(源氏物語)(新編 日本古典文学全集)
〔一〕源氏謫居(たつきよ)の間、人々ひそかに嘆き悲しむ〔一〕 源氏の君が、須磨の浦で「藻塩(もしお)たれつつ」悲境に沈んでいらっしゃったころ、都でも、さまざまに嘆き悲しんでおられる人が多かったが、それにしても、ご自分の身に頼りどころのある方々は、ただ君を恋い慕うという点では堪えがたそうな有様であったが――二条院の紫の上などもお暮しにご不自由がないので
須磨(源氏物語)(新編 日本古典文学全集)
〔一〕源氏、須磨に退去を決意 人々との別れ〔一〕 世の中の形勢が、源氏の君にとってまことにわずらわしく、居心地のわるいことばかり多くなってゆくので、自分としては、しいて素知らぬ顔でやり過していても、あるいはこれ以上に恐ろしい事態になるかもしれない、という思いになられた。 あの須磨は、昔こそ人の住いなどもあったのだったが、今はまったく人里離れてもの寂しく
花散里(源氏物語)(新編 日本古典文学全集)
〔一〕源氏、五月雨の晴れ間に花散里を訪れる〔一〕 人に知られぬ、我から求めての御物思わしさは、いつと限らぬことのようであるけれど、このように世間一般の動きにつけてまで厄介で、お心を労されることばかり増してゆくので、源氏の君はなんとなく心細く、世の中のすべてを厭(いと)わしく思わずにはいらっしゃれなくなるが、いざそれではとなるとさすがに振り捨てかねる絆(きずな)も多いのである。
賢木(源氏物語)(新編 日本古典文学全集)
〔一〕桐壺帝譲位後の源氏と藤壺の宮〔一〕 御代が改まってから後、源氏の君は、何かにつけてお気が進まず、それにご身分の尊さも加わったせいか、軽率なお忍び歩きもはばかられるので、こちらの女(ひと)もあちらの女(ひと)も君を待ち遠しく心もとない嘆きを重ねておられる、その報いであろうか、君ご自身としても、やはり自分につれないお方のお心をどこまでも恨めしくお嘆きになっていらっしゃる。
葵(源氏物語)(新編 日本古典文学全集)
〔一〕桐壺帝譲位後の源氏と藤壺の宮〔一〕 御代が改まってから後、源氏の君は、何かにつけてお気が進まず、それにご身分の尊さも加わったせいか、軽率なお忍び歩きもはばかられるので、こちらの女(ひと)もあちらの女(ひと)も君を待ち遠しく心もとない嘆きを重ねておられる、その報いであろうか、君ご自身としても、やはり自分につれないお方のお心をどこまでも恨めしくお嘆きになっていらっしゃる。
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