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ジャパンナレッジで閲覧できる『青方文書』の辞書・事典・叢書別サンプルページ

国史大辞典・日本大百科全書

国史大辞典
青方文書
あおかたもんじょ
肥前国宇野御厨中通島(長崎県南松浦郡上五島町青方)を本拠とした藤原姓青方氏の文書。同氏は平安時代よりこの地に居住していた開発領主の子孫で、鎌倉幕府成立後地頭職を安堵され、鎌倉御家人となり、南北朝時代には松浦一族と称したが、近世には福江藩士となる。文書内容は建久七年(一一九六)前右大将家政所下文案を最古とし、鎌倉・南北朝時代の文書を中心とし、安土桃山時代に至るまでの約四百通を含み、鎌倉時代の文書では所領・所職をめぐる訴訟文書、異国警固番役関係文書、南北朝時代の文書では一揆契諾状、漁業関係史料などが注目され、いわゆる松浦党関係史料中で量・質ともに最もすぐれた文書である。原本は長崎県立図書館にあり、東大史料編纂所に影写本、九州大学九州文化史研究施設長沼文庫に写本がある。なお青方麟太郎(上五島町青方在住)所蔵『青方家譜』には、すでに原本が失われている文書も引用されている。『九州史料叢書』一一・一七、『史料纂集』に所収。
[参考文献]
長沼賢海『松浦党の研究』
(瀬野 精一郎)


日本大百科全書(ニッポニカ)
青方文書
あおかたもんじょ

肥前 (ひぜん)国宇野御厨中通島 (うののみくりやなかどおりじま)青方(長崎県南松浦 (みなみまつうら)郡新上五島 (しんかみごとう)町)を本拠とした鎌倉御家人 (ごけにん)青方氏の文書。鎌倉時代初頭より近世初頭に及ぶ四百数十通が残存している。五島藩(福江藩)の家臣青方家に伝来していたが、現在は長崎県立図書館に所蔵。松浦 (まつら)党関係文書として質量ともにもっとも優れた史料であるばかりでなく、中世漁業関係史料としても内容に富んだ史料である。とくに南北朝時代の国人一揆契諾 (こくじんいっきけいだく)状が含まれていることで著名。青方家には、幕末に作成された家譜 (かふ)2冊が所蔵されているが、そのなかの引用文書には、すでに原本が失われているものがある。『史料纂集 (さんしゅう) 青方文書1、2』(1976・続群書類従完成会)として刊行されている。

[瀬野精一郎]

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1. 青方文書
日本大百科全書
ているが、そのなかの引用文書には、すでに原本が失われているものがある。『史料纂集さんしゅう 青方文書1、2』(1976・続群書類従完成会)として刊行されている。
2. あおかたもんじょ【青方文書】
国史大辞典
肥前国宇野御厨中通島(長崎県南松浦郡上五島町青方)を本拠とした藤原姓青方氏の文書。同氏は平安時代よりこの地に居住していた開発領主の子孫で、鎌倉幕府成立後地頭職
3. あいのうら【相浦】長崎県:佐世保市/相神浦村
日本歴史地名大系
に「あいのうら鬼益丸代」「あいのうらのはら能登守超」とみえ、同日の下松浦住人等一揆契諾状案(青方文書)には「あいのうらのたいさきむら鬼益丸代」とみえ、下松浦の一
4. 青方
日本大百科全書
一地区。旧青方町。古くは遣唐使船寄泊地、中世は松浦党まつらとうに加盟した青方氏の根拠地で、『青方文書』が有名。青方湾は五島列島最大の避難港。湾内に洋上石油備蓄施
5. 青方氏
日本大百科全書
うしゅの子孫で、長崎県立長崎図書館に所蔵されている465通に及ぶ鎌倉時代から戦国時代に至る「青方文書」と、江戸時代末に編纂された「青方家譜」2冊によって、青方氏
6. 青方氏
世界大百科事典
た。青方氏関係の中世文書約430通が伝来し,現在は長崎県立図書館に所蔵され,《史料纂集》に〈青方文書〉一,二として所収。松浦党関係史料の中では,質,量ともに最も
7. あおかたうら【青方浦】長崎県:南松浦郡/上五島町
日本歴史地名大系
当地とする説がある。領内に白魚(現若松町)・鮎河・那摩などを含む。当地を拠点とした青方氏による青方文書(県指定文化財)は中世の諸相を伝える貴重な史料群となってい
8. あおかたむら【青方村】長崎県:南松浦郡/上五島町
日本歴史地名大系
されたことなどを書連ねている。三年後、松浦氏の斡旋により五島に戻っている(「五島罷退候条々」青方文書)。万治二年(一六五九)の惣高積之帳に青方中とみえ、正保国絵
9. あかおむら【赤尾村】長崎県:南松浦郡/有川町
日本歴史地名大系
沖合に野案中島・山案中島が浮ぶ。南に丹那山・狸山がある。明徳三年(一三九二)六月二二日の番立結番注文案(青方文書)に梅ヶ崎会所(現平戸市)に会合した五島住人二八
10. あかはま【赤浜】長崎県:南松浦郡/新魚目町/曾根郷
日本歴史地名大系
中世よりみえる五島の浜。現曾根郷内に比定される。康永三年(一三四四)四月一日の寂念置文案(青方文書、以下同文書)に「五たうにしうらへあかはま・ミつしり・かわちの
11. あしきたのしょう【葦北庄】熊本県:葦北郡
日本歴史地名大系
谷に住んだ北条一門のかなり有力な女性と考えられる(永仁六年五月二〇日「順性御物以下注進状案」青方文書、年月日未詳「某書状」金沢文庫文書)。長崎氏は北条得宗被官で
12. 網代
世界大百科事典
が,77年(天授3・永和3)にはそのなかの赤浜の〈かますあしろ〉が売買の対象となっている(《青方文書》)。このように,網場をさす語としての〈網代〉は,中世以来用
13. あっ‐しょ【押書】
日本国語大辞典
書とは未〓成事を兼入置状也」*青方文書‐応永五年〔1398〕七月六日・肥前国五島青方村諸族連署押書「すゑかすゑまて御ろんあるましく候
14. あっしょ【押書】
国史大辞典
文中どこかに「押書」という文言がある。「おうしょ」とも読むと思われるが、仮名で「あっしょ」と書いた例がある(『青方文書』)。売買契約実行の保証、貢納請負の履行、
15. あみあげむら【網上村】長崎県:南松浦郡/上五島町
日本歴史地名大系
高熨斗山が連なる。冷水の北に矢堅ノ鼻がある。元徳二年(一三三〇)閏六月二日の青方覚性譲状案(青方文書)に「うのゝみくりやのうち五たうにしうらめあおかたの村のなま
16. あゆかわ【鮎河】長崎県:南松浦郡/上五島町
日本歴史地名大系
中世にみえる地名で、西浦目青方のうち。文保二年(一三一八)九月一七日の青方高継譲状案(青方文書、以下同文書)に「あゆかわ」とみえ、青方のうちの地頭職を養子の亀法
17. あらかわむら【荒川村】長崎県:南松浦郡/若松町
日本歴史地名大系
山王権現を祀ったと伝える。中世は西浦辺青方のうちで、永和三年(一三七七)三月一七日の青方重譲状案(青方文書)に「あらかわ」とみえ、重が次男の固に惣領の知行によっ
18. ありかわ【有河】長崎県:南松浦郡/有川町
日本歴史地名大系
中世にみえる五島の地名。正応四年(一二九一)六月日の河棚住人秋丸恒安申状案(青方文書、以下断りのない限り同文書)に有河とみえ、塩田大貫殿の下人文五郎らが売買のた
19. ありかわむら【有川村】長崎県:南松浦郡/有川町
日本歴史地名大系
に五基の鯨供養碑を建立している。江口家は宝暦二年には有川地組の鯨組を譲渡され(「鯨組式法定」青方文書)、同一三年に夏鮪網代の二番網、三番網などを得ている(安政四
20. ありかわわん【有川湾】長崎県:南松浦郡/有川町
日本歴史地名大系
浦人・鯨組らが互いの厳守を申合せて、ようやく落着した(「有川魚目間之海境帳」「御評定対決書」青方文書、「魚目浦絵図」事代主神社蔵、「有川村郷土史」「有川村捕鯨史
21. ありふくごう【有福郷】長崎県:南松浦郡/若松町
日本歴史地名大系
れ、留山であったという(「西代官旧記」入江文書)。天明九年(一七八九)の巡見使答書領内調書(青方文書)に地駒牧として有福など九ヵ所がみえ、牡馬七七疋・牝馬二三五
22. いきつきしま【生月島】長崎県:北松浦郡/生月町
日本歴史地名大系
う。両氏は「いきつき常陸守景世」「いきつき伊勢守」ともあり(同日「下松浦住人等一揆契諾状案」青方文書)、ほかに「いきつきの一ふん大和守」「いちふ大和守授」の署名
23. いせじんぐう【伊勢神宮】三重県:伊勢市
日本歴史地名大系
商工人層には福徳の神として受入れられた。応永二一年(一四一四)一二月一一日の五島某浦住人等一揆契約状(青方文書)に「日本の鎮守伊勢天照大神」と記されている。布教
24. いちばんちょう【一番町】長崎県:福江市/福江城下
日本歴史地名大系
町割された三ヵ町の一つで(五島編年史)、弓衆が集住した。延宝六年(一六七八)の諸役付万定書(青方文書)では「壱番町」番役として小頭二・組子一五が勤めた。文化一一
25. いちぶ【一部】長崎県:北松浦郡/生月町
日本歴史地名大系
中世からみえる生月島の地名。正平二一年(一三六六)八月二二日の宇久・有河住人等連署置文案(青方文書)に署名がみえる授は、永徳四年(一三八四)二月二三日の下松浦
26. いとのしよう【怡土庄】福岡県:前原市
日本歴史地名大系
・中島五郎は怡土の陣や得永合戦における忠節を賞されている(同年一二月七日「征西将軍宮令旨案」青方文書/南北朝遺文(九州編)四など)。〔庄園の崩壊〕 応永二年(一
27. いまりし【伊万里市】佐賀県
日本歴史地名大系
「くじ」によって配分している。青方弥三郎家高についても同年三月一二日付の同表題の文書がある(青方文書)。伊万里氏については正中三年(一三二六)三月七日付の源勝譲
28. いわしうら【鰯浦】長崎県:南松浦郡/奈良尾町
日本歴史地名大系
中世よりみえる五島の浦。現奈良尾町の岩瀬浦に比定される。嘉暦二年(一三二七)閏九月二九日の白魚盛高和与状案(青方文書)に「いわしたけ」とみえ、西浦部のうち下浦部
29. いわせうらむら【岩瀬浦村】長崎県:南松浦郡/奈良尾町
日本歴史地名大系
どが改められている(「福江領諸支配役等控」同書)。天明九年(一七八九)の巡見使答書領内調書(青方文書)では船掛りの良い浦と記され、庄屋と別に戸主が置かれていた(
30. うおのめむら・うおのめじゅう【魚目村・魚目中】長崎県:南松浦郡/新魚目町
日本歴史地名大系
・藤首村を加えて魚目中と総称する場合がある。文保二年(一三一八)九月一七日の青方高継譲状案(青方文書)に「魚目」とみえ、青方高継は青方浦(現上五島町)のうちの地
31. うくじま【宇久島】長崎県:北松浦郡/宇久町
日本歴史地名大系
となり、のちの五島氏の発祥の地として知られる。建武元年(一三三四)六月二七日の某沙汰事書案(青方文書、以下断りのない限り同文書)の紙背に記された嘉禎年間(一二三
32. うくじまじんじゃ【宇久島神社】長崎県:北松浦郡/宇久町/神浦村
日本歴史地名大系
神浦郷の志自岐宮と天満宮を合祀して天神山に祀られたという。建武三年(一三三六)一〇月八日の五島住人等起請文案(青方文書)に「志自岐八幡」とみえ、山王宮(現若松町
33. うくじょうあと【宇久城跡】長崎県:北松浦郡/宇久町/平村
日本歴史地名大系
川町)の一揆を平定するほどの勢力になっていたという(簗瀬家系譜)。一三世紀から一五世紀の間に青方文書にみえる宇久氏は宇久次郎競・宇久孫二郎披・宇久源三郎湛・長弁
34. うとぐん【宇土郡】熊本県
日本歴史地名大系
の相模守殿(北条師時)梶取の運送物のなかには塩五〇石が含まれていた(同年六月日「峯貞注進状」青方文書)。〔近世〕天正一五年豊臣秀吉の九州出兵により、名和顕孝は開
35. うとのしょう【宇土庄】熊本県:宇土市
日本歴史地名大系
いては不明。現地では北条氏の支配力が及んだようで、嘉元三年(一三〇五)六月日の峯貞注進状案(青方文書)には「肥後国宇土庄住人右衛門三郎重教」と名乗る相模守殿(当
36. うののみくりや【宇野御厨】佐賀県:伊万里市
日本歴史地名大系
停止させている(東南院文書)。また暦仁元年(一二三八)一二月二五日付の源(峯)持・源等和与状案(青方文書)には次のようにある。みくりやのみしやうおちかのしまのう
37. うののみくりや【宇野御厨】長崎県:総論
日本歴史地名大系
裁許状案」青方文書など)、建久七年(一一九六)尋覚に小値賀島の地頭職が安堵される結果となった(同年七月一二日「前右大将家政所下文案」・建永二年六月四日「将軍源実
38. うら【浦】長崎県:南松浦郡/新魚目町/魚目村・魚目中
日本歴史地名大系
江戸時代の魚目村のうち浦村などに相当すると考えられる。文保二年(一三一八)九月一七日の青方高継譲状案(青方文書、以下同文書)に「うら」とみえ、青方浦(現上五島町
39. うらのうちむら【浦之内村】長崎県:南松浦郡/若松町
日本歴史地名大系
漁生浦六斗余であった(天保五年福江領高辻郷村帳)。天明九年(一七八九)の巡見使答書領内調書(青方文書)では船掛りの良い浦と記され、船見役・戸主・竈司が置かれてい
40. うらべしま【浦部島】長崎県:南松浦郡
日本歴史地名大系
新魚目町・上五島町・有川町・若松町・奈良尾町に及ぶ。承元二年(一二〇八)七月日の尋覚譲状案(青方文書、以下同文書)に「小値賀島内浦部」とみえる。建久七年(一一九
41. え【江】長崎県:北松浦郡/宇久町/平村
日本歴史地名大系
みえ、当地を拠点とする者が下松浦四六家の一揆に加わっている。同日の下松浦住人等一揆契諾状案(青方文書、以下同文書)には「ゑ近江守伝」とみえる。明徳三年(一三九二
42. えのはまむら【江之浜村】長崎県:南松浦郡/有川町
日本歴史地名大系
師如来を安置。また室町期の五輪塔が数基ある。明徳三年(一三九二)六月二二日の番立結番注文案(青方文書)に「江浜」がみえ、江浜氏を含む五島の領主層二八名が梅ヶ崎会
43. えぶくろ【江袋】長崎県:南松浦郡/新魚目町/曾根郷
日本歴史地名大系
南西は広い入江に臨む。北は仲知、南は大瀬良。至徳二年(一三八五)五月三日の禅源等連署裁決状案(青方文書)に「ゑふくろ」とみえ、平戸松浦氏と青方氏の境相論は禅源ら
44. おうしまむら【黄島村】長崎県:福江市
日本歴史地名大系
条が通達された(「黄島遠見番へ御仰付候書付」五島秘史)。延宝六年(一六七八)の諸役付万定書(青方文書)によれば福江より中小姓一名、大浜より侍中間一名、百姓(水汲
45. おおかわちむら【大河内村】佐賀県:伊万里市
日本歴史地名大系
庄力坊は「正力坊」、真米は「馬込」と書かれている。嘉慶二年(一三八八)六月一日の下松浦住人等一揆契諾状案(青方文書)に「大河内 保闥」が署名している。大川内氏は
46. おおくしむら【大串村】長崎県:南松浦郡/奈留町
日本歴史地名大系
ある。地内に室町期の五輪塔が数基残る。弘安三年(一二八〇)一一月二五日の百姓等連署起請文案(青方文書)に峰湛の代官としてみえる「をうくしの小二郎」は当地の者の可
47. おおくぼむら【大久保村】長崎県:北松浦郡/宇久町
日本歴史地名大系
住していたことに由来する地名という。応永二〇年(一四一三)五月一〇日の宇久浦中一揆契諾状案(青方文書)に「大くほたちわき」、「大くほ入道」の祥信などがみえ、当地
48. おおちか【大値賀】長崎県:南松浦郡
日本歴史地名大系
奈留町)、大値賀上下村、玉浦(現玉之浦町)に多いと主張している(同年八月日「青方高光申状案」青方文書)。地名の配列から五島の南西部にあたり、奈留島と玉之浦の間と
49. おおつむら【大津村】長崎県:福江市
日本歴史地名大系
)。文政二年(一八一九)火災で百姓家一五軒を焼失(増補継志系図)。同四年の福江掛人付町人帳(青方文書)では家数二四・人数一三〇、牛一七、役目数二〇人・銀七二匁余
50. おおどもやかたあと【大友館跡】大分県:大分市/旧大分市地区/六坊村
日本歴史地名大系
嫡子親時も出陣し、頼泰の後を受けて鎮西談議所頭人に列した(正応四年六月二八日「鎮西奉行連署書下案」青方文書)。親時の跡は貞親・貞宗と引継がれるが、永仁七年(一二
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