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御水取

ジャパンナレッジで閲覧できる『御水取』の日本大百科全書・日本国語大辞典・平成ニッポン生活便利帳のサンプルページ

日本大百科全書(ニッポニカ)
御水取
おみずとり

3月12日(旧暦2月12日)、奈良市東大寺二月堂の行事。3月1日から二七日 (にしちにち)(14日間)行われる修二会 (しゅにえ)(修二月会)のなかの一行法をいうが、俗には修二会全体の総称としても用いられている。

 二月堂修二会は、十一面観音に罪や過ちを懺悔 (さんげ)する十一面悔過法要 (けかほうよう)で、752年(天平勝宝4)に実忠 (じっちゅう)によって始められたと伝える。法会は2月20日、11人の練行衆 (れんぎょうしゅう)が戒壇院別火坊 (かいだんいんべっかぼう)に入り、そこで「椿 (つばき)の花ごしらえ」「衣 (ころも)の祝儀 (しゅうぎ)」などの前行を終え、28日に二月堂へ上堂、3月1日より本堂内陣での本行となる。勤行 (ごんぎょう)は連日、六時(日中、日没、初夜、半夜、後夜、晨朝 (じんじょう))にわたって行われる。毎晩7時には大松明 (おおたいまつ)に導かれて練行衆が上堂し、十一面悔過を唱えるが、これは奈良時代に盛んに行われた悔過声明 (しょうみょう)の形式を伝えるものである。12日には「お松明」と称し、普通の日より大きい籠 (かご)松明11本を童子 (どうじ)が担ぎ、堂の回廊で大きく振り回す。ついで深夜に法会の中心となる御水取が行われる。咒師 (じゅし)を先頭にした7人の練行衆が二月堂前の閼伽井屋 (あかいや)の井戸で閼伽水(香水 (こうずい))をくみ、堂に運ぶ。縁起によると、この井の水は、天平 (てんぴょう)(729~749)の代に若狭 (わかさ)国(福井県)遠敷明神 (おにゅうみょうじん)が、二月堂修二会の神々の勧請 (かんじょう)時に遅れ、おわびに神の霊水を本尊に捧 (ささ)げたものという。この行法は、『十一面神咒心経 (しんじゅしんぎょう)』に、行者が香水を観自在菩薩 (かんじざいぼさつ)に捧げ願いを込めればいっさいの障難と病難から逃れられると説かれているのに基づく。わが国古来の霊水信仰が仏教の除病延命と結び付き、十一面悔過法要に加えられたのであろう。

 そのほか、5日に実忠忌、7日に小 (こ)観音の儀式、12~14日に達陀 (だったん)の行がある。達陀の行は、八天の姿をした練行衆が香水を散布し、大松明をもって内陣を激しく駆け巡る荒行 (あらぎょう)である。京阪地方では、この御水取が済むと春になるといわれ、広く親しまれている。

[平岡定海]



日本国語大辞典
お‐みずとり[‥みづとり] 【御水取】

解説・用例

〔名〕

(「お」は接頭語)

(1)奈良東大寺二月堂の行事。毎年陰暦二月一日から一四日間行なわれる法会。二月一二日(現在では三月一二日)の夜から翌未明にかけて、堂前の若狭井(わかさい)の水を汲みとり、香水とする儀式を行なうところからいう。その水を飲めば万病が治るといわれる。修二月会(しゅにがつえ)。修二会(しゅにえ)。《季・春》

*細雪〔1943~48〕〈谷崎潤一郎〉上・一七「春とは言ってもお水取の最中の冴え返った日のことであった」

*第3ブラリひょうたん〔1951〕〈高田保〉椿「暑い寒いも彼岸まで、と関東ではいうのだが、関西では、お水取りまでだろう」

(2)手拭をいう女房詞。

*女房躾書〔室町末〕「てのごひをばおみづとりといふ」

発音

〓[0]




平成ニッポン生活便利帳
お水取り
12か月のきまりごと歳時記 > 三月 《弥生》 > 【祝う】
奈良県・東大寺二月堂で、毎年3月1日から2週間に渡って行われる修二会(しゅにえ)という行法の中のメインイベント。修二会は国家の隆盛を祈願する法会で、お水取りは12日に行われる。深夜、松明に照らされながら、本尊に供える霊水を若狭井(わかさい)へ汲みにいく儀式。二月堂の舞台で松明を振りまわす「お松明」の行事もひときわ盛大に行われ、各地から多くの参拝客が訪れる。
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検索コンテンツ
1. 御水取
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普通の日より大きい籠かご松明11本を童子どうじが担ぎ、堂の回廊で大きく振り回す。ついで深夜に法会の中心となる御水取が行われる。咒師じゅしを先頭にした7人の練行衆
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3. お‐みずとり[‥みづとり]【御水取】
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日本国語大辞典
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日本大百科全書
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世界大百科事典
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