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  11. 坂田藤十郎

坂田藤十郎

ジャパンナレッジで閲覧できる『坂田藤十郎』の歌舞伎事典・日本大百科全書・国史大辞典のサンプルページ

新版 歌舞伎事典
坂田藤十郎
さかたとうじゅうろう
 歌舞伎役者。
【初世】1647‐1709 延宝四(1676)年には立役で京の都万太夫座四天王の一人とされ、二年後大坂で演じた《夕霧名残の正月》の伊左衛門はその名声を高めた。以来夕霧狂言の伊左衛門は生涯の当り芸として繰り返された。主として京都で活躍し、狂言も作ったが、元禄六(1693)年頃から近松門左衛門の作を多く演じ、以後の代表的な当り芸は元禄一二年《傾城仏の原》の梅永文蔵、元禄一五年《傾城壬生大念仏けいせいみぶだいねんぶつ》の高遠民弥など。傾城買狂言を形成するやつし事・濡れ事・くぜつ事などを最も得意とし、せりふ、特に長ぜりふの仕方咄しかたばなしに巧みであった。武道事・所作事は不得手であったが、元禄期上方歌舞伎の和事を作り上げて後世に伝えた功は大きい。位付は元禄八年以来立役上上吉。
【二世】前名坂田長左衛門。正徳一(1711)年襲名。通称伏見藤十郎。立役。
【三世】前名坂田定四郎。元文四(1739)年襲名。立役のち実悪。
【四世】1931‐ 三世中村鴈治郎が平成一七(2005)年四世藤十郎を襲名。二三一年ぶりに坂田藤十郎の名跡が復活した。
濡れ事和事
[松崎 仁]


日本大百科全書(ニッポニカ)
坂田藤十郎
さかたとうじゅうろう

歌舞伎 (かぶき)俳優。現世まで4世を数える。

初世

(1647―1709)元禄 (げんろく)時代(1688~1704)の上方歌舞伎 (かみがたかぶき)を代表する名優。京都の座本坂田市左衛門(一説に藤右衛門)の子。1676年(延宝4)ごろから記録に現れ、早くも将来が楽しみな役者と期待されている。1678年『夕霧名残 (ゆうぎりなごり)の正月』の伊左衛門を演じて大好評を得たため、この年は四度もこの役を繰り返し演じ、後年の芸の基礎をつくった。元禄に入ってからしだいに芸も人気も上昇し、近松門左衛門 (ちかまつもんざえもん)と提携して『仏母摩耶山開帳 (ぶつもまやさんかいちょう)』『傾城阿波 (けいせいあわ)の鳴門 (なると)』『水木辰之助餞振舞 (みずきたつのすけたちぶるまい)』『百夜小町 (ももよこまち)』『大名曽我 (だいみょうそが)』などに次々と出演、傾城事 (けいせいごと)・やつし事によって確固たる地位を築いた。1695年(元禄8)11月から京都の都万太夫座 (みやこまんだゆうざ)の座本も兼ねた。最頂期の元禄10年代には、『傾城仏の原』『傾城弘誓 (ぐぜい)の船』『傾城壬生大念仏 (みぶだいねんぶつ)』などの名作に出演。弁説に優れ、とくにやつし・濡 (ぬ)れ事・くどきの芸に卓越した技芸を見せ、「役者道の開山」「希代の名人」などともてはやされた。菊池寛作『藤十郎の恋』によって現代人にも親しみのある名優である。

[服部幸雄]2018年5月21日

2世

(1669―1724)初世の弟分。通称「伏見藤十郎 (ふしみとうじゅうろう)」。

[服部幸雄]2018年5月21日

3世

(1701―1774)江戸長唄 (ながうた)の唄方で坂田派の祖、坂田兵四郎 (ひょうしろう)(初世藤十郎の甥 (おい))の門人が、1739年(元文4)江戸で襲名したが、大成しなかった。

[服部幸雄]2018年5月21日

4世

(1931―2020)本名林宏太郎 (こうたろう)。屋号山城屋。2世中村鴈治郎 (がんじろう)の長男。2世中村扇雀 (せんじゃく)を経て、1990年(平成2)に3世鴈治郎を襲名。女方 (おんながた)としてスタートしたが、祖父である初世中村鴈治郎以来の立役としての上方和事芸を継承するとともに、研究劇団近松座を主宰するなど情熱的な活躍をみせた。扇雀時代には坂東鶴之助(後の5世中村富十郎 (とみじゅうろう))とともに、武智歌舞伎 (たけちかぶき)に参加して活躍し、「扇鶴時代」とよばれるほどの人気を集めた。1994年重要無形文化財保持者、同年芸術院会員となる。2003年(平成15)文化功労者。2009年文化勲章受章。2005年先代の没後231年ぶりに4世藤十郎を襲名した。長男が4世中村鴈治郎(1959― )、次男が3世中村扇雀(1960― )である。

[服部幸雄]2018年5月21日



坂田藤十郎(初世)[百科マルチメディア]
坂田藤十郎(初世)[百科マルチメディア]

©小学館ライブラリー


国史大辞典
坂田藤十郎
さかたとうじゅうろう
一六四七 - 一七〇九
江戸時代、元禄期の京坂を代表する歌舞伎役者。正保四年(一六四七)に京の芝居座本坂田市右衛門の子として生まれた。通称伊右衛門。俳名冬貞。花車方の名優杉九兵衛について技芸を修業、延宝四年(一六七六)刊の役者評判記『可盃』に「藤十良が一つかみにしたる芸、兄さまめいたる男ぶり」とあるのが芸評の初出。同六年、大坂荒木座上演の『夕霧名残の正月』に伊左衛門を演じ、これを同年中に四回くり返したのが彼の出世芸となり、和事の名手として名声を高めた。元禄六年(一六九三)、京の都万太夫座で近松門左衛門作の『仏母摩耶山開帳』の六田かもんに扮したのが、名作者近松との提携のはじまりで、以後、元禄時代に発表された近松の脚本のほとんどに主役をつとめた。同八年、四十九歳で京の都万太夫座の座本となり、役者評判記にも上上吉に位付けされた。このころから上方劇界の第一人者として江戸の初代市川団十郎と併称されるような存在となった。十年には伊勢で起った四人斬りをしくんだ世話狂言『卯月九日其暁の明星が茶屋』の手代九右衛門に扮して芸域をひろげ、十二年『傾城仏の原』の梅永文蔵、同年『阿弥陀池新寺町』の庭造り藤助、十五年『傾城壬生大念仏』の高遠民弥などの当り役を勤めた。元禄末年ごろから健康にすぐれず、宝永三年(一七〇六)冬、京の早雲座上演『石山寺誓湖』で夜番久助を演じたとき、大和山甚左衛門に舞台で紙衣をゆずって引退の決意を固め、同六年の『大飾福寿草庭』で神主作太夫に扮したのを最後に、同年十一月一日、六十三歳で没した。戒名は十誉一空信士。武道事や所作事は不得手としたが、弁舌にすぐれ、やつし・濡れ・傾城買などの和事芸の演技を得意とし、上方和事の創始者としての栄誉をになっている。その言行は『役者論語』に詳しい。
[参考文献]
高橋宏「坂田藤十郎年譜」(東京帝国大学演劇史研究会編『演劇史研究』一所収)
(諏訪 春雄)
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1. 坂田藤十郎画像
日本大百科全書
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2. 坂田藤十郎
世界大百科事典
歌舞伎役者。(1)初世(1647-1709・正保4-宝永6) 1676年(延宝4)には立役で京の都万太夫座四天王の一人とされ,2年後大坂で演じた《夕霧名残の正月
3. さかた‐とうじゅうろう【坂田藤十郎】
日本国語大辞典
歌舞伎俳優。初世。元祿期(一六八八~一七〇四)の上方歌舞伎を代表する名優。京の座元坂田市左衛門(一説に藤右衛門)の子。延宝六年(一六七八)に演じた「夕霧名残の正
4. さかたとうじゅうろう【坂田藤十郎】
国史大辞典
上方和事の創始者としての栄誉をになっている。その言行は『役者論語』に詳しい。 [参考文献]高橋宏「坂田藤十郎年譜」(東京帝国大学演劇史研究会編『演劇史研究』一所
5. 坂田藤十郎(さかたとうじゅうろう)
古事類苑
樂舞部 洋巻 第2巻 184ページ
6. 坂田藤十郎[演劇]
イミダス 2018
次第に芸域を広げて3代目鴈治郎を襲名、現代の上方歌舞伎を代表する存在となった。さらに2005年には坂田藤十郎の名跡を231年ぶりに復活し、近松作品の復活上演にも
7. 坂田藤十郎[中国「白玉蘭賞」で、外国人として初の特別貢献賞を受賞]
イミダス 2018
サカタ・トウジュウロウ。本名、林宏太郎。歌舞伎役者。 2008年4月10日、歌舞伎俳優の坂田藤十郎が、中国演劇界で最大規模の「白玉蘭賞」で、外国人として初めて
8. 坂田藤十郎[中村鴈治郎、4代目坂田藤十郎を襲名]
イミダス 2018
90年に3代目鴈治郎を襲名し、94年人間国宝に。新たに襲名した坂田藤十郎という名跡は、1774年に3代目が没してから231年の間継承されていなかった。新・坂田藤
9. さかたとうじゅうろう【坂田藤十郎】
歌舞伎事典
【四世】1931‐ 三世中村鴈治郎が平成一七(2005)年四世藤十郎を襲名。二三一年ぶりに坂田藤十郎の名跡が復活した。→濡れ事和事 松崎 仁
10. さかたとうじゅうろう【坂田藤十郎】[付録]
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》を上演。平成15文化功労者。平成17・12南座《夕霧名残の正月》の藤屋伊左衛門などで四世坂田藤十郎を襲名。平成19NHK放送文化賞、朝日舞台芸術賞。平成20高
11. 坂田藤十郎[文献目録]
日本人物文献目録
『元禄劇団の二雄 市川団十郎と坂田藤十郎』高野辰之『坂田藤十郎の写実劇に対する考察』守随憲治『藤十郎と近松』重友毅『藤十郎の演劇論』高野正己『壬生狂言と坂田藤十
12. 坂田藤十郎〔初代〕
日本史年表
1678年〈延宝6 戊午〉 2・3 初代坂田藤十郎 、大坂で『夕霧名残の正月』に出演(歌舞伎年表)。 1699年〈元禄12 己卯⑨〉 1・‐ 坂田藤十郎 、近松
13. 中村鴈治郎
日本大百科全書
ある。67年重要無形文化財保持者、72年日本芸術院会員、80年文化功労者。服部幸雄3世4世坂田藤十郎さかたとうじゅうろうの前名。服部幸雄
14. さかた-とうじゅうろう【坂田藤十郎(初代)】
日本人名大辞典
1647−1709 江戸時代前期-中期の歌舞伎役者。正保(しょうほ)4年生まれ。父は京都の座本坂田市右(左)衛門。延宝6年「夕霧名残(なごり)の正月」の藤屋伊左
15. さかた-とうじゅうろう【坂田藤十郎(2代)】
日本人名大辞典
1669−1724 江戸時代前期-中期の歌舞伎役者。寛文9年生まれ。初代藤十郎の弟分で,宝永8年京都布袋屋(ほていや)座で2代を襲名。和事を得意とした。享保(き
16. さかた-とうじゅうろう【坂田藤十郎(3代)】
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1701−1774 江戸時代中期の歌舞伎役者。元禄(げんろく)14年生まれ。2代三条勘太郎から坂田兵四郎(ひょうしろう)の門にうつり,元文4年江戸河原崎座で3代
17. さかた-とうじゅうろう【坂田藤十郎(4代)】
日本人名大辞典
中村鴈治郎を襲名。6年人間国宝,芸術院会員。15年文化功労者。17年上方歌舞伎の大名跡4代坂田藤十郎を襲名。20年「摂州合邦辻」などの演技で朝日舞台芸術賞。21
18. 坂田藤十郎(初世)[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
©小学館ライブラリー
19. あ・てる【当・中・充・宛】
日本国語大辞典
うまくいかせる。事業、商売、興行などを予定どおりに成功させる。*評判記・役者口三味線〔1699〕京・坂田藤十郎「どのしばゐにも、一あてづつあてる事、是藤十郎をま
20. あら-ごと【荒事】
全文全訳古語辞典
た勇壮なものである。これに対して、「和事」は、男女の情愛を演ずる上方歌舞伎の伝統的な芸で、坂田藤十郎が有名。
21. いい‐ほどき[いひ‥]【言解】
日本国語大辞典
〔名〕申し開きをすること。言いわけをすること。弁解。*評判記・役者口三味線〔1699〕京・坂田藤十郎「皆かげにして、此人のいひほどき一しゅにて、末々入くみたる事
22. いう も くだ
日本国語大辞典
此方よりいふもくだにて、あなたよりなをこころの色ふかく」*歌舞伎・傾城壬生大念仏〔1702〕坂田藤十郎「古今濡事(ぬれごと)の開山、けいせい買の元祖、今更いふも
23. いしょう【衣裳】
歌舞伎事典
《嫗山姥》の八重桐の紙衣は配色といい、デザインといい、いかにも艶冶である。和事芸を確立した坂田藤十郎が引退したとき、舞台で後継者に〈紙衣譲り〉の式を見せた。紙衣
24. 市川団十郎(初世)[文献目録]
日本人物文献目録
雄『市川団十郎』西山松之助『金平と元祖団十郎の荒事』水谷不倒『元禄劇団の二雄 市川団十郎と坂田藤十郎』高野辰之『初世市川団十郎の経歴について』諏訪春雄
25. いっしんにがびゃくどう【一心二河白道】
歌舞伎事典
元禄一一(1698)年京・都万太夫座の盆興行として初演。清玄=大和屋甚兵衛、桜姫=霧波千寿、ささめの太夫=坂田藤十郎ほか。清玄桜姫物の一つ。《薄雪物語》になぞら
26. いわい-はんしろう【岩井半四郎(初代)】
日本人名大辞典
つとめて天和(てんな)のはじめ大坂で名をあげ,元禄(げんろく)元年京都での「けいせい玉手箱」で坂田藤十郎とともに好評をえた。翌年座本をかね,嵐三右衛門とならぶ地
27. うつ・る【映・写】
日本国語大辞典
それぞれの芸にうつりたる口上」*浮世草子・俗つれづれ〔1695〕五・三「今程は上方(かみかた)に坂田藤十郎と申ましてやつし芸の名人あれども、それは移(ウツ)らぬ
28. えい‐すけ[ゑひ‥]【酔助】
日本国語大辞典
〔名〕(酔った男を人名になぞらえた言い方)酔っ払い。よいすけ。*歌舞伎・傾城壬生大念仏〔1702〕坂田藤十郎「此度御糟買の酔助(ヱイスケ)、李白が沈酔して、道路
29. えんげきおんがく【演劇・音楽】 : 近世
国史大辞典
さらに『仮名手本忠臣蔵』『菅原伝授手習鑑』『義経千本桜』はじめ多くの傑作が作られた。これと対応して坂田藤十郎・芳沢あやめらの上方における写実的歌舞伎、市川団十郎
30. 大阪(市)画像
日本大百科全書
演され、2003年(平成15)世界無形遺産に選ばれている。上方歌舞伎も近松門左衛門の脚本を坂田藤十郎さかたとうじゅうろうらが演じた和事わごとで人気を博したが、現
31. 小野道風青柳硯
世界大百科事典
村国太郎座で歌舞伎に脚色されている。道風を2世榊山小四郎,頼風を初世岩井染五郎,良実を3世坂田藤十郎,駄六を初世桐島儀左衛門,逸勢を初世中村団蔵。ここでももっぱ
32. おののとうふうあおやぎすずり【小野道風青柳硯】
歌舞伎事典
村国太郎座で歌舞伎に脚色されている。道風=二世榊山小四郎、頼風=初世岩井染五郎、良実=三世坂田藤十郎、駄六=初世桐島儀左衛門、逸勢=初世中村団蔵。ここでももっぱ
33. おもい‐つき[おもひ‥]【思付】
日本国語大辞典
お心のむいてくる物でござんす」*浮世草子・元祿大平記〔1702〕八・都の春にあふぞうれしき「当時都にて坂田藤十郎を上々吉として〈略〉都の評判よろしけれども大坂に
34. 女殺油地獄(近松門左衛門集) 216ページ
日本古典文学全集
なに不自由なく暮していた若殿などが落ちぶれた姿になる演技。大和山甚左衛門(一六七七~一七二一)。坂田藤十郎に次ぐやつしの名人。二代目竹島幸左衛門(生没年未詳)。
35. かい‐ぎょう[‥ギャウ]【界境】
日本国語大辞典
〔名〕その身が置かれた境遇やめぐりあわせ。境界。*評判記・役者口三味線〔1699〕京・坂田藤十郎「扨かんどうをうけて、紙子一くはんのていと成くだりては、其時のか
36. かい‐て[かひ‥]【買手】
日本国語大辞典
あらふと、かんじ入ておかしく」*役者論語〔1776〕耳塵集「夕霧名残の正月と云外題にて、則坂田藤十郎、藤屋伊左衛門といへる買手(カイテ)に成りぬ」(3)取引相場
37. [各個指定]芸能部門
日本大百科全書
1999年)5世中村富十郎(1929―2011) 1994年6月認定  (文化功労者 2008年)4世坂田藤十郎(3世中村鴈治郎)(1931―2020) 199
38. かしゃ‐がた[クヮシャ‥]【花車形・花車方】
日本国語大辞典
、爪はづれ花車なりといふ心にて、花車方といふ歟」*役者論語〔1776〕序「舞台百ケ条 元祖坂田藤十郎師匠杉九兵衛といふ花車形(クヮシャガタ)の書置る書也」「花車
39. かす‐かい[‥かひ]【糟買】
日本国語大辞典
日より里里へ通ひ商の糟買(カスカイ)も身過の種として」*歌舞伎・傾城壬生大念仏〔1702〕坂田藤十郎「別而此度御糟買(カスカイ)の酔助(ゑいすけ)、李白が沈酔し
40. かた【形・型】
日本国語大辞典
カタ)になって、貴さまの持あそびものに成やうな物なり」*歌舞伎・傾城壬生大念仏〔1702〕坂田藤十郎「玉がしはをかたにして、道しばとのたはぶれ、さらに狂言めかず
41. かねこいっこうにっき【金子一高日記】
歌舞伎事典
元禄期の歌舞伎興行の舞台裏が具体的に知られる。信盛(座付作者だった近松門左衛門)や長政(座本の初代坂田藤十郎)に関する記事も多い。和田修「〈資料翻刻〉金子吉左衛
42. かねこ‐きちざえもん【金子吉左衛門】
日本国語大辞典
元祿期(一六八八~一七〇四)上方の道外(どうけ)方として活躍。また近松門左衛門と合作して、坂田藤十郎の当たり狂言を作った。「耳塵集(にじんしゅう)」の編者。歌舞
43. かねこきちざえもん【金子吉左衛門】
国史大辞典
享保四年(一七一九)冬、座元となり、以後、老練な実事師として重きをなした。また文才に富み、元禄五年冬、坂田藤十郎と一座するようになってから作者も兼ねた。その後劇
44. かねこ-きちざえもん【金子吉左衛門】
日本人名大辞典
8)上上吉(じょうじょうきち)にすすむ。のち立役(たちやく)にかわり,座本にもなった。初代坂田藤十郎と一座をなしてからは作者もかねた。近松門左衛門との合作もおお
45. かねこ-ろくえもん【金子六右衛門】
日本人名大辞典
寛文-延宝のころに初代荒木与次兵衛とともに実事の名手といわれた。延宝6年ごろから大坂で座本をつとめ,初代坂田藤十郎初演の「夕霧名残の正月」で大当たりをとったとい
46. 歌舞伎画像
世界大百科事典
中心に形成された新興都市の荒々しい気風に合致して喜ばれ,非常な人気を獲得した。一方,京都では,初世坂田藤十郎を代表として,初期歌舞伎の傾城買の狂言の伝統を受け継
47. かぶき【歌舞伎】
国史大辞典
狂言になり、引幕が創始され、大道具なども発明された。一六七〇年代から上方では近松門左衛門、坂田藤十郎・芳沢あやめらが世話物(せわもの)と呼ばれる写実的な現代劇を
48. 歌舞伎(演劇)画像
日本大百科全書
団十郎が『四天王稚立おさなだち』の坂田金時役で「荒事あらごと」を創始、1679年には大坂で坂田藤十郎とうじゅうろうが『夕霧名残正月ゆうぎりなごりのしょうがつ』の
49. 歌舞伎俳優の屋号
日本大百科全書
天王寺屋(中村富十郎)、舞鶴まいづる屋(中村勘五郎・鶴蔵)、美吉屋みよしや(上村吉弥きちや)、山城屋(坂田藤十郎)、吉田屋(嵐雛助ひなすけ)などがある。
50. 上方歌舞伎
日本大百科全書
阿国おくに歌舞伎の時代にもあった遊里の描写が、元禄げんろく時代(1688~1704)には名優坂田藤十郎らにより、傾城買けいせいかい狂言、およびこれに伴う和事わご
「坂田藤十郎」の情報だけではなく、「坂田藤十郎」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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