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  11. 富永平兵衛

ジャパンナレッジで閲覧できる『富永平兵衛』の辞書・事典・叢書別サンプルページ

歌舞伎事典・国史大辞典・世界大百科事典

新版 歌舞伎事典
富永平兵衛
とみながへいべえ
 生没年不詳。歌舞伎作者。別号西林軒。俳名辰寿。役者として出発したが、延宝(1673‐1681)頃作者に転じた。延宝八年、番付に〈狂言作り〉と記し、非難を受けた。しかし、のちに作者名を明記する習慣ができた。以降京、大坂で活躍したが、元禄一〇(1697)年頃没した。代表作には《丹波与作手綱帯》、《武道達者》(元禄六年)、《日本月蓋長者》(元禄七年)などがある。お家騒動物が大部分で、奇抜な展開やカラクリの利用などに特色を見出す。《役者論語》に収録された《芸鑑》を書き残し、初期歌舞伎のありさまを伝えた業績もある。
[近藤 瑞男]


国史大辞典
富永平兵衛
とみながへいべえ
生没年不詳
江戸時代中期の歌舞伎狂言作者。俳名辰寿。別号酉林軒。最初は役者として舞台に立ったが、延宝の初めごろに作者に転じた。延宝八年(一六八〇)の顔見世番付に「狂言作り」としてみずからの名を記し、前例にないこととして世人の非難を受けながらも、作者の地位の向上に功があった。その後、京坂の芝居を歴勤して活躍した。今日知られる彼の作品の最初は元禄五年(一六九二)の『娘孝行記』『鹿島之要石』の二つであり、以下、同六年の『丹波与作手綱帯』『心中八島』『武道ノ達者』、九年の『熊野山開帳』など全部で十一作が知られている。お家騒動の筋の中に敵討ち・愁嘆・濡れなどを巧妙に配置し、近松門左衛門の先輩作者として歌舞伎の劇作術の開発に功があった。ほかに俳諧書『道頓堀花みち』(延宝七年)の編集、野郎歌舞伎初期の芸態を伝える『芸鑑』(元禄ごろ)の著が知られている。
[参考文献]
高野辰之『日本演劇史』、守随憲治『歌舞伎序説』(『守随憲治著作集』三)
(諏訪 春雄)


改訂新版 世界大百科事典
富永平兵衛
とみながへいべえ

歌舞伎作者。生没年不詳。別号西林軒。俳名辰寿。役者として出発したが,延宝(1673-81)ごろ作者に転じた。80年,番付に〈狂言作り〉と記し非難を受けた。しかし,のちに作者名を明記する習慣ができた。以降京,大坂で活躍したが,97年(元禄10)ごろ没した。代表作には《丹波与作手綱帯》,《武道達者》(1693),《日本月蓋長者》(1694)などがある。お家騒動物が大部分で,奇抜な展開やカラクリの利用などに特色を見出す。《役者論語》に収録された《芸鑑》を書き残し,初期歌舞伎のありさまを伝えた業績もある。
[近藤 瑞男]

[索引語]
芸鑑
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富永平兵衛の関連キーワードで検索すると・・・
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検索コンテンツ
1. 富永平兵衛
日本大百科全書
生没年不詳。歌舞伎かぶき作者。俳優出身で1673年(延宝1)ごろから作者となり、97年(元禄10)ごろまで京坂で活躍した。それまで内輪の存在でしかなかった歌舞伎
2. 富永平兵衛
世界大百科事典
歌舞伎作者。生没年不詳。別号西林軒。俳名辰寿。役者として出発したが,延宝(1673-81)ごろ作者に転じた。80年,番付に〈狂言作り〉と記し非難を受けた。しかし
3. とみながへいべえ【富永平兵衛】
国史大辞典
生没年不詳 江戸時代中期の歌舞伎狂言作者。俳名辰寿。別号酉林軒。最初は役者として舞台に立ったが、延宝の初めごろに作者に転じた。延宝八年(一六八〇)の顔見世番付
4. とみなが-へいべえ【富永平兵衛】
日本人名大辞典
?−1699ごろ 江戸時代前期の歌舞伎作者。延宝8年(1680)番付に「狂言作り」と肩書をつけて自分の名をだし,以後歌舞伎の作者名を明記する習慣が生まれた。京都
5. とみながへいべえ【富永平兵衛】
歌舞伎事典
 生没年不詳。歌舞伎作者。別号西林軒。俳名辰寿。役者として出発したが、延宝(1673‐1681)頃作者に転じた。延宝八年、番付に〈狂言作り〉と記し、非難を受けた
6. 富永平兵衛[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:0件 【逐次刊行物】:1件 『富永平兵衛論』滝田貞治
7. 歌舞伎画像
世界大百科事典
敵役(かたきやく)や道外方(どうけがた)の芸が確立し,重んじられたのも注目すべきことである。また富永平兵衛(生没年不詳。延宝~元禄ごろの歌舞伎作者)や近松門左衛
8. 歌舞伎(演劇)画像
日本大百科全書
のだったが、1683年(天和3)になると完全な脚本形式が生まれる。1680年(延宝8)には富永平兵衛が「狂言作り」として名のりをあげ、ついで近松門左衛門に至って
9. かぶききゃくほん【歌舞伎脚本】
国史大辞典
福井弥五左衛門が作り、江戸では市村座の『今川忍び車』を都伝内が作った。延宝八年(一六八〇)には富永平兵衛が顔見世狂言の番付に「狂言作(きょうげんつく)り」と記さ
10. 狂言作者
日本大百科全書
たがい、専門の作者が必要になり、1680年(延宝8)11月の顔見世番付かおみせばんづけに、富永平兵衛へいべえが「狂言作り」と明記したのが狂言作者独立の端緒とされ
11. きょうげん‐さくしゃ[キャウゲン‥]【狂言作者】
日本国語大辞典
衛門聞書)云彌五右衛門は花車方にて狂言作者の名人なり〈略〉今顔みせの役者付に狂言作者と書事富永平兵衛始りなり。延宝八年暮の顔みせなりといへり」*当世書生気質〔1
12. きょうげんさくしゃ【狂言作者】画像
国史大辞典
世紀後半のこと。ただしその名が文献にあらわれたのは、延宝八年(一六八〇)暮れの顔見世番付に富永平兵衛が作者を称したのに始まるという(『耳塵集』)。初期には、作者
13. きょうげんぼん【狂言本】
国史大辞典
う上下二冊の、内容もくわしく、名ぜりふや役者評などを加えたものが出版された。著名な作者には富永平兵衛・近松門左衛門・三升屋兵庫(初代市川団十郎)などがあり、また
14. きょうげんぼん【狂言本】 : 狂言本/(二)
国史大辞典
う上下二冊の、内容もくわしく、名ぜりふや役者評などを加えたものが出版された。著名な作者には富永平兵衛・近松門左衛門・三升屋兵庫(初代市川団十郎)などがあり、また
15. げいかがみ【芸鑑】
国史大辞典
野郎歌舞伎初期の作者で近松門左衛門の先輩富永平兵衛の演劇随筆集。成立年代は不詳。内容は彼の活躍した初期野郎歌舞伎の狂言『浪人盃』『氏神詣』『傾城買』など三作の
16. 五道冥官(著作ID:192789)
新日本古典籍データベース
ごどうのみょうかん 富永平兵衛(とみながへいべえ) 狂言本 元禄七刊
17. ざ‐がかり【座掛】
日本国語大辞典
本座がかり。*評判記・野郎立役舞台大鏡〔1687〕大和屋甚兵衛「座がかりのおどり狂言作りの富永平兵衛と両人にて」*洒落本・風俗問答〔1776〕「蘆簀(よしづ)の
18. しんぐんしょるいじゅう【新群書類従】
国史大辞典
)・(今古参考)南水漫遊続編(同) 3演劇(三) 役者論語(舞台百箇条(杉九兵衛)・芸鑑(富永平兵衛)・あやめぐさ(福岡弥五四郎)・耳塵集(金子吉左衛門)・続耳
19. 丹波与作手綱帯(著作ID:366734)
新日本古典籍データベース
たんばよさくたづなおび たんば与作 富永平兵衛(とみながへいべえ) 狂言本 元禄六?
20. とみなが-でんべえ【富永伝兵衛】
日本人名大辞典
?−? 江戸時代中期の歌舞伎作者。富永平兵衛の門人。役者から作者に転じ,享保(きょうほう)17年(1732)上方から江戸へいき森田座,河原崎座で創作にあたる。初
21. 男色大鑑(井原西鶴集) 564ページ
日本古典文学全集
ここは成人用の袖の短い丸袖を着て、素姓を隠したのである。歌舞伎脚本作者として、初期を代表する富永平兵衛。俳名辰寿。延宝期における実事の名手金子六右衛門の門下で、
22. にじんしゅう【耳塵集】
国史大辞典
き耳につもる塵の言葉書あつめ」とあるによる。坂田藤十郎をはじめ、山下京右衛門・嵐三右衛門・富永平兵衛・近松門左衛門など、元禄期の名優・名作者の逸話を上巻十七項目
23. 日本月蓋長者(著作ID:399713)
新日本古典籍データベース
にっぽんがっかいちょうじゃ 富永平兵衛(とみながへいべえ) 狂言本 元禄七
24. にほんこてんぶんがくたいけい【日本古典文学大系】
国史大辞典
鞘当・勧進帳・鳴神・毛抜・景清 役者論語(八文字屋自笑編) 舞台百ケ条(杉九兵衛)・芸鑑(富永平兵衛)・あやめぐさ(福岡弥五四郎)・耳塵集(金子吉左衛門)・続耳
25. ひらやま-ぶんご【平山豊後】
日本人名大辞典
江戸時代前期の歌舞伎作者。はじめ文五郎と名のる。元禄(げんろく)6年(1693)豊後とあらため,富永平兵衛との合作「武道ノ達者」をかいた。
26. 武道ノ達者(著作ID:484402)
新日本古典籍データベース
ぶどうのたっしゃ 富永平兵衛(とみながへいべえ) 平山豊後(ひらやまぶんご) 狂言本 元禄六
27. やくしゃろんご【役者論語】
国史大辞典
、それぞれに独立し、また成立事情も異なる七つの書物、『舞台百ヶ条』(杉九兵衛)、『芸鑑』(富永平兵衛)、『あやめぐさ』(福岡弥五四郎)、『耳塵集(にじんしゅう)
「富永平兵衛」の情報だけではなく、「富永平兵衛」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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