生物個体あるいは生物集団の伝達的性質の累積的変化.どのレベルで生じる累積的変化を進化とみなすかについては意見が分かれる.種あるいはそれより高次レベルの変化だけを進化とみなす意見があるが,一般的には集団内の変化や集団・種以上の主に遺伝的な性質の変化を進化と呼ぶ.進化遺伝学では,集団内の遺伝子頻度の変化を進化と呼ぶ.また,文化的伝達による累積的変化を進化に含めるときもある.さらに,生物個体や集団の進化に伴って生じる生物群集の構造変化も進化とみなすことがある.生物進化は,遺伝的に異なる性質をもつ生物個体の頻度が時間につれて変化することによって,あるいは異なる特性をもつ生物集団が新たに起原することによって生じるので,生物集団(個体群,あるいは種)より高次のレベルの変化は,生物個体や集団の進化の結果であるとみなす考えもある.evolutionの語は,元来,発達・発生・発展・展開などの意味や,個体発生上の展開の意味で用いられていたが,後に種の分化や種形成,あるいはそれより高次レベルでも用いられるようになった.なお,歴史的にC.Darwinは「変化を伴う由来」(descent with modification)で進化の意味を表し,フランス語ではtransmutation,transformation,ドイツ語ではDeszendenz,Abstammung,ときとしてEntwicklung(Entwickelung)の語が使われた.(⇒大進化)
本来は生物についての概念で,現生の複雑で多様な生物が長い歴史的な変化の結果(として生じたもの)であるという考えの上に立った,その歴史的変化過程そのものを意味する。したがって生物進化というほうが正確である。
しかし,進化の観念は,思想史的には,18世紀に形成された社会進歩観を背景として成立したものであって,したがってその初めから生物だけでなく社会をも対象としていた。正確にいえば,社会進歩観を背景に,一方では社会進化論や発展的歴史観が生じ,一方では生物進化論が生じたのである。一般に考えられているようにC.ダーウィンの進化論の影響によって社会進化論が生じたのではない。
一方,20世紀に入ってから進化の概念は物理的世界へも拡張された。すでに18世紀にカントやラプラスの星雲説としてあったものが精密化されて,地球の歴史(進化),太陽系の進化,恒星の進化,宇宙の進化などとして論じられるようになってきたのである。この意味では,進化は,生物だけを対象とする概念ではなく,全宇宙,全物質を歴史的な変化の中において見る広大な概念である。
進化という概念は,社会進歩観から生じて19世紀の資本主義発展期に普及していったために,時とともに進歩発展する変化という意味を含むものとふつうには考えられている。evolutionという言葉自体が,前進的発展つまり単純なものから複雑なものへの順序だった展開という意味を含んでいるし,進化という日本語も〈進〉という字を含んでいる。このような言葉が進化概念を表すために採用されたこと自体,進化と進歩が同一視されていたことを示している。しかし,進化の過程が明らかにされてくるにつれて,進化と進歩とを同義にとるのは誤りであることがわかってきた(これと同じ意味で,生物における高等,下等を一般的にいうこともできない)。まだ一般社会では混同されているが,今日では進化は必然的に進歩であるとは考えられていない。進歩を何を尺度として測るかは問題だが,実際には進歩的進化もあるし進歩的でない進化もある。例えば生物ではさまざまな器官を退化させて寄生虫になってきた進化があった。
この世界とその構成員については,古代から不変観と変化観の対立があり,後者には輪廻観と進化観がこれも古代からあった。しかし,科学的根拠に基づいて生物進化が論じられるようになったのは18世紀後半からである。そして1860年代にC.ダーウィンの進化論が受容されると,その論理的帰結としての二つの大問題が直ちに認められた。すなわち,非生物からの生物の起源と,生物からの人間の起源である。
ここではそれらについては〈生命〉および〈人類〉の項目に譲って,生物についてのもう一つの問題を記すことにしよう。それは,非生物から誕生した生物がどのような進化史をたどって現在に至ったか,である。
生物がどのようにして誕生したかはともかく,現在最古の生物とされる化石は,約35億~30億年前の岩石から発見されている。それは原核生物であると考えられているが,今日の進化史の起点は一応ここに置かれる。この生物はおそらく無機物からの有機物合成能力を欠いていたであろう。
そこで最初の大きな変化は光合成性原核生物(ラン藻類)の出現である。これはおそらく約30億年前ごろであったと思われるが,その時期について正確なところはまだわからない。しかし20数億年前になると糸状をした明らかなラン藻の化石が発見されるから,そのころまでに光合成生物が出現していたことは確かである。その光合成活動によって還元的であった地球大気は徐々に酸化的に変わっていった。その経過はまだ不明だが,おそくとも約10億年前までには酸素呼吸生物の生存が可能な程度に大気中の酸素は増えていたと思われる。
2番目の大きな変化は真核生物の出現である。その時期は約15億~10億年前であったらしい。それ以前に真核生物が存在したという確実な証拠は今のところない。したがってそれまで約25億年の生物の世界は原核生物のみの単調なものであったことになる。この変化は生物に二つのことを可能にした。それは有糸核分裂と有性生殖である。そして,その結果,生物の進化速度は原核生物よりもかなり大きくなったと推定される。
約7億年前から約6億年前にかけての地層(地質年代区分でいえばカンブリア紀に入る直前)から,最初の多細胞動物の化石および彼らのはい跡や泥中にもぐった穴と推定されるものの化石が発見される。それに先立つ時代の地層からは,最近のかなりの探索にもかかわらず,多細胞動物が存在した証拠は得られていないので,彼らはほぼこの時代に誕生したものと考えられる。そこには,体制が単純であってふつう原始的とされている腔腸動物と海綿動物ばかりでなく,かなり体制の複雑な環形動物の化石も見いだされる。
そして,約5.5億年前(カンブリア紀前期の終り)までに,腕足動物,軟体動物,節足動物,棘皮(きよくひ)動物(おそらく脊索動物も)といった複雑な体制の持主が化石として姿を現す。カンブリア紀に入ると化石の量がにわかに多くなることはすでに19世紀から知られていた事実で,この時期に多細胞動物が繁栄するようになったことは明らかであるが,ここで真に問題なのはそこにはすでに上記のようなさまざまな分類群の動物が出現していたということである。
このような動物たちは,互いにその基本体制が大きく異なっており,それゆえに分類学上はそれぞれ〈門〉という最高の階級に位置づけられている。そして彼らの間の類縁関係はふつう樹木状の系統樹によって表されてきた。系統樹の形からふつう推測されてきたのは,彼らが時代的に順を追って次々に〈進化〉したのだろうということであった。
しかし,化石の記録からすると彼らは数千万年の間にいっせいに誕生したのである。いっせいにというのは,6億年余りの多細胞動物の歴史のうちの最初の10分の1という短い期間で,という意味である。身体が柔らかくて化石になりにくい動物門についての証拠はほとんどないが,おそらく彼らもこの最初の数千万年の間に誕生したのであろう。
最近では,初期に絶滅した門もいくつかあったと考える研究者が多くなっているが,そうであるにしてもそれ以後に新しい動物門が誕生したことはないらしい。現生の動物門はすべて多細胞動物の歴史の初頭に誕生したのである。ここではその理由についての推測には触れず,事実だけを記すことにする。
その後の各動物門の進化はそれぞれに異なっているが,化石記録の多い門について見ると,どの門でもその歴史のごく初期にそれぞれの体制の枠内でいくつかの大グループを生じている。例えば,節足動物はカンブリア紀前期にすでに三葉虫類と甲殻類と鋏角(きようかく)類とに分かれているし,軟体動物も単板類と腹足類と斧足(ふそく)類に分かれ,すぐ続いて頭足類が出現する。棘皮動物では最初にいくつかの小さな絶滅グループを生じた後に,ウミツボミ類(絶滅),ウミユリ類,ヒトデ類,ウニ類,ナマコ類という大グループに分かれている。この様式の進化はおそらくほとんどの門で起こったものと思われる。脊椎動物では,このような初期にではないが,約4億年前に無顎類からいきなり板皮類(絶滅),棘魚類(絶滅),全頭類,板鰓(ばんさい)類,条鰭(じようき)類,肺魚類,総鰭類の7グループ(これら7グループを顎口類と総称する)に分かれた。ここではまず無顎類が生まれてから1億年以上の後にこの進化が起こったのだが,棘皮動物の進化はこのタイプとの中間と見ることもできる。
各動物門では,これとは違ったもう一つのタイプの進化の様式が見られる。それは,このようにして生じた初期の大グループ内で,時代を追って次々に新グループを生ずるものである。例えば軟体動物の頭足類ではオウムガイ類→アンモナイト類→イカ・タコ類という順番で,脊椎動物の条鰭類では軟質類→全骨類→真骨類という順番で進化が起こった。このタイプは世間で考えられている〈進化〉の図式に合致するものであり,これらのグループについてだけは,高等,下等といういい方が可能である。
この二つの進化様式は,より下位の分類群においてもより小規模ではあるが各所に見られ,生物進化の基本パターンを表しているものと思われる。ただし,すべての門での進化がこの二つのパターンだけで起こったとはいえないのだが。
以上の話はすべて水中でのことであるが,生物はシルル紀(約4.2億年前)になると陸上でも生活をするようになった。このときには水中から空気中へとまったく新しい環境への進出が起こったので,身体の構造はかなり作り変えられねばならない。それは主として緑色植物と節足動物と脊椎動物において起こった。そしてそれ以後の進化は,水中での進化に見られたパターンに陸上への進化が重なる形で進むことになった。シダ植物→裸子植物→被子植物という変化や両生類→爬虫類→鳥類という変化は,この陸上への進出に伴うものであり,爬虫類内部や植物の各段階内部では水中でと同じような様式の進化も起こっていた。
しかし,その後に起こる爬虫類から哺乳類への変化は,これらと同じような陸上生活への進化ではない。そこでは内温性と胎生の獲得というそれまでとはまったく異なる内容の変化が生じている。それを生物進化の中にどのように位置づけるかは,まだ未解決の問題である。さらに霊長類からヒトへの進化も,これとは別の意味で,哺乳類内部に見られる各グループの進化と同列に位置づけられるものではない。しかし,この問題についても現在まだ未解決である。
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