1. 『日本書紀纂疏』
日本史年表
1456年〈康正2 丙子〉 康正年間 一条兼良 『日本書紀纂疏』 成るか。
2. 日本書紀纂疏
世界大百科事典
室町時代に書かれた《日本書紀》の注釈書。著者は一条兼良。神代の巻のみを対象とし,それも一部は散逸して,兼良何歳のころの著作か未詳。著者は博学で著名だが,文献学的
3. にほんしょきさんそ【日本書紀纂疏】
国史大辞典
活字本は『国民精神文化文献』四がある。→一条兼良(いちじょうかねよし) [参考文献]近藤喜博「日本書紀纂疏・その諸本」(『芸林』七ノ三) (山田 英雄)
4. 日本書紀纂疏(著作ID:400668)
新日本古典籍データベース
にほんしょきさんそ 日本紀纂疏 神代巻纂疏 一条兼良(いちじょうかねよし) 注釈
5. いきのくに【壱岐国】長崎県
日本歴史地名大系
もその擬人化とする見方、島に寄せる潮の泡沫が雪のように見えることに由来するというものなど(日本書紀纂疏・大日本地名辞書)、諸説が唱えられている。このキが対馬の金
6. いちじょうかねよし【一条兼良】画像
国史大辞典
後花園上皇から帰京を促されたが肯んぜず文明二年(一四七〇)関白を辞退。『源氏物語』の註釈書『花鳥余情』や『日本書紀纂疏』を完成し、同五年、さきに伊勢北畠氏のもと
7. 一条兼良[文献目録]
日本人物文献目録
良』福島忠夫『一条兼良と古今和歌集秘抄』松田武夫『一条兼良とその思想』浅井了宗『一条兼良と日本書紀纂疏』坂井誠一『一条兼良の生涯と思想』道北真智子『一条兼良の神
8. 一条兼良
世界大百科事典
ずいよう)》など20余にのぼり,奈良へ疎開していた間にも乏しい資料をもとに《花鳥余情》や《日本書紀纂疏》などを著した。81年《江家次第》の御進講のさなかに倒れ,
9. いちじょう‐かねら【一条兼良】
日本国語大辞典
東斎と号す。摂関家の当主として摂政関白等を歴任。その博学多才は当代随一とされた。「歌林良材集」「日本書紀纂疏」「花鳥余情」「樵談治要」「公事根源」「文明一統記」
10. 一条兼良(いちじょうかねら)
日本大百科全書
ひのとみこらの尽力で京都に戻るまでは同地を拠点に学芸面で活躍、『花鳥余情かちょうよせい』『日本書紀纂疏さんしょ』など代表的著作を完成し、伊勢いせ(三重県)、近江
11. 逸文(風土記) 557ページ
日本古典文学全集
て聴講聞書を引くが、省略文。改めて原典から確認引用しているが、なお一部に省略がある。また『日本書紀纂疏』(巻五)でも引いている。『和名抄』郡名に「臼杵 宇須岐」
12. 逸文参考(風土記) 584ページ
日本古典文学全集
大和国之香山

。(一条兼良『
日本書紀纂疏』巻四、四二丁表〈天理図書館善本叢書〉)〈土佐の国〉 土左国号 風土記曰。陰陽二神、交通生
13. いんべのまさみち【忌部正通】
国史大辞典
神皇産霊尊は霊降って生物の魂となる神と説き、三神は一神にして国常立尊と同一理であるとのごとくで、一条兼良の『日本書紀纂疏』の神儒仏一致の立場と異なり、神道を本邦
14. おうのはな【王鼻】
国史大辞典
神社の神幸祭に猿田彦役をつとめるものをいう。鼻の高い猿田彦の面から名付けた。典拠は一条兼良の『日本書紀纂疏』で、天書曰くとして「猿田彦長鼻七尺(中略)今世諸神祭
15. 御ふみ 255ページ
東洋文庫
釈迦の出世のころの人の寿命は百歳である、という説が広くおこなわれ、蓮如と同時代の一 条兼良の『日本書紀纂疏』にも、「賢劫人寿百歳時、釈迦仏出世、其入滅以来、至
16. 御ふみ 278ページ
東洋文庫
る。下古をいわないばあいも ある。「上古」(遠いむかし)と「今」との間の時代。一条兼良『日本書紀纂疏』「古有二三時輔 日二上中下一」。道隠『御文明燈紗』は、
17. こくみんせいしんぶんかけんきゅうじょ【国民精神文化研究所】
国史大辞典
八幡宮文書 (二)壬生官務家日記 3唯一神道名法要集(吉田兼倶)(複製一冊・解説一冊) 4日本書紀纂疏(一条兼良) 5書紀集解(河村秀根)(全五冊) 6先聖先賢
18. 神道名目類聚抄
世界大百科事典
記》《日本書紀》《古語拾遺》《神道五部書》《令義解》《延喜式》《釈日本紀》《神代巻口訳》《日本書紀纂疏》等,多くの書を引用し,当たっているところよりして,かなり
19. 新編 日本思想史研究 村岡典嗣論文選 119ページ
東洋文庫
北畠親房の神皇正統記、元々集、その著と称せらるゝ東家秘伝、忌部正通の神代口訣等を経て、一条兼良の日本書紀纂疏に大成した前期即ち中世の神典研究たる、いづれも神典を
20. じんぎほうてん【神

宝典】
国史大辞典
中臣・卜部氏らの説、郷村の古老の話すところ、さらに『神皇実録』『釈日本紀』『元元集』『二十二社由来』『日本書紀纂疏』などをも参考として記した書。その義直の序に、
21. すくなびこな‐の‐かみ【少名毘古那神】
日本国語大辞典
ヒコは男性の称、ナは敬称で、小男に敬称を付したもの〔少彦名命の研究=喜田貞吉〕。身体の小さい男の意〔日本書紀纂疏・古事記伝〕。(2)スクナを少とするのは第二次生
22. 太平記 271ページ
日本古典文学全集
養ス之ヲ

也」(
日本書紀纂疏上)。『日本書紀』に「奇稲田姫」。不思議に豊かに実る田の女神。「八」は聖なる数。蛇は水の精霊で農業の豊凶
23. 太平記 274ページ
日本古典文学全集
也、天書ニ曰、無名雉ハ者、天之後園神也」(日本書紀纂疏下)。神聖な桂の木。天神は降下の際、桂の側に立つことが多い。隠密なものを探り出す女。「天探女ト云ハ
24. つしまのくに【対馬国】長崎県
日本歴史地名大系
命は津嶋県直等の祖であるとあって、「古事記」ではすべて津島とする。こうした表記について、「日本書紀纂疏」が「対馬和訓猶言津也、海津之所有之嶋也」とするのをはじめ
25. 日本書紀
世界大百科事典
宴和歌》として残された。鎌倉時代には最初の総合的な注釈書として《釈日本紀》,室町時代には《日本書紀纂疏》が書かれたものの,考証学的な研究は近世に入ってからであり
26. にほんしょきつうしょう【日本書紀通証】
国史大辞典
その箇所の首尾のみをあげる。先行の註釈として『釈日本紀』、忌部正通の『神代口訣』、北畠親房、『日本書紀纂疏』、卜部兼倶、度会延佳、新井白石、山崎闇斎らの垂加神道
27. みしまたいしゃ【三嶋大社】画像
国史大辞典
が行われた。前者は鎌倉時代の『東関紀行』をはじめ『源平盛衰記』『釈日本紀』『二十一社記』『日本書紀纂疏』などにみえ、後者は平田篤胤の『古史伝』に記されている。篤
28. 邪馬臺国論考 1 51ページ
東洋文庫
宋版通典本文には、 安帝永初元年、倭面土国王師升等、献二生貝とあり、それから、一条兼良の日本書紀纂疏には、後漢書東夷伝の本文を引き、 東漢書日、安帝永初元年
29. 邪馬臺国論考 1 53ページ
東洋文庫
ら、実に同一時代の刊本でも、後漢書と通典とではかような相違があった訳である。されば、翰苑や日本書紀纂疏などに、「倭面上国」とある後漢書の本文も、また「倭面土国」
30. ゆいいつしんとう【唯一神道】
国史大辞典
唯一神道の学問基盤は『日本書紀』『中臣祓』を拠とする家学にあり、その思想形成には、一条兼良の『日本書紀纂疏』や賀茂在盛・清原宗賢・小槻雅久、それに桃源瑞仙・横川
31. わ‐くん【和訓・倭訓】
日本国語大辞典
〔名〕漢字・漢語の持っている意味に当てた、やまとことばによるよみ。読み。国訓。訓。*
日本書紀纂疏〔1455~57〕一・綱領「和訓有

本末
32. 1456年〈康正2 丙子〉
日本史年表
『錦繍段』 を編集。 この頃 東常縁 『東野州聞書』 成るか。 康正年間 一条兼良 『日本書紀纂疏』 成るか。 【死没】 8・29 後崇光院(85)。