1. 墾田永年私財法
日本大百科全書
三世一身法の後を受けて、20年後の743年(天平15)に発布された古代の土地法。三世一身法に存した三世とか一身とかの占有期間の制限を外し、墾田は永久に私有地とす
2. 墾田永年私財法
世界大百科事典
しかし収公の期限が近づくと耕作の意欲が衰え,そのために荒廃する田もでてきたので,743年に墾田永年私財法を定め,三世一身法による収公期限を廃止し,墾田は永年(い
3. こんでんえいねんしざいほう【墾田永年私財法】
国史大辞典
「三世一身」という期限付きで公認したが、それは同時に墾田の収公方法を明確にしたともみられる。墾田永年私財法は、三世一身の法で定められた収公期限を廃止し、墾田は「
4. 墾田永年私財法
日本史年表
743年〈天平15 癸未〉 5・27 墾田を私財とし、位階に応じた面積の墾田私有を認める( 墾田永年私財法 )(続紀)。
5. えいせいしざいほう【永世私財法】
国史大辞典
⇒墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)
6. えい‐たい【永代】
日本国語大辞典
明示する語として用いられた。(2)養老七年(七二三)の三世一身法、天平一五年(七四三)の墾田永年私財法の発布以後、土地私有が公認され、田地の売買も行なわれるよう
7. 開発
世界大百科事典
再び有利・有益・有主の場とするための重要な行為として意義づけされたのである。すでに律令制のもとでも墾田永年私財法によって私的な開墾とその私有権が認められ,また荒
8. きよせし【清瀬市】東京都地図
日本歴史地名大系
〔古代〕律令制下の当市域は多摩郡に含まれていたとみられる。この時期の遺跡は三世一身の法とそれに続く墾田永年私財法が公布され、開墾の奨励とともに土地の私有化が認め
9. 行基
世界大百科事典
めともいう。しかし政府は行基の土木技術や,庶民を動員する力量を利用するため,三世一身法や墾田永年私財法発布の過程で731年伝道禁圧をゆるめ,743年紫香楽(しが
10. ぎょうき【行基】
日本架空伝承人名事典
めともいう。しかし政府は行基の土木技術や、庶民を動員する力量を利用するため、三世一身法や墾田永年私財法発布の過程で七三一年伝道禁圧をゆるめ、七四三年紫香楽(しが
11. けいざい【経済】 : 古代
国史大辞典
耕地の占有(少なくとも終身)といった形態にあった。その国家的土地所有(公地制)は、天平十五年(七四三)の墾田永年私財法以降、墾田を中心とする耕地私有の進行によっ
12. 解
世界大百科事典
て作成されている。土地の売券も初期には解の様式によっていた。これは古代における土地売買が墾田永年私財法発布後といえども,すべて官司の許可が必要だったからである。
13. 公地公民
世界大百科事典
〈官の直属民〉ではなかった。田地についても,律令とは異なり口分田を公田とする公の観念が,墾田永年私財法の施行された8世紀中ごろから生じてくるが,そのような公田の
14. こうち‐こうみん【公地公民】
日本国語大辞典
奈良時代には過重な負担からのがれて浮浪し逃亡する公民が後をたたず、一方、天平一五年(七四三)墾田永年私財法によって土地公有の原則がくずれ、ここに公地公民制の崩壊
15. 公田
世界大百科事典
とも736年(天平8)以降は都に送られて穀倉院の倉庫に集積された。 公田概念は743年の墾田永年私財法の発布を契機として変化し,永年私財田として認められた田が私
16. こうでん【公田】
国史大辞典
寺開田地図であり、口分田が公田と明示される直接の契機となったのは、天平十五年(七四三)の墾田永年私財法であったと推測される。すなわち永年私財法によって、墾田が班
17. こうでん【公田】 : 公田/(一)
国史大辞典
寺開田地図であり、口分田が公田と明示される直接の契機となったのは、天平十五年(七四三)の墾田永年私財法であったと推測される。すなわち永年私財法によって、墾田が班
18. 校田
世界大百科事典
そのほか必要に応じて随時行い,また巡察使の職掌の一部として行うこともあった。743年(天平15)の墾田永年私財法の発布後は,班田収授に際してこの校田の結果を確定
19. こうでん【校田】
国史大辞典
随時必要に応じて行い、また巡察使の職掌の一部として行われることもあった。天平十五年(七四三)の墾田永年私財法発布以後は、この校田が一層重要性を増したが、同時にそ
20. 国免荘
日本大百科全書
が免除された荘園をいう。もともと未墾地の開発の認可は、三世一身法さんぜいいっしんのほう、墾田永年私財法以来、国司(国衙こくが)の権限に属しており、しかも墾田は元
21. こ‐けん【沽券】
日本国語大辞典
(1)養老七年(七二三)の三世一身の法、天平一五年(七四三)の墾田永年私財法の発布以後、土地の私有が公認されるようになり、田地の売買も認められるようになった。し
22. こだい【古代】画像
国史大辞典
初年を中心とする前後の時期は、一方では養老七年の三世一身の法からさらに進んで天平十五年の墾田永年私財法が出された時期であり、また同時に一方では公出挙(くすいこ)
23. こだい【古代】 : 古代/(三)
国史大辞典
国司の在任中の開墾―営種権法以外の墾田法については、令規定の存否と展開に論議があるが、天平十五年(七四三)墾田永年私財法により、その永代私有権が認められた。以後
24. 古代社会
世界大百科事典
律令法によって農民に支給された口分田や,8世紀の後半からみとめられるようになった(743年,墾田永年私財法による)私有の墾田の経営も,この倉庫を中心とする循環を
25. 古代社会(歴史)
日本大百科全書
許さぬ公地主義の修正であるが、それでは墾田開発の意欲をそそるに足らなかった。そこで743年(天平15)に墾田永年私財法を発布した。これは、開墾には国司の許可のも
26. こだいたいかのかいしんいご【古代―大化改新以後―】 : 法
国史大辞典
格による律令の改廃は、この『養老律令』施行以前からみられ、養老七年の三世一身の法、天平十五年(七四三)の墾田永年私財法などはその典型的な事例である。わが国では、
27. 墾田
日本大百科全書
開墾が本格的に行われるようになったのは、723年の三世一身法以後、ことに743年(天平15)の墾田永年私財法以降のことである。この後、墾田は増加の一途をたどり、
28. 墾田
世界大百科事典
郡司が在地首長と協力して大規模な条里制開発を行うが,同時に開墾奨励策として,三世一身法や墾田永年私財法が施行された。国家的な開墾事業は,律令国家の衰退とともにし
29. こんでん【墾田】
国史大辞典
は、墾田の田主権を公認するのと同時に、その収公の時期を明示したが、天平十五年(七四三)の墾田永年私財法では、墾田を私財として永年収公しないことにした。ここに「墾
30. こんでんきんしれい【墾田禁止令】
国史大辞典
宝亀三年(七七二)十月に廃止され、墾田永年私財法が復活した(ただし墾田永年私財法のうち、墾田地の面積に制限を付した規定は、このとき廃止された可能性が強い)。→墾
31. こんでんちけいしょうえん【墾田地系荘園】
国史大辞典
独立した概念として定着するに至った。養老七年(七二三)の三世一身の法、天平十五年(七四三)の墾田永年私財法の発布を契機として、墾田開発は体制的に承認され、ことに
32. さんぜいっしんのほう【三世一身の法】
国史大辞典
減退して開墾田が荒廃することもあったので、天平十五年(七四三)には開墾田を永年私財とする墾田永年私財法が出された。三世一身の法から永年私財法の施行までは、わずか
33. 三世一身法
世界大百科事典
もあったので,743年(天平15)には,三世一身の収公期限を廃止して墾田を永年私財とする墾田永年私財法が出された。吉田 孝 墾田
34. 散田
世界大百科事典
直属地といわれる理由もここにある。こうした散田に対する権利の淵源は743年(天平15)の墾田永年私財法にさかのぼりうる。令制下においては寺田・神田は不輸租田=公
35. 塩山
世界大百科事典
743年(天平15)の墾田永年私財法が出るころから,寺院の資財帳などに塩山(焼塩山,取塩木山,山)40町歩ないし250町などという記載がみられる。その山とともに
36. ししょうず【四証図】
国史大辞典
条里の一条を一巻とした作成方式により、全国的に統一実施された最初の班田図であり、また天平十五年墾田永年私財法発布直前の班田図であったことによる。天平勝宝七歳証図
37. 私田
日本大百科全書
位田、功田、賜田、墾田、口分田くぶんでんなどが私田とされていた。しかし743年(天平15)の墾田永年私財法が発令されると、しだいに私田=墾田という観念が一般化し
38. しでん【私田】
国史大辞典
、寺田や闕官田や乗田などの無主田を公田とする概念と対応した。しかし天平十五年(七四三)の墾田永年私財法の発布によって、永代私有の認められた墾田が出現すると、前述
39. 賜田
日本大百科全書
くがんちなどが多く支給され、また被支給者は親王・内親王が中心となった。この空閑地などには墾田永年私財法が適用されたから、これらの賜田は私財として伝領され、やがて
40. 荘園
日本大百科全書
世紀末の太閤たいこう検地まで、の3期に区分される。永原慶二初期荘園743年(天平15)の墾田永年私財法こんでんえいねんしざいほうを転機として、8世紀後半以降、中
41. 荘園
世界大百科事典
に対する統制を強化すべく,723年(養老7)の三世一身法につづいて,743年(天平15)墾田永年私財法を発した。この法は位階に則した墾田制限額を定めているが,東
42. しょうえん【荘園】画像
国史大辞典
養老七年(七二三)に三世一身の法を実施したが、その効果は挙がらなかった。そこで天平十五年(七四三)墾田永年私財法を施行した。これには、開発地の占定には国司の許可
43. しょきしょうえん【初期荘園】
国史大辞典
土地私有の直接の契機となったのは和銅四年(七一一)の空閑地開発許可の詔、天平十五年(七四三)の墾田永年私財法の発令で、特に後者の比重は大きなものがあった。天平勝
44. 続日本紀 2 114ページ
東洋文庫
国司が在任中の場合の墾田は、すべて前格 (本書1天平元年十一月七日条参照)〔の規定〕 に従え。(以上を「墾田永年私財法」と呼ぶ) 丙寅(二十八日) 諸国司らが旧
45. 続日本紀 2 128ページ
東洋文庫
りの規定による開墾地返還の時期が迫ってきた 農家が少なくなかったのであろう。七 墾田永年私財法 この詔は、律令体制の基本 である土地公有の原則に反して土地の私
46. 続日本紀 3 159ページ
東洋文庫
丙申(五日) 〔天皇はつぎのように〕勅した。 今、聞くところによれば、墾田は天平十五年 の格(墾田永年私財法)によって、任意に〔開 墾者の〕私有の財産とし、〔
47. 寺田
日本大百科全書
れる。令りょうの規定では、官人や百姓が寺院に田地を施入・売与することは禁じられていたが、墾田永年私財法発令(743)以後、寺院は開墾・買得などにより積極的に寺田
48. 条里制画像
日本大百科全書
坊(坪)のごとく、郡ごとに数字による条と里の地番法が導入される。この新たな条里地番法は、墾田永年私財法こんでんえいねんしざいほうという土地政策に応じて耕地の位置
49. じりょう【寺領】
国史大辞典
おいても、なお寺封は存続した。一方、大化改新で廃止を免れた寺田も、天平十五年(七四三)の墾田永年私財法と天平勝宝元年(七四九)、東大寺大仏開眼を記念して、東大寺
50. せいりつ【成立】 : 荘園
国史大辞典
養老七年(七二三)に三世一身の法を実施したが、その効果は挙がらなかった。そこで天平十五年(七四三)墾田永年私財法を施行した。これには、開発地の占定には国司の許可