1. あんせい の 大獄(たいごく)
日本国語大辞典
安政五年(一八五八)大老井伊直弼(なおすけ)が、尊王攘夷派に対して行なった大弾圧。日米通商条約を勅許を得ないで調印したことや、将軍の後継者を家茂(いえもち)に定
2. 安政の大獄画像
日本大百科全書
鷹司家家来三国大学みくにだいがく、青蓮院宮家来伊丹蔵人いたみくろうど(以上中追放)らがいる。 この安政の大獄を断行した井伊は、政治は朝廷から幕府が委任されている
3. 安政の大獄
世界大百科事典
このほか,逮捕者のすべてが処罰をうけた。翌60年3月,井伊が江戸城桜田門外で殺害されたのは(桜田門外の変),安政の大獄での水戸藩に対する強い弾圧と,水戸藩に勅諚
4. あんせいのたいごく【安政の大獄】
国史大辞典
安政五戊午年(一八五八)から翌年にかけて、大老井伊直弼が将軍継嗣・条約調印の二問題に反対した尊攘派に下した弾圧。戊午の大獄ともいう。十三代将軍徳川家定は凡庸な
5. 安政の大獄
日本史年表
9・7( 10・13 ) 小浜藩浪士 梅田雲浜 、京都で逮捕.以後、尊攘派志士が続々と逮捕され、 安政の大獄 始まる(維新史料綱要)。
6. 安政の大獄処罰者一覧[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
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7. 青木周蔵自伝 15ページ
東洋文庫
藤曲村字北条にあった名和田作兵衛方へ移り、 庭に仙人堂のある家で開業した。三 安政六年(一八五九)十月、安政の大獄で斬られた時の辞世の詩。 「排レ雲欲三手掃二
8. あおまつばじけん【青松葉事件】
国史大辞典
名古屋藩が新時勢に乗りおくれないために行なった藩論統一のための非常措置。文久二年(一八六二)四月、安政の大獄による前藩主徳川慶勝の謹慎がとかれると、東海道筋の大
9. あかねたけと【赤根武人】
国史大辞典
る。安政三年(一八五六)吉田松陰の門に入り、翌年来藩した梅田雲浜に従って上京、同五年雲浜が安政の大獄に連座するや、その救出を策して幕吏に捕えられた。のち許されて
10. 赤松則良半生談 幕末オランダ留学の記録 41ページ
東洋文庫
明る年は、大老井伊掃部頭(直弼)が国家の秩序を維持する為めに興された後世所謂戊午の大獄〔安政の大獄〕や、将軍家定公(温恭院殿)薨去の如き大事件のあった安政五年
11. 朝彦親王
世界大百科事典
院の門跡となる。法名は尊融(初め尊応)。安政の大獄に座して永蟄居の処分を受けたが,1862年(文久2)国事御用掛となって朝政に参画,翌年特旨に
12. あさひこしんのう【朝彦親王】
国史大辞典
水戸藩士らの働きかけもあって、親王は条約勅許に反対し、将軍継嗣には一橋慶喜を嘱望した。このため安政の大獄が起ると、同六年二月慎に、同年十二月隠居、永蟄居に処せら
13. 安島帯刀
世界大百科事典
将軍に立てるため福井藩士中根雪江らと画策,同年戊午(ぼご)の密勅事件が起こると幕府の嫌疑を受けて安政の大獄に連座,翌年切腹を命じられた。鈴木 暎一
14. あじま‐たてわき【安島帯刀】
日本国語大辞典
江戸末期の水戸藩の側用人(そばようにん)。名は信立。安政の大獄で藩主徳川斉昭の謹慎中、執政として活躍したが、幕府改革の密勅を得た責任を幕府から問われ、自刃。文化
15. あじまたてわき【安島帯刀】
国史大辞典
将軍継嗣決定のことから、朝廷は同年八月密勅を水戸藩に賜わった。これがため幕府の嫌疑を受けて安政の大獄に連坐し、翌六年四月二十六日評定所に召喚されて訊問され、即日
16. あじま-たてわき【安島帯刀】
日本人名大辞典
将軍継嗣では一橋慶喜(よしのぶ)擁立を画策し,攘夷(じょうい)の密勅が水戸藩にくだると,その責任者として安政の大獄で幕府に捕らえられ,安政6年8月27日切腹。4
17. あべ-せいべえ【阿部清兵衛】
日本人名大辞典
尾張(おわり)名古屋藩士。天保(てんぽう)14年藩校明倫堂教授,ついで藩の督学兼侍読となる。安政の大獄の際,大老井伊直弼(なおすけ)と対立した藩主徳川慶勝(よし
18. あゆざわ-いだゆう【鮎沢伊太夫】
日本人名大辞典
文政7年生まれ。高橋多一郎の弟。常陸(ひたち)水戸藩士。藩校弘道館舎長をへて,勘定奉行となる。安政の大獄で豊後(ぶんご)(大分県)佐伯(さいき)藩に禁固。のち天
19. 有村次左衛門
世界大百科事典
江戸後期の薩摩藩士。諱(いみな)は兼清。海江田(かえだ)信義の弟。水戸藩士高橋多一郎らと安政の大獄に反発して尊王攘夷の義兵を挙げようと謀り,その手初めに186
20. 安政五か国条約
日本大百科全書
た。勅許を待たない井伊の専断は、朝廷と結び付いた尊王そんのう攘夷運動を刺激する結果となり、安政の大獄たいごく(1859)、井伊暗殺(桜田門外の変。1860)に始
21. 安政の改革
日本大百科全書
条約へと開国を余儀なくされ、これと第13代将軍の継嗣けいし問題とが絡んで井伊いい大老による安政の大獄となり、幕藩体制の矛盾を一段と激化させるに至った。雄藩におい
22. 安藤信正
世界大百科事典
治を動かし,幕府と朝廷や尊王攘夷派との対立を緩和するための諸政策をとった。まず60年9月,安政の大獄で処罰された徳川慶勝,一橋慶喜,松平慶永,山内豊信の謹慎を解
23. あんどうのぶまさ【安藤信正】
国史大辞典
ついで十二月本役に進み、安政三年(一八五六)十二月対馬守を称した。同五年八月若年寄となり、翌六年八月安政の大獄に連坐して幕譴を蒙った水戸藩を督することになり、大
24. いいずみ-きない【飯泉喜内】
日本人名大辞典
収集して京都におくる。安政5年別件で逮捕され,押収された書類から大量の捕縛者をだし,これが安政の大獄の引き金となった。安政6年10月7日橋本左内らとともに処刑さ
25. いいたいろう【井伊大老】
歌舞伎事典
長野主膳=島田正吾で初演、三年後に歌舞伎俳優によっても上演され、以後両者で重演されている。安政の大獄で攘夷派を弾圧した井伊大老は、勤皇派に命をねらわれ、不忠不義
26. いいだただひこ【飯田忠彦】
国史大辞典
天保五年(一八三四)に大坂に帰り、有栖川宮家、中宮寺宮家に仕えた。このころから時事を論じ、安政の大獄起るや幕府の譴責を受けて江戸の獄に下った。のち赦されて京都深
27. いいだ-ただひこ【飯田忠彦】
日本人名大辞典
嘉永(かえい)5年「野史(やし)」291巻を完成する。また有栖川宮(ありすがわのみや)家につかえ,安政の大獄に連座し謹慎処分となる。桜田門外の変に関与した嫌疑を
28. 井伊直弼画像
日本大百科全書
火がついた。幕府の危機をみてとった直弼は徹底した弾圧策をとり、翌1859年にかけていわゆる安政の大獄を引き起こした。直弼の論理は大政委任を受けた幕府が「臨機の権
29. 井伊直弼
世界大百科事典
画策した反対派の勢力に,徹底した弾圧を加えることを決意した。この弾圧が58年9月から59年10月にわたった〈安政の大獄〉である。公卿とその家臣,大名とその家臣,
30. いい‐なおすけ【井伊直弼】
日本国語大辞典
さらに徳川第一三代将軍家定の後継者に慶福(よしとみ=家茂)を立て、反対派の諸大名、公卿、武士たちを弾圧して安政の大獄を起こす。のち水戸・薩摩の浪士らに江戸城桜田
31. いいなおすけ【井伊直弼】
国史大辞典
報道に惑わされ、反対派の運動を水戸藩の陰謀と信じ、九月近藤茂左衛門・梅田雲浜の逮捕を契機に安政の大獄を断行、翌六年にかけて反対派の諸侯・有司・志士を厳罰したほか
32. いい-なおすけ【井伊直弼】
日本人名大辞典
))にきめた。一橋慶喜(ひとつばし-よしのぶ)を推して反対する斉昭ら一橋派や尊攘派を弾圧(安政の大獄)したため,桜田門外で安政7年3月3日水戸・薩摩の浪士らに暗
33. いいなおすけ【井伊直弼】
日本架空伝承人名事典
画策した反対派の勢力に、徹底した弾圧を加えることを決意した。この弾圧が五八年九月から五九年一〇月にわたった「安政の大獄」である。公卿とその家臣、大名とその家臣、
34. 井伊直弼[文献目録]
日本人物文献目録
末の青年首相井伊直弼』今堀文一郎『柳王余光』井伊大老史実研究会(編)『井伊直弼』吉田常吉『安政の大獄 井伊直弼と吉田松陰』永江新三『安政七年三月井伊侯殺害当時の
35. 池内大学
世界大百科事典
将軍継嗣問題では一橋慶喜の擁立を図り,戊午(ぼご)の密勅にも関与して〈悪謀の四天王〉の一人と目され,安政の大獄が起こると一時難を伊勢に避けたが,やがて自首。中追
36. いけうち-だいがく【池内大学】
日本人名大辞典
主張し,三条実万(さねつむ)と水戸藩とを仲介。将軍継嗣問題では一橋慶喜(よしのぶ)を支持する。安政の大獄で自首し,これを裏切りとみた尊攘派に文久3年1月23日暗
37. いけがみ-はやのすけ【池上隼之助】
日本人名大辞典
日向(ひゅうが)(宮崎県)佐土原(さどはら)藩士。上原立斎,梅田雲浜(うんぴん)にまなぶ。安政の大獄の際に徳川斉昭(なりあき)に面会をもとめて失敗,幽閉される。
38. いけだもちまさ【池田茂政】
国史大辞典
生まれ、嘉永元年(一八四八)八月忍藩主松平忠国の養子となり、民部大輔忠矩といったが、斉昭が安政の大獄に連坐したため、安政六年(一八五九)十一月幕府より離籍を命ぜ
39. いさ-たのも【伊佐頼母】
日本人名大辞典
郡(つづきぐん)上津屋(こうづや)村の庄屋役となる。茶業を振興し,公共事業にも力をそそぐ。安政の大獄に連座した実万をかくまい,のち出家した実万につかえた。明治1
40. いたくらかつきよ【板倉勝静】
国史大辞典
奉行を兼ね、安政の大獄の五手掛となったが、寛大な処分を主張して同六年二月罷免された。文久元年(一八六一)二月奏者番兼寺社奉行に復し、翌二年三月老中に進み、生麦事
41. いたくら-かつきよ【板倉勝静】
日本人名大辞典
板倉勝職(かつつね)の養子。嘉永(かえい)2年備中(びっちゅう)(岡山県)松山藩主板倉家7代となる。安政の大獄で井伊直弼(なおすけ)に反対して寺社奉行を罷免され
42. いちじょうただか【一条忠香】
国史大辞典
老中間部詮勝が入京して圧力をかけると、十月には九条関白の辞職を朝議によってとどめた。翌六年二月安政の大獄に連坐、十日の慎に処せられたが、三月近衛忠煕辞職のあとを
43. いのう-ゆうおう【伊能友鴎】
日本人名大辞典
安政3年伊予(いよ)(愛媛県)宇和島藩若年寄となり,一橋派の藩主伊達宗城(むねなり)の活動を補佐。安政の大獄で重追放処分をうけた。隠居を命ぜられた宗城から「伊達
44. いまづまち【今津町】兵庫県:高砂市/高砂町
日本歴史地名大系
天保一三年には禄一〇〇石を給された(高砂誌)。子狷介(白華)は松塢を継ぎ、同一一年から江戸昌平黌に学び、安政の大獄で捕らえられたが、出獄後には藩校好古堂(現姫路
45. いまむら-ぶんご【今村文吾】
日本人名大辞典
。京都で医術を山脇東洋の孫の東海に,儒学を岩垣東園にまなぶ。のち自宅に私塾晩翠堂をひらく。安政の大獄で追われた人々をかくまい,天誅(てんちゅう)組に軍資金を提供
46. うえまつしげおか【植松茂岳】
国史大辞典
のち藩主の侍講となり、『尾張志』の撰述、『古事記』・六国史の校合、熱田文庫の建設、真福寺本の調査にあたる。安政の大獄に連坐、文久二年(一八六二)職禄を復し、明治
47. うえまつ-しげおか【植松茂岳】
日本人名大辞典
天保(てんぽう)6年から尾張(おわり)名古屋藩の藩校明倫堂でおしえ,安政2年藩主徳川慶勝の侍講となる。安政の大獄で幽閉。文久2年ゆるされ,のち明倫堂国学教授。明
48. うがい‐きちざえもん【鵜飼吉左衛門】
日本国語大辞典
幕末の水戸藩士。尊攘運動に奔走し、幕府刷新を求める戊午(ぼご)の密勅を得る。安政の大獄で、子、幸吉とともに刑死。寛政一〇~安政六年(一七九八~一八五九)
49. うがい-きちざえもん【鵜飼吉左衛門】
日本人名大辞典
常陸(ひたち)水戸藩の京都留守居役。藩にくだされた戊午(ぼご)の密勅にかかわる中心人物のひとり。この密勅が安政の大獄のきっかけとなり,幕府に捕らえられて安政6年
50. うがい-こうきち【鵜飼幸吉】
日本人名大辞典
として父をたすける。安政5年藩にくだされた戊午(ぼご)の密勅を江戸小石川の藩邸にとどけた。安政の大獄で幕府に捕らえられ,6年8月27日処刑された。32歳。名は知