ジャパンナレッジは約1500冊以上の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書」サービスです。
➞ジャパンナレッジについて詳しく見る
  1. トップページ
  2. >
  3. カテゴリ一覧
  4. >
  5. 文化
  6. >
  7. 伝統芸能・芸能
  8. >
  9. 浄瑠璃
  10. >
  11. 双蝶々曲輪日記

双蝶々曲輪日記

ジャパンナレッジで閲覧できる『双蝶々曲輪日記』の歌舞伎事典・日本大百科事典・世界大百科事典のサンプルページ

新版 歌舞伎事典

双蝶々曲輪日記
ふたつちょうちょうくるわにっき
 人形浄瑠璃。世話物。九段。寛延二(1749)年七月大坂・竹本座初演。竹田出雲・三好松洛・並木千柳合作。《摂陽奇観》にある角力取の濡れ紙長五郎が、武士を殺害した罪で捕らわれた事件に拠っているらしい。角書に「関取濡髪/名取放駒」とあり、〈長〉の字を名にもつ二人の力士、濡髪長五郎と放駒長吉を主人公としたので、《双蝶々》の名題がつけられた。享保三(1718)年正月大坂・竹本座初演の近松門左衛門作《山崎与次兵衛寿の門松》の山崎与次兵衛の世界をかり、享保一〇年正月大坂・豊竹座の《昔米万石通》(西沢一風・田中千柳合作)を粉本にしている吾妻与次兵衛物の一作である。遊女吾妻とその相手山崎与五郎、遊女都とその情人南与兵衛の二組が交錯しながら主筋が展開し、二組の駆落ちをめぐって、与五郎がひいきの人気力士の濡髪長五郎をからませ、喧嘩・殺し・濡れ場・意見事・道行と続く。歌舞伎に移されてからは、二段目の〈角力場〉と八段目の〈引窓〉が人気を呼び、現在でもよく上演されている。角力場では、長五郎が、与五郎と吾妻のために、敵役が肩入れをしている放駒長吉に、わざと角力を負けてやるが、長吉は長五郎の申入れをことわり、喧嘩となる。力士同士の角力場の喧嘩達引が一つの見せ場となっている。〈引窓〉では、心ならずも人殺しをした長五郎が、実母のところに逃げてくるが、母は南与兵衛の父のもとへ後妻に嫁いだため、南与兵衛あらため南方十次兵衛の義母になっている。十次兵衛は与力で、長五郎を捕らえねばならない立場にあり、母は十次兵衛妻おはや(前身は遊女都)とともに長五郎をかくまっているので、そこに義理にからんだ葛藤が生じる。天窓の明りを利用した時間の経過のなかで、義理の親子・兄弟・夫婦の人情の機微がよく描かれていて、情愛深い見せ場となっている。母親が長五郎の前髪を剃り、人相を変えて逃がそうとし、十次兵衛が手裏剣で長五郎の片頬のほくろを落とす手順などがそれである。歌舞伎では、同じ寛延二年八月に京・布袋屋梅之丞座で上演され、宝暦三(1753)年五月に大坂・三枡大五郎座(角)、安永三(1774)年九月に江戸・中村座で上演され、いずれも好評を博した。書替狂言も多く、文化五(1808)年正月江戸・市村座の《春商恋山崎》や文化七(1810)年八月市村座の《当龝八幡祭できあきやわたまつり》など、四世鶴屋南北作のものもある。
[向井 芳樹]


日本大百科全書(ニッポニカ)

双蝶々曲輪日記
ふたつちょうちょうくるわにっき

浄瑠璃義太夫節 (じょうるりぎだゆうぶし)。世話物。九段。竹田出雲 (いずも)・三好松洛 (みよししょうらく)・並木千柳 (せんりゅう)合作。1749年(寛延2)7月、大坂・竹本座初演。享保 (きょうほう)年間(1716~36)に実在したという力士濡髪 (ぬれがみ)長五郎の事跡を、近松門左衛門作の『寿門松 (ねびきのかどまつ)』の登場人物を絡ませて脚色。名題 (なだい)の「双蝶々」は長五郎と長吉という2人の力士の名を示している。大坂名代の力士濡髪長五郎が恩人の子山崎与五郎とその恋人の吾妻 (あづま)のために奔走する話で、これに米屋の息子の力士放駒 (はなれごま)長吉とその姉おせき、山崎の家来筋の南与兵衛 (なんよへえ)とその愛人遊女都 (みやこ)(のち女房お早)などが絡む。とくに有名なのは二段目「角力場 (すもうば)」と八段目「引窓 (ひきまど)」で、歌舞伎 (かぶき)でもしばしば上演される。「角力場」は、吾妻が西国 (さいこく)の侍平岡郷左衛門に身請けされそうになるので、濡髪が平岡の後援する放駒との相撲 (すもう)に勝ちを譲り、吾妻身請けの延期を頼むが、放駒が拒否して喧嘩 (けんか)別れになるまで。相撲場付近の情景描写と両力士の対照の妙によって、短いながら見ごたえがある。「引窓」は、平岡たちを殺して御尋ね者になった濡髪が、八幡 (やはた)の里の実母を訪れる場面。母はその家の当主南与兵衛の亡父の後妻で、与兵衛は親の名南方十次兵衛 (なんぽうじゅうじべえ)を継ぎ、濡髪捕縛の役人に任命されたが、義母の心を察し、義弟を救うためにお早とともに苦心する。濡髪が覚悟を決めて母の手で引窓の縄にかかると、与兵衛はその縄を切り、差し込む月光を夜明けに見立て、昼間は自分の役目でないといって濡髪を逃がしてやるという筋。引窓をかせに展開される舞台技巧と秋の詩情、登場人物間の義理と人情の絡み合いの描写が優れている。

[松井俊諭]



世界大百科事典

双蝶々曲輪日記
ふたつちょうちょうくるわにっき

人形浄瑠璃。世話物。9段。1749年(寛延2)7月大坂竹本座初演。竹田出雲,三好松洛,並木千柳(並木宗輔)合作。《摂陽奇観》にある角力取の濡れ紙長五郎が,武士を殺害した罪で捕らわれた事件に拠っているらしい。角書に〈関取濡髪名取放駒〉とあり,〈長〉の字を名に持つ2人の力士,濡髪長五郎と放駒長吉を主人公としたので,《双蝶々》の名題がつけられた。1718年(享保3)正月大坂竹本座初演の近松門左衛門作《山崎与次兵衛寿の門松》の山崎与次兵衛の世界をかり,25年正月大坂豊竹座の《昔米万石通》(西沢一風,田中千柳合作)を粉本にした吾妻与次兵衛物の一作である。遊女吾妻とその相手山崎与五郎,遊女都とその情人南与兵衛の2組が交錯しながら主筋が展開し,2組の駆落ちをめぐって,与五郎がひいきの人気力士の濡髪長五郎をからませ,喧嘩,殺し,濡れ場,意見事,道行と続く。

 歌舞伎に移されてからは,二段目の〈角力場〉と八段目の〈引窓〉が人気を呼び,現在でもよく上演されている。角力場では,長五郎が,与五郎と吾妻のために,敵役が肩入れをしている放駒長吉にわざと角力を負けてやるが,長吉は長五郎の申入れをことわり喧嘩となる。力士同士の角力場の喧嘩達引(たてひき)が一つの見せ場となっている。〈引窓〉では,心ならずも人殺しをした長五郎が,実母のところに逃げてくるが,母は南与兵衛の父のもとへ後妻に嫁いだため,南与兵衛あらため南方十次兵衛の義母になっている。十次兵衛は与力で長五郎を捕らえねばならない立場にあり,母は十次兵衛妻おはや(前身は遊女都)とともに長五郎をかくまっているので,そこに義理にからんだ葛藤が生じる。天窓の明りを利用した時間の経過のなかで,義理の親子,兄弟,夫婦の人情の機微がよく描かれていて,情愛深い見せ場となっている。母親が長五郎の前髪を剃り,人相を変えて逃がそうとし,十次兵衛が手裏剣で長五郎の片頰のほくろを落とす手順などがそれである。歌舞伎では,同じ1749年8月に京の布袋屋梅之丞座で上演され,53年(宝暦3)5月に大坂三枡大五郎座(角の芝居),74年(安永3)9月に江戸中村座で上演され,いずれも好評を博した。書替狂言も多く,1808年(文化5)正月江戸市村座の《春商恋山崎(はるあきないこいのやまざき)》や10年8月市村座の《当龝八幡祭(できあきやわたまつり)》などがある。
[向井 芳樹]

[索引語]
竹田出雲(2世) 三好松洛 並木宗輔 濡髪長五郎 放駒長吉 春商恋山崎(はるあきないこいのやまざき) 当龝八幡祭(できあきやわたまつり)
上記は、日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書サービス「ジャパンナレッジ」のサンプル記事です。

ジャパンナレッジは、自分だけの専用図書館。
すべての辞書・事典・叢書が一括検索できるので、調査時間が大幅に短縮され、なおかつ充実した検索機能により、紙の辞書ではたどり着けなかった思わぬ発見も。
パソコン・タブレット・スマホからご利用できます。


双蝶々曲輪日記の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 44
※検索結果は本ページの作成時点のものであり、実際の検索結果とは異なる場合があります
検索コンテンツ
1. 双蝶々曲輪日記
日本大百科全書
浄瑠璃義太夫節じょうるりぎだゆうぶし。世話物。九段。竹田出雲いずも・三好松洛みよししょうらく・並木千柳せんりゅう合作。1749年(寛延2)7月、大坂・竹本座初演
2. 双蝶々曲輪日記
世界大百科事典
人形浄瑠璃。世話物。9段。1749年(寛延2)7月大坂竹本座初演。竹田出雲,三好松洛,並木千柳(並木宗輔)合作。《摂陽奇観》にある角力取の濡れ紙長五郎が,武士を
3. ふたつちょうちょうくるわにっき【双蝶々曲輪日記】
国史大辞典
。『浄瑠璃名作集』下(『日本名著全集』)などに所収。 [参考文献]国立劇場芸能調査室編『双蝶々曲輪日記・(新古演劇十種の内)茨木』(『国立劇場上演資料集』二五〇
4. ふたつちょうちょうくるわにっき【双蝶々曲輪日記】
歌舞伎事典
 人形浄瑠璃。世話物。九段。寛延二(1749)年七月大坂・竹本座初演。竹田出雲・三好松洛・並木千柳合作。《摂陽奇観》にある角力取の濡れ紙長五郎が、武士を殺害した
5. ふたつちょうちょうくるわにっき[ふたつテフテフくるわニッキ]【双蝶蝶曲輪日記】
日本国語大辞典
浄瑠璃。世話物。九段。竹田出雲、三好松洛、並木宗輔合作。寛延二年(一七四九)大坂竹本座初演。近松門左衛門作「寿門松(ねびきのかどまつ)」による山崎与五郎と藤屋吾
6. 『双蝶々曲輪日記』
日本史年表
1749年〈寛延2 己巳〉 7・‐ 二世竹田出雲・並木千柳・三好松洛合作 『双蝶々曲輪日記』 、大坂竹本座で初演(浄瑠璃譜)。
7. 双蝶々曲輪日記(著作ID:1669358)
新日本古典籍データベース
ふたつちょうちょうくるわにっき 絵本番附 
8. アートな時間 舞台 歌舞伎座 九月大歌舞伎 双蝶々曲輪日記 引窓=小玉祥子
週刊エコノミスト 2020-21
双蝶々(ふたつちょうちょう)曲輪日記(くるわにっき) 引窓(ひきまど)」が上演中だ。 「双蝶々曲輪日記」は、竹田出雲、三好松洛(しょうらく)、並木千柳の合作によ
9. あずまよじべえもの【吾妻与次兵衛物】
歌舞伎事典
石通(むかしごめまんごくどおし)》(西沢一風・田中千柳合作)、寛延二(1749)年七月《双蝶々曲輪日記》(竹田出雲・三好松洛・並木千柳合作)などがそれである。全
10. 吾妻与次兵衛
日本大百科全書
くとおし』(1725・豊竹座)を改作した竹田出雲いずも、三好松洛しょうらく、並木千柳の『双蝶々曲輪日記ふたつちょうちょうくるわにっき』(1749・竹本座)が好評
11. あづま・よじべえ【吾妻・与次兵衛】
日本人名大辞典
」とうたわれた。近松門左衛門の浄瑠璃(じょうるり)「寿(ねびき)の門松」や竹田出雲らの「双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)」などに脚色された。
12. 吾妻与次兵衛物
世界大百科事典
米万石通(むかしごめまんごくどおし)》(西沢一風・田中千柳合作),49年(寛延2)7月《双蝶々曲輪日記(ふたつちようちようくるわにつき)》(竹田出雲・三好松洛・
13. 書替狂言
日本大百科全書
ある特定の作品を観客に意識させながら、それを全面的に書き替えた作品に限られる。『忠臣蔵』や『双蝶々曲輪日記ふたつちょうちょうくるわにっき』『夏祭浪花鑑なつまつり
14. 歌舞伎画像
世界大百科事典
ほどであった。《菅原伝授手習鑑》《仮名手本忠臣蔵》《義経千本桜》をはじめ《夏祭浪花鑑》《双蝶々曲輪日記(ふたつちようちようくるわにつき)》《一谷嫩軍記(いちのた
15. かぶききゃくほん【歌舞伎脚本】
国史大辞典
『義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)』『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』『双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)』、並木宗輔・浅田一鳥・
16. 歌舞伎模様画像
日本大百科全書
(6)三つ大縞 三津五郎縞ともいう。3世坂東三津五郎が文化ぶんか11年(1814)6月、『双蝶々曲輪日記ふたつちょうちょうくるわにっき』で、歌右衛門の芝翫縞に対
17. 芝翫縞画像
日本大百科全書
の俳号「芝翫」にちなんでこの名がついた。彼は1814年(文化11)6月、江戸・中村座の『双蝶々曲輪日記ふたつちょうちょうくるわにっき』で3代目坂東三津五郎と共演
18. 相撲物
世界大百科事典
万石通(むかしごめまんごくどおし)》(西沢一風,田中千柳作)が知られ,これを粉本とした《双蝶々曲輪日記(ふたつちようちようくるわにつき)》(1749年7月大坂竹
19. すもうもの【相撲物】
歌舞伎事典
万石通(むかしごめまんごくどおし)》(西沢一風・田中千柳作)が知られ、これを粉本とした《双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)》(寛延二年七月大坂・竹
20. 世話物
日本大百科全書
んじゅう』『心中天網島てんのあみじま』などの心中物をはじめ、『夏祭浪花鑑なにわかがみ』『双蝶々曲輪日記ふたつちょうちょうくるわにっき』『新版歌祭文しんぱんうたざ
21. せわもの【世話物】
国史大辞典
実際に起った心中事件や情痴のはての殺人事件などを直ちに脚色する一夜漬(いちやづけ)の作品と、『双蝶々曲輪日記』『夏祭浪花鑑』のように相撲取りや侠客を主人公とし、
22. 竹田出雲画像
日本大百科全書
すがわらでんじゅてならいかがみ』『義経千本桜よしつねせんぼんざくら』『仮名手本忠臣蔵』『双蝶々曲輪日記ふたつちょうちょうくるわにっき』などの名作を書き、浄瑠璃の
23. 竹田出雲
世界大百科事典
臣蔵》(1748),《粟島譜嫁入雛形(あわしまけいずよめいりひながた)》(1749),《双蝶々曲輪日記(ふたつちようちようくるわにつき)》(1749)など。(3
24. たけだいずも【竹田出雲】
歌舞伎事典
《仮名手本忠臣蔵》(寛延一年)、《粟島譜嫁入雛形(あわしまけいずよめいりひながた)》(寛延二年)、《双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)》(同年)な
25. 東海道中膝栗毛 467ページ
日本古典文学全集
この図は『摂津名所図会』の「道頓堀歌舞妓戯場、角の二のかはり」を模したもの。名題看板や幟に、「双蝶々曲輪日記」とあるを「道中膝栗毛」に変え、絵もそれに応じて変え
26. なかむらうたえ【中村歌江】[付録]
歌舞伎事典
世中村歌江と改名し、幹部昇進。平成9・4第一六回真山青果賞助演賞。平成13・6国立劇場《双蝶々曲輪日記》の母お幸で優秀賞。平成20文化庁長官表彰、国立劇場《大老
27. なかむらきんのすけ【中村錦之助】[付録]
歌舞伎事典
平成10・4名題適任証取得。平成19・4歌舞伎座《鬼一法眼三略巻‐菊畑》の虎蔵実は牛若丸、《双蝶々曲輪日記》角力場の放駒長吉で二世中村錦之助を襲名。平成21・1
28. なかむらしじゃく【中村紫若】[付録]
歌舞伎事典
平成3・9‐10《葉武列土倭錦絵》のイギリス・アイルランド公演に参加。平成15・1国立劇場《双蝶々曲輪日記》の尼妙林で奨励賞 二世又五郎門下。師の薫陶よろしく落
29. 並木宗輔
世界大百科事典
聖人御法海》),《双蝶々曲輪日記》(1749),《源平布引滝》(1749)と,日本戯曲史上の傑作が次々と生み出された。これ
30. なみきそうすけ【並木宗輔】
歌舞伎事典
《楠昔噺》(延享三年)、《いろは日蓮記》(延享四年江戸・肥前座、現行曲《日蓮聖人御法海》)、《双蝶々曲輪日記》(寛延二年)、《源平布引滝》(同年)と、日本戯曲史
31. 二枚目
世界大百科事典
塗っている色男の役で,この役柄の中に,〈つっころばし〉というコミカルな味わいのより濃い役柄(たとえば《双蝶々曲輪日記》の与五郎)も含まれる。〈二枚目は三枚目の心
32. 引窓
日本大百科全書
双蝶々曲輪日記
33. ひきまど【引窓】
歌舞伎事典
双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)
34. まつもときんじろう【松本錦二郎】[付録]
歌舞伎事典
昭和54 平成19国立劇場第一八期歌舞伎俳優研修修了。同4歌舞伎座《双蝶々曲輪日記》角力場の見物人で初舞台。5新橋演舞場で松本錦二郎を名のる。九世松本幸四郎一門
35. みよししょうらく【三好松洛】
国史大辞典
八月)には、並木千柳(宗輔)、竹田出雲あるいは竹田小出雲とともに名を連ねている。その他『双蝶々曲輪日記』『源平布引滝』、宝暦期に入り『伊達錦五十四郡』『極彩色娘
36. 山崎与次兵衛寿の門松
世界大百科事典
与平と与次兵衛の男同士の心意気の部分が,《昔米万石通(むかしごめまんごくどおし)》を経て《双蝶々曲輪日記(ふたつちようちようくるわにつき)》などの男達(おとこだ
37. やまざきよじべえねびきのかどまつ【山崎与次兵衛寿の門松】
歌舞伎事典
宮古路豊後掾が語ったものである。与平と与次兵衛の男同士の心意気の部分が、《昔米万石通》を経て、《双蝶々曲輪日記》などの男達物の系列に展開してゆき、吾妻与次兵衛物
38. 淀屋辰五郎
世界大百科事典
吾妻の名は,山崎与次兵衛物の世界と辰五郎の世界を結合させる契機ともなり,その後の浄瑠璃《双蝶々曲輪日記(ふたつちようちようくるわにつき)》(1749上演)などへ
39. よどやたつごろう【淀屋辰五郎】
日本架空伝承人名事典
さらに遊女吾妻の名は、山崎与次兵衛物の世界と辰五郎の世界を結合させる契機ともなっており、その後の浄瑠璃『双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)』(一七
40. 1749年〈寛延2 己巳〉
日本史年表
幕府、江戸市中の富突類似の興行を禁止(実紀)。 二世竹田出雲・並木千柳・三好松洛合作 『双蝶々曲輪日記』 、大坂竹本座で初演(浄瑠璃譜)。 8・13 関東大風
41. 家の芸 : 表画像
世界大百科事典
,椀久末松山の椀屋久兵衛,藤十郎の恋の坂田藤十郎,廓文章(くるわぶんしょう)の伊左衛門,双蝶々曲輪日記(引窓)の与兵衛 杏花(きょうか)戯曲十種 2世市川左団次
「双蝶々曲輪日記」の情報だけではなく、「双蝶々曲輪日記」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶

双蝶々曲輪日記と同じ浄瑠璃カテゴリの記事
じょう‐るり[ジャウ‥]【浄瑠璃】(日本国語大辞典)
(1)仏語。清浄、透明な瑠璃。また 清浄なもののたとえ。(2)平曲・謡曲などを源流とする音曲語り物の一つ。室町時代の末に、広く民衆に迎えられた琵琶や扇拍子を用いた新音曲の中、牛若丸と浄瑠璃姫との恋物語を内容とする「浄瑠璃物語(十二段草子)」が流行したところから
古浄瑠璃(国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
竹本義太夫と近松門左衛門の提携による新しい浄瑠璃に対して、それ以前の浄瑠璃をいう。従来、貞享二年(一六八五)竹本座二の替り興行の『出世景清』(近松作)を新浄瑠璃のはじめとする説(『外題年鑑』など)が多く行われた。浄瑠璃史の上ではそのころから完成期に入り
竹本義太夫(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
義太夫節の開祖で、竹本座の創設者。大坂・天王寺村の農家に生まれ、幼名を五郎兵衛という。早くから井上播磨掾の浄瑠璃にあこがれ、播磨の門弟清水理兵衛が『上東門院』を興行した際、そのワキを勤めた。1677年(延宝5)京都四条河原の宇治座『西行物語』に出演して嘉太夫
太夫(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
ある種の芸能人、神職、遊女などの称号または敬称。大夫とも書く。元来は中国の官制に倣った官位の一種で、五位の称である。古代に、五位の者が儀式およびそれに伴う芸能をつかさどったことから、転じて、神事芸能を奉仕する神職や芸能人の称となった。神事舞太夫、猿楽の太夫
植村文楽軒(改訂新版・世界大百科事典)
人形浄瑠璃文楽の芝居(後の文楽座)の創始者。本名正井(一説に征木)与兵衛。淡路国仮屋(一説に阿波国)出身。竹本座,豊竹座廃絶後の寛政年間(1789-1801)に大坂に出て,道頓堀の東,高津橋南詰西の浜側に人形浄瑠璃の席を開いた。〈文楽軒〉は本人の素人義太夫の芸名
浄瑠璃と同じカテゴリの記事をもっと見る


「双蝶々曲輪日記」は古典に関連のある記事です。
その他の古典に関連する記事
連獅子(日本大百科全書・世界大百科事典)
歌舞伎(かぶき)舞踊。長唄(ながうた)。河竹黙阿弥(もくあみ)作。能『石橋(しゃっきょう)』の替(かわり)の型からの名称で、1861年(文久1)5月、2世杵屋勝三郎(きねやかつさぶろう)が作曲、初世花柳寿輔(はなやぎじゅすけ)が子芳次郎(よしじろう)
青砥稿花紅彩画(国史大辞典・世界大百科事典)
歌舞伎の世話狂言。二代目河竹新七(黙阿弥)作、五幕。文久二年(一八六二)三月、江戸市村座で十三代目市村羽左衛門(のちの五代目尾上菊五郎)らにより初演。「弁天小僧」「白浪五人男」などの通称で知られる。日本駄右衛門・弁天小僧菊之助・赤星十三郎・忠信利平
(国史大辞典・世界大百科事典)
歌舞伎の荒事劇の一つ。元来独立の狂言ではなく、江戸歌舞伎の狂言中に設定された類型的な一場の通称。危機的な場面に「しばらく、しばらく」と声をかけて主人公が登場することから『暫』と呼ばれた。初代市川団十郎の創始と伝えられ、内容を確認できる最古のものは
大塔宮曦鎧(新版 歌舞伎事典)
(1)人形浄瑠璃。時代物。五段。角書「太平記/綱目」。別名題《太平記曦鎧》。竹田出雲・松田和吉作。近松門左衛門添削。享保八(1723)年二月大坂・竹本座初演。《太平記》に題材を仰いだ作品で、北条氏討伐を図って挙兵した大塔宮が苦難の後に六波羅を攻略する
伊賀越道中双六(新版 歌舞伎事典・日本大百科全書)
(1)人形浄瑠璃。時代物。十段。近松半二・近松加作の作。天明三(1783)年四月大坂・竹本座初演。上杉家家老和田行家の子息志津馬が姉婿唐木政右衛門の助力を得て父の敵沢井股五郎を討つまでを描いた作品。安永五(1776)年一二月大坂・嵐座上演の奈河亀輔作
古典に関連する記事をもっと見る


ジャパンナレッジは約1500冊以上(総額600万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のインターネット辞書・事典・叢書サイト」です。日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶