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  11. 徳川家茂

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日本大百科全書

日本大百科全書(ニッポニカ)

徳川家茂
とくがわいえもち
[1846―1866]

江戸幕府第14代将軍。紀州11代藩主徳川斉順 (なりゆき)(将軍家斉の子)の長子。弘化 (こうか)3年閏 (うるう)5月24日、赤坂の江戸藩邸に生まれる。幼名菊千代、のち慶福 (よしとみ)と称す。12代藩主斉彊 (なりかつ)(斉順の弟)の養子となり、1849年(嘉永2)4歳で家督を継いだ。将軍継嗣 (けいし)問題で一橋 (ひとつばし)派の推す一橋慶喜 (よしのぶ)に対抗する候補とされ、条約勅許問題と絡んだ激しい政争が展開した。結局、1858年(安政5)慶福を推す南紀派の井伊直弼 (いいなおすけ)が大老に就任したのち、継嗣と定まり、同年徳川家定 (いえさだ)の死去により将軍職を継ぎ、家茂と改めた。

 桜田門外の変による井伊大老横死ののち、老中久世広周 (くぜひろちか)、安藤信正 (あんどうのぶまさ)らの画策により、1862年(文久2)孝明 (こうめい)天皇の妹和宮 (かずのみや)を夫人に迎え、公武合体による幕府権力の回復を計ったが、同年の島津久光 (しまづひさみつ)の率兵 (そっぺい)上京、久光と勅使大原重徳 (おおはらしげとみ)の東下によって幕政改革を迫られ、慶喜を将軍後見職に、松平慶永 (まつだいらよしなが)を政事総裁職に迎えた。翌1863年、慣例を破り、自ら上洛 (じょうらく)、幕権回復を計ったが、朝廷は尊王攘夷 (じょうい)派の勢力下にあり、攘夷祈願の賀茂社 (かもしゃ)行幸に供奉 (ぐぶ)させられた。しかし4月の石清水社 (いわしみずしゃ)行幸には随行を固辞して東帰した。その後、八月十八日の政変によって公武合体派が勢力を回復し、1864年(元治1)再度上洛した。ついで、長州藩が、第一次長州征伐ののちにふたたび抗戦の構えをみせたため、第二次の長州征伐となり、1865年(慶応1)三たびの上洛ののち、大坂城の征長軍本営に入った。翌年6月に開戦された長州藩との戦争に、幕軍敗戦の報が相次ぐうちに、7月20日、21歳で城中に病死した。法号昭徳院。

[井上勝生]

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1. 徳川家茂画像
日本大百科全書
江戸幕府第14代将軍。紀州11代藩主徳川斉順なりゆき(将軍家斉の子)の長子。弘化こうか3年閏うるう5月24日、赤坂の江戸藩邸に生まれる。幼名菊千代、のち慶福よし
2. 徳川家茂
世界大百科事典
1846-66(弘化3-慶応2) 江戸幕府14代将軍。紀州藩主徳川斉順の長子。1849年(嘉永2)紀州藩主,58年(安政5)13代将軍家定の継嗣となり,同年の家
3. とくがわ‐いえもち【徳川家茂】
日本国語大辞典
江戸幕府第一四代将軍。紀州藩主斉順(なりより)の長男。家斉の孫。幼名菊千代、のち慶福(よしとみ)。継嗣をめぐって一橋派の推す一橋慶喜と対立したが、井伊直弼の擁立
4. とくがわいえもち【徳川家茂】画像
国史大辞典
一八四六―六六 江戸幕府第十四代将軍。一八五八―六六在職。弘化三年(一八四六)閏五月二十四日誕生。和歌山藩主徳川斉順(なりより)の長子、母は同藩士松平晋の女み
5. とくがわ-いえもち【徳川家茂】
日本人名大辞典
1846−1866 江戸幕府14代将軍。在職1859*-66。弘化(こうか)3年閏(うるう)5月24日生まれ。徳川斉順(なりゆき)の長男。母はおみさの方(実成院
6. 徳川家茂[文献目録]
日本人物文献目録
『家茂公御上洛御供旅費』高木丘山『将軍家茂の摂海巡視に就いて』有働賢造『昭徳院徳川家茂の墓調査』矢島恭介『昭徳公御記』堀内信『徳川家茂』樹下快淳『徳川十四代将軍
7. 徳川家茂・徳川慶福
日本史年表
徳川慶福 、家茂と改名(続実紀)。 1858年〈安政5 戊午〉 10・25( 11・30 ) 徳川家茂 に将軍宣下(公卿補任). 1862年〈文久2 壬戌⑧〉
8. 德川家茂上洛 (見出し語:德川家茂)
古事類苑
外交部 洋巻 第1巻 49ページ
9. 德川家茂爲征夷大將軍 (見出し語:德川家茂)
古事類苑
官位部 洋巻 第3巻 28ページ
10. 徳川家茂印[図版]画像
国史大辞典
 (c)Yoshikawa kobunkan Inc. 
11. 徳川家茂将軍宣下次第(著作ID:3634397)
新日本古典籍データベース
とくがわいえもちしょうぐんせんげしだい 記録 安政五
12. 勅書並徳川家茂御請書写(著作ID:3429898)
新日本古典籍データベース
ちょくしょならびにとくがわいえもちおうけしょうつし 文書 文久四
13. あかしはん【明石藩】
国史大辞典
の砲台をおき、なかでも舞子砲台は勝海舟の設計によるもので、文久三年(一八六三)には十四代将軍徳川家茂が見学している。長州征伐に明石藩は出兵したが、明治維新には朝
14. あきづきたねたつ【秋月種樹】
国史大辞典
の世子となる。前年十一月学問所奉行に任ぜられ、三年九月若年寄格に任じ、学問所奉行を兼ね、将軍徳川家茂の侍読を命ぜられ、十二月家茂の上洛に随従し、元治元年(一八六
15. あきづき-たねたつ【秋月種樹】
日本人名大辞典
日向(ひゅうが)(宮崎県)高鍋(たかなべ)藩主の兄種殷(たねとみ)の世子となる。学問所奉行,将軍徳川家茂(いえもち)の侍読などを歴任。維新後は新政府の参与,明治
16. 浅田宗伯
日本大百科全書
の侍医となり、和宮かずのみや、天璋院てんしょういん(第13代将軍徳川家定夫人)、第14代将軍徳川家茂いえもちなどの診治にあたった。1865年フランス公使ロッシュ
17. あさだそうはく【浅田宗伯】
国史大辞典
これに対しフランス皇帝は自鳴鐘(時計)と羶羯(せんかつ、敷物)を贈って謝意を表した。慶応二年(一八六六)徳川家茂の病気を診、幕府奥医師となり、法眼に叙せられた。
18. あしかがしもくぞうきょうしゅじけん【足利氏木像梟首事件】
国史大辞典
文久三年(一八六三)二月二十二日夜におきた「天誅」事件である。これは将軍徳川家茂上洛のいやがらせのため幕府の非違をせめる手段として、上京衣笠山麓の等持院に祀る
19. あねがこうじきんとも【姉小路公知】
国史大辞典
弾劾した。九月には実美を正使、公知を副使とする攘夷別勅使に任ぜられ、十一月江戸城に臨んで将軍徳川家茂に攘夷督促と親兵設置の勅旨を伝宣したが、この時はじめて従来の
20. あぶらだいむら【油平村】東京都:あきる野市/旧秋川市地区地図
日本歴史地名大系
村八左衛門が千人同心株を手にした時の譲渡状はじめ、その後の日光勤番、各種調練、孫国太郎が将軍徳川家茂の上洛に供奉したこと、水戸天狗党の追討や第二次長州戦争に出陣
21. あべまさと【阿部正外】
国史大辞典
慶応元年(一八六五)二月老中本荘宗秀と率兵入京、禁裏御守衛総督一橋慶喜に東帰を要請したが、かえって朝廷より将軍徳川家茂の上洛を促され、帰府を命ぜられ、閏五月家茂
22. あみまち【網町】滋賀県:大津市/中部地域/膳所城下
日本歴史地名大系
磯次の経営する坂本屋がみえ、膳所一の料亭といわれた。慶応元年(一八六五)上洛途中の一四代将軍徳川家茂は坂本屋で小休をとっている(「殉節録」高橋文書)。真宗大谷派
23. あんどうくぜせいけん【安藤・久世政権】 : 文久・慶応期
国史大辞典
一橋派の大名の処分を解いた。朝廷に対しては、十年前後の将来における攘夷の実践を約束して、和宮と将軍徳川家茂との婚儀を実現した。
24. 安藤信正
世界大百科事典
豊信の謹慎を解いた。ついで10月,孝明天皇の妹である和宮の降嫁の勅許を得ることに成功し,将軍徳川家茂と和宮の婚儀は,62年(文久2)2月におこなわれた。61年末
25. あんどうのぶまさ【安藤信正】
国史大辞典
国境問題は失敗に終った。内政問題では公武合体政策の上から、井伊大老の遺策に従って久世広周とともに皇妹和宮の将軍徳川家茂降嫁を奏請し、文久元年十月和宮の東下となり
26. アーネスト・サトウ伝 3ページ
東洋文庫
ド・ギールス,M.154徳川家茂 72鳥羽伏見の戦 94トマス・ア・ケンピス 122ドレイジ,G. 154な中井弘蔵 96ナポレオン1世15生麦事件 30生麦事
27. いいじまむら【飯島村】神奈川県:平塚市地図
日本歴史地名大系
名主兵右衛門が村内帯刀許可を受け(「村内帯刀免許申渡書」平塚市史三)、また同三年一一月には三月の将軍徳川家茂上洛に従った小河氏に供奉したとして名主幾次郎も苗字・
28. いけだたねのり【池田種徳】
国史大辞典
清川八郎らと交わって尊王攘夷を鼓吹した。のち同志と幕府新募の浪士組に入り、文久三年(一八六三)の春、将軍徳川家茂の上洛に先立って洛外壬生村新徳寺に屯し一隊の長と
29. いけだもちまさ【池田茂政】
国史大辞典
文久三年(一八六三)二月八日岡山藩主池田慶政に養われて家督を継ぎ、三月従四位下侍従に叙任、備前守を兼ね、将軍徳川家茂の偏諱を賜わって茂政と改めた。実父の影響を受
30. いしべしゅく【石部宿】滋賀県:甲賀郡/石部町/石部村
日本歴史地名大系
が認められている(新修石部町史)。幕末になると世上の混乱が宿の維持にも影響を与え、文久三年の徳川家茂上洛の際の混乱を、小島氏本陣の当主は「実に筆絶に尽しがたく、
31. いたくらかつきよ【板倉勝静】
国史大辞典
翌二年三月老中に進み、生麦事件および安政の大獄関係閣老の追罰と連坐者の赦免を処理し、同三年三月将軍徳川家茂の上洛に随行し、攘夷実行の勅命を奉承して六月帰府したが
32. いちじょうただか【一条忠香】
国史大辞典
同月内大臣に進み、八月水戸藩降勅の朝議に列し、ついで九条関白の辞職を審議する朝議に、九月には徳川家茂の将軍宣下を審議する朝議に列したが、老中間部詮勝が入京して圧
33. いちょう-かつこ【鴨脚克子】
日本人名大辞典
。天保元年宮中にはいり,女蔵人(にょくろうど)をへて万延元年命婦(みょうぶ)となる。文久元年徳川家茂と結婚する和宮(かずのみや)にしたがい江戸にいき,京方女房と
34. いなとりむら【稲取村】静岡県:賀茂郡/東伊豆町
日本歴史地名大系
久三年(一八六三)に一五世的洲祖伝が鎌倉建長寺より西堂職の免許を受け、将軍徳川家茂からは「禅興寺住持職事」の徳川家茂判物(済広寺蔵)を授かる。墓地には応永八年(
35. いなばまさみ【稲葉正巳】
国史大辞典
文久元年(一八六一)七月講武所奉行となり、同二年三月若年寄に進んだ。翌三年二月と十二月に将軍徳川家茂の上洛に随行した。元治元年(一八六四)九月若年寄を辞し、十二
36. いのうえきよなお【井上清直】
国史大辞典
十一月軍艦奉行となった。文久二年(一八六二)八月外国奉行に再任、十二月町奉行に進み、翌三年将軍徳川家茂が上洛して攘夷実行の勅旨を奉承すると、同年五月寺社・勘定奉
37. いわくらともみ【岩倉具視】
国史大辞典
策として孝明天皇を動かしてそれを推進した。文久元年(一八六一)、和宮に従って江戸に下り、将軍徳川家茂自筆の誓詞を獲得して帰った。二年、島津久光が入京し公武合体運
38. いわみのくに【石見国】島根県
日本歴史地名大系
の変で禁闕を犯したとして長州藩(文久三年以降は周防山口藩)討伐の名分が確立した。八月二日将軍徳川家茂は長州親征を布告し、一三日には薩摩藩以下三五藩に出兵を命じ、
39. うどの-ながとし【鵜殿長鋭】
日本人名大辞典
の大老就任に反対し駿府町奉行に左遷され,のち隠居させられる。文久2年浪士組の取締役となり将軍徳川家茂の警護のため京都へいった。明治2年6月6日死去。62歳。本姓
40. うめざわ【梅沢】神奈川県:中郡/二宮町/山西村地図
日本歴史地名大系
れたため途中で中断した(「和宮下向につき御昼休御小休御用場所新規仕様帳写」同文書)。文久三年徳川家茂の上洛の際(「御上洛御用留諸家様日記御目録拝領帳」同文書)と
41. えにちじ【慧日寺】兵庫県:氷上郡/山南町/太田村
日本歴史地名大系
将軍徳川吉宗から、太田村内における高一〇石の寺領安堵と諸役免除の朱印状が下付されており、以来徳川家茂まで七代にわたる朱印状がある。江戸時代に建立された方丈・庫裏
42. えもんのないし【衛門内侍】
国史大辞典
掌侍となり、衛門内侍(よものないし)と称せられた。寿万宮・理宮の二皇女を生む。皇妹和宮の将軍徳川家茂への降嫁に際して天皇の側近にあって尽力したが、文久二年(一八
43. おおくぼただひろ【大久保忠寛】
国史大辞典
、慶応元年(一八六五)二月隠居して一翁と称した。同年十二月長州再征に際して大坂に召され、将軍徳川家茂の諮問に答え、寛大の処置を講ずべきことを主張したが容れられず
44. おおこうちまさただ【大河内正質】
国史大辞典
のち弾正忠・豊前守と称した。元治元年(一八六四)七月奏者番に挙げられ、慶応元年(一八六五)五月将軍徳川家茂の長州再征出陣に従って江戸を発し、同二年八月大坂におい
45. おおさかけいおうにねんうちこわし【大坂慶応二年打毀】
国史大辞典
もって抵抗する者もあった。町奉行所の取調べにあたっても、打ちこわしの元兇は「当御城内にいる」(大坂城内に将軍徳川家茂がいた)と叫んで役人を困惑させた。打ちこわし
46. おおつまち【大津町】滋賀県:大津市
日本歴史地名大系
総額五千三八一両を拠出した(大津市志)。文久三年(一八六三)三月公武合体のために京都へ向かった一四代将軍徳川家茂が大津宿に到着、ここで一泊したため大津町は町中あ
47. おおはら-しげとみ【大原重徳】画像
日本人名大辞典
日米修好通商条約勅許に反対して八十八卿の列参奏上に参加。文久2年勅使として幕政改革と攘夷実行の勅命を将軍徳川家茂(いえもち)に伝達。慶応2年佐幕派公卿の追放を建
48. 男山行幸
日本大百科全書
忠光ただみつら暴発の風評が流れ、幕府は中止を主張したが、4月11日に延期して実現された。将軍徳川家茂いえもちは病気を理由に供奉ぐぶを辞退し、名代一橋慶喜ひとつば
49. おとこやまぎょうこう【男山行幸】
国史大辞典
皇の行幸。石清水社行幸ともいう。文久三年(一八六三)に入ると尊攘運動はますますたかまり、将軍徳川家茂も上京して攘夷の勅命を受け容れていた。このような状勢のなかで
50. おみさ
日本人名大辞典
1821−1904 江戸時代後期,徳川家茂(いえもち)の母。文政4年生まれ。紀伊(きい)和歌山藩主徳川斉順(なりゆき)の側室。和歌山藩士松平晋の娘。弘化(こうか
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