1. 尊王攘夷運動
日本大百科全書
公卿を処罰する安政あんせいの大獄を断行した。このため、開国に反対し、大老の違勅の罪を責める尊王攘夷運動は、幕閣の専制を非難する運動となり、諸藩の下級藩士だけでな
2. 尊王攘夷運動
世界大百科事典
8月18日の政変を境に,尊王攘夷運動は中央政局への影響力を失ってしまったのである。京都での勢力回復を目ざした長州藩は,翌64年(元治1)7月,禁門の変を戦って敗
3. そんのうじょういうんどう【尊王攘夷運動】
国史大辞典
幕末期、とりわけ開港前後から「尊王攘夷」をかかげて徳川幕閣ないし幕府の国内専制政策および対外政策を批判した政治運動をいう。尊王論も攘夷論も本来封建的な名分思想
4. そんのうじょういうんどう【尊王攘夷運動】 : 文久・慶応期
国史大辞典
〔尊王攘夷運動〕 京都では、長州藩を中心として、尊王攘夷運動が激化していた。十月、三条実美が勅使となって江戸に赴き、攘夷督促の朝命を伝えた。翌文久三年三月、将
5. 青木周蔵自伝 28ページ
東洋文庫
四 長州藩出身。松下村塾に学び、のち尊王攘夷運動に参加、薩長軍事同盟には木戸孝允と共に尽 力した。明治三年八月、大山巌らと普仏戦争観戦のため渡欧。そのまま、ドイ
6. 青木周蔵自伝 36ページ
東洋文庫
殖産興業政策の推進であり、欽定憲法の原則を樹てた。公爵。六 長州藩士出身。松下村塾の門下生、幕末、尊王攘夷運動に参加。明治になって、木戸の亡きあ と長州藩閥の筆
7. あわのくに【阿波国】徳島県
日本歴史地名大系
こうした風潮に対して洲本城代稲田家の主従は海防の第一線とされる淡路の防備を担わされ、危機意識を増幅させながら尊王攘夷運動へのかかわりを深めていった。稲田家家臣は
8. あんせい の 仮条約(かりじょうやく)
日本国語大辞典
か国と順次に結んだ修好通商条約の総称。大老井伊直弼(なおすけ)が勅許を得ずに締結したため、尊王攘夷運動が激化した。安政五箇国条約。アンセ
9. いちのふねいりちょう【一之船入町】京都市:中京区/銅駝学区地図
日本歴史地名大系
裏行八間ほどであった(京都御役所向大概覚書)。天明の大火の際に類焼、再築されて明治維新に際し尊王攘夷運動の拠点となった。また当町には、庭石(貞享二年刊「京羽二重
10. 伊藤博文画像
日本大百科全書
26日ハルビンに到着した際、駅頭で韓国の独立運動家安重根あんじゅうこんに暗殺された。 幕末の長州藩で尊王攘夷運動に活躍し、イギリスへの留学が欧米への開眼となり、
11. 伊藤博文
世界大百科事典
長州藩の貧農の家に生まれ,のち父が伊藤家を継いで士分となる。吉田松陰の松下村塾に学び,高杉晋作らと尊王攘夷運動に挺身し,1863年(文久3)イギリスに留学したが
12. 梅田雲浜画像
日本大百科全書
戊午ぼごの密勅にも彼の働きかけがあったが、密勅降下の際には、あらかじめ水戸藩に内報するなど、つねに尊王攘夷運動の中心に位置した。このために安政あんせいの大獄で最
13. えとう‐しんぺい【江藤新平】
日本国語大辞典
政治家。佐賀藩出身。尊王攘夷運動に参加。維新後、司法卿として司法制度の確立に努める。参議となり、西郷隆盛らと征韓論を唱えたが、敗れて辞職し、民撰議院設立の建白に
14. 江戸時代
世界大百科事典
民生活はいっそう苦しくなり,五品江戸廻令の効果もなく,一揆や打毀が激化した。また開国による尊王攘夷運動の高まりを幕府は安政の大獄できびしく弾圧したが,尊攘派は薩
15. えんざむら【円座村】香川県:高松市/旧香川郡地区
日本歴史地名大系
「円座車に江戸つむかけてかしのりゅうごで引きや溜る」という俚諺も残されている。幕末、小橋安蔵一族が尊王攘夷運動に挺身、文久三年(一八六三)八月、京都における大和
16. おおさかさんごう【大坂三郷】大阪府:大阪市
日本歴史地名大系
文久二年・同三年の将軍家茂の大坂城入城と、長州征伐をあげねばならない。開港による物価騰貴と尊王攘夷運動の激化があり、八月一八日の政変で尊攘派は打撃を受け、さらに
17. おおたぐろともお【太田黒伴雄】
国史大辞典
鉄兵衛と称した。江戸藩邸に勤務して朱子学のち陽明学を学び、帰国後、国学者林桜園の門に入り、尊王攘夷運動に投じ、のちに池田屋事件で斃れた宮部鼎蔵らの先輩にも重んぜ
18. おおやまいわお【大山巌】
国史大辞典
。名岩次郎、のち弥助と称し、ついで巌と改め、赫山と号した。西郷隆盛の従弟にあたる。急進的な尊王攘夷運動に加わり、文久二年(一八六二)寺田屋事件に連坐して謹慎を命
19. 奥村五百子
世界大百科事典
愛国婦人会の創立者。肥前国唐津生れ。東本願寺派釜山海高徳寺住職の娘。男装で萩藩に使いし,尊王攘夷運動に加わる。福成寺住職大友法忍と死別後,1870年(明治3)
20. おくむら‐いおこ【奥村五百子】
日本国語大辞典
社会運動家。肥前に生まれ、尊王攘夷運動を援助。北清事変の際、傷病兵、遺族の救済保護のため、愛国婦人会を創立。弘化二~明治四〇年(一八四五~一九〇七)
21. おざきさぶろう【尾崎三良】
国史大辞典
のち三条実美に仕えた。七卿落ちの際には実美に随って長州、さらに太宰府に移り、名を戸田雅楽と改め尊王攘夷運動に挺身、明治維新以後、外遊の必要を痛感、実美の世子公恭
22. おばながわまち【尾花川町】滋賀県:大津市/大津町
日本歴史地名大系
天文地理・暦算に通じ、京都聖護院門跡宮の近習役を勤めた。嘉永六年(一八五三)のペリー来航後、尊王攘夷運動に加わり、膳所藩に働きかけ、長州藩士らとも交流した。その
23. 開国画像
日本大百科全書
はじめとする商品生産の破壊・衰退が進み、急激なインフレーションの影響とともに本源的蓄積を推進した。中村 哲尊王攘夷運動ペリー来航に際して、当時すでに幕府は諸藩統
24. 開国
世界大百科事典
生活破綻にともなう社会不安もまた未曾有となった。 倒幕の発端 開国とともに,これに反発する尊王攘夷運動も,当初はおもに封建的な理念にもとづいた下級武士層のそれが
25. きくぐん・きくぐん【企救郡・規矩郡】福岡県:豊前国
日本歴史地名大系
曾根・門司では塩浜が営まれ、小倉城下を中心に縮や小倉織といった特産品も製造されている。幕末、尊王攘夷運動が盛んになり、関門海峡を挟んだ対岸の下関を支配する長州藩
26. 木戸孝允
世界大百科事典
戸に出て斎藤弥九郎の塾で修業。やがて尊王攘夷運動に参加し,60年(万延1)井伊大老暗殺直後に水戸藩士西丸帯刀(たてわき)らと丙辰丸盟約を結んだ。尊王攘夷運動の隆
27. きどたかよし【木戸孝允】画像
国史大辞典
藩直目付長井雅楽の航海遠略説にもとづく公武合体策に反対して、周布政之助・久坂玄瑞・高杉晋作らとむすんで、尊王攘夷運動の指導者となった。しかし勝海舟・坂本竜馬・横
28. きのさきおんせん【城崎温泉】兵庫県:城崎郡/城崎町/湯島村
日本歴史地名大系
もって「城崎」を喧伝した。なお栗山は半夜水明楼(今津村)や玄武洞(豊岡市)の命名者でもある。幕末の尊王攘夷運動のなかで、「生野義挙」の実行者二人も当地に潜んでい
29. 京都守護職始末 1 旧会津藩老臣の手記 250ページ
東洋文庫
通して証明しているということができる。 松平容保が京都守護職に就任した文久二年閏八月から翌年前半期までは、尊王攘夷運動の全盛期であった。もともと尊王思想は、弛緩
30. 京都守護職始末 2 旧会津藩老臣の手記 64ページ
東洋文庫
五月家老国司信濃を上京させた。古高俊太郎は近江栗太郡古高村の出身で、毘沙門堂門跡の家臣となり、尊王攘夷運動に加わり、舛屋喜右衛門と変名して、武具商を営んでいた。
31. きよかわ‐はちろう【清川八郎】
日本国語大辞典
大谷雄蔵・日下部達三という。羽前の人。安積艮斎(あさかごんさい)に儒学、千葉周作に武術を学び、尊王攘夷運動に奔走。寺田屋事件後、京都警衛の浪士組(新選組)に加わ
32. きりの‐としあき【桐野利秋】
日本国語大辞典
明治初期の軍人。初名中村半次郎。薩摩藩出身。幕末、上洛して尊王攘夷運動を行ない、戊辰(ぼしん)戦争に加わる。維新後、陸軍少将に進んだが、征韓論に敗れ、辞職。西南
33. 近世の日本・日本近世史 265ページ
東洋文庫
)の著書(明治14)。本篇は嘉永六年の黒船来航から大政奉㎜、遅までの間の対外関係交渉および尊王攘夷運動を叙述したものであり、補遺では吉田松陰・僧月照・坂本竜馬ら
34. きんだい【近代】画像
国史大辞典
その側面において封建支配者内改革派をひろく結集せしめる政治運動のスローガンたりえた。さらに尊王攘夷運動は倒幕運動に転回した。すなわち、天皇の詔勅の権威を笠に幕府
35. きんだい【近代】 : 近代/〔嘉永六年(一八五三)―明治十年(一八七七)〕
国史大辞典
その側面において封建支配者内改革派をひろく結集せしめる政治運動のスローガンたりえた。さらに尊王攘夷運動は倒幕運動に転回した。すなわち、天皇の詔勅の権威を笠に幕府
36. ぎょくせいどうじゅくあと【玉生堂塾跡】大阪府:大阪市/西区/南堀江三丁目地図
日本歴史地名大系
)。呉服・太物商であったが、画を田能村竹田に、詩文を広瀬淡窓に学び、やがて家業を子に譲って尊王攘夷運動に身を投じた。中国・九州を巡歴して諸国の勤皇の志士と交わり
37. くさなぎ‐えんせき【日柳燕石】
日本国語大辞典
幕末の勤王の志士。本姓草薙(くさなぎ)。幼名長次郎、のち政章。別号柳東など。讚岐の人。土佐、長州の志士らの尊王攘夷運動を援助し、のち戊辰(ぼしん)戦争に加わる。
38. げっしょう[ゲッセウ]【月照】
日本国語大辞典
大坂の人。京都清水寺成就院の蔵海に師事し、同寺の住職を継ぐ。近衛忠熙(ただひろ)の知遇を得、尊王攘夷運動に奔走。安政の大獄に際し、西郷隆盛と薩摩にのがれたがいれ
39. 河野敏鎌
世界大百科事典
1844-95(弘化1-明治28) 明治前期の政治家。土佐藩士の子として生まれ安井息軒に学び,やがて尊王攘夷運動に奔走,藩が佐幕に急転したため投獄された。維新後
40. こうの‐とがま【河野敏鎌】
日本国語大辞典
政治家。子爵。土佐藩(高知県)出身。幕末、尊王攘夷運動に加わり入獄。維新後、新政府に仕え、大隅重信と結び立憲改進党の副総理となったが脱党し、以後、枢密顧問官、第
41. こうぶ‐がったい【公武合体】
日本国語大辞典
藤政権に引きつがれ、孝明天皇の妹和宮が一四代将軍徳川家茂に降嫁。しかし外圧の危機に直面して尊王攘夷運動が高まると、公武合体運動は佐幕的傾向をもち、結局、戊辰戦争
42. こうぶがったいうんどう【公武合体運動】
国史大辞典
た。この情勢を憂慮した大老井伊直弼らは、安政五年(一八五八)ころから、朝廷との関係を融和し尊王攘夷運動の圧力をかわすために、十四代将軍徳川家茂と孝明天皇妹和宮と
43. こくがく【国学】画像
国史大辞典
含んでいる。その故に、この学説は、地方の神職や地主富豪などの慨世家の支持を得、門人の中には、幕末の尊王攘夷運動家として過激な破壊活動に挺身した者も多い。だが、明
44. こくがく【国学】 : 国学/(二)
国史大辞典
含んでいる。その故に、この学説は、地方の神職や地主富豪などの慨世家の支持を得、門人の中には、幕末の尊王攘夷運動家として過激な破壊活動に挺身した者も多い。だが、明
45. こくじごようがかり【国事御用掛】
国史大辞典
幕末期、朝廷に新設された官職。尊王攘夷運動がたかまり諸大名や志士たちの朝廷に政治意見を建議するものが多くなると、衆議を尽くして朝議を決定するため文久二年(一八
46. こくじさんせい【国事参政】
国史大辞典
幕末期、朝廷に新設された官職。文久三年(一八六三)二月十三日、尊王攘夷運動の極盛期に国事寄人とともに設けられ、大蔵卿豊岡随資・左近衛権少将東久世通禧ら四人の尊
47. こくじよりうど【国事寄人】
国史大辞典
幕末期、朝廷に新設された官職。文久三年(一八六三)二月十三日、尊王攘夷運動の極盛期に国事参政とともに設けられ、滋野井実在・東園基敬・壬生基修・四条隆謌・錦小路
48. 小室信夫
世界大百科事典
1839-98(天保10-明治31) 明治前期の政治家,実業家。丹後縮緬の豪商だったが,尊王攘夷運動に奔走,1863年(文久3)京都等持院にある足利氏累代の木像
49. さいごうつぐみち【西郷従道】
国史大辞典
くから国事に奔走、同志とともに大老井伊直弼を襲撃する計画(突出事件)に加わるなど、急進的な尊王攘夷運動に投じた。文久二年(一八六二)寺田屋事件に連坐して藩庁より
50. 坂下門外の変
世界大百科事典
襲撃を決行し信正を負傷させた。信正は,この事件で面目を失墜し,同年4月,老中を辞した。以後尊王攘夷運動が盛んになった。小野 正雄 安藤信正 大橋訥菴