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  11. 満蒙独立運動

満蒙独立運動

ジャパンナレッジで閲覧できる『満蒙独立運動』の国史大辞典・世界大百科事典のサンプルページ

国史大辞典

満蒙独立運動
まんもうどくりつうんどう
満蒙(中国東北および内モンゴル)地方の中国から分離独立を企てた二度にわたる日本の一部軍人・大陸浪人の謀略工作。

(一)第一次満蒙独立運動

 辛亥革命直後の明治四十五年(一九一二)初め、大陸浪人川島浪速は清朝の崩壊に乗じ、皇族粛親王善耆を擁立して満洲を独立させる一方、モンゴルの喀喇沁(カラチン)王に挙兵させ、あわせて満蒙王国の建設をめざす謀略に着手した。この謀略には参謀本部から高山公通大佐らが参加したが、日本側に一貫した方針がなく、列強の反対をうけた日本政府は計画の中止を命じ、謀略は失敗した。

(二)第二次満蒙独立運動

 大正五年(一九一六)、袁世凱の帝制実施をめぐって中国の政局が混乱を示すと、川島浪速らは再び巴布扎布(バボージャブ)を首領とするモンゴル騎軍と粛親王の宗社党をむすぶ満蒙独立を画策し、関東都督府と参謀本部もこの計画に加担した。しかし中途から張作霖擁立に方針を変えた田中義一参謀次長や現地の日本領事が満蒙挙事に反対し、さらに袁の急死(六月六日)によって日本の排袁政策が挫折すると、日本政府は挙事計画の中止を命令、運動はまたも失敗に終った。こうして満蒙独立運動は二度とも失敗したが、この運動はその後の満洲事変による満洲国の樹立を先どりするものであった。
→川島浪速(かわしまなにわ),→粛親王善耆(しゅくしんのうぜんき),→巴布扎布(バボージャブ)
[参考文献]
栗原健編『対満蒙政策史の一面』
(鈴木 隆史)


世界大百科事典

満蒙独立運動
まんもうどくりつうんどう

大正期の軍部,大陸浪人を中心とする満蒙独立の陰謀計画。(1)第1次 1912年に辛亥革命で清朝が滅亡すると,南満州,東部内モンゴル(蒙古)の独占支配をめざす参謀本部と大陸浪人川島浪速らは,清朝の粛親王を擁して満州に独立政権をつくり,同時に蒙古王カラチン,パリンに資金と武器を与えて独立させる計画をたて,実行に移した。計画は外務省の反対と満州軍閥張作霖との対立で挙兵中止となった。(2)第2次 第1次世界大戦中に中国侵略政策をおしすすめた日本政府は,1915年に袁世凱の帝制に反対する第三革命の勃発に乗じて反袁政策を強めた。翌年1月参謀次長田中義一,外務省政務局長小池張造らを中心に,陸・海・外務3省の中堅幹部は粛親王の宗社党やパプチャップの蒙古軍を利用して再び満蒙独立計画を策謀し,大隈重信内閣もこれを黙認した。しかし,外務省の出先領事らの張作霖利用の主張や田中次長の賛成もあって計画は二つに分裂し,同年6月の袁世凱の急死によって中止と決定した。しかし現地の軍人や川島らは中止に反対して,パプチャップ軍と行動を起こしたが,結局9月に中止の方針を受け入れた。これらの計画は失敗したとはいえ,大陸政策における軍部独走の先駆として注目される。
[由井 正臣]

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1. 満蒙独立運動
世界大百科事典
大正期の軍部,大陸浪人を中心とする満蒙独立の陰謀計画。(1)第1次 1912年に辛亥革命で清朝が滅亡すると,南満州,東部内モンゴル(蒙古)の独占支配をめざす参謀
2. まんもうどくりつうんどう【満蒙独立運動】
国史大辞典
方の中国から分離独立を企てた二度にわたる日本の一部軍人・大陸浪人の謀略工作。 (一)第一次満蒙独立運動  辛亥革命直後の明治四十五年(一九一二)初め、大陸浪人川
3. だいいちじまんもうどくりつうんどう【第一次満蒙独立運動】 : 満蒙独立運動/(一)
国史大辞典
(一)第一次満蒙独立運動  辛亥革命直後の明治四十五年(一九一二)初め、大陸浪人川島浪速は清朝の崩壊に乗じ、皇族粛親王善耆を擁立して満洲を独立させる一方、モン
4. だいにじまんもうどくりつうんどう【第二次満蒙独立運動】 : 満蒙独立運動/(二)
国史大辞典
(二)第二次満蒙独立運動  大正五年(一九一六)、袁世凱の帝制実施をめぐって中国の政局が混乱を示すと、川島浪速らは再び巴布扎布(バボージャブ)を首領とするモン
5. ぜんき【善耆】(Shànqí)
世界人名大辞典
結ぶ.清朝崩壊後は旅順に逃れ,川島および一部日本軍人とともに戦前の黒龍会関係文献で〈第一次・第二次満蒙独立運動〉と名づけられた謀議を企てたといわれるが,実体のあ
6. 内田良平
世界大百科事典
結成し,その総裁となってファシズム運動の先頭に立ち,神兵隊事件,国体明徴問題などに関与しつつ,満蒙独立運動を推進した。なお,1894年天佑俠という団体をつくり,
7. うちだ‐りょうへい【内田良平】
日本国語大辞典
対ロシア主戦論を唱え、また韓国併合促進を画策した。昭和六年(一九三一)には大日本生産党を結成、満蒙独立運動を推進した。明治七~昭和一二年(一八七四~一九三七)
8. うど-てるぞう【宇土照蔵】
日本人名大辞典
明治43年の韓国併合後,清(しん)(中国)の東三省(中国東北部)で朝鮮人の行動を調査。川島浪速(なにわ)らの満蒙独立運動に協力して行動中,奉天省海竜付近で中国軍
9. かつら-とくじ【桂徳次】
日本人名大辞典
日露戦争従軍後,モンゴル語をまなび,内モンゴルの武備学堂教官となる。明治45年以降,粛親王の満蒙独立運動に投じ,吉林・黒竜両省軍との戦いで大正5年9月16日戦死
10. かわしまなにわ【川島浪速】
国史大辞典
四十五年辛亥革命により清朝が滅亡すると参謀本部と通謀し、粛親王を北京から旅順に脱出させ、同王を擁して第一次満蒙独立運動を計画し、実行に移したが、政府の計画中止の
11. かわしま-なにわ【川島浪速】
日本人名大辞典
ん)(中国)で警務学堂を創設。清朝の粛親王とまじわり,清朝滅亡後,粛親王善耆(ぜんき)らと満蒙独立運動を画策したが挫折。粛親王の14女を養女とし,川島芳子と改名
12. かわしま-よしこ【川島芳子】画像
日本人名大辞典
1907−1948 昭和時代前期の満蒙独立運動家。光緒33年4月12日生まれ。粛親王善耆(ぜんき)の第14王女。川島浪速(なにわ)の養女となり,大正2年(191
13. きんだい【近代】画像
国史大辞典
発した。軍部はその混乱に乗じて派兵をはかったが、政府が国際関係を考慮して拒絶すると陰謀的に満蒙独立運動を始め失敗した。軍部は政府に拘束されず出兵できる朝鮮駐屯師
14. こいけちょうぞう【小池張造】
国史大辞典
得ていわゆる対華二十一箇条要求の原案作成にあたり、また中国第三革命に際しては袁世凱帝政阻止・第二次満蒙独立運動の黒幕的主導者の一人であったが、第二次大隈内閣が総
15. 小磯国昭
世界大百科事典
(12期)卒業,日露戦争に従軍ののち,10年陸軍大学校を卒業。16年参謀本部員として第2次満蒙独立運動を推進し,歩兵第51連隊長,陸大教官,陸軍省整備局長をへて
16. さいとう-もとひろ【斎藤元宏】
日本人名大辞典
1887−1916 明治-大正時代の軍人。明治20年10月10日生まれ。陸軍歩兵中尉。川島浪速(なにわ)らの満蒙独立運動の計画を知り,大正4年陸軍大学校を無断退
17. さかもと-よしひこ【阪本良彦】
日本人名大辞典
明治23年8月1日生まれ。砲兵軍曹となり,退役後,満州(中国東北部)にわたる。蒙古軍砲兵隊の副官として満蒙独立運動にかかわり,大正7年セミョーノフが反革命軍をお
18. しおのや-たけじ【塩谷武次】
日本人名大辞典
明治18年11月30日生まれ。陸軍工兵中尉。軍政時代の中国青島(チンタオ)で駅長をつとめる。大正4年以降,満蒙独立運動に参加。のちセミョーノフ軍の日本義勇隊参謀
19. 粛親王
世界大百科事典
革命に反対し,12年と16年の2度にわたって日本軍部と結んだ大陸浪人川島浪速らの策謀に乗り満蒙独立運動を画策したが失敗した。東洋のマタ・ハリといわれた川島芳子(
20. しゅくしんのうぜんき【粛親王善耆】
国史大辞典
親王の第十四王女で、のちに川島の養女となった。粛親王は第二次満蒙独立運動の挫折後、失意のうちに民国十一年二月十七日、死去した。五十七歳。→満蒙独立運動(まんもう
21. しんがいかくめいとにじゅういっかじょうようきゅう【辛亥革命と二十一箇条要求】 : 近代
国史大辞典
発した。軍部はその混乱に乗じて派兵をはかったが、政府が国際関係を考慮して拒絶すると陰謀的に満蒙独立運動を始め失敗した。軍部は政府に拘束されず出兵できる朝鮮駐屯師
22. 宗社党
世界大百科事典
の満蒙侵略としばしば結びつき,みかけ以上の反動的役割を果たした。1912年と16年の2回の満蒙独立運動は日本の侵略と結びついた代表的なもので,17年の張勲復辟は
23. 大正時代
世界大百科事典
相互確認してアメリカとの対立を深め,1911年の辛亥革命に乗じて満蒙の独立を策した(第1次満蒙独立運動)。かかる帝国主義政策は必然的に軍事力の増大を招き,190
24. 田中義一
世界大百科事典
変を導くこととなった。第2旅団長,欧米巡遊ののち,15年中将,参謀次長に就任,16年第2次満蒙独立運動を推進したが失敗した。国内では青年団の再編成に力をそそぎ,
25. ちょうようはじけん【朝陽坡事件】
国史大辞典
大正五年(一九一六)九月第二次満蒙独立運動の挫折により、帰蒙途上にあった巴布扎布(バブジャップ)麾下のモンゴル軍が、東遼河の渡河点、新河口付近の朝陽坡で張作霖
26. ていかとんじけん【〓家屯事件】
国史大辞典
鄭家屯(中国東北、遼寧省の都市で内蒙古との境界に近い)で発生した日中両国軍隊の衝突事件。第二次満蒙独立運動で挙兵した巴布扎布(パプチャップ)の蒙古軍が南下したの
27. バボージャブ【巴布扎布】
国史大辞典
一八七五―一九一六 「満蒙独立運動」に関与したモンゴル人。日本ではバブジャプ、パプチャップとよび、漢字で巴布扎布と表記する。一八七五年内モンゴルのゾスト盟トメ
28. ばぼーじゃぶ【巴布扎布】
日本人名大辞典
のみ自治がみとめられると,約3000の騎兵をひきいて独自行動をとる。川島浪速(なにわ)らの満蒙独立運動と連携するかたちで内外モンゴルの統一をめざすが,1916年
29. 満蒙問題
世界大百科事典
この地方を中国から切り離して日本の支配下におこうとする試みとして,12年の第1次満蒙独立運動,16年の第2次満蒙独立運動があった。第1次世界大戦が国家総力戦とし
30. まんもうもんだい【満蒙問題】
国史大辞典
方を中国から分離独立させて日本の支配下に収めるため、明治四十五年と大正五年の二度にわたって満蒙独立運動を試みたが、いずれも失敗に終った。第一次世界大戦の終結とと
31. もとい-たつじ【本告辰二】
日本人名大辞典
川島浪速(なにわ)に師事した。大正4年川島の命によりモンゴルの巴布扎布(バボージヤブ)の軍営に参加し,満蒙独立運動(第2次)に従事。旧郭家店での中国軍との戦闘で
32. 1916年〈大正5 丙辰〉
日本史年表
フランス・ロシアなどが労働力補充のため中国で苦力募集。 10・8 バボージャブ 没(42、モンゴル人、満蒙独立運動に関与)。 10・31 黄興 没(43、中
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