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  11. 律宗

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世界大百科事典・日本大百科全書・国史大辞典

世界大百科事典

律宗
りっしゅう

中国仏教十三宗の一つ。戒律とくに《四分律》を所依(しよえ)として開宗された。東晋時代に《十誦律》《四分律》《摩訶僧祇律(まかそうぎりつ)》などの律部経典が中国に伝訳されると,律に関する研究が盛んとなり,特に《四分律》が北魏の法聡と慧光(468-537)によって重視され,四分律宗が成立するが,のちに三つの分派を生じた。慧光の系統をうけた唐初の道宣は,終南山に住して《四分律行事鈔》をはじめとする戒律学の5大部を著して南山律宗を開いた。一方,法励(ほうれい)(569-635)は《四分律疏》を著して相部宗を開き,その弟子の懐素(625-698)は《四分律新疏》を撰して東塔宗を開いた。3宗のうち,相部宗と東塔宗はまもなく衰微し,南山律宗のみが栄えて宋代まで伝えられた。日本の栄叡(ようえい)と普照は相部宗を伝え,辛苦の末に来日した鑑真が南山律宗を伝えたのであり,宋の元照(がんじよう)(1048-1116)の律解釈は泉涌(せんにゆう)寺の俊芿(しゆんじよう)によって早速に日本にもたらされた。なお,義浄は《根本説一切有部律》を将来し,これこそ最も純正な律であると信じ漢訳したが,律宗にたいした影響は与えなかった。
[礪波 護]

日本

日本では律宗は八宗および南都六宗の一つで,12年の歳月と6回の渡航によって754年(天平勝宝6)に来日した伝戒師鑑真の一行によって伝えられた。そして755年9月に東大寺に戒壇院,761年(天平宝字5)1月に下野薬師寺,筑紫観世音寺に戒壇院が創建されて〈天下三戒壇〉の制が設けられ,官僧受戒の場とした。一方,鑑真は唐招提寺を創立して僧尼の規範である律宗の指導流布につとめ,政府はまた諸大寺に戒師団を施入して戒律の研究,普及などをはかった。天台宗を開いた最澄は,《梵網経》によって大乗戒壇創立を提唱し,没後その創建が勅許されるにおよび,南都を中心とした従来の律宗の戒律は小乗戒とする見解が普及した。律令制度の崩壊とともに,登壇受戒や持律の制は顧みられなくなり,律宗は衰微の一途をたどった。しかし平安時代末期にいたり,実範や貞慶(じようけい),明恵,戒如(かいによ)などにより戒律復興の気運が高まり,唐招提寺覚盛(かくじよう),西大寺叡尊,不空院円晴により律宗再興がはかられた。一方,1211年(建暦1)に入宋求法より帰国した泉涌寺の俊芿(しゆんじよう)は中国直伝の律書とともに律宗を伝え,泉涌寺を天台・禅・律3宗兼学の道場として律宗の復興をはかり,後鳥羽天皇,藤原道家,北条泰時をはじめ朝野の帰依をうけた。俊芿の伝えた律を北京律と称し,唐招提寺,西大寺の系統を南京律と称している。しかしその後両者互に交流し,さらに叡尊は弟子を入宋させて律三大部を輸入するなど,相互の見解の相違はまったく解消するにいたった。13世紀後半に律宗の布教流布はいちじるしく,叡尊の弟子忍性などにより関東にも及び,日〓から〈律国賊〉と批判されるほどその実践力が評価されたし,東大寺戒壇院を中心に円照やその弟子凝然(ぎようねん)などの人材が輩出した。しかし以後みるべき活動はなく,江戸時代の初め,洛西槙尾平等心王院の明忍(1576-1610)が退廃した戒律の復興をはかった以外にみるべきものはない。現在唐招提寺に律宗,叡尊以来西大寺に真言律宗が伝えられている。
[堀池 春峰]

[索引語]
四分律宗 南山律宗 法励 懐素(僧) 鑑真 俊芿 戒壇院 下野薬師寺 観世音寺 天下三戒壇 覚盛 叡尊 北京律 南京律 明忍


日本大百科全書(ニッポニカ)

律宗
りっしゅう

仏教の宗派。中国では十三宗の一、日本では奈良時代の南都六宗の一つ。律とは毘奈耶 (びなや)(サンスクリット語ビナヤvinayaの音訳)の漢訳で、比丘 (びく)・比丘尼 (びくに)の守るべき規範のことである。出家者の教団における規定の集成書を律蔵といい、インドから中国へ伝えられた。インド各部派の伝えた律蔵のうち4種が漢訳されたが、そのうち「四分律」によって中国で南山律宗、相部宗 (そうぶしゅう)、東塔宗 (とうとうしゅう)の律宗が唐代に成立した。なかでも唐初期に南山大師道宣 (どうせん)の開いた南山律宗は、本来は部派仏教の四分律を大乗的に受容し、長く命脈を保った。南山律宗を受けた鑑真 (がんじん)は、12年間の苦難のすえ日本に渡り、754年(天平勝宝6)東大寺に入った。そしてここに戒壇院 (かいだんいん)を設けて、日本における授戒の根本道場とし、759年(天平宝字3)唐招提寺 (とうしょうだいじ)を開創し、戒律研究の中心とした。日本における授戒は鑑真にまかされ、日本の律宗が発足した。また九州大宰府 (だざいふ)の観世音寺 (かんぜおんじ)と下野 (しもつけ)(栃木県)の薬師寺にも戒壇が設けられ、正式の僧になろうとする者はこの3戒壇のいずれかで受戒の儀式を行わねばならなかった。

 百済 (くだら)の仏教が戒律を重視していたこともあって、日本の仏教でも伝来当初から戒律が重視されていた。戒律の条項は、在家には五戒と六斎日 (ろくさいにち)に守るべき八戒、出家には沙弥 (しゃみ)・沙弥尼の十戒、学法女の六法、比丘・比丘尼の具足戒 (ぐそくかい)(比丘は二百五十戒、比丘尼は三百四十八戒)の区別がある。比丘・比丘尼はそれぞれの戒律を守ることを誓う(受戒)儀式を、10人の正式な僧(辺地で5人)の立会いのもとで行うことによって初めてそれぞれの資格が認められた。鑑真以前は受戒の儀式も教えどおり行われず、私度僧(官許を得ていない僧)も増え、儀式制度の確立が必要であった。このために来日を要請されたのが鑑真で、戒壇が設立されると授戒は鑑真に任されることになった。

 日本では律宗は、仏教で重視される経・律・論のうち律を、戒・定 (じょう)・慧 (え)のうち戒を中心とするため戒律宗ともよばれる。平安初期、天台宗が四分律を用いず、大乗戒のみによる大乗戒壇設立を行ったこともあり、律宗は衰退したが、平安末期には戒律の復興の必要性が痛感され、中ノ川実範 (じちはん)(?―1144)はその復興に着手した。覚盛 (かくじょう)は「自誓受戒 (じせいじゅかい)」制度の確立により唐招提寺中興の祖とされる。ほかに、泉涌寺 (せんにゅうじ)開山俊芿 (しゅんじょう)は入宋 (にっそう)して北京律 (ほっきょうりつ)を伝えた。西大寺 (さいだいじ)の叡尊 (えいぞん)、忍性 (にんしょう)の系統は密教と結び付き、現在は真言律宗 (しんごんりっしゅう)と称しており、唐招提寺系が律宗を公称する。

 律宗は寺院数28、教師数17、信者数2万3950。真言律宗は寺院数91、教師数128、信者数10万2400(『宗教年鑑』平成26年版)。

[田村晃祐]



律宗/略系図[百科マルチメディア]
律宗/略系図[百科マルチメディア]

©Shogakukan


国史大辞典

律宗
りっしゅう
南都六宗の一つ。渡来僧鑑真をもって宗祖とし、鑑真創建の唐招提寺を本所とする大乗律の一派。ただし鑑真以前、すでに律宗の名を用いた学問僧衆が諸大寺にいて、主に『四分律』を研究していたことは忘れられない。しかし鑑真によって東大寺戒壇院の創設が実現し、十師による受戒の行われる道が開けてはじめて如法の比丘の成立を見、加えて律典研究道場として唐招提寺が設けられるに至って、日本の律宗が始まったと考えられる。以後、律典のほか、『梵網経』の研究もなされ、鑑真のあとを継いだ法進・如宝・豊安、あるいは思託などによって、諸宗の比丘すべてが守らねばならない規律を教える学問として、また僧伽(そうぎゃ、サンガ)成立の根拠となる一宗として、なくてはならない宗となった。しかし平安時代に入って律学の講究もようやく衰え、さらに最澄の創意による四分によらない受具の道が勅許されるに至って、衰微の一路をたどった。また真言宗が律としては『十誦律』を依用したことも無関係ではない。平安時代末期、実範が唐招提寺の戒系廃絶を嘆いたことを伝える挿話は戒律復興の芽生えをかたると同時に、衰微の姿を如実に物語ってくれる。実範後、その法孫のあとに出た興福寺の貞慶は『戒律復興願書』を書いて復興の重要性を強調し、その弟子戒如・覚真においても、戒如は講演に努め、覚真は常喜院を建て、律学道場として律徒の養成に尽くした。しかし鑑真によって打ち建てられた十師による如法の受戒を復興することはもはや不可能であった。したがってこの現実を踏まえて、戒如の講律に列した僧の中に新しい便法によって受戒の法式を生みだそうという試みが起きたとしても不思議はない。それをあえて行なったのは興福寺覚盛・有厳・円晴、西大寺叡尊の四人であって、世に「自誓四哲」と称される。嘉禎二年(一二三六)九月、かれらは、好相を得ることによって自誓受戒を行い、菩薩戒の通受によって具足戒(比丘戒)を得る道を開いた。こうして比丘を称することによって改めて、寛元三年(一二四五)、別受を行なったもので、律宗は以来、覚盛の唐招提寺流と叡尊の西大寺流とに分かれる。このうち、覚盛は通別二受の正当を論証する著述を物して、弟子良遍とともに他と異なるが、この流からはあとを継いだ円律、戒壇院中興の円照、さらに円照門下の凝然・円戒、凝然門下の俊才、円戒門下の明智・湛睿、また円律門下の勝順・導御・禅戒、さらに禅戒門下の照遠などの輩出を見る。このうち、著述の面では凝然が傑出し、照遠もまた注目を引く。西大寺流では叡尊・忍性が社会救済の活動に努め、特に授戒に積極的であるが、忍性が関東に下って極楽寺を開いたのに対し、西大寺では叡尊のあと、慈道、その門下の堯戒・定盛、堯戒門下の英心、定盛門下の清算などが知られ、また忍性の下に律院となった称名寺の湛睿は唐招提寺の照遠と並び称せられる。しかしこうした律宗の隆盛もさして長い期間にわたったものでなく、また同じ衰退の道をたどって、再度、復興の叫ばれるのは近世初期に至ってからである。真言宗高雄山の晋海の弟子明忍が師の意を体し、西大寺の友尊や慧雲と高山寺で自誓受戒して、西明寺を興したのがそのはじまりで、慧雲は西明寺を継ぎ、その弟子慈忍は野中寺を興し、明忍の弟子賢俊は神鳳寺を興して、この三寺により西大寺系の律宗の隆盛を見ることになる。これを律の三僧坊というが、この三僧坊の影響は多大なものがあって、律宗内にとどまらず、諸宗に波及し、新たに律院を興して、独自の立場を提唱したものは少なくない。霊潭の浄土律、浄厳の如法真言律などがそれであり、さらには元政の草山律、霊空の安楽律、飲光の正法律なども、影響と触発を受けたものといっていい。したがって律の復興は西大寺系を中心に開花したもので、俊秀逸材はきわめて多く、枚挙にいとまがないといって過言ではない。
[参考文献]
石田瑞麿『日本仏教における戒律の研究』、徳田明本『律宗概論』
(石田 瑞麿)
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検索コンテンツ
1. 律宗画像
日本大百科全書
忍性にんしょうの系統は密教と結び付き、現在は真言律宗しんごんりっしゅうと称しており、唐招提寺系が律宗を公称する。 律宗は寺院数28、教師数17、信者数2万395
2. 律宗
世界大百科事典
の復興をはかった以外にみるべきものはない。現在唐招提寺に律宗,叡尊以来西大寺に真言律宗が伝えられている。堀池 春峰 四分律宗 南山律宗 法励 懐素(僧) 鑑真 
3. りっ‐しゅう【律宗】
日本国語大辞典
律宗〓」*神皇正統記〔1339~43〕中・嵯峨「律宗は大小に通ずる也。鑑真和尚来朝してひろめられしより
4. りっしゅう【律宗】
国史大辞典
明忍の弟子賢俊は神鳳寺を興して、この三寺により西大寺系の律宗の隆盛を見ることになる。これを律の三僧坊というが、この三僧坊の影響は多大なものがあって、律宗内にとど
5. 律宗(りっしゅう)【篇】
古事類苑
宗教部 洋巻 第1巻 477ページ
6. 【律宗】りっしゅう
新選漢和辞典Web版
《仏教》戒律を守ることを主とする宗派の一つ。本山は奈良(なら)の唐招提寺(とうしょうだいじ)。
7. 律宗(著作ID:4386923)
新日本古典籍データベース
りっしゅう 仏教 
8. 僧入支那律 (見出し語:律宗【篇】)
古事類苑
宗教部 洋巻 第2巻 469ページ
9. 律宗衣體 (見出し語:律宗【篇】)
古事類苑
宗教部 洋巻 第2巻 1214ページ
10. 禪律 (見出し語:律宗【篇】)
古事類苑
宗教部 洋巻 第1巻 709ページ
11. 律宗/略系図[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
©Shogakukan
12. りっしゅうこうよう[リッシュウカウエウ]【律宗綱要】
日本国語大辞典
仏教書。二巻。凝然(ぎょうねん)著。嘉元四年頃(一三〇六)成立。律宗の教義を簡明に説き、律宗の伝播の状況や修行の実際についても述べている。リッシューコーヨー
13. 律宗行事口決抄(著作ID:4372390)
新日本古典籍データベース
りっしゅうぎょうじくけつしょう 仏教 
14. 律宗行事目心鈔(著作ID:531511)
新日本古典籍データベース
りっしゅうぎょうじもくしんしょう 忍仙(にんせん) 仏教 
15. 律宗綱要(著作ID:63694)
新日本古典籍データベース
りっしゅうこうよう 凝然(ぎょうねん) 仏教 嘉元四
16. 律宗禁糸決(著作ID:4226884)
新日本古典籍データベース
りっしゅうごんしけつ 仏教 
17. 律宗禁糸決講義(著作ID:4226895)
新日本古典籍データベース
りっしゅうごんしけつこうぎ 敬首(きょうじゅ) 述 天心(てんしん) 記 仏教 
18. 律宗作持羯磨(著作ID:4226908)
新日本古典籍データベース
りっしゅうさじこんま 叡尊(えいそん) 仏教 建長三
19. 律宗新覚略名目(著作ID:4226953)
新日本古典籍データベース
りっしゅうしんかくりゃくみょうもく 仏教 
20. 律宗新学作持要文(著作ID:4226942)
新日本古典籍データベース
りっしゅうしんがくさじようもん 律宗詞句要文 覚盛(かくじょう) 仏教 寛元二
21. 律宗新学名句(著作ID:4386774)
新日本古典籍データベース
りっしゅうしんがくめいく 惟顕(じょうけん) 編 
22. 律宗問答(著作ID:531522)
新日本古典籍データベース
りっしゅうもんどう 俊芿(しゅんじょう) 問 了然(りょうねん) 智瑞(ちずい) 妙音(みょうおん) 答 仏教 
23. やりつそうしん【耶律宗真】(Yēlǜ Zōngzhēn)
世界人名大辞典
 字:夷不菫 幼名:只骨 諡号:神聖孝章皇帝 廟号:興宗〔1016[開泰5]~55[重熙24]〕 中国遼の第7代皇帝[1031/55].聖宗の長子.母は蕭氏(の
24. えんりっ‐しゅう【円律宗】
仏教語大辞典
円教としての律宗。 →円教宗 興正菩薩年譜 上・嘉禎二 「四律五論三大五部次第熟爛之、大簸起紵麻円律宗矣」
25. かいりつ‐しゅう【戒律宗】
日本国語大辞典
〔名〕仏語。律宗のこと。仏の定めた戒律の実践を宗旨とするもので、特に四分律による律の三宗のうち、唐の南山道宣によって大成をみたもので、日本では天平勝宝六年(七五
26. しぶんりつ‐しゅう【四分律宗】
日本国語大辞典
の道宣が開いた一宗。わが国には、天平勝宝六年(七五四)唐僧鑑真(がんじん)によって伝えられた。律宗。*八宗綱要〔1268〕「四律並翻、震旦悉行。然独流
27. しぶんりつ‐しゅう【四分律宗】
仏教語大辞典
が開いた一宗。わが国には、天平勝宝六年(七五四)、唐僧鑑真によって伝えられた。 律宗綱要 上 「当知、四分律宗戒体戒行等義、皆成円満無碍妙戒」
28. 真言律宗
世界大百科事典
奈良西大寺を総本山とする宗派。宗祖は弘法大師空海,派祖は興正菩薩叡尊(えいそん)。真言宗の教義に基づいて小乗戒・三昧耶(さんまや)戒の大小乗戒を遵守することを本
29. しんごん‐りっしゅう【真言律宗】
日本国語大辞典
〔名〕律宗の一派。空海を宗祖とし、興正菩薩叡尊(えいぞん)を派祖とする。真言宗の教義を旨とし、三聚浄戒の作法によって、大小乗戒を併せて修学するもの。明治五年(一
30. しんごんりっしゅう【真言律宗】
国史大辞典
縁起』下(『大日本仏教全書』)、『通受比丘懺悔両寺不同記』(『日本大蔵経』戒律宗章疏二)、『律宗綱要』下(同戒律宗章疏三)、『元亨釈書』一三、慧堅『律苑僧宝伝』
31. だいじょう‐りっしゅう【大乗律宗】
仏教語大辞典
天台宗で、梵網菩薩戒の学業をいう。四宗兼学といわれる、その一つ。 山家学則 上・止観業学則 「大乗律宗〈又は梵網宗と云。五祖大戒論序に毀梵網宗との給ふ、即是なり
32. てんだい‐りっしゅう【天台律宗】
日本国語大辞典
*近江国輿地志略〔1734〕二〇・志賀郡第一五・真盛上人墓「上人壮年にして薙髪し、比叡山に登りて、天台律宗を弘む。今の真盛派是なり」(2)「てんだいりつ(天台律
33. 真言律宗弁(著作ID:4372391)
新日本古典籍データベース
しんごんりっしゅうべん 真言 
34. 南山律宗教観名目(著作ID:49092)
新日本古典籍データベース
なんざんりっしゅうきょうかんみょうもく 聖皐(しょうこう) 編 仏教 康安元
35. 梵網律宗僧戒説(著作ID:497154)
新日本古典籍データベース
ぼんもうりっしゅうそうかいせつ 諺談円頓戒義 梵網宗海/僧戒説 敬光(けいこう) 天台 寛政五刊
36. 円戒膚談(著作ID:2056497)
新日本古典籍データベース
えんかいふだん 大乗律宗円戒膚談 敬光(けいこう) 仏教 
37. えこう【慧光】(Huìguāng)
世界人名大辞典
]〕 中国南北朝代の仏僧.定州盧奴(現,河北定州)の人.俗姓は楊氏.地論宗南道派の祖,また四分律宗の祖ともいう.13歳で父に随って洛陽に入り,仏陀禅師のもとで出
38. かいそ【懐素】(Huáisù)
世界人名大辞典
(現,陝西西安)の人.10歳で出家の志を立て,西域より帰朝した玄奘を師とし,律に精通した.相部律宗の法礪の疏の欠点を見つけ,《四分律開宗記, 682》を著し,自
39. がんじょう【元照】(Yuánzhào)
世界人名大辞典
学ぶ.その後,神悟処謙に天台を学び,広慈慧才に菩薩戒を受け,律を中心として広く諸宗を学ぶ.允堪の南山律宗を嗣ぎ杭州昭慶寺の住持となり,弘律伝戒に努める.晩年,杭
40. きんあいこうごう【欽哀皇后】(Qīn'āihuánghòu)
世界人名大辞典
諡号:欽愛皇后〔†1057[清寧3]〕 中国遼の皇母.淳欽皇后の弟蕭阿古只の5世の孫.宮女として聖宗に仕えて耶律宗真(やりつそうしん)(興宗)を生んだ[1016
41. どうせい【道世】(Dàoshì)
世界人名大辞典
 字:玄惲 中国唐代の僧侶.俗姓は韓氏.12歳で出家し,律宗を研究.高宗(李治)に召され入内し,基(き)などとともに玄奘の訳場に連なり,皇太子のために造営した西
42. あかいむら【赤井村】福島県:いわき市/旧平市地区
日本歴史地名大系
九・人数一千八五(県治統計表)。字田町に真言宗智山派華蔵院、字諸荷に浄土宗観音寺、字窪田に真言律宗真光寺がある。現在の好間工業団地の南東端、好間町小谷作と好間町
43. あかまのしよう【赤馬庄】福岡県:宗像市/旧宗像市地区
日本歴史地名大系
速成就院」とある。同院は鳥羽上皇の皇后待賢門院璋子の御願で建立された寺、速成就院(現同市下京区)は律宗奈良西大寺末流の東山太子堂で、花園天皇・足利尊氏らの信仰を
44. あきのくに【安芸国】広島県
日本歴史地名大系
領には寺院が九〇九ヵ寺あり、うち真宗四五二、禅宗二二二、真言宗一〇五、浄土宗五二、法華宗三一、律宗二四、天台宗二三で、真宗が全体の五〇パーセント、禅宗二四パーセ
45. あくしょうこそういかん‐かい【悪性拒僧違諫戒】
仏教語大辞典
小乗戒の十三僧残罪の一つ。三度の勧告以前に、従ったときは、この罪に触れない。悪性拒諫戒とも。 八宗綱要 上・律宗 「僧残、此有十三戒。(略)十三悪性拒僧違諫戒」
46. あく‐せつ【悪説】
仏教語大辞典
1 突吉羅罪のうち、口によるまちがった行為で、最も軽い罪。 →悪作 1 八宗綱要 上・律宗 「若開吉羅、即為七聚。五全如前。六悪作、七悪説」 2 正しくない言
47. あごん【阿含】
日本国語大辞典
「それ一代の釈迦如来の仏法には、華厳、阿含(アゴン)、方等、般若、法華、涅槃(ねはん)、法相、律宗などと言へる小むつかし事ども」ア
48. あさくさはしばちよう【浅草橋場町】東京都:台東区/旧浅草区地区地図
日本歴史地名大系
境内は除地と年貢地。南方西裏にある浄土宗法源寺(現保元寺)は宝亀元年(七七〇)起立といい、法相三輪・華厳・天台・律宗・時宗などと宗派が変わったのち惣誉により浄土
49. あさりむら【浅利村】島根県:江津市
日本歴史地名大系
刻み石上に安置した。のち当村の村名の由来ともなった浅利姫により、天平宝字二年(七五八)堂宇が建立されたという。律宗から黄檗宗、さらに臨済宗へ変わり、のち曹洞宗へ
50. あしくらじあと・ちゅうぐうじあと【芦峅寺跡・中宮寺跡】富山県:中新川郡/立山町/芦峅寺村
日本歴史地名大系
寛永元年(一六二四)には利常は当寺に禁制を出している(当山御制札嘆願書記)。三州寺号帳によれば、天台律宗として中宮寺および実相坊など二七の坊名を記す。〔雄山神社
「律宗」の情報だけではなく、「律宗」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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御会式(日本大百科全書・世界大百科事典)
本来、集会して式を行うという意味であるが、もっぱら日蓮(にちれん)宗で、宗祖日蓮入滅の10月13日を中心に、門下が宗祖を追慕して行う法会(ほうえ)をいう。東京都大田区の池上本門寺(いけがみほんもんじ)の御会式は著名で、とくに12日の逮夜(たいや)には
律宗(世界大百科事典・日本大百科全書・国史大辞典)
中国仏教十三宗の一つ。戒律とくに《四分律》を所依(しよえ)として開宗された。東晋時代に《十誦律》《四分律》《摩訶僧祇律(まかそうぎりつ)》などの律部経典が中国に伝訳されると,律に関する研究が盛んとなり,特に《四分律》が北魏の法聡と慧光(468-537
ミリンダ王の問い 1 インドとギリシアの対決(東洋文庫)
仏教は,ギリシア的論理をとり入れることによって,世界宗教としての普遍性を獲得した。紀元前2世紀のインドで,支配者たるギリシア人王と仏教長老の対話のかたちで語られる聖典。第1巻は,第2編第1章第2まで。中村元の解説を
愛染明王(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
密教の忿怒 (ふんぬ)部あるいは明王部に属する尊像。愛染王とも略称される。サンスクリット名はラーガラージャRāga-rājaで、ラーガ(羅我と音訳する)とは赤色、情欲、愛染の意、ラージャ(羅闍)は王の意。金剛薩埵 (こんごうさった)(金剛王菩薩
華厳宗(国史大辞典・世界大百科事典)
南都六宗・日本八宗の一つで、『大方広仏華厳経』(『華厳経』)を所依とする宗派。賢首宗ともいう。本山は奈良市雑司町東大寺。『華厳経』は釈尊成道の第二日目に覚りの教理を開陳したものといわれ、インドにおいては竜樹が『十地論』を作って華厳教理を流布し、中国に
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