1. 長岡京
日本大百科全書
平安時代初期、山城やましろ国乙訓おとくに郡に置かれた都城。現在の京都府向日むこう市・長岡京市付近にあたる。桓武かんむ天皇は784年(延暦3)11月11日に平城京
2. 長岡京
世界大百科事典
ている。 長岡京は,山背国乙訓郡長岡村の地が選ばれたことから,長岡京と名づけられ,宮殿(長岡宮)の中心部分は向日市鶏冠井(かいで)町等にある。1955年以来発掘
3. 長岡京[市]
世界大百科事典
1972年乙訓(おとくに)郡長岡町が市制を施行,改称して長岡京市となる。人口7万9844(2010)。市名は隣接する向日(むこう)市など当地一帯に所在した古代の
4. ながおか‐きょう[ながをかキャウ]【長岡京】
日本国語大辞典
〔一〕桓武天皇が延暦三年(七八四)京都府長岡京市から向日市・大山崎町・京都市にまたがる一帯の地に造営した都。造長岡宮使藤原種継の暗殺、廃太子早良親王の非業の死な
5. ながおかきょう【長岡京】画像
国史大辞典
山修一・高橋徹『新版長岡京発掘』(『NHKブックス』四六四)、中山修一編『よみがえる長岡京』(『朝日カルチャーブックス』四一)、長岡京跡発掘調査研究所編『長岡京
6. ながおかきょう【長岡京】京都府:向日市
日本歴史地名大系
門を壊して長岡京に移すなど、苦肉の策もとりながら工事は続行されたが、同一一年六月には雷雨のため式部省南門が倒れ、八月には大雨で桂川などが氾濫した。延暦一二年正月
7. 長岡京(市)画像
日本大百科全書
こうたり、海印寺かいいんじ、乙訓の3村が合併、町制施行して長岡町となり、1972年市制施行、長岡京市と改称。西部は標高200~400メートルの西山にしやま山地が
8. 長岡京
日本史年表
甲子⑨〉 6・10 藤原種継らを 造長岡宮使 とし、 長岡京 の造営を開始(続紀)。 784年〈延暦3 甲子⑨〉 11・11 天皇、 長岡京 に移る(続紀)。
9. ながおか‐の‐みやこ[ながをか‥]【長岡京】
日本国語大辞典
「ながおかきょう(長岡京)〔一〕」に同じ。
10. 長岡京域検出井戸・建物遺構および側溝位置図[図版]画像
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc.
11. ながおかきょうし【長岡京市】京都府
日本歴史地名大系
から一一年間都であった長岡京に由来する。ただし長岡宮の所在地は向日市にあり、また遷都に先立って同年五月一六日に藤原種継らに調査させた「長岡村」も向日市である。当
12. 長岡京造営
日本史年表
785年〈延暦4 乙丑〉 7・20 長岡京造営 のため、諸国百姓31万4000人を和雇する(続紀)。 788年〈延暦7 戊辰〉 9・26 長岡京造営 に役夫を
13. 長岡京市の要覧
日本大百科全書
面積:19.17平方キロメートル総人口:8万0090人(男:3万8789人、女:4万1301人)世帯数:3万2491戸※面積は国土交通省国土地理院『平成27年全
14. 京都府長岡京市位置図[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
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15. 造長岡京使 (見出し語:使)
古事類苑
官位部 洋巻 第2巻 372ページ
16. あいだぐん【英田郡】岡山県
日本歴史地名大系
」と記されるものがある。
長岡京跡からも延暦九年(七九〇)の紀年銘木簡が一点出土している。「和名抄」記載の郷は、英多・江見・吉
17. あおう‐こうみょうじ[あはふクヮウミャウジ]【粟生光明寺】
日本国語大辞典
京都府
長岡京市粟生にある西山浄土宗の総本山、光明寺の通称。アオーコーミョージ
[コ]
18. あおむら【粟生村】京都府:長岡京市
日本歴史地名大系
[現]長岡京市粟生 現長岡京市の西北部に位置する。光明寺背後の山より同門前の平地部を占める。西山の一部をなし、古くは荒野・山野であったと思われる。鎌倉後期成立の
19. あさくちぐん【浅口郡】岡山県
日本歴史地名大系
意味するか明らかでない。もう一点の藤原宮跡出土木簡は大宝令制下のもので、「備□□浅口郡」とある。なお長岡京跡からも当郡川村郷からの貢進物につけられた付札とみられ
20. あたか【安宅】石川県:小松市/旧能美郡地区/安宅町
日本歴史地名大系
江沼郡潮津駅(現加賀市)と能美郡比楽駅(現美川町)の中間に位置し、駅馬五疋が置かれる定めであった。年欠の長岡京跡出土木簡のうちに、「安宅駅戸主財豊成戸五斗」とあ
21. あみだじ【阿弥陀寺】京都市:右京区/生田村地図
日本歴史地名大系
の建立であることが明らかとなった。喚鐘にも同年の銘がある。寺伝によると、粟生光明寺(現京都府長岡京市)や京都知恩院の僧侶が隠居して住持となったという。当寺所蔵の
22. あむかごう【奄可郷】島根県:隠岐国/周吉郡
日本歴史地名大系
東急本は「安無加」、名博本は「アンカ」と訓を付す。長屋王家木簡に「隠伎国周吉郡奄加里□部方男螺六斤和銅七年」、長岡京跡出土木簡に「隠伎国周吉郡奄可郷蝮王部益
23. あやべごう【綾部郷】岡山県:美作国/苫東郡
日本歴史地名大系
「和名抄」高山寺本に「安也倍」と訓ずる。郷域は加茂川中流域の河岸段丘を中心とする、現津山市綾部一帯と考えられる。長岡京跡出土木簡に「□綾部□」とある。同書による
24. あんようじ【安養寺】京都府:久世郡/久御山町/御牧郷
日本歴史地名大系
のち現在地に移転したという。観音堂(現本堂、本尊十一面観音)があり、弥陀次郎の開創という。粟生(現京都府長岡京市)の光明寺の釈迦如来の化身である托鉢僧の左頬に焼
25. 恵解山古墳
日本大百科全書
京都府長岡京ながおかきょう市勝竜寺しょうりゅうじおよび久貝くがい2丁目に所在する古墳時代中期の古墳。桂かつら川右岸の低地に立地する京都盆地西部では最大規模の前方
26. いげのやまこふん【恵解山古墳】京都府:長岡京市/勝竜寺村
日本歴史地名大系
[現]長岡京市勝竜寺 桂川の支流小畑川・犬川両河川合流点の西方に位置する前方後円墳。標高一九メートル前後の低地にあり、地形的には犬川によって形成された谷底平野の
27. 石川垣守
世界大百科事典
となった。伊予守,右京大夫,刑部卿などを歴任。正四位上に叙され,晩年に造長岡宮使・別当として長岡京造営の任を担った。宮内卿で没した。また仏心に厚く道璿(どうせん
28. いずのくに【伊豆国】静岡県
日本歴史地名大系
のとしては、大部(丈部か)富賀満により建立され定額寺となり、かつ山城国乙訓郡海印寺(現京都市長岡京市、九世紀半ばに権少僧都道雄が鎮護国家のため建立した華厳宗道場
29. いずみさんみゃく【和泉山脈】大阪府:総論地図
日本歴史地名大系
ら八世紀には、山地南麓の紀ノ川河谷を奈良県五條市から和歌山市加太間を南海道が通過していたが、長岡京・平安京の時期になると、石川谷を南下して紀見峠を越えるルートに
30. 伊勢物語 114ページ
日本古典文学全集
〔二〕 延暦三年(七八四)奈良より長岡に遷都。同十三年山城に遷都、平安京と称す。「この京」とは長岡京か平安京か不明瞭だが、平安京を意識していると見てよい。平安都
31. 伊勢物語 159ページ
日本古典文学全集
などの解もある。今の京都府向日市辺りの地で、七八四年、平城京より遷都、七九四年に平安京に遷都される間、長岡京があった。ここでは、平安京に遷った後の「ゐなか」と見
32. いたごう【井田郷】静岡県:伊豆国/那賀郡
日本歴史地名大系
「和名抄」諸本にみえる郷名。訓を欠くが、イタであろう。延暦一〇年(七九一)一〇月一六日の長岡京跡出土木簡(「木簡研究」二〇―五九頁)に「那賀郡井田郷」とみえる。
33. 逸文(風土記) 439ページ
日本古典文学全集
)の祭神。以下は後補の文章か。乙訓坐火雷神社(延喜式内社)。乙訓神社と略称。現在の角宮神社(長岡京市井ノ内)が該当するか(志賀剛)。『続紀』の大宝二年(七〇二)
34. いでごう【井手郷】石川県:加賀国/石川郡
日本歴史地名大系
鶴来町近くまで広げるかで(日本地理志料)二説に分れる。郷名は井堰があったことにちなむのであろう。長岡京跡出土木簡に「(表)(異筆)井出郷戸主別宇治万呂(以下欠損
35. いなりづかこふん【稲荷塚古墳】京都府:長岡京市/井内村
日本歴史地名大系
[現]長岡京市井ノ内 小西 井ノ内集落の西南方、標高四〇メートル余の台地上に営まれた南面する前方後円墳。全長四五メートル、後円部径二八メートル、前方部幅二〇メー
36. いなりやまこふんぐん【稲荷山古墳群】京都府:長岡京市/長法寺村
日本歴史地名大系
[現]長岡京市長法寺 長法寺集落の南方、走田神社の裏山にあたる標高一一〇メートル前後の丘陵上に営まれた、古墳後期の群集墳。三基の円墳が丘陵の頂部(一号墳)および
37. いのうえ・けいすけ【井上敬介】[現代人名-囃子方]
能・狂言事典
太鼓方観世流 長岡京市 1955 2004 小寺俊三に師事
38. いのうちくるまづかこふん【井ノ内車塚古墳】京都府:長岡京市/井内村
日本歴史地名大系
[現]長岡京市井ノ内 頭本 井ノ内集落の西方、西山山塊から東へ舌状に延びる台地上に営まれた、古墳後期の前方後円墳。南面する小墳で、前方部は府道向日―善峰線に面し
39. いのうちむら【井内村】京都府:長岡京市
日本歴史地名大系
[現]長岡京市井ノ内・西の京・滝ノ町 西山山塊のなだらかな丘陵部から小畑川に至る平地に位置する。南は今里村・粟生村、北は上里村(現京都市西京区)。井之内・井ノ内
40. いのへごう【井上郷】徳島県:阿波国/名東郡
日本歴史地名大系
「和名抄」伊勢本・東急本は「井乃倍」と読む。長岡京跡出土木簡に「阿波国名方郡井上庸」とあるのが初出である。「阿府志」は「渭ノ津・渭ノ山ト云ハ井上ノ残ル詞ナリ(中
41. いはらごう【井原郷】兵庫県:丹波国/氷上郡
日本歴史地名大系
訓は「為波良」。平城宮跡出土木簡に「(表)氷上郡井原郷上里赤搗米五斗」「(裏)上五戸語部身」とあり、長岡京跡出土木簡に「丹波国氷上郡□原郷米五斗□米」とみえ、前
42. いまざといせき【今里遺跡】京都府:長岡京市/今里村
日本歴史地名大系
[現]長岡京市今里 乙訓寺のある台地上およびその東側の台地下の緩傾斜面に位置する、縄文時代から古墳時代に至る集落跡。昭和四一年(一九六六)、乙訓寺跡の発掘調査中
43. いまざとおおつかこふん【今里大塚古墳】京都府:長岡京市/今里村
日本歴史地名大系
[現]長岡京市今里 長岡天満宮の北約六〇〇メートルの位置にある巨石古墳。標高三五メートル前後の低台地上に営まれた径四五メートル、高さ五・五メートルの円墳で、墳丘
44. いまざとくるまづかこふん【今里車塚古墳】京都府:長岡京市/今里村
日本歴史地名大系
[現]長岡京市今里 今里集落の東端部、標高二六―二八メートルの平地に営まれた、東面する前方後円墳。封土は早くに削平されたが、昭和五四年(一九七九)に実施された発
45. いまざとのいち【今里市】
国史大辞典
平安時代、平安京の南西にあたる今里、すなわち現在の京都府長岡京市域内今里付近に立った市。『醍醐雑事記』によると、はじめ康治元年(一一四二)十一月に饗庭川の北岸
46. いまざとむら【今里村】京都府:長岡京市
日本歴史地名大系
[現]長岡京市今里・柴の里・野添・一文橋・うぐいす台 現長岡京市北部の平地部に位置する。南は開田村、北は井内村で、井内村西部の山麓部に飛地がある。乙訓寺が村内に
47. いむなみごう【忌浪郷】石川県:加賀国/江沼郡
日本歴史地名大系
推定郷域内には富塚丸山古墳や富塚古墳群、七世紀末から八世紀初頭の建立と推定される弓波廃寺があり、長岡京跡出土木簡に「(表)忌浪郷戸主□下豊成戸米五斗」「(裏)延
48. 岩成友通
世界大百科事典
戦国末期の武将。三好三人衆の一人。三好長慶の一族。1566年(永禄9)三人衆の先鋒として山城勝竜寺城(現,長岡京市)を奪取,68年9月に織田信長に明け渡すまで当
49. 宇佐美貴史[Jリーグ・アウォーズで、ベストヤングプレーヤー賞を受賞]
イミダス 2018
獲得。18歳7カ月での受賞は、04年の森本貴幸に次ぐ若さ。 1992年5月6日、京都府生まれ。長岡京サッカースポーツ少年団を経て、2005年ガンバ大阪ジュニアユ
50. うさみ-たかし【宇佐美貴史】
日本人名大辞典
1992− 平成時代のプロサッカー選手。平成4年5月6日生まれ。ポジションはFW・MF。平成17年長岡京SSからガンバ大阪ジュニアユースに入団。21年高校2年で