1. ふくちげんいちろう【福地源一郎】
国史大辞典
一八四一―一九〇六 明治時代の代表的ジャーナリスト。天保十二年(一八四一)三月二十三日、医師福地苟庵と松子の長男として長崎に生まれる。幼名は八十吉、長じて源一
2. 福地源一郎[文献目録]
日本人物文献目録
本目録』-『懐往事談』福地源一郎『懐旧談』福地桜痴(述)『福地桜痴』正岡芸陽『桜痴居士と市川団十郎』榎本虎彦『明治年間の才人』鳥谷部春汀『桜痴文集』福地源一郎『
4. ふくち-げんいちろう【福地源一郎】
日本人名大辞典
⇒福地桜痴(ふくち-おうち)
5. 幕府衰亡論
東洋文庫
明治前期に輩出した旧幕臣出身のジャーナリスト中,奇才をうたわれた福地桜痴。尊王の美名をもって明治新政府を賛美する史書の氾濫した当時,猛然とその誤りを主張した傑作
6. 幕末政治家
東洋文庫
幕末の重要局面にあたった閣老,有司,諸侯たち。阿部正弘,堀田正睦,井伊直弼,久世広周,安藤信正,水野忠精,板倉勝静,徳川斉昭,松平慶永,島津斉彬をはじめ,著者が
7. 阿部正弘[文献目録]
日本人物文献目録
【図書】:6件 【逐次刊行物】:8件 『懐旧紀事 阿部伊勢守事蹟』浜野章吉(編)『阿部伊勢守』福地源一郎『阿部正弘事蹟 2冊』渡辺修二郎(著刊)『阿部正弘公』福
8. イギリス画像
日本大百科全書
訪れた最初の日本人は、幕府の遣欧使節団の一行38人であった(1862年=文久2)。メンバーには福沢諭吉、福地源一郎、箕作秋坪みつくりしゅうへいらが含まれ、精力的
9. 市川団十郎(九世)[文献目録]
日本人物文献目録
【逐次刊行物】:28件 『市川団十郎』伊原青々園『桜痴居士と市川団十郎』榎本虎彦『第九代市川団十郎略伝』福地源一郎(著刊)『団洲百話』松居玄真(編)『優人として
10. 岩瀬忠震[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:5件 【逐次刊行物】:7件 『岩瀬鷗処』川崎紫山『岩瀬肥後守』福地源一郎『近世百傑伝』干河岸貫一『匏庵遺稿』栗本鋤雲『人物と遭遇』犬養
11. 英国祝砲条例(著作ID:266819)
新日本古典籍データベース
えいこくしゅくほうじょうれい 福地源一郎(ふくちげんいちろう) 訳 法制 明治二
12. 英国商法(著作ID:266808)
新日本古典籍データベース
えいこくしょうほう 福地源一郎(ふくちげんいちろう) 訳 法制 明治
13. おんな二代の記 14ページ
東洋文庫
むらいに似合わぬまじめな人、ウソをつかぬ人として信用されていたことや、その自殺直前の事情が福地源一郎の『懐往事談』にも出ていますが、淵野辺氏の談でも堀はじつに誠
14. 『懐往事談』
日本史年表
1894年〈明治27 甲午〉 4・‐ 福地源一郎 『懐往事談』 刊。
15. かいおうじだん【懐往事談】
国史大辞典
福地源一郎(桜痴)の自叙伝。明治二十五年(一八九二)十一月から翌二十六年十二月まで十九回にわたって雑誌『国民之友』に分載され、その後、同二十七年四月に単行本と
16. 懐旧録 サンスクリット事始め 107ページ
東洋文庫
もうすでに皆が待ちかまえていた。かくて一とおりの話が終ると、末松君は右の逸話をはじめ出した。 私の友人に、福地源一郎君という人があります。この人から聞いた話で、
17. 会社画像
世界大百科事典
すなわち,1869年(明治2)には通商会社・為替会社の設立を指導し,71年には渋沢栄一著《立会略則》,福地源一郎著《会社弁》を大蔵省から刊行して会社知識の普及を
18. かいしゃ【会社】
国史大辞典
圧縮した会社という用語が確定した。また当初、商業や金融に限っての組織と解されていたが、明治四年(一八七一)の福地源一郎の『会社弁』では「商工業一般の組織」とされ
19. かいしゃべん【会社弁】
国史大辞典
明治初年に刊行された銀行に関する啓蒙書。福地源一郎がウェイランドF.Waylandの著作の抄訳を中心に明治三年(一八七〇)にまとめ、翌年六月、大蔵省から渋沢栄
20. 『会社弁』
日本史年表
1871年〈明治4 辛未〉 6・‐ 福地源一郎 『会社弁』 刊。
21. 加藤忠広[文献目録]
日本人物文献目録
『加藤忠広公母子の墓』井上清純『加藤肥後守忠広の詩に就いて』国分剛二『加藤肥後守滅亡次第』福地源一郎『荘内謫居中の加藤忠広』細田久勝
22. 加波山事件 民権派激挙の記録 294ページ
東洋文庫
大隈は、この挙を福地源一郎と沼間守一に伝えたから、新聞はいっせいに攻撃の煙火をあげた。板垣退助はこの機を失せず政党興立の急務を説き、また、「かくのごとき非理不法
23. 歌舞伎座
世界大百科事典
316m2)余,舞台は間口15間(27.3m),収容人員は2600名である。経営は,はじめ福地源一郎(桜痴),千葉勝五郎相座元,1896年に株式組織になったが,
24. かぶきざ【歌舞伎座】
歌舞伎事典
今日におよんでいる。総建坪三四二九坪余、舞台は間口一五間、収容人員約二〇〇〇名である。経営は、はじめ福地源一郎(桜痴)、千葉勝五郎相座元、明治二九年に株式組織に
25. 株式会社
世界大百科事典
維新期に多くの先覚者によって日本に紹介された。なかでも,渋沢栄一が執筆した《立会略則》と,福地源一郎が訳出した《会社弁》の2書は,1871年大蔵省によって発行さ
26. 外国交際公法(著作ID:305588)
新日本古典籍データベース
がいこくこうさいこうほう 福地源一郎(ふくちげんいちろう) 訳 法制 明治二
27. 外国事務(著作ID:305420)
新日本古典籍データベース
がいこくじむ 福地源一郎(ふくちげんいちろう) 訳 政治 明治元
28. 京都守護職始末 1 旧会津藩老臣の手記 243ページ
東洋文庫
成果として残した。島田三郎の『開国始末-井伊直弼伝一』(明治一二年)、木村芥舟の『三十年史』(同二五年)、福地源一郎(桜痴)の『幕府衰亡論』(同二五年)、同『懐
29. 近世の日本・日本近世史 36ページ
東洋文庫
寛永十三年の令である。外国人の来るのに対し鎖国的の令を出した最も著しい場合は寛永十六年の令であります。福地源一郎氏はかつて『長崎三百年間』と題する書物を著わされ
30. 近世の日本・日本近世史 140ページ
東洋文庫
維新史と申しても、主として幕府の末年の事を書いてございます。史論として纒まったものは、先ず福地源一郎氏の書かれた『幕府衰亡論』、それから吉田東伍氏の『維新史八講
31. 近世の日本・日本近世史 230ページ
東洋文庫
江戸幕府は当初から必ずしも政治的.経済的に不動のものとはいえなかったとする論が少なからずある。福地源一郎『幕府衰亡論』(東洋文庫84)、竹越与三郎『日本経済史』
32. 近世の日本・日本近世史 265ページ
東洋文庫
補遺では吉田松陰・僧月照・坂本竜馬らの動き、薩長連合運動が記述されている。日本史籍協会叢書(第一期)に所収。福地源一郎(号は桜痴)は長崎の人、旧幕臣(江戸幕府外
33. ぐんじんちょくゆ【軍人勅諭】
国史大辞典
草案は明治十三年山県の命を受けて西周が最初に起草したが、学理的性格や漢文の習気があり読みにくいところから、福地源一郎が訓諭的文章に改め、井上毅・箕輪醇らも修正に
34. 興行
世界大百科事典
松島に移って,文楽座と名のって興行をしたのが,ともに明治5年のことである。99年11月に,福地源一郎(桜痴)と千葉勝五郎らによって木挽町に歌舞伎座(1824席)
35. 江湖新聞
日本大百科全書
1868年(慶応4)江戸で発刊された佐幕派の新聞。旧暦閏うるう4月3日福地源一郎(桜痴おうち)が、条野伝平、西田伝助、広岡幸助らとともに創刊。半紙二つ折、十数枚
36. こうこ‐しんぶん[カウコ‥]【江湖新聞】
日本国語大辞典
慶応四年(一八六八)四月三日、福地源一郎(桜痴)を中心に、西田伝助、条野伝平らが江戸で創刊した新聞。佐幕的な薩長論を中心に、論説、戦記などを掲載。同年五月二二日
37. こうこしんぶん【江湖新聞】
国史大辞典
(一) 幕臣桜痴福地源一郎が主宰し、条野伝平・西田伝助・広岡幸助らが協力して発行した佐幕派の新聞。幕末期、江戸で発行された十一紙のなかで、柳河春三の『中外新聞
38. こうこしんぶん【江湖新聞】 : 江湖新聞/(一)
国史大辞典
(一) 幕臣桜痴福地源一郎が主宰し、条野伝平・西田伝助・広岡幸助らが協力して発行した佐幕派の新聞。幕末期、江戸で発行された十一紙のなかで、柳河春三の『中外新聞
39. 江湖新聞(著作ID:312210)
新日本古典籍データベース
こうこしんぶん 福地源一郎(ふくちげんいちろう) 山々亭有人(さんさんていありんど) 新聞 慶応四刊
40. こっけんいけん【国憲意見】
国史大辞典
『東京日日新聞』明治十四年(一八八一)三月三十日号から同年四月十六日号にわたり連載。同新聞主筆福地源一郎が起草。『東京日日新聞』は政府系の新聞であり、「国憲意見
41. 今昔物語集 2 本朝部 7ページ
東洋文庫
林 雄 也 著古 島 敏 雄 序丹 羽 邦 男解題山 路 愛 山 著市 岡 正 一 著福地源一郎 著 〈外国〉-楼蘭〈流砂に埋もれた王都〉5アラ
42. 私擬憲法
日本大百科全書
連邦制の採用や革命権を認めるなど独自の内容をもっている。また官権派新聞といわれた『東京日日新聞』(福地源一郎ふくちげんいちろう)の「国憲意見」は、神秘的な君主観
43. しぎけんぽう【私擬憲法】画像
国史大辞典
」などがある(以上いずれも十四年起草)。そのほか千葉卓三郎の「日本帝国憲法」(同十四年)や福地源一郎の「国憲意見」(同十四年)も注目される。以下別項にとりあげて
44. しぎけんぽう【私擬憲法】 : 私擬憲法/(一)
国史大辞典
」などがある(以上いずれも十四年起草)。そのほか千葉卓三郎の「日本帝国憲法」(同十四年)や福地源一郎の「国憲意見」(同十四年)も注目される。以下別項にとりあげて
45. 島津久光[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:12件 【逐次刊行物】:9件 『島津久光公記』-『久光公記』福地源一郎『校正久光公記』福地源一郎『島津左府公伝』阿多浣(著刊)『島津久
46. 社会(society)
日本大百科全書
国民感情になじまず、仲間、社交、交際、会社、社中、世態などの語があてられていた。1875年(明治8)に福地源一郎(桜痴おうち)によって社会という語が初めて用いら
47. 社説
世界大百科事典
ることと思われる。後藤 和彦 論説 論説委員 評論新聞 essay paper 福地桜痴 福地源一郎 強弱論 ペニー・ペーパー penny paper エディト
48. しょうぎょうかいぎしょ【商業会議所】
国史大辞典
となりうると判断し、まず、東京財界の有力者たちに商業会議所的組織の設立を勧めた。渋沢栄一・福地源一郎・益田孝らを中心に準備が進められ、明治十一年(一八七八)八月
49. 新聞画像
日本大百科全書
かん日誌』、江戸で柳河春三やながわしゅんさん(1832―1870)が発行した『中外新聞』、福地源一郎(福地桜痴おうち)の『江湖こうこ新聞』、横浜でアメリカ人バン
50. 『新聞紙実歴』
日本史年表
1894年〈明治27 甲午〉 この年 福地源一郎 『新聞紙実歴』 刊。