ジャパンナレッジは約1500冊以上の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書」サービスです。
➞ジャパンナレッジについて詳しく見る
  1. トップページ
  2. >
  3. カテゴリ一覧
  4. >
  5. 人物
  6. >
  7. 文化人
  8. >
  9. ジャーナリスト・写真家
  10. >
  11. 福地源一郎

ジャパンナレッジで閲覧できる『福地源一郎』の辞書・事典・叢書別サンプルページ

国史大辞典

国史大辞典

福地源一郎
ふくちげんいちろう
一八四一 - 一九〇六
明治時代の代表的ジャーナリスト。天保十二年(一八四一)三月二十三日、医師福地苟庵と松子の長男として長崎に生まれる。幼名は八十吉、長じて源一郎と称す。諱は万世。桜痴は、江戸で馴染みとなった芸妓「桜路」に因んで付けた号。少年時代より神童の誉れ高く、安政三年(一八五六)長崎の和蘭(オランダ)通辞、名村八右衛門に入門、蘭学を学ぶ。学業優等にて名村家の養子となるが、のち離縁して実家に帰る。安政五年、軍艦操練のために幕府から長崎に派遣されていた矢田堀景蔵らに伴われて江戸に上る。江戸では、幕臣水野忠徳の食客となり、森山多吉郎のもとで、英学を学ぶ。同六年、幕府外国奉行支配通弁御用御雇となる。開国直後のわが国の政府中枢の混乱ぶりと貿易実務の実際を直接に体験する。文久元年(一八六一)・慶応元年(一八六五)の二度にわたり、幕府の使節の一員として渡欧。帰国後その新知識と洋行体験のゆえに、攘夷派による暗殺の危機に遭遇する。大政奉還から王政復古の過程では、攘夷派に対する嫌悪から幕府擁護の立場に立ち、官軍占領下の江戸で、新政府を批判する『江湖新聞』を発行して逮捕され、わが国新聞紙史上初の筆禍事件の主人公となる。木戸孝允のとりなしで放免された後、私塾を経営するが、やがてその財務と経済の知識が評価されて、大蔵省出仕を命じられる。財政制度・裁判制度の調査のため明治三年(一八七〇)には伊藤博文に、同四年には岩倉遣外使節に随行して二度の洋行。この間、木戸の識見に敬服、のちの政治的立場を形成するうえで大きな影響を被る。同七年『東京日日新聞』入社、主筆また社長として「吾曹」の名称のもとに多方面にわたる啓蒙的な論説記事を執筆、世論に多大な影響を及ぼし、同紙を代表的な「大(おお)新聞」へと育成した。また、民権派の「士族」的な封建意識を批判、「平民」的な立場からの政論を展開。立憲政体の設立についても「漸進主義」を唱道、地方民会の充実をまって議会を開設すべきことを主張する。ただ、福地は単に無原則に政府寄りの言論を展開したわけではない。明治十四年の北海道開拓使官有物払下げ問題では、民権諸党派と提携して政府を批判。しかし、翌十五年における主権論争では、人民主権の政体が将来的には「幕府政治」であるとする「国体論」の側からの批判を誘発しかねないとの懸念から、「君主主権論」を唱えて注目を浴び、さらに立憲帝政党を組織し、民権諸党派に対抗した。しかし、政府が独自に『官報』を出すに及んで、それまで「太政官御用」を任じていた『東京日日新聞』の経営は悪化。明治二十一年同紙を退く。晩年は、「池之端の御前」と称された全盛期に比べ恵まれたものとはいえなかったが、その政治経験を活かして政治小説、また演劇改良の見地から歌舞伎台本の執筆にも手を染めて多才ぶりを発揮、歌舞伎座開設にも力を注いだ。最晩年の明治三十七年、衆議院議員となる。歴史家としての能力にも卓越し、代表的著書に『幕府衰亡論』(明治二十五年)、『懐往事談』(同二十七年)、『幕末政治家』(同三十三年)があり、今日なお裨益するところが多い。明治三十九年一月四日、東京築地の自宅で没。六十六歳。法名温良院徳誉芳名桜痴居士。墓は台東区の谷中墓地にある。
[参考文献]
柳田泉『福地桜痴』(『人物叢書』一二九)、小山文雄『明治の異才福地桜痴』(『中公新書』七四三)、J.L.Huffman:The Politics of the Meiji Press,the Life of Fukuchi Genichiro.
(坂本 多加雄)
ジャパンナレッジは、自分だけの専用図書館。
すべての辞書・事典・叢書が一括検索できるので、調査時間が大幅に短縮され、なおかつ充実した検索機能により、紙の辞書ではたどり着けなかった思わぬ発見も。
パソコン・タブレット・スマホからご利用できます。
福地源一郎の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 169
検索コンテンツ
1. ふくちげんいちろう【福地源一郎】
国史大辞典
一八四一―一九〇六 明治時代の代表的ジャーナリスト。天保十二年(一八四一)三月二十三日、医師福地苟庵と松子の長男として長崎に生まれる。幼名は八十吉、長じて源一
2. 福地源一郎[文献目録]
日本人物文献目録
本目録』-『懐往事談』福地源一郎『懐旧談』福地桜痴(述)『福地桜痴』正岡芸陽『桜痴居士と市川団十郎』榎本虎彦『明治年間の才人』鳥谷部春汀『桜痴文集』福地源一郎
3. 福地源一郎
日本大百科全書
→福地桜痴
4. ふくち-げんいちろう【福地源一郎】
日本人名大辞典
⇒福地桜痴(ふくち-おうち)
5. 幕府衰亡論
東洋文庫
明治前期に輩出した旧幕臣出身のジャーナリスト中,奇才をうたわれた福地桜痴。尊王の美名をもって明治新政府を賛美する史書の氾濫した当時,猛然とその誤りを主張した傑作
6. 幕末政治家
東洋文庫
幕末の重要局面にあたった閣老,有司,諸侯たち。阿部正弘,堀田正睦,井伊直弼,久世広周,安藤信正,水野忠精,板倉勝静,徳川斉昭,松平慶永,島津斉彬をはじめ,著者が
7. 阿部正弘[文献目録]
日本人物文献目録
【図書】:6件 【逐次刊行物】:8件 『懐旧紀事 阿部伊勢守事蹟』浜野章吉(編)『阿部伊勢守』福地源一郎『阿部正弘事蹟 2冊』渡辺修二郎(著刊)『阿部正弘公』福
8. イギリス画像
日本大百科全書
訪れた最初の日本人は、幕府の遣欧使節団の一行38人であった(1862年=文久2)。メンバーには福沢諭吉、福地源一郎、箕作秋坪みつくりしゅうへいらが含まれ、精力的
9. 市川団十郎(九世)[文献目録]
日本人物文献目録
【逐次刊行物】:28件 『市川団十郎』伊原青々園『桜痴居士と市川団十郎』榎本虎彦『第九代市川団十郎略伝』福地源一郎(著刊)『団洲百話』松居玄真(編)『優人として
10. 岩瀬忠震[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:5件 【逐次刊行物】:7件 『岩瀬鷗処』川崎紫山『岩瀬肥後守』福地源一郎『近世百傑伝』干河岸貫一『匏庵遺稿』栗本鋤雲『人物と遭遇』犬養
11. 英国祝砲条例(著作ID:266819)
新日本古典籍データベース
えいこくしゅくほうじょうれい 福地源一郎(ふくちげんいちろう) 訳 法制 明治二
12. 英国商法(著作ID:266808)
新日本古典籍データベース
えいこくしょうほう 福地源一郎(ふくちげんいちろう) 訳 法制 明治
13. おんな二代の記 14ページ
東洋文庫
むらいに似合わぬまじめな人、ウソをつかぬ人として信用されていたことや、その自殺直前の事情が福地源一郎の『懐往事談』にも出ていますが、淵野辺氏の談でも堀はじつに誠
14. 『懐往事談』
日本史年表
1894年〈明治27 甲午〉 4・‐ 福地源一郎 『懐往事談』 刊。
15. かいおうじだん【懐往事談】
国史大辞典
福地源一郎(桜痴)の自叙伝。明治二十五年(一八九二)十一月から翌二十六年十二月まで十九回にわたって雑誌『国民之友』に分載され、その後、同二十七年四月に単行本と
16. 懐旧録 サンスクリット事始め 107ページ
東洋文庫
もうすでに皆が待ちかまえていた。かくて一とおりの話が終ると、末松君は右の逸話をはじめ出した。 私の友人に、福地源一郎君という人があります。この人から聞いた話で、
17. 会社画像
世界大百科事典
すなわち,1869年(明治2)には通商会社・為替会社の設立を指導し,71年には渋沢栄一著《立会略則》,福地源一郎著《会社弁》を大蔵省から刊行して会社知識の普及を
18. かいしゃ【会社】
国史大辞典
圧縮した会社という用語が確定した。また当初、商業や金融に限っての組織と解されていたが、明治四年(一八七一)の福地源一郎の『会社弁』では「商工業一般の組織」とされ
19. かいしゃべん【会社弁】
国史大辞典
明治初年に刊行された銀行に関する啓蒙書。福地源一郎がウェイランドF.Waylandの著作の抄訳を中心に明治三年(一八七〇)にまとめ、翌年六月、大蔵省から渋沢栄
20. 『会社弁』
日本史年表
1871年〈明治4 辛未〉 6・‐ 福地源一郎 『会社弁』 刊。
21. 加藤忠広[文献目録]
日本人物文献目録
『加藤忠広公母子の墓』井上清純『加藤肥後守忠広の詩に就いて』国分剛二『加藤肥後守滅亡次第』福地源一郎『荘内謫居中の加藤忠広』細田久勝
22. 加波山事件 民権派激挙の記録 294ページ
東洋文庫
大隈は、この挙を福地源一郎と沼間守一に伝えたから、新聞はいっせいに攻撃の煙火をあげた。板垣退助はこの機を失せず政党興立の急務を説き、また、「かくのごとき非理不法
23. 歌舞伎座
世界大百科事典
316m2)余,舞台は間口15間(27.3m),収容人員は2600名である。経営は,はじめ福地源一郎(桜痴),千葉勝五郎相座元,1896年に株式組織になったが,
24. かぶきざ【歌舞伎座】
歌舞伎事典
今日におよんでいる。総建坪三四二九坪余、舞台は間口一五間、収容人員約二〇〇〇名である。経営は、はじめ福地源一郎(桜痴)、千葉勝五郎相座元、明治二九年に株式組織に
25. 株式会社
世界大百科事典
維新期に多くの先覚者によって日本に紹介された。なかでも,渋沢栄一が執筆した《立会略則》と,福地源一郎が訳出した《会社弁》の2書は,1871年大蔵省によって発行さ
26. 外国交際公法(著作ID:305588)
新日本古典籍データベース
がいこくこうさいこうほう 福地源一郎(ふくちげんいちろう) 訳 法制 明治二
27. 外国事務(著作ID:305420)
新日本古典籍データベース
がいこくじむ 福地源一郎(ふくちげんいちろう) 訳 政治 明治元
28. 京都守護職始末 1 旧会津藩老臣の手記 243ページ
東洋文庫
成果として残した。島田三郎の『開国始末-井伊直弼伝一』(明治一二年)、木村芥舟の『三十年史』(同二五年)、福地源一郎(桜痴)の『幕府衰亡論』(同二五年)、同『懐
29. 近世の日本・日本近世史 36ページ
東洋文庫
寛永十三年の令である。外国人の来るのに対し鎖国的の令を出した最も著しい場合は寛永十六年の令であります。福地源一郎氏はかつて『長崎三百年間』と題する書物を著わされ
30. 近世の日本・日本近世史 140ページ
東洋文庫
維新史と申しても、主として幕府の末年の事を書いてございます。史論として纒まったものは、先ず福地源一郎氏の書かれた『幕府衰亡論』、それから吉田東伍氏の『維新史八講
31. 近世の日本・日本近世史 230ページ
東洋文庫
江戸幕府は当初から必ずしも政治的.経済的に不動のものとはいえなかったとする論が少なからずある。福地源一郎『幕府衰亡論』(東洋文庫84)、竹越与三郎『日本経済史』
32. 近世の日本・日本近世史 265ページ
東洋文庫
補遺では吉田松陰・僧月照・坂本竜馬らの動き、薩長連合運動が記述されている。日本史籍協会叢書(第一期)に所収。福地源一郎(号は桜痴)は長崎の人、旧幕臣(江戸幕府外
33. ぐんじんちょくゆ【軍人勅諭】
国史大辞典
草案は明治十三年山県の命を受けて西周が最初に起草したが、学理的性格や漢文の習気があり読みにくいところから、福地源一郎が訓諭的文章に改め、井上毅・箕輪醇らも修正に
34. 興行
世界大百科事典
松島に移って,文楽座と名のって興行をしたのが,ともに明治5年のことである。99年11月に,福地源一郎(桜痴)と千葉勝五郎らによって木挽町に歌舞伎座(1824席)
35. 江湖新聞
日本大百科全書
1868年(慶応4)江戸で発刊された佐幕派の新聞。旧暦閏うるう4月3日福地源一郎(桜痴おうち)が、条野伝平、西田伝助、広岡幸助らとともに創刊。半紙二つ折、十数枚
36. こうこ‐しんぶん[カウコ‥]【江湖新聞】
日本国語大辞典
慶応四年(一八六八)四月三日、福地源一郎(桜痴)を中心に、西田伝助、条野伝平らが江戸で創刊した新聞。佐幕的な薩長論を中心に、論説、戦記などを掲載。同年五月二二日
37. こうこしんぶん【江湖新聞】
国史大辞典
(一) 幕臣桜痴福地源一郎が主宰し、条野伝平・西田伝助・広岡幸助らが協力して発行した佐幕派の新聞。幕末期、江戸で発行された十一紙のなかで、柳河春三の『中外新聞
38. こうこしんぶん【江湖新聞】 : 江湖新聞/(一)
国史大辞典
(一) 幕臣桜痴福地源一郎が主宰し、条野伝平・西田伝助・広岡幸助らが協力して発行した佐幕派の新聞。幕末期、江戸で発行された十一紙のなかで、柳河春三の『中外新聞
39. 江湖新聞(著作ID:312210)
新日本古典籍データベース
こうこしんぶん 福地源一郎(ふくちげんいちろう) 山々亭有人(さんさんていありんど) 新聞 慶応四刊
40. こっけんいけん【国憲意見】
国史大辞典
『東京日日新聞』明治十四年(一八八一)三月三十日号から同年四月十六日号にわたり連載。同新聞主筆福地源一郎が起草。『東京日日新聞』は政府系の新聞であり、「国憲意見
41. 今昔物語集 2 本朝部 7ページ
東洋文庫
林 雄 也 著古 島 敏 雄 序丹 羽 邦 男解題山 路  愛 山  著市 岡 正 一 著福地源一郎 著       〈外国〉-楼蘭〈流砂に埋もれた王都〉5アラ
42. 私擬憲法
日本大百科全書
連邦制の採用や革命権を認めるなど独自の内容をもっている。また官権派新聞といわれた『東京日日新聞』(福地源一郎ふくちげんいちろう)の「国憲意見」は、神秘的な君主観
43. しぎけんぽう【私擬憲法】画像
国史大辞典
」などがある(以上いずれも十四年起草)。そのほか千葉卓三郎の「日本帝国憲法」(同十四年)や福地源一郎の「国憲意見」(同十四年)も注目される。以下別項にとりあげて
44. しぎけんぽう【私擬憲法】 : 私擬憲法/(一)
国史大辞典
」などがある(以上いずれも十四年起草)。そのほか千葉卓三郎の「日本帝国憲法」(同十四年)や福地源一郎の「国憲意見」(同十四年)も注目される。以下別項にとりあげて
45. 島津久光[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:12件 【逐次刊行物】:9件 『島津久光公記』-『久光公記』福地源一郎『校正久光公記』福地源一郎『島津左府公伝』阿多浣(著刊)『島津久
46. 社会(society)
日本大百科全書
国民感情になじまず、仲間、社交、交際、会社、社中、世態などの語があてられていた。1875年(明治8)に福地源一郎(桜痴おうち)によって社会という語が初めて用いら
47. 社説
世界大百科事典
ることと思われる。後藤 和彦 論説 論説委員 評論新聞 essay paper 福地桜痴 福地源一郎 強弱論 ペニー・ペーパー penny paper エディト
48. しょうぎょうかいぎしょ【商業会議所】
国史大辞典
となりうると判断し、まず、東京財界の有力者たちに商業会議所的組織の設立を勧めた。渋沢栄一・福地源一郎・益田孝らを中心に準備が進められ、明治十一年(一八七八)八月
49. 新聞画像
日本大百科全書
かん日誌』、江戸で柳河春三やながわしゅんさん(1832―1870)が発行した『中外新聞』、福地源一郎(福地桜痴おうち)の『江湖こうこ新聞』、横浜でアメリカ人バン
50. 『新聞紙実歴』
日本史年表
1894年〈明治27 甲午〉 この年 福地源一郎 『新聞紙実歴』 刊。
「福地源一郎」の情報だけではなく、「福地源一郎」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る

福地源一郎と同じジャーナリスト・写真家カテゴリの記事
花森安治(日本大百科全書(ニッポニカ))
ジャーナリスト。明治44年10月25日神戸市に生まれる。東京帝国大学在学中から『帝国大学新聞』で活躍し、新聞のレイアウトに異才を発揮した。1940年(昭和15)大政翼賛会に入り、宣伝部で戦時スローガン制作などの仕事に携わった。戦後、戦時中の自己の活動に対する厳しい反省を基礎に
福地源一郎(国史大辞典)
一八四一-一九〇六明治時代の代表的ジャーナリスト。天保十二年(一八四一)三月二十三日、医師福地苟庵と松子の長男として長崎に生まれる。幼名は八十吉、長じて源一郎と称す。諱は万世。桜痴は、江戸で馴染みとなった芸妓「桜路」に因んで付けた号。少年時代より神童
アーネスト・サトウ(東洋文庫)
幕末・明治維新の激動期に,日本語を自在に駆使して活躍したイギリスの外交官アーネスト・サトウ。日本,シャム,清国,モロッコ各地でのエピソードを交えてその生涯を活写する。1999年02月刊【閲覧画面サンプル】【目次】表紙(扉)はじめに序章神秘な異国日本へ
ジャーナリスト・写真家と同じカテゴリの記事をもっと見る


「福地源一郎」は人物に関連のある記事です。
その他の人物に関連する記事
三島由紀夫(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
小説家。本名平岡公威(きみたけ)。父梓(あずさ)と母倭文重(しずえ)の長男として大正14年1月14日東京四谷(現新宿区)に生まれる。満年齢が昭和の年数と一致するという点にも時代との関係がみられる。1931年(昭和6)学習院初等科に入り、高等科まで学習
中浜万次郎(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一八二八-九八江戸時代後期の漂流民、幕臣、英学者。ジョン万次郎とも称す。文政十一年(一八二八、あるいは文政十年)土佐国幡多郡中ノ浜(高知県土佐清水市中浜)の漁師悦助の次男に生まれる。天保十二年(一八四一)正月五日西浜の伝蔵ら四人と近海の漁に出て暴風の
尾高惇忠(国史大辞典)
一八三〇-一九〇一明治時代前期の殖産興業推進者の一人。幼名新五郎、字は子行、藍香と号す。天保元年(一八三〇)七月二十七日、武蔵国榛沢郡手計村(埼玉県深谷市)の名主尾高保孝の子として生まれた。母は同郡血洗島村渋沢宗助の娘。農耕と藍玉商売のかたわら剣術と
アーネスト・サトウ(東洋文庫)
幕末・明治維新の激動期に,日本語を自在に駆使して活躍したイギリスの外交官アーネスト・サトウ。日本,シャム,清国,モロッコ各地でのエピソードを交えてその生涯を活写する。1999年02月刊【閲覧画面サンプル】【目次】表紙(扉)はじめに序章神秘な異国日本へ
幕末政治家(東洋文庫)
幕末の重要局面にあたった閣老,有司,諸侯たち。阿部正弘,堀田正睦,井伊直弼,久世広周,安藤信正,水野忠精,板倉勝静,徳川斉昭,松平慶永,島津斉彬をはじめ,著者が幕末の三傑と称える岩瀬忠震,水野忠徳,小栗忠順を論じる,『幕府衰亡論』(84)の姉妹編。
人物に関連する記事をもっと見る


ジャパンナレッジは約1500冊以上(総額600万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のインターネット辞書・事典・叢書サイト」です。日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る