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謡本

ジャパンナレッジで閲覧できる『謡本』の日本大百科全書・世界大百科事典・狂言事典のサンプルページ

日本大百科全書(ニッポニカ)

謡本
うたいぼん

能の台本に謡曲稽古 (けいこ)用の譜をつけたもの。能として上演されるときの狂言方が担当する部分は省略されるのが普通であり、またワキ方の分担する部分も、シテ方の流儀の台本で統一されているので、実際の能の上演脚本とはいいがたい。15世紀ごろの世阿弥 (ぜあみ)自筆本などは能本とよばれるが、台本のみ記されている場合も多い。謡本が刊行されたのは16世紀以後で、金春 (こんぱる)流の車屋本 (くるまやぼん)、観世流の光悦本などが最古とされる。江戸時代は素謡 (すうたい)の流行に伴って、おそらく国文関係ではもっとも多量な出版物となった。謡曲の一節を集めた小謡本 (こうたいぼん)などは寺子屋の教科書ともなるほど普及した。江戸後期、家元制度の整備によりその独占出版と化し、現代でもその経済的基盤となっている。現在、シテ方五流と梅若、ワキ方下掛宝生 (しもがかりほうしょう)流、観世流の能楽書林本から11曲1冊、5曲1冊の体裁で刊行されている。辞解や謡い方の解説から、演出や扮装 (ふんそう)、舞台スケッチなどを加え、上演台本、観能の便に供する性格も強くなっている。さらにリズムのとり方まで加えた高度なものも出るようになった。なお素人 (しろうと)の稽古のための節付けの画一化、精密化が、アマチュアへの普及には役だつ一方、玄人 (くろうと)の演奏を逆に規制する反作用も見逃せない。

[増田正造]



謡本[百科マルチメディア]
謡本[百科マルチメディア]

『井筒(いづつ)』 観世流(かんぜりゅう)光悦本 慶長年間(1596~1615)国立国会図書館所蔵


世界大百科事典

謡本
うたいぼん

能の詞章を記し,それに節付けを示す譜を傍記したもの。ただし,アイ(間狂言)の言葉は除外または省略されているのが普通で,これは,謡本が能の上演台本(能本)というよりも,謡曲を学ぶための稽古本という性格が強いからであり,謡曲本ともいう。現在,シテ方各流とワキ方1流の謡本が刊行されているが,それぞれ特色ある書体と趣をもっている。1曲1冊(一番綴・稽古本),または5曲1冊(五番綴・揃本)としたものが多く,装丁は和装が主で,大きさは半紙半切本,横本,袖珍本(しゆうちんぼん)など各種ある。簡便な洋装横本の百番集もある。

 現存最古の謡本は,15世紀の世阿弥自筆本で,《難波》《江口》《雲林院》など9巻(ほかに近世に臨写した《弱法師》)が伝存し,本文はかたかな書きで,譜は心覚え程度であるが,根本の方針は今と変りがない。ごくまれだが演出注記もあり,世阿弥は〈謡の本〉とも〈能の本〉とも呼んでいる。次いで金春(こんぱる)禅鳳筆の謡本(約20曲)が古く,フシ(節)の部分全部にいわゆるゴマ点がついている。謡が公家,武家,富商などの素人の間に流行した16世紀(天文,天正)ごろから,謡の稽古用のテキストとして謡本がしきりに書写されるようになり,公家の日記にも謡本貸借の記事がみえる。やがて能筆家で謡にも堪能な鳥養宗晣(とりかいそうせつ)(道晣)などのように,謡本の書写を専門とする者も現れた。17世紀(慶長前後から江戸初期)になると,謡人口や層が増大し,おりからの印刷技術の進歩とあいまって,謡本は続々と刊行されるようになった。なかでも,1600-01年(慶長5-6)に鳥養宗晣が出版した金春流謡本(71曲が現存)は最初の版行謡本で,ひらがなまじりの国文学書の出版としては最も早い。宗晣が書写または出版した謡本は〈車屋本(くるまやぼん)〉と呼ばれる。1605-15年には当時の謡の主流であった観世流の謡本がつぎつぎに出版され,特に桃山文化の逸品とされる豪華な〈光悦本〉(嵯峨本。100冊100番で一揃い)が著名。元和6年(1620)の奥付と観世大夫暮閑の名のある〈元和卯月本(げんなうづきぼん)〉(全100番)は刊年を明記した最初の謡本で,5流を通じて最初の家元公認本である。

 江戸初期以降,謡がいっそう盛んになると,書店間の競争も激しさを増し,謡本の体裁も整備工夫されていった。1658年(万治1)には型付,作リ物図,アイのせりふ,間拍子(まびようし)等を収載した下掛り謡本〈仕舞付百番七太夫流〉(七太夫仕舞付と通称)が出版されたが,能の台本の実質をそなえたこの本は他に例がない。引歌の説明や辞解を頭注形式で示した1659年の〈山本長兵衛本〉,刊本として最初にツヨ(強)吟・ヨワ(弱)吟を明示した金春流の〈六徳本〉(1681),初めて詳しい〈直し〉(細部の旋律を指示する符号)を加えたほか金春流との本文の相違や装束付,作者名などを注記した1691年(元禄4)の観世流〈小河多左衛門本〉など,詳しい謡本が刊行され,謡本の形式も元禄年間(1688-1704)にほぼ完成し,本文校訂に厳密さを加えつつ今日に引き継がれている。当時の通行曲(200番前後)のほかに多くの番外曲も書写または出版され,謡曲の一部を集めた各種各様の曲舞(くせまい)集や小謡(こうたい)本も多数出版された。寺子屋の教科書に使用された小謡本もある。江戸後期には家元制度の強化にともない,特定の版元と家元による寡占体制が強まり,その経済的基盤となっていることは現代も変わらない。家元が関与した本では,1765年(明和2)の観世元章(もとあきら)が大改革を試みた〈明和改正謡本〉(五番綴。210曲),76年(安永5)の喜多健忘斎による〈安永版〉(150曲),99年(寛政11)に一橋家の後援で宝生大夫英勝が刊行した〈寛政版〉(210曲)などが著名。金剛流の公認本は1882年の〈山岸本〉(100曲)まで刊行されなかった。幕末までに刊行された謡本は約2000種を数えるが,その約8割は観世流本である。これらの本の譜は,特殊な例外を除くと,みな細かい符号が省かれており,師匠の蔵本で補う必要があったが,1908年丸岡桂が刊行した〈観世流改訂謡本〉が旧来の不備を一新し,見てすぐ謡える譜本という傾向になり,記譜法にも改良が加わって,解題,辞解,曲趣,扮装,型付などを添えるようになった。現行謡本では,流内の統一を企図した〈観世流大成版〉(205番),地拍子を印刷した〈宝生流参考謡本〉(180番),改良を重ねた〈喜多流新全曲謡本〉(170番)などがすぐれている。版権は,一部の例外を除き,各流の家元が保有している。
[西野 春雄]

[索引語]
謡曲本 世阿弥 フシ(節) 鳥養宗晣 鳥養道晣 車屋本 光悦本 嵯峨本 元和卯月本 仕舞付百番七太夫流 七太夫仕舞付 山本長兵衛本 六徳本 小河多左衛門本 丸岡桂 観世流改訂謡本


新版 能・狂言事典

謡本[歴史・史料・役]
うたいぼん

能の詞章を記し、それに節付を示す譜を傍記したもの。ただし、演目により、アイ(間狂言)の言葉は除外または省略されているのが普通で、これは、謡本が能の脚本というよりも、謡曲を学ぶための稽古本という性格が強いからである。能の脚本を古く能本と称した例もあるが、現在では謡曲本とも呼んでいる。現在、シテ方各流とワキ方一流の謡本が刊行されているが、それぞれ特色ある書体と趣をもっている。一番一冊(一番綴・稽古本)、または五番一冊(五番綴・揃本)としたものが多く、装丁は和装が主で、大きさは半紙半切本、横本、袖珍本しゅうちんぼんなど各種ある。簡便な洋装横本の百番集もある。

 能本は、謡の譜本である謡本という形で書写、ないし刊行されてきた。現存最古の謡本は、一五世紀の世阿弥自筆本で、《難波》《江口》《雲林院》など九巻(ほかに近世に臨写した《弱法師》)が伝存し、本文はかたかな書きで、譜は心覚え程度であるが、根本の方針は今と変りがない。ごくまれだが演出注記もあり、世阿弥は〈謡の本〉とも〈能の本〉とも呼んでいる。次いで金春禅鳳筆の謡本(約二〇番)が古く、フシ(節)の部分全部にいわゆるゴマ点がついている。謡が公家、武家、富商などの素人の間に流行した一六世紀(天文~天正)ごろから、謡の稽古用のテキストとして謡本がしきりに書写されるようになり、山科言継ときつぐなど公家の日記にも謡本貸借の記事がみえる。やがて能筆家で謡にも堪能な鳥養宗〓とりかいそうせつ(道〓)などのように、謡本の書写を専門とする者も現れた。一七世紀(慶長前後から江戸初期)になると、謡人口や層が増大し、おりからの印刷技術の進歩とあいまって、謡本は続々と刊行されるようになった。なかでも、一六〇〇‐〇一年(慶長五‐六)に鳥養宗〓が出版した金春流謡本(七一番が現存)は最初の版行謡本で、ひらがなまじりの国文学書の出版としても最も早い。宗〓が書写または出版した謡本は「車屋本くるまやぼん」と呼ばれる。一六〇五‐一五年には当時の謡の主流であった観世流の謡本がつぎつぎに出版され、特に桃山文化の逸品とされる豪華な「光悦本」(嵯峨本。一〇〇冊一〇〇番で一揃い)が名高い。元和六年(一六二〇)の奥付と観世大夫暮閑の名のある「元和卯月本げんなうづきぼん」(全一〇〇番)は刊年を明記した最初の謡本で、五流を通じて最初の家元公認本である。寛永七年に刊行された「観世黒雪正本」(全一〇〇番)がこれに次ぐ。

 江戸初期以降、謡がいっそう盛んになると、書店間の競争も激しさを増し、謡本の体裁も整備工夫されていった。一六五八年(万治一)には型付、作リ物図、アイのせりふ、間拍子まびょうし等を収載した下掛リ謡本「仕舞付百番七太夫流」(七太夫仕舞付と通称)が出版されたが、能の台本の実質をそなえたこの本は他に例がない。引歌の説明や辞解を頭注形式で示した一六五九年の「山本長兵衛本」、刊本として最初にツヨ(強)吟・ヨワ(弱)吟を明示した金春流の「六徳本」(一六八一)、初めて詳しい〈直シ〉(細部の旋律を指示する符号)を加えたほか金春流との本文の相違や装束付、作者名などを注記した一六九一年(元禄四)の観世流「小河多左衛門本」など、詳しい謡本が刊行された。

 謡本は、比較的親しみやすい演目を集めた内組うちぐみ、やや遠い演目を集めた外組そとぐみという形で出版されることが多く、内百番、外百番などと呼ばれ、謡本の形式も元禄年間(一六八八‐一七〇四)にほぼ完成し、本文校訂に厳密さを加えつつ今日に引き継がれている。江戸時代の刊本に収められた演目は、ほぼ当時の諸流通行曲(二〇〇番前後)と重なるが、例外も少なくない。また多くの番外曲も出版され、貞享・元禄年間(一六八四‐一七〇四)に刊行された小型の番外謡本三百番の集成がある。すなわち一六八六年に「二百番之ほか百番」として三百番本が、八九年に四百番本が、九八年に五百番本が刊行され、これらをあわせ、江戸時代に刊本で知りえた能本の数は、五五〇ないし六〇〇番近くなる。その他はすべて写本として伝えられてきた。謡曲の一部を集めた各種各様の曲舞集や小謡本も多数出版された。寺子屋の教科書に使用された小謡本もある。

 江戸時代、能の各流派は、それぞれ所演の公定演目を整え、たとえば「享保六年書上」などのように書上かきあげという公式文書で幕府に報告をしていた。書上を調べることによって、その流派の所演目の加除変遷を知ることができる。この伝統は明治以後も守られ、名寄なよせと称する小冊子などで公定演目を明示している。江戸後期には家元制度の強化にともない、特定の版元と家元による寡占体制が強まり、その経済的基盤となっていることは現代も変わらない。家元が関与した本では、一七六五年(明和二)の観世元章もとあきらが大改革を試みた「明和改正謡本」(五番綴。二一〇番)、七六年(安永五)の喜多健忘斎による「安永版」(一五〇番)、九九年(寛政一一)に一橋家の後援で宝生大夫英勝が刊行した「寛政版」(二一〇番)などが著名。金剛流の公認本は一八八二年の「山岸本」(一〇〇番)まで刊行されなかった。幕末までに刊行された謡本は約二〇〇〇種を数えるが、その約八割は観世流本である。これらの本の譜は、特殊な例外を除くと、みな細かい符号が省かれており、師匠の蔵本で補う必要があったが、一九〇八年丸岡桂が刊行した「観世流改訂謡本」が旧来の不備を一新し、見てすぐ謡える譜本という傾向になり、記譜法にも改良が加わって、解題、辞解、曲趣、扮装、型付などを添えるようになった。現行謡本では、流内の統一を企図した「観世流大成版」(二一〇番)、地拍子を印刷した「宝生流参考謡本」(一八〇番)、改良を重ねた「喜多流新全曲謡本」(一七〇番)など、それぞれ特色を出している。版権は、一部の例外を除き、各流の家元が保有している。

[西野 春雄]

画像

=世阿弥自筆謡本 《江口》の末尾(宝山寺蔵)
=「光悦謡本」《大原御幸》(法政大学鴻山文庫蔵)
=「元和卯月本」《女郎花》のキリと観世大夫暮閑の奥書(法政大学鴻山文庫蔵)
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13. 御謡本之書付(著作ID:4370076)
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14. 里村家謡本筆者目(著作ID:3579406)
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能・狂言事典
東京大学)で言語学を担当。門下に『新謡曲百番』を校訂した佐佐木信綱がいる。同書はチェンバレンが佐々木に贈った謡本で、チェンバレンは序文を寄せた。教職のかたわら七
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日本国語大辞典
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19. 異域録 清朝使節のロシア旅行報告 9ページ
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能・狂言事典
九三年六月芝能楽堂で自演、その後、喜多六平太が著作権を譲り受け、一九〇一年(明治三四)五月、書肆江島から謡本を発行し流儀の所演曲とした。喜多流謡曲名寄には、外組
21. いわふね【岩船】[能曲名]
能・狂言事典
現行観世は祝言の半能としている(待謡は《右近》のものを流用)。《金札》と同じケース。 江戸中期までは、観世も謡本に完曲を残す。観世元章(もとあきら)が一演出とし
22. 謡
世界大百科事典
ない部分であるが,特定の抑揚をつけて謡われる。それに対しフシは,音楽的に作曲されている部分で,謡本ではゴマ点によって作曲の内容が示される。フシは,さらにヨワ(弱
23. うたい【謡】[技法・演出]
能・狂言事典
ない部分であるが、特定の抑揚をつけて謡われる。それに対しフシは、音楽的に作曲されている部分で、謡本ではゴマ点によって作曲の内容が示される。フシは、さらにヨワ(弱
24. うたいごと【謡事】[技法・演出]
能・狂言事典
主とする小段の総称。謡のリズム型などにより、次の三つに分けられる。(1)謡のリズムが明確な小段=謡本に「拍子合(ひょうしあう)」と注記される小段で、リズム型によ
25. うたいしょう【謡抄】
国史大辞典
これに山科言経・鳥養道〓なども加わって、金春流の謡本を底本として辞解・出典などを注記したもの。文禄四年(一五九五)に百番が完成し、さらに増補されて
26. うたい の 本(ほん)
日本国語大辞典
「うたいぼん(謡本)」に同じ。*浄瑠璃・心中天の網島〔1720〕橋尽し「はしりがき、うたひの本はこのへりう」
27. うち‐ひゃくばん【内百番】
日本国語大辞典
〔名〕江戸初期、謡本を刊行する際、広く世に行なわれているものの中から選ばれた百番の曲をいう。その後、選外百番を集め合わせて二百番の謡本が作られたが、選外百番を外
28. うづき‐ぼん【卯月本】
日本国語大辞典
元和六年(一六二〇)卯月と寛永六年(一六二九)卯月に刊行された謡本。観世左近大夫慕閑の奥書がある謡本中最古のもの。*随一小謡絵抄〔1805〕「卯月本(ウヅキボン
29. うめ【梅】[能曲名]
能・狂言事典
ことほぐという能。梅花の精を後ジテとして、〈太鼓序ノ舞〉を舞わせる。〈大小序ノ舞〉にする場合もある。明和の謡本改正に付随して作られた江戸期の新作。作詞は田安宗武
30. えじま-いへえ【江島伊兵衛】
日本人名大辞典
1895−1975 昭和時代の出版経営者,能楽研究家。明治28年4月10日生まれ。昭和3年宝生流謡本版元わんや書店社長となる。本業のかたわら,能楽三役の後継者養
31. えじまいへえ【江島伊兵衛】[人名]
能・狂言事典
と共著。図版篇・解説篇)がある。さらに表章と協力して鴻山文庫所蔵の古謡本一万二〇〇〇冊の調査を完了、『鴻山文庫本の研究‐謡本之部』(表章著)に寄与した。七一年勲
32. えんかく【沿革】 : 能楽
国史大辞典
一層複雑なものにした。なお、幕府にならって諸大名も猿楽を優遇したので、武士・町人の間にも謡が流行し、謡本の刊行も盛んであった。明治維新で幕府の俸禄を失った役者た
33. えんとくじ【円徳寺】大阪府:大阪市/生野区/大地村地図
日本歴史地名大系
椀屋は寺蔵過去帳にも散見するので、当寺の檀家であったと思われる。後土御門天皇が写経した「観無量寿経」、教如筆の謡本、椀屋久右衛門作の朱塗椀一〇人前などを蔵する。
34. 鸚鵡七十話 インド風流譚 39ページ
東洋文庫
 この輪郭物語の最後の部分をなしている鸚鵡と鶯鷺の話は、この物語集のペルシャ語本にもトルコ  謡本にも収録されていて、パーリ語の仏教説話集「ジャータカ」(本生話
35. 鸚鵡七十話 インド風流譚 127ページ
東洋文庫
し上げて、大臣の娘は自分〈の家〉に戻り、その邸の評判をたかめました」 参考  この話はペルシャ謡本、トルコ話本のすべてに含まれている。「パンチャ・タントラ」(→
36. 鸚鵡七十話 インド風流譚 131ページ
東洋文庫
七)にもあってあまねく普及していたものらしい。「シュカ・サプタティ」のペルシャ語本、トル  コ謡本にも収められている。    第十六話「王様はまた彼女をお召しに
37. おお‐のり[おほ‥]【大乗】
日本国語大辞典
七五調の歌詞の、上の七文字と下の五文字とに、一拍子ずつあたって謡うやり方で、豊かなリズム感のあふれる謡い方。謡本にはノルと記入してある。ノリ地ともいう。→中乗り
38. おもてあきら【表章】[人名]
能・狂言事典
。『鴻山文庫本の研究‐謡本の部』(一九六五)や江島伊兵衛との共著『図説光悦謡本』(一九七〇)、法政大学能楽研究所紀要『能楽研究』等に発表した「車屋謡本新考」(未
39. おりべ‐ぼん【織部本】
日本国語大辞典
天保年間(一八三〇~四四)、観世大夫、観世織部が印行した謡本。現行の観世流謡本の底本となるもので、内百十番、番外六十二番、別能二十八番からなる。
40. 花鏡(能楽論集) 328ページ
日本古典文学全集
『音曲口伝』第二条とほぼ同内容。音曲に配慮しつつ作詞する事をも音曲習道の一分野としているのが特色。謡本。謡のテキストが即ち能の台本。謡の性質。語と語の続きぐあい
41. かたつけ【型付】[歴史・史料・役]
能・狂言事典
また『能楽画報』『観世』など雑誌に掲載されたものもある。部分奏演としての舞囃子や仕舞の型付は、謡本と同じく素人の稽古用テキストとして、各流派のものが刊行されてい
42. 甲子夜話三篇 2 245ページ
東洋文庫
\しけれ。(原本節章あり、ここに略す1校注)右彦太が本の後、可順消息に添、又『明智討』と題せる謡本を贈る。日。此本喜多より取寄たり。節章は湖遊が〔湖遊は、故七太
43. 甲子夜話続篇 1 288ページ
東洋文庫
郎長範汽長範諸書多作二長般輔今従一象譜一〕(長範、諸書  多作二長般殉今従二家譜一と見へたれど、今印行の謡本、『熊  阪』『烏帽子折』等、みな長範と云て長般と書
44. 加藤枝直[文献目録]
日本人物文献目録
に関する新資料・歌稿の紹介』北野克『賀茂真淵と加藤枝直』竹村五百枝『橘枝直』関根正直『明和改正謡本の改訂参画者 特に加藤枝直の位置について』水谷泰二
45. かんぜきよし【観世清之】[人名]
能・狂言事典
その後二三世観世清廉(きよかど)を助け、宗家派の重鎮として観世会の舞台に活躍する。しかし観世流改訂謡本の刊行の件で宗家と意見の対立をみた。謹厳な性格で、能楽の故
46. 観世黒雪
世界大百科事典
手されたが,暮閑はその底本をみずから校閲・監修し,23年ころ,大夫の正式に関与した最初の観世流謡本として刊行された。この間,1621年夏から翌春のころには出家隠
47. かんぜこくせつ【観世黒雪】[人名]
能・狂言事典
が着手され、暮閑はその底本をみずから校閲・監修し、二三年ころ、大夫の正式に関与した最初の観世流謡本として刊行された。この間、一六二一年夏から翌春のころには出家隠
48. 観世宗節
世界大百科事典
領し,家康に献上されていた世阿弥伝書を借覧書写し,その一部が現存する。宗節は生涯を通じて多くの謡本を書写相伝し,宗節の名を冠した謡伝書や能型付が伝存するが,京を
49. かんぜそうせつ【観世宗節】[人名]
能・狂言事典
領し、家康に献上されていた世阿弥伝書を借覧書写し、その一部が現存する。宗節は生涯を通じて多くの謡本を書写相伝し、また宗節の名を冠した謡伝書や能型付が伝存するなど
50. かんぜただちか【観世身愛】
国史大辞典
補助記号の多くを廃するなど、節付法の大幅な改訂を試み、以後の観世流謡本は身愛流の節付となった。謡の普及にも力を注いだらしく、自筆謡本が多く現存する。寛永三年(一
「謡本」の情報だけではなく、「謡本」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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(日本大百科全書(ニッポニカ))
能は日本の伝統芸能の一つで、狂言とともに南北朝時代から現代に演じ継がれ、世界でもっとも長い演劇生命と伝統をもっている。独自の様式をもつ能舞台に、能面を用い、世阿弥(ぜあみ)が「舞歌二道」と指示したように、舞(まい)に高められ抽象化された演技と、謡(うたい)と囃子(はやし)による音楽要素の融合された演劇である。
能楽(国史大辞典)
南北朝時代に始まった日本の代表的な古典芸能。歌と舞を主要素とする歌舞劇で、猿楽の能をさす。創成期の猿楽などが演じた歌と舞による劇形式の芸を「能」といい、「猿楽の能」のほか「田楽の能」や類似の芸「延年の能」も存在したが、室町時代以後は猿楽の能が主流となったので単に「猿楽」
狂言(改訂新版・世界大百科事典)
南北朝時代に発生した中世的庶民喜劇で,能,歌舞伎,文楽(人形浄瑠璃)などとともに日本の代表的な古典芸能の一つ。特に能とは深い関係をもつところから〈能狂言〉とも呼ばれる。能が主に古典的題材をとり上げ幽玄美を第一とする歌舞劇であるのに対し,狂言は日常的なできごとを笑いを通して
風姿花伝(花伝書)(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
世阿弥の能楽論書。七巻。『花伝』ともいう。俗に『花伝書』と称されたのは、はじめて本文を紹介した吉田東伍『世阿弥十六部集』における命名の影響が大きい。それについては、室町時代後期には能の伝書を意味する普通名詞的用法があり
申楽談儀(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
能楽伝書、一冊。正しくは『世子六十以後申楽談儀』。世子とは世阿弥の敬称。世阿弥六十歳、応永二十九年(一四二二)観世大夫を長男元雅に譲って出家したころ、次男元能が、父の芸談を筆記し整理して、この年十一月、元能も芸道を捨て出家する時に、この聞書をまとめて、
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連獅子(日本大百科全書・世界大百科事典)
歌舞伎(かぶき)舞踊。長唄(ながうた)。河竹黙阿弥(もくあみ)作。能『石橋(しゃっきょう)』の替(かわり)の型からの名称で、1861年(文久1)5月、2世杵屋勝三郎(きねやかつさぶろう)が作曲、初世花柳寿輔(はなやぎじゅすけ)が子芳次郎(よしじろう)
青砥稿花紅彩画(国史大辞典・世界大百科事典)
歌舞伎の世話狂言。二代目河竹新七(黙阿弥)作、五幕。文久二年(一八六二)三月、江戸市村座で十三代目市村羽左衛門(のちの五代目尾上菊五郎)らにより初演。「弁天小僧」「白浪五人男」などの通称で知られる。日本駄右衛門・弁天小僧菊之助・赤星十三郎・忠信利平
(国史大辞典・世界大百科事典)
歌舞伎の荒事劇の一つ。元来独立の狂言ではなく、江戸歌舞伎の狂言中に設定された類型的な一場の通称。危機的な場面に「しばらく、しばらく」と声をかけて主人公が登場することから『暫』と呼ばれた。初代市川団十郎の創始と伝えられ、内容を確認できる最古のものは
大塔宮曦鎧(新版 歌舞伎事典)
(1)人形浄瑠璃。時代物。五段。角書「太平記/綱目」。別名題《太平記曦鎧》。竹田出雲・松田和吉作。近松門左衛門添削。享保八(1723)年二月大坂・竹本座初演。《太平記》に題材を仰いだ作品で、北条氏討伐を図って挙兵した大塔宮が苦難の後に六波羅を攻略する
伊賀越道中双六(新版 歌舞伎事典・日本大百科全書)
(1)人形浄瑠璃。時代物。十段。近松半二・近松加作の作。天明三(1783)年四月大坂・竹本座初演。上杉家家老和田行家の子息志津馬が姉婿唐木政右衛門の助力を得て父の敵沢井股五郎を討つまでを描いた作品。安永五(1776)年一二月大坂・嵐座上演の奈河亀輔作
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