NHK大河ドラマ「光る君へ」特集
ジャパンナレッジは約1700冊以上の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書」サービスです。
➞ジャパンナレッジについて詳しく見る
  1. トップページ
  2. >
  3. カテゴリ一覧
  4. >
  5. 文学
  6. >
  7. 古典文学
  8. >
  9. 物語・伝記・散文・読本・滑稽本・噺本・自伝
  10. >
  11. 徳川慶喜公伝 1

徳川慶喜公伝 1

ジャパンナレッジで閲覧できる『徳川慶喜公伝 1』の東洋文庫のサンプルページ

東洋文庫
徳川慶喜公伝 1
とくがわよしのぶこうでん1
東洋文庫88
渋沢栄一 藤井貞文解説
幕末・維新期の通史として最高水準にあるといわれる本書は,財界の大御所渋沢栄一が旧主の汚名をそそぐため明治26年に企画したもの。以後25年におよぶ歳月を費やして完成された。第1巻は,慶喜の誕生と幼児期について記す第1章から,安政の大獄にともなう隠居謹慎を解かれる第7章まで。巻末に解説を付す。
1967年04月刊

【閲覧画面サンプル】
徳川慶喜公伝 1 全体

【上記の拡大画像】
徳川慶喜公伝 1 拡大

【目次】
表紙
(扉)
第一章 誕生及幼時
誕生
三家の起立
水藩の歴代
修史事業の再盛
治紀卿の藩政改革と党争の萌芽
藤田・立原・両派の和解
斉脩卿養子の内議
烈公推戴説と其反対
烈公相続
烈公の初政、両派の調和
公の幼時
御母登美宮吉子
公の兄
公の弟
公の姉
公の妹
第二章 一橋家相続
文化・文政の世態
財政の窮乏
武備の弛廃
改革の率先者は水戸烈公
烈公の藩政改革
水藩の勢力
烈公の幕政改革意見
水野忠邦の改革
水野忠邦の免黜と其敗因
烈公と忠邦
烈公の就封
文明夫人下向の請願
烈公の日光予参
烈公滞府の不許可
蝦夷地下賜の内請
烈公に対する大奥の悪感情
烈公の恩命
烈公奇禍の伏因
東藩文献志の編纂に関する紛擾
藩政改革に対する巨室・門閥の反対
就封後の人材登用と新政
立原派と門閥派との合同
寺社改正の失敗
文明夫人下向の再願
幕府尋問の七箇条
七箇条以外の禍因
烈公の慎隠居
結城寅寿の奸計
所謂奸党・天狗党
烈公雪冤の運動
高橋多一郎の幕府大奥への入説
阿部正弘の調和政策
一橋家相続の内命
出府
一橋家相続の公命
相続の事情
三卿の地位
三卿養子相続の新例
公入府の理由
公を選びし理由
家慶公公を西城に入るゝの内意
一橋家移徙
一橋家の歴代及領分
元服・改名
駒込邸覲省
家慶公の親愛、一条家との婚約
一橋家相続の水戸藩に及ぼせる影響
慶篤卿縁組の命
家慶公小金原鹿狩と烈公の上書
烈公宿望の貫徹と台諭の懇切
小金原鹿狩の扈従
烈公の藩政相談は有名無実
幕府の調停
家慶公の小石川邸臨駕
烈公の内訴、両党の反目
興津・内藤・両老臣黜斥の幕命
慶篤卿の苦衷
烈公の登城、線姫の入輿
公と父兄
結婚
第三章 相続前後の外国関係
一橋家相続と公の運命
露国の南下
北地巡見の始
露使ラックスマンの来朝
レザノフの来朝、露人の北地劫掠と敵愾心
英艦の狼藉と敵愾心
外船取扱の寛厳
水戸の攘夷論
天保十三年の打払令廃止
烈公の抗議
烈公の国防意見
烈公と阿部正弘
打払令復旧論の頓挫
琉球事件と烈公の打払論復活
大艦製造の幕議
日米交渉の始
米使ペリーの渡来
浦賀奉行属吏の応接
江戸近海防備の薄弱
内海の警衛と烈公への謀議
米艦の測量及示威運動
国書受領の幕議
烈公と阿部正弘との会談
国書受領、米艦退去
烈公の国防自任
幕府のぶらかし策
国防の著手、烈公の参加
家慶公の薨去と其顧命
外国時宜の諮詢、烈公の幕政参与
烈公の海防意見十条
内海台場の取建、大船製造の解禁
米国政府のペリーに与へたる訓令
海外列国の対東洋事情
露使プーチャチンの渡来
露使応接掛の出発
米艦再来と其理由
国論の傾向は主戦
ぶらかし策の一成一敗
神奈川条約議定
条約調印後に於ける幕府の二派
烈公の辞意
阿部正弘の辞意
烈公の軍制改革担任
英国との約定
露国との通好条約
唐太国境の議
官吏在留の件
露使との再交渉
軍制改革の不成功
幕閣の動揺
堀田正睦の老中上座
烈公の堀田正睦との乖離
水藩の党禍と公の苦心
烈公の失権
米国総領事ハリスの渡来
外国貿易開始問題
ハリスの参府謁見の要求
ハリスの強硬談判
公の諫言と烈公の退隠
ハリス謁見、堀田正睦の延見
ハリスとの条約談判及其締結
公の対外意見
烈公の激怒
公の調停
諸大名の開国説、条約勅許奏請の世論
第四章 将軍家継嗣の外議
継嗣問題の由来
松平慶永の首唱
継嗣問題の発展
水藩の動静
松平慶永の勧誘
南紀党の由来
大奥と南紀党
老中と南紀党
公の辞退
ハリス渡来と継嗣問題
島津斉彬の建議
堀田正睦の上京と一橋党の苦策
京都に於ける両党の暗鬪
江戸に於ける両党の対抗
京都・江戸に於ける両党の勢力
公の相続辞退の意思
橋本左内の策
松平忠固の井伊直弼推薦
堀田正睦の松平慶永推薦
井伊直弼の大老就職
直弼就職後の養君問題
幕府有司の黜陟
養君治定
第五章 亜米利加条約調印と公の登城停止
朝幕関係の沿革
孝明天皇の勅諭
幕府の奏聞
朝廷尊崇
京都警衛
幕府の事々奏聞と朝権拡張
時勢の推移と政権返上の端緒
都筑峯重の上京
林〓・津田正路の上京
堀田正睦・川路聖謨・岩瀬忠震の上京
朝廷と大名との接近
烈公の京都手入の説
尾州及諸藩の態度
公家と大名との婚姻関係
堀田正睦の上京と京都の形勢
朝議の強硬と廃帝説の流言
和親貿易は諸大名に下し再議して奏上すべしとの勅答
鷹司・九条・両公の進退
九条関白専決の内情
鷹司太閤の変説、九条関白の孤立
三家以下諸大名再応衆議の上言上すべしとの勅答
条約調印延期の公約
勅答の布告と大名の意見
尾水両卿の答議
烈公の廟算伺書
米使の調印勧告
幕府の評定
井伊大老の態度
条約調印
調印の奏聞及諭告
公の大老詰責
烈公の幕閣更迭計画
烈公等の不時登城
松平慶永の大老詰問
烈公等の責罰、公の登城停止
将軍家定公薨去
第六章 安政の獄と公の慎隠居
条約調印後の形勢
孝明天皇の宸憂
譲位の内勅
三家・大老・召命の内情
召命に対する幕府の答奏
公卿の九条関白排斥運動
書生の勢力
井伊直弼の対京都策
直弼の水戸圧迫
三連枝の水藩監視
九条関白と鷹司太閤の暗鬪
島津斉彬の訃報と京都形勢の一変
水藩降勅について志士の内情
水藩降勅について朝廷の事情
幕府への勅諚
水藩への別紙
勅諚奏下の裏面
勅諚に対する幕府及水藩の態度
降勅後の京都
九条関白排斥運動の再発
島田左近・長野主膳の計画
志士の離散と憤激
関白辞職に対する幕府の防禦策
間部詮勝に対する朝廷の態度
詮勝参内、第一回の分疏
将軍宣下
志士糺問、朝廷の震慴
詮勝第二回の分疏
叡慮と詮勝第三回の分疏
勅旨と第四回の分疏
志士拘禁と公卿の屏息
御疑念御氷解の勅諚
在京幕吏の不和
堂上処分
四公落飾
江戸に於ける京囚の吟味
水藩の党争と小金駅屯集
三連枝の干渉解除
屯衆の解散と志士の地方遊説
将軍宣下の大礼と水戸藩
水戸藩の対幕策
間部詮勝の帰府と水戸藩
安島帯刀等の召喚
再度の小金屯集
烈公及水戸慶篤の処罰
公の隠居慎
諸士の処罰
幕吏の処罰
幕府の献金
大獄の性質
断獄拡大の情勢
第七章 公の謹慎解除
勅諚の処置
幕府の勅諚回収運動
還勅可否の意見
長岡の屯衆
還勅の延期
激党と屯衆との内通
激徒処分
藩府の出兵と異議百出
還勅の逡巡
大老排斥の由来及其変化
水薩両藩士の隠謀
薩藩の事情
金子孫二郎等の出府
桜田門外の変
大老卒後の幕閣
彦根藩に対する幕府の処置
水戸藩に対する幕府の処置
水藩の激徒と幕府の強圧策
還勅催促の勅諚奏請
幕議変化の由来
烈公の薨去及其小伝
烈公の永蟄居免除
公の哀慕と其歌
公の慎御免
還勅猶予の許可、公出身の気運
開港・貿易開始
遣米使節
攘夷党の憤懣
外国人殺傷
各国公使の態度
東禅寺の襲撃
水戸激派の取締
東禅寺衛兵の暴動
両都・両港・開市延期の議
延期談判使節の歴訪
英国の延期承諾
公武合体策、和宮降嫁の発端
攘夷実行を条件としての降嫁
和宮の固辞、譲位の叡慮
和宮下向期限の交渉
降嫁の頓挫
和宮の発輿及婚礼
千種有文・岩倉具視への密勅、幕府の奉答
雄藩と志士
解説(藤井貞文)
裏表紙
上記は、日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書サービス「ジャパンナレッジ」のサンプル記事です。

ジャパンナレッジは、自分だけの専用図書館。
すべての辞書・事典・叢書が一括検索できるので、調査時間が大幅に短縮され、なおかつ充実した検索機能により、紙の辞書ではたどり着けなかった思わぬ発見も。
パソコン・タブレット・スマホからご利用できます。


徳川慶喜公伝 1の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 19
※検索結果は本ページの作成時点のものであり、実際の検索結果とは異なる場合があります
検索コンテンツ
1. 『徳川慶喜公伝』
日本史年表
1918年〈大正7 戊午〉 この年 渋沢栄一 『徳川慶喜公伝』 刊。
2. 徳川慶喜公伝 1
東洋文庫
そそぐため明治26年に企画したもの。以後25年におよぶ歳月を費やして完成された。第巻は,慶喜の誕生と幼児期について記す第章から,安政の大獄にともなう隠居謹慎
3. 徳川慶喜公伝 3
東洋文庫
画したもの。以後25年におよぶ歳月を費やして完成された。第3巻は,禁裏守衛総督への就任を記す第15章から,将軍職就任をへて,長州処分と水戸改革の成否を記す第25
4. 徳川慶喜公伝 2
東洋文庫
費やして完成された。第2巻は,将軍の後見職への就任を記す第8章から,再度上洛し朝議に参与する第14章まで。
5. 1918年〈大正7 戊午〉
日本史年表
山内量平(71、牧師)。 1115 湯本義憲(70、治水家)。 12・11 土居光華(72、自由民権運動家)。 12・15 角田忠行(85、神道家)。
6. いま学ぶ!渋沢資本主義 /10 引き継がれる「知」ウェブ博物館=黒崎亜弓
週刊エコノミスト 2020-21
の雅号)の建物に「渋沢史料館」を982年に開いた。  転機が訪れたのは90年代。飛鳥山公園の整備に伴い、92年に邸宅敷地万平方メートルを東京都北区に
7. アラビアン・ナイト 2 5ページ
東洋文庫
名ごりの夢       斜線 獅融解    〈蘭医桂川家に生れて〉1322アメリカ彦蔵自伝12  艸 口  協    全二巻18大河内文書      さねとう・
8. 義経記 1 5ページ
東洋文庫
9名ごりの夢       鈴     〈蘭医桂川家に生れて〉惚22アメリカ彦蔵自伝12  艸    全二巻18大河内文書    〈明治日中文化人の交遊〉26長崎
9. 今昔物語集 2 本朝部 5ページ
東洋文庫
98㎜徳川慶喜公伝-~4    全四巻90日本大王国志㎜三十三年の夢3呪蟹7011シーボルト先生-~3〈その生涯及び功業〉 全三巻価明治大正史〈世相篇〉㎜新訂西
10. しぶさわ-えいいち【渋沢栄一】画像
日本人名大辞典
1840−1931 明治-大正時代の実業家。天保(てんぽう)11年2月13日生まれ。渋沢敬三の祖父。生家は武蔵(むさし)榛沢(はんざわ)郡(埼玉県)の名主。一橋
11. シーボルト先生 2 その生涯及び功業 5ページ
東洋文庫
98㎜徳川慶喜公伝-~4    全四巻90日本大王国志㎜三十三年の夢3罵り¶」011シーボルト先生-~3〈その生涯及び功業〉 全三巻価明治大正史〈世相篇〉㎜新訂
12. 菅江真澄遊覧記 3 5ページ
東洋文庫
りの夢       鈴張 籾融解謎    〈蘭医桂川家に生れて〉1322アメリカ彦蔵自伝12  雌 口  協 訳    全二巻18大河内文書      さねとう
13. 昔夢会筆記 徳川慶喜公回想談 341ページ
東洋文庫
で慶喜は訂正を述べているが、慶喜の辞意の内容は『昨夢紀事』にあるものとほぼ符合しており、『徳川慶喜公伝』もこれらによって書いている。またこの訂正は、『昨夢紀事』
14. 大義(たいぎ)親(しん)を滅(めっ)す
故事俗信ことわざ大辞典
・雪女五枚羽子板(1708)もんさく系図「大義にはおやをころすそれからめよといふ所へ」譬喩尽(1786)三「大義(タイギ)には親(シン)をも亡(ホロボ)す」俗諺
15. 徳川慶喜公伝 4 0ページ
東洋文庫
東洋文庫107 平凡社徳川慶喜公伝4 渋沢栄一著
16. 徳川慶喜公伝 1 0ページ
東洋文庫
東洋文庫 88 平凡社徳川慶喜公伝 渋沢栄一 著 藤井貞文 解説
17. にほんしせききょうかいそうしょ【日本史籍協会叢書】
国史大辞典
銭出入帳 100・101近衛家書類 102西郷隆盛文書 103・104採襍録 105再夢紀事・丁卯日記(中根雪江) 106―111続再夢紀事(村田氏寿・佐々木千
18. 萩野由之
世界大百科事典
1860-1924(万延1-大正13) 歴史学者。佐渡国生れ。1886年東京大学卒業後,学習院,東京高師各教授などを経て1901年東京帝国大学教授に就任(192
19. ミリンダ王の問い 3 インドとギリシアの対決 5ページ
東洋文庫
〈キリシタン伝来のころ〉9名ごりの夢       鈴    〈蘭医桂川家に生れて〉1322アメリカ彦蔵自伝12  艸    全二巻18大河内文書      さね
「徳川慶喜公伝 1」の情報だけではなく、「徳川慶喜公伝 1」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶

徳川慶喜公伝 1と同じ物語・伝記・散文・読本・滑稽本・噺本・自伝カテゴリの記事
うつほ物語(宇津保物語)(日本古典文学全集・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典・国史大辞典)
平安時代の物語。題名は首巻の「俊蔭」の巻で、主人公の仲忠が母と杉の洞穴で生活したことによる。従来「宇津保」と書かれていたが、変体仮名の原漢字を用いたもので、題意からは「うつほ(ウツオ)」がよい。成立時代は円融朝(969~984)~
落窪物語(日本古典文学全集・日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
〔一〕今は昔のこと、中納言である人で、姫君を大勢持っていらっしゃった方がおられた。長女や次女の君には婿を迎えて、それぞれ西の対、東の対に派手に住まわせ申しあげなさって、「三女、四女の君には裳着の式をして差し上げよう」と、大事にお世話なさる
唐物語(国史大辞典・世界大百科事典)
中国説話二十七篇を歌物語風に翻訳した物語。一冊。前田綱紀の手記『桑華書志』所収の『古蹟歌書目録』は『漢物語』として作者を藤原成範と伝える。これが『唐物語』を指す蓋然性は高く、院政期の成立と見てよい。各話は王朝物語にもしばしば引用される著名な人物が配される。
とりかへばや物語(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
平安時代末期の物語。運命のいたずらで女装、男装を余儀なくされた異腹の兄妹の物語。作者未詳。三巻三冊または四巻四冊。『とりかへばや』には古本と今本とがあり、古本は散佚、古本を改作した「今とりかへばや」が『とりかへばや』『とりかへばや物語』の名で現存する。
今鏡(日本大百科全書・世界大百科事典)
平安末期の歴史物語。1170年(嘉応2)成立説とそれ以後とする説とがあり、作者は藤原為経(寂超)説が有力。『大鏡』を受けて、1025年(万寿2)から1170年までの歴史を、座談形式を用い、紀伝体で叙述したもの。巻1~3は後一条天皇から高倉天皇までの帝紀、巻4~6は藤原氏
物語・伝記・散文・読本・滑稽本・噺本・自伝と同じカテゴリの記事をもっと見る


「徳川慶喜公伝 1」は古典に関連のある記事です。
その他の古典に関連する記事
連獅子(日本大百科全書・世界大百科事典)
歌舞伎(かぶき)舞踊。長唄(ながうた)。河竹黙阿弥(もくあみ)作。能『石橋(しゃっきょう)』の替(かわり)の型からの名称で、1861年(文久1)5月、2世杵屋勝三郎(きねやかつさぶろう)が作曲、初世花柳寿輔(はなやぎじゅすけ)が子芳次郎(よしじろう)
青砥稿花紅彩画(国史大辞典・世界大百科事典)
歌舞伎の世話狂言。二代目河竹新七(黙阿弥)作、五幕。文久二年(一八六二)三月、江戸市村座で十三代目市村羽左衛門(のちの五代目尾上菊五郎)らにより初演。「弁天小僧」「白浪五人男」などの通称で知られる。日本駄右衛門・弁天小僧菊之助・赤星十三郎・忠信利平
(国史大辞典・世界大百科事典)
歌舞伎の荒事劇の一つ。元来独立の狂言ではなく、江戸歌舞伎の狂言中に設定された類型的な一場の通称。危機的な場面に「しばらく、しばらく」と声をかけて主人公が登場することから『暫』と呼ばれた。初代市川団十郎の創始と伝えられ、内容を確認できる最古のものは
大塔宮曦鎧(新版 歌舞伎事典)
(1)人形浄瑠璃。時代物。五段。角書「太平記/綱目」。別名題《太平記曦鎧》。竹田出雲・松田和吉作。近松門左衛門添削。享保八(1723)年二月大坂・竹本座初演。《太平記》に題材を仰いだ作品で、北条氏討伐を図って挙兵した大塔宮が苦難の後に六波羅を攻略する
伊賀越道中双六(新版 歌舞伎事典・日本大百科全書)
(1)人形浄瑠璃。時代物。十段。近松半二・近松加作の作。天明三(1783)年四月大坂・竹本座初演。上杉家家老和田行家の子息志津馬が姉婿唐木政右衛門の助力を得て父の敵沢井股五郎を討つまでを描いた作品。安永五(1776)年一二月大坂・嵐座上演の奈河亀輔作
古典に関連する記事をもっと見る


ジャパンナレッジは約1700冊以上(総額750万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のインターネット辞書・事典・叢書サイト」です。日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶