1. 『御堂関白記』
日本史年表
宋僧源清の求めに応じ、経論疏義に返牒を添えて送る(本朝文粋一二・権記七月一三日条)。藤原道長、 『御堂関白記』 を記す(~寛仁5年(治安元年))。
2. 御堂関白記
日本大百科全書
しかし道長は、内覧、摂政せっしょう、太政だいじょう大臣にはなったが関白にはなっていないので、『御堂関白記』の名称は、正確にいえば誤りであるが、江戸時代の諸本に用
3. 御堂関白記
世界大百科事典
《入道殿御暦》《法成寺入道左大臣記》など多くの名称があるが,江戸時代に近衛家煕の新写本に用いられた《御堂関白記》の称が最も広く流布した。ただし道長は関白にはなら
4. みどうかんぱくき[みダウクヮンパクキ]【御堂関白記】
日本国語大辞典
日記。原巻数三六巻。藤原道長著。長徳四年(九九八)から治安元年(一〇二一)まで書かれ、そのほとんどが自筆本または良質の写本の形で現存する。変体漢文による公私生活
5. みどうかんぱくき【御堂関白記】
国史大辞典
集』に収められている。→藤原道長(ふじわらのみちなが) [参考文献]『御堂関白記』下解題(『大日本古記録』)、『御堂関白記』五解説(『陽明叢書』記録文書篇一)、
6. 御堂関白記(著作ID:504983)
新日本古典籍データベース
みどうかんぱくき 道長公記 法成寺摂政記 御堂摂政記 御堂殿御記 藤原道長(ふじわらみちなが) 日記
7. あいだ[あひだ]【間】
日本国語大辞典
られる。(1)(接続助詞のように用いて)原因、理由を示す。…によって。…が故に。…ので。*御堂関白記‐寛弘八年〔1011〕六月一三日「東宮雑事不
8. あか‐うま【赤馬】
日本国語大辞典
*日本書紀〔720〕雄略九年七月(前田本訓)「赤駿(アカウマ)に騎(の)れる者(ひと)に逢ふ」*御堂関白記‐長和二年〔1013〕八月五日「件奉幣使可
9. 敦成親王・後一条天皇
日本史年表
2・7 後一条天皇 即位(小右記)。 1018年〈寛仁2 戊午④〉 1・3 後一条天皇 元服(御堂関白記)。 1027年〈万寿4 丁卯〉 11・26 天皇 、法
10. あまたぐん【天田郡】京都府
日本歴史地名大系
寛和元年(九八五)であるが(日本紀略)、寛弘八年(一〇一一)にも再び主基にあたっている(「御堂関白記」八月一五日条)。なお大嘗会には殿上の歌人が悠紀・主基両国の
11. あめ‐うし【黄牛・牝牛】
日本国語大辞典
「牛 〈略〉牝(め)牛は諸国ともに、あめうじと呼なり」(1)「御堂関白記」や「吾妻鏡」など記録類に、御所などが移転する時に黄牛を牽いたという記事が多数見られ、「
12. あら‐よ【荒世】
日本国語大辞典
和世
」*
御堂関白記‐寛弘七年〔1010〕六月三〇日「神祇官奏
13. あん‐ない【案内】
日本国語大辞典
語〔1001~14頃〕夕顔「かの、惟光があづかりの垣間見は、いとよくあない見とりて申す」*御堂関白記‐寛弘元年〔1004〕正月二七日「入
14. あん‐もん【案文】
日本国語大辞典
寺料
」*
御堂関白記‐長和五年〔1016〕七月一〇日「源中納言行
15. い‐か【医家】
日本国語大辞典
〔名〕医療を業とする家。また、その人。医師。医者。いけ。*
御堂関白記‐寛仁三年〔1019〕二月六日「陰陽師、医家申可
食
16. いさがわじんじゃ【率川神社】奈良県:奈良市/奈良町/本子守町
日本歴史地名大系
行事御障子文」に「四月、三枝祭事」とみえ、「延喜式」四時祭にも四月の祭にあげられている。「御堂関白記」「年中行事秘抄」などによると、三枝祭は四月二九日に行われて
17. 和泉式部画像
日本大百科全書
生年は円融えんゆう朝(970年代)とする説が有力。「雅致女式部」(拾遺集)、「江ごう式部」(御堂関白記みどうかんぱくき)という女房名があることから、娘時代すでに
18. 和泉式部日記 85ページ
日本古典文学全集
たまはむままにしたがひて、さぶらふ。 長保六年(一〇〇四)。この年の院拝礼の史実は三日(御堂関白記)だが、一日から三日間にわたるらしいので一日(ついたち)と記
19. いだしあこめ【出衵】画像
国史大辞典
狭義の裾短かの仕立ての衵によるものとの二種がある。狭義の出衵は、狩衣の下着としての風流の着装法をさす。『御堂関白記』に長和五年(一〇一六)四月二十四日の賀茂祭の
20. 一帝二后
日本史年表
藤原遵子 を皇太后、 藤原定子 を 皇后 、 藤原彰子 を中宮とする( 一帝二后 の初例)(御堂関白記・権記)。
21. いち‐りょう[‥リャウ]【一両】
日本国語大辞典
」*菅家文草〔900頃〕三・中途送春「風光今日東帰去、一両心情且附陳」*御堂関白記‐寛仁二年〔1018〕五月二一日「去月立間 雨一両降後久不
22. いっ‐ぷく【一幅】
日本国語大辞典
〔名〕書画などの掛け軸の一つ。また、一つの画題、場面。*御堂関白記‐長和元年〔1012〕九月二一日「入唐寂照消息書、并所送天竺観音一幅」*日葡辞書〔1603~0
23. いでい の 上達部(かんだちめ)
日本国語大辞典
「いでい(出居)の座」にいる公卿(くぎょう)。*
御堂関白記‐寛弘三年〔1006〕八月一六日「内侍召
出居上達部
24. いでい の 座(ざ)
日本国語大辞典
(1)「いでい(出居)(2)」に同じ。(2)「いでい(出居)(3)」に同じ。*御堂関白記‐寛弘四年〔1007〕七月一四日「戊寅、於一条院南殿、東殿、被修仁王会、
25. いでい の 次将(じしょう)
日本国語大辞典
「いでい(出居)の少将(しょうしょう)」に同じ。*
御堂関白記‐寛弘八年〔1011〕五月二一日「此日公家被
供
26. いと‐ぐるま【糸車】
日本国語大辞典
〔名〕(1)「いとげ(糸毛)の車」に同じ。*
御堂関白記‐寛弘七年〔1010〕一一月二七日「用
糸車
27. いとげ の 車(くるま)
日本国語大辞典
*宇津保物語〔970~999頃〕蔵開中「民部卿のみ方になん、あたらしきいとげのくるまつくりてあめるを」*御堂関白記‐寛仁二年〔1018〕三月七日「時剋召吉平朝臣
28. いと‐どころ【糸所】
日本国語大辞典
給料物等
、縫殿別所」*
御堂関白記‐寛弘二年〔1005〕五月五日「節会。糸所者薬玉持来」
29. い‐よう[‥ヤウ]【異様】
日本国語大辞典
ース及びアリスの異様に注目する」(2)(形動)普通と変わって様子の変なこと。異常なさま。*御堂関白記‐寛仁元年〔1017〕四月一一日「所
30. い‐ろ【倚廬】
日本国語大辞典
倚廬
」*
御堂関白記‐寛弘八年〔1011〕一一月一六日「戌四点御葬、同時御倚廬」*浜松中納言物語〔11C中〕四「かかるいろの程は
31. いろ‐がみ【色紙】
日本国語大辞典
違いの紙。畳紙(たとうがみ)として用いるものや、交互に配して装飾用とするものなどがある。*御堂関白記‐寛仁元年〔1017〕六月一三日「白銀御仏六体、御経新書色紙
32. いろ‐ざし【色差】
日本国語大辞典
〔名〕(「いろさし」とも)(1)(「ざし」は様子の意)物の色合い。また、顔などの色つや。*御堂関白記‐寛弘四年〔1007〕一二月一三日「依
33. いん‐どう[‥ダウ]【引導】
日本国語大辞典
」*観智院本三宝絵〔984〕中「ただ願、大徳、後世を引導し給へと云」*御堂関白記‐寛弘二年〔1005〕一〇月一九日「従
34. いん‐ねん[‥エン]【因縁】
日本国語大辞典
人のはらにやどるまじきものなれど、この日のもとの国に契むすべるいんえむあるによりて、その果報豊かなるべし」*御堂関白記‐長和元年〔1012〕二月二五日「家業件女
35. うえもん の 督(かみ)
日本国語大辞典
」*大和物語〔947~957頃〕九六「左の大臣、右衛門のかみにおはしける頃、御文たてまつれたまひけり」*御堂関白記‐寛弘三年〔1006〕九月二二日「有
36. うえもん の 志(さかん)
日本国語大辞典
門
」*
御堂関白記‐寛弘元年〔1004〕四月二八日「右衛門志懸犬養為政等也。即遣
37. うえもん の 府生(ふしょう)
日本国語大辞典
えもんのふしょう。*古今和歌集〔905~914〕仮名序「右衛門の府生みぶのただみねらに」*御堂関白記‐寛弘七年〔1010〕九月一五日「有
38. う‐き【雨気】
日本国語大辞典
あまもよい。雨意。*凌雲集〔814〕神泉苑雨中眺矚応製一首〈藤原冬嗣〉「雨気三秋冷。涼風四面初」*御堂関白記‐長保元年〔999〕二月二七日「卯時有
39. う‐ぎ【雨儀】
日本国語大辞典
列立
直昇」*
御堂関白記‐寛弘元年〔1004〕正月一四日「時々雨雪降、式・弾以
40. うこんえ の 将曹(しょうそう)
日本国語大辞典
右近衛府の第四等官。従七位下相当。定員四人。右近の将曹。右近のそうかん。*
御堂関白記‐寛弘三年〔1006〕九月一四日「有
除書
41. うこん の 中将(ちゅうじょう)
日本国語大辞典
勅答
」*
御堂関白記‐寛弘元年〔1004〕三月二八日「右近中将公信朝臣来云、仰事、可
42. うこん の 馬場(ばば)
日本国語大辞典
右近衛の馬場(ばば)。
左近の馬場。*
御堂関白記‐長和五年〔1016〕三月七日「右近馬場馬留使官両三侍、々等罷間、令
43. うさじんぐう【宇佐神宮】大分県:宇佐市/旧宇佐町地区/宇佐村
日本歴史地名大系
て陽明門に押しかけ惟仲の非例を直訴、今度は惟仲が当宮宝殿を封じてしまった(「日本紀略」・「御堂関白記」各同日条など)。ところが「権記」同月二七日条などによると、
44. う‐しょうしょう[‥セウシャウ]【右少将】
日本国語大辞典
勅使
」*
御堂関白記‐寛弘八年〔1011〕二月一〇日「春日使朝臣依
45. うじいん【宇治院】京都府:宇治市/宇治郷
日本歴史地名大系
六条左大臣源重信の後家の手を経て、長徳四年(九九八)一〇月頃藤原道長の手に渡るが(花鳥余情)、「御堂関白記」寛弘元年(一〇〇四)閏九月二一日条に「早行宇治、乗舟
46. うじ の 長者(ちょうじゃ)
日本国語大辞典
貢
之」*
御堂関白記‐長和元年〔1012〕閏一〇月一四日「是氏長者仲遠愁云々、仲遠去年会
47. うた‐の‐すけ【雅楽助】
日本国語大辞典
といふも受領のこどもの、うたのすけ、とのもりのすけ、兵衛のひだりみぎのぞうなどいふなり」*御堂関白記‐寛弘五年〔1008〕一〇月一七日「雅楽亮源登平」
48. うたひめごえ【歌姫越】奈良県:奈良市/秋篠・富雄地区/歌姫村
日本歴史地名大系
永祚元年(九八九)三月の一条天皇の春日行幸(小右記)、寛弘四年(一〇〇七)二月の藤原道長の春日詣(御堂関白記)、また春日祭使(江家次第)など、いずれもここを通っ
49. う‐だいし【右大史】
日本国語大辞典
右弁官局に属し、正六位上相当の官。定員二人。*令義解〔718〕職員・太政官条「左大史二人。右大史二人」*御堂関白記‐寛弘元年〔1004〕九月一四日「不
50. うちのたくみ‐の‐かみ【内匠頭】
日本国語大辞典
たくみのかみ。*万葉集〔8C後〕二〇・四四五二・左注「右一首。内匠頭兼播磨守正四位下安宿王奏之」*御堂関白記‐寛弘四年〔1007〕四月一七日「御禊見物〈略〉前駈