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太平記

ジャパンナレッジで閲覧できる『太平記』の日本大百科全書・国史大辞典・世界大百科事典・日本古典文学全集・日本国語大辞典のサンプルページ

日本大百科全書
太平記
たいへいき

南北朝時代の軍記物語。40巻。
[山下宏明]

成立

足利(あしかが)氏の一支族で九州探題として足利政権の確立に貢献した今川貞世(いまがわさだよ)(了俊(りょうしゅん))の著『難太平記(なんたいへいき)』によれば、暦応(りゃくおう)(1338~42)、康永(こうえい)(1342~45)のころ、法勝寺(ほっしょうじ)の清僧、恵鎮(えちん)(1356没)が、30余巻の『太平記』を、将軍尊氏(たかうじ)を補佐した足利直義(ただよし)のもとに持参し、天台の学僧、玄慧(げんね)(1350没)に読ませたという。『太平記』の成立に、恵鎮は編集者として、玄慧は監修者として参加したらしい。暦応2年(1339)8月の後醍醐(ごだいご)天皇崩御あたりまでを描く未完の作品であったが、その内容に誤りが多く、直義により修正、削除、加筆が命じられ、いったん執筆は中断していたのを、のちに書き継いだという。この成立、加筆の過程で、たとえば『洞院公定(とういんきんさだ)日記』にみえる小島(こじま)法師のような、戦いの敗残者をも含む遁世(とんせい)者で、高い教養の持ち主でもあった物語僧が参加し、1370年(建徳1・応安3)ごろには40巻本が完成していた。読まれるとともに、平家琵琶(びわ)のような曲節は伴わないが音読もされ、説教の後の余興として語られ、やがて太平記読みとして、講釈師により講釈されることになった。
[山下宏明]

諸本

上述のような限られた場で編纂(へんさん)され、その後の流布も限られていたようで、その事情はわからないが早くから巻22を欠き、現存の諸本は、いずれもこの巻を欠く本文を伝えている。すなわち、その巻22を欠いた当時の形を伝える神田(かんだ)本、西源院(せいげんいん)本、玄玖(げんきゅう)本などの古本、この欠巻を前後の巻から記事をつづり合わせてつくろった前田本や流布本、記事を年代順に配列し、他の史料により加筆をも行った天正(てんしょう)本など、古本を41巻ないし42巻に再編成した豪精本などのつごう四類に分かれるが、諸本の間に、『平家物語』の諸本のような、作品の性格を左右する異同はない。
[山下宏明]

内容

文保(ぶんぽう)2年(1318)後醍醐天皇の即位以後、約50年の期間を描く。その第一部、巻1から巻11までは、後醍醐天皇による北条(ほうじょう)幕府討伐の計画から、その成就、建武(けんむ)政権の確立まで、楠正成(くすのきまさしげ)らの動きを軸として描き、完結した物語をなしている。第二部、巻12から巻21までは、建武政権の乱脈を批判しつつ、諸国の武士の、新政に対する不満を背景に足利・新田(にった)の対立、足利の過去の善因による勝利、後醍醐天皇の吉野での崩御までを描く。残る第三部は、観応(かんのう)の擾乱(じょうらん)、直義の死に代表される足利幕府中枢部の内訌(ないこう)から細川頼之(よりゆき)の将軍補佐による太平の世の到来までを描く。とくにこの第二、第三部は、その対象とする動乱のさなかに太平の世を求めて書き継がれた。そのため混乱が多く、物語としての完成度に欠ける。人々の欲望むき出しの下剋上(げこくじょう)の動乱期を、『史記』『文選(もんぜん)』『白氏文集(はくしもんじゅう)』など紀伝道の中国古典に学ぶ儒教的な政道観や歴史観、それに太平の世を求め不思議を期待する聞き手たちの願い、落書にみられる京都の人々の痛烈な批判・風刺の目を通して描く。長文にわたる多くの挿入説話からは、登場人物や事件を物語に位置づける方法を学びとっている。それらの多くの史伝は、歴史観と、人生百般の知恵を供給する百科辞書的な意味をも有している。
[山下宏明]

影響

儒教的な政治論が顕著なためか、『平家物語』に比べて古典化する傾向が少なく、他の作品に及ぼす影響も少ない。一部謡曲や中世小説に素材を提供しているが、幸若(こうわか)舞曲の「新曲」や中世小説の『ゑんや判官(はんがん)』などのように『太平記』の一節をそのまま抜き出した作品がみられるし、とくに近世、封建秩序の安泰を期待する風潮にのって、曲亭馬琴(きょくていばきん)らの読本(よみほん)に、講釈調の教訓や話題を提供した。この点でも『平家物語』と異なる。
[山下宏明]



国史大辞典
太平記
たいへいき
南北朝内乱期を描いた軍記物語。四十巻。成立と作者については明らかでないが、『難太平記』の記述によれば、暦応元年(延元三、一三三八)から観応元年(正平五、一三五〇)までの間に、最初の形が成立したと考えられる。その後何段階かの書き継ぎや添削が行われて、応安末年から永和年間(一三七五―七九)に、現在広く読まれている『太平記』が成立したとする考え方が有力であるが、決定的な史料がなく、今後の研究がまたれる。作者については、『洞院公定日記』応安七年(一三七四)五月三日条に、小島法師の名が記されており、『難太平記』には、恵鎮・玄恵が成立に関係したとある。少なくとも二十年以上にわたって書き継がれたとすると、作者が複数であったとも考えられるが、小島法師については確実な史料がなく、恵鎮・玄恵がどのような役割を果たしたのかも明らかではない。一般に『太平記』は、三部に分けて考えられている。第一部は巻一から巻十一までで、後醍醐天皇の倒幕計画に始まり、楠木正成・新田義貞らの挙兵、足利尊氏の離反などで鎌倉幕府が滅びるまでのことを述べ、軍記物語としてよくまとまっている。第二部は巻十二から巻二十一までで、建武新政の開始と行きづまりから、足利・新田両勢の抗争を中心に、後醍醐天皇が吉野で亡くなるまでのことが書かれている。第三部は分量も多いので、観応擾乱と呼ばれる足利方の内部抗争を記した巻三十四までを前半とし、巻三十五以降の後半は、守護大名諸氏の果てしない戦いを記し、細川頼之の入京で筆を擱いている。第三部、特に巻三十以降には、政治や社会に対する批判が縦横に記されているが、作品としての統一を欠いているところが少なくない。軍記物語の伝統を受けつぐ『太平記』は、『平家物語』の影響を受け、その文章を前提にして合戦などを描いているところも多く、そのために『太平記』の文章には、新鮮な緊張よりも饒舌と誇張が目立つことは否定できない。しかし、平家の盛衰という完結した物語を詠嘆をこめて語る『平家物語』と違い、混沌とした南北朝の時代史を記した『太平記』は、社会の各層の動きを幅広くとらえ、内乱期のさまざまな人間像をよく描き出している。また、そうした中で社会や政治に対する鋭い批評を述べている点も、他の軍記物語にない特色であろう。『太平記』は、仏教的な雰囲気から脱して儒教的なものに近づき、しばしば『史記』を引いて歴史の動きを意味づけ、政治を論じている。『太平記』の異本は、『平家物語』に比して少ない。現在、写本約五十本、古活字本・整版本約三十種が知られているが、今川家本(陽明文庫蔵、『参考太平記』所引)が永正二年(一五〇五)の書写で最も古く、本奥書の年代では宝徳年間(一四四九―五二)の宝徳本・梵舜本がある。写本は、(一)、巻二十二を欠く四十巻本、つまり現存三十九巻の本、(二)、(一)の巻二十六・二十七を三巻に分けた本、(三)、(一)の巻三十二を二巻に分け、巻三十五の一部を別にして巻三十八とし、巻三十六・三十七を併せて一巻にした本、(四)、(一)の巻十四から十八までの五巻を七巻に分けた本、という四系統に分けられ、(一)が古態を伝えると考えられる。(一)の諸本は、神田本系、玄玖本系、南都本系、西源院本系の四系列に分けられる。今川了俊が『太平記』を読んで今川氏に関する記述を不満とし、応永九年(一四〇二)に『難太平記』を著わしたことは広く知られているが、『太平記』は早くから内乱の時代を叙した史書として読まれ、『大日本史』や『日本外史』をはじめ、近世の史書・史論に多大の影響を与えた。また、『太平記』は、『平家物語』が琵琶法師によって語られたのと異なって、講釈の形で享受され、近世に入って太平記読と呼ばれる芸能が成立した。謡曲・幸若舞・御伽草子・浄瑠璃などには、『太平記』から題材をとったものが少なくなく、『太平記』が近世の文学に及ぼした影響は大きい。数々の注釈書も作られたが、『大日本史』編纂の基礎作業として、今井弘済・内藤貞顕がまとめた『参考太平記』は、諸本と関連史料を博捜して『太平記』研究の基礎を築いたものとして注目すべきものである。近代になって、実証的な歴史研究が盛んになると、史書・史論書として広く読まれていた『太平記』は、前近代の巷談俗説の源流の一つとして批判を浴びることになった。久米邦武の「太平記は史学に益なし」(『史学会雑誌』二ノ一六・一八・二〇―二二)は、その代表として名高い。しかし、南北朝内乱期の研究が進むにつれて、『太平記』の記述には、史実の誤認や実在のさだかでない人物の活動など、軍記物語特有の誇張や曲筆はあるものの、時代の本質をよく伝える部分も少なくなく、内乱期の社会や思想の動きを考える上で、かけがえのない豊かな内容を持つ文献であることが認められるようになり、近年基礎的な研究が盛んになりつつある。なお、諸本は、『古典文庫』(梵舜本)、『古典研究会叢書』(神田本)、『(玄玖本)太平記』、『西源院本太平記』、『日本古典文学大系』三四―三六(古活字本)に所収。
[参考文献]
後藤丹治『太平記の研究』、平田俊春『吉野時代の研究』、永積安明『中世文学の展望』、増田欣『『太平記』の比較文学的研究』、山下宏明『軍記物語と語り物文芸』、高橋貞一『太平記諸本の研究』、『戦記文学』(『日本文学研究資料叢書』)、大隅和雄編『太平記人名索引』
(大隅 和雄)


改訂新版・世界大百科事典
太平記
たいへいき

50年にわたる南北朝動乱の歴史を描いた軍記物語。40巻。

成立と作者

南北朝動乱期の不安な世情をよく写している《洞院公定(とういんきんさだ)日記》の応安7年(1374)5月3日条に,(1)〈小島法師〉が4月28日か29日に死んだこと,(2)彼は最近広く世間で愛好されている《太平記》の作者であり,(3)〈卑賤の器〉ではあるが〈名匠の聞(きこえ)〉を得ていること,の3点が記されている。この記事は《太平記》成立当時における,作者に関しての唯一の確実な資料である。つぎに,江戸時代編纂の《興福寺年代記》に,〈太平記ハ鹿薗院殿(足利義満)ノ御代小島ト申シシ人コレヲ書ク。近江ノ国ノ住人〉とある。さらに,歌人,武人として高名であった今川了俊(貞世)が1402年(応永9)に著した《難太平記》には《太平記》の成立に関し注目すべき記述がある。法勝寺の恵鎮上人が《太平記》を30余巻持参して等持寺で足利直義に見せたところ,直義はそれを《建武式目》制定に参画した当時の碩学玄恵(げんえ)法印(玄慧)に読ませた。その結果,直義は〈これは且つ見及ぶ中にも以ての外ちがひめおほし。追て書入れ切出すべき事等あり。その程外聞あるべからず〉といい,〈書入れ切出し〉の改訂作業が行われたが,のち中絶し,また最近書きつがれている,と了俊は記している。

《太平記》の編纂事業は,恵鎮上人の手を離れたのち,足利幕府の監督のもとで玄恵法印が主宰して継続され,小島法師は1350年(正平5・観応1)の玄恵没後もこの事業の中心にいた人物と推定される。また,改訂作業が主として有力守護大名の功名書きに関するものであったことは,《難太平記》の記事からも,また《太平記》諸本の本文の異同からも証明される。記事中の最終年代は光厳法皇の第七回忌が行われた70年(建徳1・応安3)で,《太平記》がほぼ現在の形をなしたのは,現存する最古の写本である永和本(巻三十二に相当する本文を永和ころに書写した零本)が書写された永和1,2年(1375,76)を下限とする1370年代である。

内容と評価

鎌倉末期から室町初期にかけての50年にわたる歴史の動きにあわせて,《太平記》を3部に分けてとらえる考え方が一般的である。第1部は巻一から巻十一まで,すなわち,後醍醐天皇を中心とする人々の北条政権打倒計画に始まり,元弘の乱を中心として楠木正成らの挙兵,足利高氏(尊氏)の寝返りによる六波羅陥落,新田義貞の鎌倉攻撃による倒幕までが記されている。この第1部が作品としては最もまとまっており,巧みな戦術を駆使して幕府正規軍と戦う正成と,畿内の〈悪党〉的武士のゲリラ戦が共感を伴って描かれている。正成の合戦譚が類型化されていることは,それが口承文芸的な要素を持っていることを物語っている。第2部は巻十二から巻二十一までで,建武の中興と呼ばれる公家政権の成立から後醍醐天皇の吉野での死去までを扱っているが,そこでは足利と新田の武士の棟梁権をめぐる争いが中心になっている。作者の新政権への批判は,後醍醐天皇の寵臣万里小路(までのこうじ)藤房の諫言,遁世という形で描かれている。第2部の終りの巻二十一では,守護大名佐々木道誉の〈ばさら〉ぶりや尊氏の執事高師直の乱暴な行為が語られ,この巻が第3部に接続するものであることを示している。第3部は,観応の擾乱(かんのうのじようらん)と呼ばれる,幕府の中枢部に起こった分裂と抗争,その中での尊氏の死を語る前半(巻三十四まで)と,守護大名たちの果てしない権力闘争の中で将軍義詮が死に,幼い義満を補佐して細川頼之が登場し,平和が訪れたとして擱筆される後半とに分けることができる。第3部の特色は,巻三十以後急激に社会・政治批判が強まっていることにある。構想上は数巻を1ブロックとした構成が意図され,そのブロックの中心に宮方の怨霊が登場する章段があり,それを政道批判の視点から発展させた物語がそれぞれ配置されている。具体的にいうと,巻二十七の〈雲景未来記事〉は,巻二十五の〈宮方怨霊会六本杉事,付医師評定事〉の章段を社会・政治批判という角度から新たに語り直したものである。巻三十四の〈吉野御廟神霊事〉と巻三十五〈北野通夜物語〉との関係も同様である。

《平家物語》と《太平記》

《太平記》は《平家物語》に多くを負っているが,それらは主として挿話作成上の影響であって,無常観と呼ばれるような《平家》の思想を《太平記》が継承しているわけではない。《平家》の影響については後藤丹治の研究に詳しいが,そのいくつかを示しておこう。《太平記》巻十八の〈一宮御息所事〉は幸若舞《新曲》にそのままとられている有名な話であるが,これは《平家》巻六〈葵前〉を原拠としている。また,巻二〈長崎新左衛門尉意見事,付阿新殿事〉にあらわれている長崎高資と二階堂道薀の論争,特に道薀の描き方は,《平家》巻二〈教訓状〉の重盛像の影響を受け,巻六〈赤坂合戦事,付人見本間抜懸事〉は《平家》巻九〈一二之懸〉による。また,《太平記》巻十六〈本間孫四郎遠矢事〉は《平家》の巻十一にある那須与一が扇の的を射た有名な一段を模倣して語ったものであるが,与一が神々に祈念して決死の覚悟で弓を射たのに対して,本間の弓射は大向うの喝采を意識した派手なものになっている。

《平家物語》は平家の滅亡という完結した世界を語っており,《太平記》も,第1部では幕府の滅亡までの歴史を完結的に描いているけれども,第3部では未完結の,現実に進行している混沌とした社会を,同時代に生きる者の眼で語っている。たとえば〈北野通夜物語〉では遁世者,雲客,法師の鼎談による社会・政治批評が試みられる。第3部にみられるこうした批評性については,従来論ぜられることが少なかったが,現在の《太平記》研究はこの点を高く評価し,ここに《平家》とは違った《太平記》の独自性を認めている。

《太平記》の流布,享受,影響

《太平記》は15世紀末までは宮廷を中心にした狭い範囲でしか流布せず,現存する主要な伝本のうち16世紀初頭までに書写されたものとしては,さきにあげた零本の永和本のほか,豊臣秀吉が所持したと伝えられる神田本,北条早雲所持本の写本である今川家本,竜安寺の塔頭(たつちゆう)で書写され伝えられた西源院本など数本を数えるにとどまり,多くの伝本は室町時代末の16世紀後半に書写されている。戦国武将吉川元春が1563年(永禄6)閏12月から65年8月にかけて陣中で《太平記》を書写したことは有名であるが,大名家,堂上家,大寺院に所蔵されるようになり,古態本からやがて流布本が作られ,つぎの古活字版の時代を迎え,さらに大量印刷の整版へと移るのである。

《太平記》は後崇光院の《看聞日記》永享8年(1436)5月6日条や《親長卿記》などにみられるように,宮廷とその周辺では早くから音読,朗読される一方,《蔭涼軒(いんりようけん)日録》文正元年(1466)閏2月6,7,8日条や《蔗軒(しやけん)日録》文明18年(1486)3月12日条などにみられるように,暗誦され,そうした享受方法が元禄(1688-1704)ころから大坂や江戸で職業としての〈太平記読み〉を生むことになり,これが講釈,講談につながってゆくのである。

現在詞章が知られている謡曲で,《太平記》の人物を直接活躍させる作品は《鱗形(うろこがた)》《壇風(だんぷう)》《鉢木》《藤栄》の4曲,および明治になってからの新作2曲にすぎないが,《太平記》の記述を本説とした曲は非常に多い。また人形浄瑠璃と歌舞伎には《大塔宮曦鎧(おおとうのみやあさひのよろい)》を代表とする数多くの太平記物がある。滝沢馬琴への影響は広く知られるところである。
[長谷川 端]

[索引語]
小島法師 今川了俊 難太平記 玄慧(恵) 平家物語 後藤丹治


新編 日本古典文学全集
太平記
たいへいき
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【現代語訳】
相模守高時権柄を執る事
さて、我が国の人皇の始めである神武天皇から九十五代目の天皇、後醍醐天皇の御代に、武臣相模守平高時という者がいた。天皇は君主の徳にはずれ、執権高時は臣下の礼を失っていた。そのために天下は大いに乱れ、両者登場以来、一日として安穏な日はなかった。戦いを知らせる狼煙は天を覆い、鬨の声は地を揺るがして鳴り響いた。戦乱の続くこと、現在まで三十数年であり、民は一人として寿命を全うできず、多くの人々がびくびくした生活を余儀なくされていた。

世の乱れの原因をよくよく尋ねてみると、その禍は短期間に始まったことではない。元暦年間に、鎌倉の右大将源頼朝卿が平家を追討して、その功績があったときに、後白河法皇はたいそう感激なさって、頼朝卿を全国六十六か国の総追捕使に任ぜられた。このことによって、鎌倉幕府は諸国に守護を設置し、貴族や寺社の荘園には地頭を置いたのである。その頼朝卿の長男左衛門督頼家、次男右大臣実朝公も、続いて征夷大将軍の地位についた。以上三人を合わせて、

【目次】
目次
古典への招待
凡例

太平記(扉)
太平記 巻第一(扉)
梗概

相模守高時権柄を執る事
京都に両六波羅を居ゑ鎮西に探題を下す事
飢人窮民施行の事
実兼公の女后妃に備はる事
公廉の女御寵愛の事
東夷調伏の事
俊基款状を読み誤りの事
玄恵僧都談議の事
土岐多治見等討死の事
資朝俊基囚はるる事
主上御告文関東へ下さるる事
太平記 巻第二(扉)
梗概
石清水并びに南都北嶺行幸の事
東使上洛円観文観等召し捕りの事
俊基朝臣再び関東下向の事
長崎高資異見の事
資朝誅戮并びに阿新翔ぶ事
俊基朝臣誅戮の事
主上御出奔師賢卿天子の号の事
東坂本合戦の事
山門衆徒等心替りの事
太平記 巻第三(扉)
梗概
先帝笠置臨幸の事
六波羅勢笠置を責むる事
東国勢上洛の事
笠置城没落の事
先帝囚はれ給ふ事
六波羅北方皇居の事
桜山入道自害の事
太平記 巻第四(扉)
梗概
笠置城の囚人罪責評定の事
八歳の宮御歌の事
一宮并びに妙法院流し奉る事
元朝俊明極渡朝の事
先帝隠岐国へ遷幸の事
備前国住人児嶋三郎高徳主上を奪ひ奉る事
呉越戦の事
隠州府嶋皇居の事
太平記 巻第五(扉)
梗概
光厳院御即位の事
正慶大嘗会の事
中堂常灯滅ゆること并びに所々怪異の事
関東田楽賞翫の事
榎嶋弁才天の事
大塔宮南都御隠居後十津川御栖ひの事
太平記 巻第六(扉)
梗概
民部卿三位殿神歌の事
和田楠打ち出での事
宇都宮天王寺発向の事
楠太子の未来記拝見の事
赤松円心則祐令旨を賜ふ事
兵部卿宮芳野出御の事
東国勢赤坂城を攻むる事
人見本間討死の事
太平記 巻第七(扉)
梗概
出羽入道道薀芳野を攻むる事
諸国の兵知和屋へ発向の事
新田義貞綸旨を賜ふ事
赤松円心義兵を挙ぐる事
土居得能河野旗を挙ぐる事
前朝伯州船上還幸の事
太平記 巻第八(扉)
梗概
摩耶合戦の事
三月十二日合戦の事
山崎合戦の事
山徒京都に寄する事
四月三日合戦の事
千種頭中将忠顕合戦の事
朝忠高徳行迹の事
内野合戦敗北の事
谷堂炎滅の事
太平記 巻第九(扉)
梗概
関東武士上洛の事
名越尾張守打死の事
高氏篠村八幡に御願書の事
両六波羅都落ちの事
番馬にて腹切る事
太平記 巻第十(扉)
梗概
高氏京都にて敵になる事
新田殿義兵を挙ぐる事
三浦大多和合戦意見の事
分陪関戸小手指合戦の事
新田義貞鎌倉中に攻め入る事
関東氏族并びに家僕等打死の事
四郎左近大夫入道虚つて自害の事
長崎二郎翔ひの事
高時一門已下東勝寺にて自害の事
太平記 巻第十一(扉)
梗概
五大院右衛門邦時を謀り出だす事
忠顕舟上へ早馬を進らせらるる事
先帝還幸の路次巡礼の事
義貞関東より羽書を進らす事
楠正成兵庫に向ひ供奉する事
菊池入道寂阿打死の事
上野介時直長門探題降参の事
北国探題淡河殿自害の事
金剛山の寄手平城に引き退く事
佐介宣俊形見を送る事

校訂付記
解説
一 成立と作者
二 作者の思想
付録(扉)
皇室系図
北条氏系図
新田氏・足利氏系図
太平記年表
中世の武具
京都歴史地図
熊野・吉野関係地図
近江国関係地図・鎌倉歴史地図
奥付




日本国語大辞典

たいへいき 【太平記】

解説・用例

【一】

軍記物語。四〇巻。小島法師作と伝えるが不明。応安年間(一三六八~七五)の成立か。正中の変・元弘の変、建武中興とその挫折、新田義貞と足利尊氏との確執から南北両朝の対立、室町幕府内の軋轢など、文保二年(一三一八)から正平二二年(一三六七)までの動乱期の様態を和漢混交文で記述する。謡曲、浄瑠璃、草双紙類など、後代文芸に大きな影響を与えた。

【二】〔名〕

「たいへいきよみ(太平記読)」の略。

*浮世草子・好色一代女〔1686〕五・四「長けれど只なら聞物、越後なへが寝物語、道久が太平記(タイヘイキ)」

*浄瑠璃・生玉心中〔1715か〕下「茶屋が藁屋の軒続き、竹の柱に節籠めし、稽古浄瑠璃太平記、琴の連れ歌引替へて」

*雑俳・続真砂〔1730〕「太平記楠ぎりに明き畳」

発音

タイヘ〓

〓[ヘ]〓(ヘ)

辞書

日葡

正式名称と詳細


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8. 太平記
デジタル大辞泉プラス
森村誠一の歴史大河小説。1991~94年刊行。 2012年12月 ...
9. 太平記
日本古典文学全集
鎌倉末期、後醍醐天皇の鎌倉幕府倒幕計画から南北朝中期(足利義満の時代)までの約50年間の争乱を、和漢混交文でいきいきと描いた、全40巻の軍記物語。軍記物最大の長 ...
10. Taiheiki 【太平記】
Encyclopedia of Japan
Gunki monogatari (war tale) of unknown authorship recounting the conflict betwee ...
11. たいへいきあさひのよろい[タイヘイキあさひのよろひ]【太平記曦鎧】
日本国語大辞典
浄瑠璃「大塔宮曦鎧(おおとうのみやあさひのよろい)」の別外題。 ...
12. たいへいきけんぐしょう[タイヘイキケングセウ]【太平記賢愚抄】
日本国語大辞典
室町後期の註釈書。四〇巻。釈乾三著。天文一二年(一五四三)成立。「太平記」の難語や熟語に、「論語」などの漢籍を引用しつつ注解を付けたもの。タイヘ ...
13. たいへいき‐こうしゃく[:カウシャク]【太平記講釈】
日本国語大辞典
〔名〕「たいへいきよみ(太平記読)」に同じ。*浄瑠璃・大経師昔暦〔1715〕中「見る影細き釣行燈太平記講釈、赤松梅龍と記せしは」タイヘ ...
14. 太平記綱目
世界大百科事典
述べ,さらに《太平記抄》《太平記賢愚抄》や著者説による語釈を載せる。近世初・中期の《太平記》評判・注釈を集成したもので,《太平記大全》よりも詳しく,《太平記》講 ...
15. たいへいきしょう【太平記鈔】
デジタル大辞泉
江戸初期の注釈書。40巻8冊。世雄房日性(円智)著か。慶長15年(1610)刊とされる。太平記の難語句・地名・人名に詳細な注解を施す。  ...
16. たいへいきしょう[タイヘイキセウ]【太平記鈔】
日本国語大辞典
江戸初期の注釈書。四〇巻。著は世雄房日性か。慶長一五年(一六一〇)頃刊。「太平記」の難語句に注解をしたもの。タイヘ ...
17. 太平記忠臣講釈
世界大百科事典
人形浄瑠璃。近松半二,三好松洛,竹田文吉,竹田小出雲,筑田平七,竹本三郎兵衛作。1766年(明和3)10月大坂竹本座初演。10段。《仮名手本忠臣蔵》などの先行作 ...
18. たいへいきちゅうしんこうしゃく【太平記忠臣講釈】
デジタル大辞泉
浄瑠璃。時代物。10段。近松半二・三好松洛らの合作。明和3年(1766)大坂竹本座初演。「仮名手本忠臣蔵」などの先行作を参考に、赤穂義士の仇討(あだう)ちを脚色 ...
19. たいへいきちゅうしんこうしゃく[タイヘイキチュウシンカウシャク]【太平記忠臣講釈】
日本国語大辞典
近松半二・三好松洛・竹田文吾・竹田小出雲らの合作。明和三年(一七六六)大坂竹本座初演。赤穂義士の復讐を「太平記」の世界に擬して脚色したもの。忠臣蔵物中、「仮名手 ...
20. たいへいきちゅうしんこうしゃく【太平記忠臣講釈】
歌舞伎事典
人形浄瑠璃。近松半二・三好松洛・竹田文吉・竹田小出雲・筑田平七・竹本三郎兵衛作。明和三(1766)年一〇月大坂・竹本座初演。一〇段。《仮名手本忠臣蔵》などの先 ...
21. たいへいき‐ば【太平記場】
日本国語大辞典
〔名〕「太平記」など軍記を講釈する場。講釈場。*西洋道中膝栗毛〔1870〜76〕〈仮名垣魯文〉六・上「私は落語(はなし)よりは講釈の方が好だから太平記場(タイヘ ...
22. 太平記評判秘伝理尽鈔
世界大百科事典
太平記》の注釈・論評書。40巻。近世初期に大運院陽翁などが関与して成立したものか。《太平記》の主要章段に兵法や倫理面から論評を加え,異伝・裏話の類を補説する。 ...
23. 太平記物
世界大百科事典
たいにつたけいず) 後醍醐天皇隠岐の配所 女楠 女楠太平記 八陣太平記 兼好法師物見車 碁盤太平記 仮名手本忠臣蔵 太平記忠臣講釈 太平記菊水之巻 ...
24. たいへいきもの【太平記物】
歌舞伎事典
の二の替り狂言《太平記》十番続、同三の替り《後醍醐天皇隠岐の配所》、正徳三年三月京・亀屋座の《女楠》、同年一一月江戸・中村座の《女楠太平記》、享保一二年一一月同 ...
25. 太平記読[図版]
国史大辞典
人倫訓蒙図彙 (c)Yoshikawa kobunkan Inc.  ...
26. たいへいきよみ【太平記読】
国史大辞典
このような太平記読も宝永ごろより次第に衰え、『太閤記』『三河後風土記』などの軍談に人気が移っていったが、清左衛門の子孫は、浅草御門の傍で家主を兼ねながら太平記読 ...
27. 太平記讀(たいへいきよみ)
古事類苑
樂舞部 洋巻 第2巻 507ページ ...
28. 太平記読み
日本大百科全書
太平記講釈ともいい、講談の源流の一つ。『太平記』を読む物語僧・談義僧は15世紀後半には存在したが、芸能者としてはっきり姿を現すのは、『太平記』を批判・評論した大 ...
29. 太平記読み
世界大百科事典
近世初期に大運院陽翁(法華法印日応)らが《太平記評判秘伝理尽鈔》を著したが,これは《太平記》の評論を集大成したもので,後世の〈太平記読み〉の台本の正統となり,そ ...
30. たいへいき‐よみ【太平記読み】
デジタル大辞泉
江戸時代に、道端などで太平記などの軍記物を講釈すること。また、それを職業とした人。のちの講談のもとという。太平記講釈。軍書読み。  ...
31. たいへいき‐よみ【太平記読】
日本国語大辞典
90〕七「太平記読(タイヘイキヨミ)、近世よりはじまれり。太平記よみてのものもらひ〈略〉むしろしきて座をしめ、講尺こそをこりならめ」*浮世草子・好色産毛〔169 ...
32. たいへいき‐こうしゃく【太平記講釈】
デジタル大辞泉
太平記読み  ...
33. 陰徳太平記
世界大百科事典
戦国・織豊期の西日本を舞台とする軍記。岩国吉川(きつかわ)家の老臣香川正矩の遺稿を次男景継(尭真,宣阿)が集成し,1712年(正徳2)に刊行。81巻。大内氏を頼 ...
34. いんとくたいへいき【陰徳太平記】
国史大辞典
父祖の忠節武功を不朽に伝えようとこの書を著わした。さらに景継は京都に遊学し学問と視野を広め、『太平記』の構想をまねてこれを完成した。毛利制覇戦記中で最も詳細であ ...
35. 因伯民乱太平記
日本大百科全書
各種付加税反対がその内容であった。この一揆の騒動記にはたくさんの異本があり、『因伯農乱記』『因幡民乱新太平記』など十指を数え、標題も内容も差がある。本書の特色は ...
36. いんぱくみんらんたいへいき【因伯民乱太平記】
国史大辞典
著者として序文を記している咄聴堂集書先生については不詳。一巻。同一書でも名称が『因伯民乱太平記』『因幡豊饒太平記』『因幡民乱太平記』と三種あり、異本では『因伯農 ...
37. 慶安太平記
日本大百科全書
や)らが幕府転覆を図った、いわゆる慶安事件を扱ったもの。正雪が楠(くすのき)流の軍学者で、『太平記』の主要人物楠木正成(くすのきまさしげ)の子孫と称したという巷 ...
38. 慶安太平記
世界大百科事典
→樟紀流花見幕張(くすのきりゅうはなみのまくばり) ...
39. けいあんたいへいき【慶安太平記】
デジタル大辞泉
慶安の変を題材にした実録本・講談・歌舞伎などの題名または通称。歌舞伎狂言「樟紀流花見幕張(くすのきりゅうはなみのまくばり)」の別名題。  ...
40. けいあんたいへいき【慶安太平記】
日本国語大辞典
初演名題「樟紀流花見幕張(くすのきりゅうはなみのまくばり)」。由井正雪らの慶安事件を題材にした実録本「慶安太平記」による。丸橋忠彌の酔態と、失言により陰謀が暴露 ...
41. 元禄太平記
デジタル大辞泉プラス
1975年放映のNHKの大河ドラマ。徳川綱吉の側用人・柳沢吉保の視点から忠臣蔵事件を描く。脚本:小野田勇、小幡欣治、土橋成男。音楽:湯浅譲二。出演:石坂浩二、江 ...
42. こっけいたいへいき【滑稽太平記】
日本国語大辞典
俳諧伝記。八巻二冊。著者未詳。延宝七年(一六七九)以後成立。俳諧の由来、宗鑑・守武・貞徳以下貞門俳人の伝記・逸話、俳人間の確執等を六六項にわたり記述したもの。誤 ...
43. 護国女太平記
世界大百科事典
記》),それらを核に,《日光かんたんの枕》《増補日光邯鄲枕》《日光霊夢記》《元宝荘子》《宝永太平記》などの実録体小説が出現した。《増補日光邯鄲枕》では,井伊掃部 ...
44. ごたいへいき【碁太平記】
日本国語大辞典
浄瑠璃「碁太平記白石噺」の略称。ゴタイヘ〓キ ...
45. 碁太平記白石噺
日本大百科全書
1780年(安永9)1月江戸・外記座(げきざ)初演。由比正雪(ゆいしょうせつ)の「慶安(けいあん)太平記」の事件に、1723年(享保8)奥州白石の百姓娘の姉妹が ...
46. 碁太平記白石噺
世界大百科事典
という武士を父の仇として討ちとった事件とを結びあわせて脚色した。正雪に関するくだりは先行作《太平記菊水之巻》(1759初演)の影響がある。南朝の遺臣宇治兵部之助 ...
47. ごたいへいきしろいしばなし【碁太平記白石噺】
デジタル大辞泉
浄瑠璃。時代世話物。11段。紀上太郎(きのじょうたろう)・烏亭焉馬(うていえんば)・容楊黛(ようようたい)合作。安永9年(1780)江戸外記座初演。由井正雪の事 ...
48. ごたいへいきしろいしばなし【碁太平記白石噺】
日本国語大辞典
妹信夫が出会う七段目の「揚屋」が有名。題名の「しろいし」はのちに「しらいし」ともよまれる。碁太平記。ゴタイヘ ...
49. ごたいへいきしろいしばなし【碁太平記白石噺】
歌舞伎事典
いう武士を父の仇として討ちとった事件とを結びあわせて脚色した作。正雪に関するくだりは先行作《太平記菊水之巻》(宝暦九年初演)の影響がある。討死を覚悟した楠正成は ...
50. 『碁盤太平記』
日本史年表
1706年〈宝永3 丙戌〉 6・‐ 近松門左衛門作 『碁盤太平記』 、大坂竹本座で初演。  ...
「太平記」の情報だけではなく、「太平記」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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