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  11. 孔子

孔子

ジャパンナレッジで閲覧できる『孔子』の国史大辞典・岩波 世界人名大辞典・世界大百科事典のサンプルページ

国史大辞典

孔子
こうし
前五五二 - 四七九
中国、春秋時代の学者。儒教の祖。諱は丘、字は仲尼。魯の襄公二十一年(前五五二、または同二十二年ともいう)十月庚子(二十一日)、魯国昌平郷陬邑(すうゆう)に生まれた。父は孔〓(こつ)、字を叔梁といい、勇士として知られ、母は顔氏の女で徴在という。先祖は宋国(殷の子孫の封ぜられた国)の人で、『春秋左氏伝』にもその名がみえる。幼少のころ両親を失い、貧賤の身を起して魯国あるいは斉国に仕えたが、四十四歳以後は仕えず、詩書礼楽を修めて弟子を養成した。五十二歳、再び魯に仕えて政治上に手腕をふるい、五十七歳、大司寇(だいしこう)として宰相の職を代行するまでになったが、失脚して国を去った。諸国を周遊して政治的抱負の実現を求めたが、結局、政治に絶望して魯に帰った。時に六十九歳。以後はもっぱら弟子の教育に力を注いだが、晩年、長男の鯉(り)、愛弟子の顔回・仲由(子路)につぎつぎと先立たれ、失意のうちに哀公十六年(前四七九)四月己丑(十一日)魯で没した。年七十四歳。魯の都、曲阜(きょくふ)の北、泗水(しすい)のほとりに葬った。魯国の歴史を資料として『春秋』を著わしたといわれる。また、のちその後継者によって、孔子の言行録が編纂された。これを『論語』という。→儒教(じゅきょう),→論語(ろんご)
[参考文献]
滝川亀太郎『史記会注考証』四七、諸橋轍次『(如是我聞)孔子伝』(『諸橋轍次著作集』六)、貝塚茂樹『孔子』(『岩波新書』青六五)、H・G・クリール『孔子』(田島道治訳)、渡辺卓「孔子伝の形成」(『古代中国思想の研究』所収)
(宇野 精一)


岩波 世界人名大辞典

こうし【孔子
Kǒngzǐ
名:丘 字:仲尼 封号:宣尼公; 衍聖公; 文宣王; 至聖先師など 敬称:尼父; 宣尼; 宣父など
〔ラ〕Confucius
前552(一説に前551)~前479

中国春秋時代の思想家.

祖先は宋の人.父叔梁紇(しゅくりょうこつ)は魯の大夫で,陬(現,山東曲阜)を管轄していた.孔子はその次子で,陬の闕里で誕生.幼時に父を失い,貧しく身分も低かったが,古典や礼楽の勉強に努め,名声が上がり,少なからぬ門人を得た.50歳前後に魯の中都の宰,間もなく魯の司寇となった.〈夾谷の会〉と呼ばれる斉との外交交渉で,魯の定公を助けて斉から土地割譲の成果を挙げ,魯国内の半独立有力者の根拠地の城壁を撤去させるなど,魯の国力向上に貢献した.55歳頃に魯を離れ,衛・陳など諸国に滞在すること14年にして魯に帰る.その後は,魯で再び用いられることなく,古典文献の研究と教育に精力を注いだ.これら孔子の事跡について,諸書の記載には出入りが多く,事実の確定は困難.最も影響が大きい《史記》(孔子世家)の記述も,《春秋》経伝,《論語》などの内容を取り合わせた際の編集上の混乱が明らかに見られる.後に六芸・六経などと総称される経典は,基本的に孔子以前から古典として伝承され,孔子もそれを学んだが,《史記》などによれば,孔子は当時既に混乱していた《書》を修訂して序をつけ,《礼》を整備して記を作り,《詩》や《楽》を大規模に再編集し,《易》の意義を解説する伝を書いた他,《春秋》は当時の史官の記録を基礎としながらも,孔子の手によって推敲確定されたものとされる.従って,漢代においては,思想家としてよりも,六芸の伝承者として重視されている.また多くの門人を育て,後にその一門の言行録が《論語》としてまとめられた.孔子の思想が語られる場合は,主に《論語》がその根拠とされる.孔子門下から発展し,後に儒家と呼ばれる学問は,経典の学習と,安定した社会を形成する人間関係の実践を重んじた.漢代から辛亥革命に至るまで,孔子は中国歴代王朝の絶大な尊崇を受け,中央・地方の学校には孔子廟が並立され,読書人は孔子を〈先師〉と崇めた.



世界大百科事典

孔子
こうし
Kǒng zǐ
前551-前479

中国,春秋時代の思想家。名を丘,字を仲尼といい,魯の陬(すう)(山東省)の生れ。その73歳の生涯は,周王朝の支配体制がくずれ,諸侯の対立抗争する春秋末の動乱期に過ごされている。当時,魯国でも君主の威権は地に落ち,季孫氏・孟孫氏・叔孫氏という3公族が政治を専断していた。さらに3公族のうちもっとも強力な季孫氏では,家臣の陽虎が権勢をふるい,下剋上の様相さえあった。

 幼いとき父に死別した孔子は,貧困と苦難のなかに育った。青年時代,季孫氏に仕えて委吏(倉庫番),司職(家畜係)となったことがある。きわめて低い地位である。のち魯の定公に召されて中都(邑の名)の宰となり,やがて司空(農事の長官),大司寇(だいしこう)(司法の長官)に累進し,55歳のとき宰相の職務をも代行して,その治績は大いに見るべきものがあったという。だが3公族の横暴に義憤をいだき,改革をはかって失敗し,やむなく職を退いて亡命の旅にでた。衛,陳,宋,蔡,楚を漂泊すること14年,諸侯に遊説してまわったが,その徳治主義の理想を受けいれるには,諸国の政情はあまりに厳しく急であった。つぶさに辛酸をなめ,3度まで生命の危険にもさらされている。現実政治への強い執着にもかかわらず,けっきょく68歳のとき宿望むなしく祖国の魯に舞いもどり,以後は世を終えるまで,弟子の教育と研究に専念した。

 もっとも弟子の教育,学園の形成は,すでに壮年時代から始められていた。だから諸国の歴遊にも,子路や顔回ら何人かの門弟がつねに行をともにしている。しかし,帰国してから没するまでの数年間は,まったく一個の民間教育家として余生を送った。〈弟子三千人,六芸に通ずる者七十二人〉と伝えられ,学問の普及に果たした役割には,はかり知れないものがある。

 以上は,司馬遷の《史記》など主として前漢の初めの資料によった叙述で,いわば伝統的な孔子伝である。孔子が没してから《史記》の成立までには,約380年の歳月が過ぎており,この間に孔子の権威はしだいに上昇し,かなり大幅な潤色が加えられたもののようである。たとえば《史記》には,孔子が〈書伝・礼記(らいき)を叙し,詩を刪(けず)り,楽(がく)を正し,易の十翼を序し,春秋を作った〉とあり,六経(りくけい)をことごとく孔子の編集に帰している。だが《詩経》と《書経》に孔子が整理を加えたことは肯定できるものの,他の四経との関係は疑問とされる。また,魯の宮廷年代記ともいうべき《春秋》には,孔子の在世中,魯国の政権をにぎった季孫氏および孟孫氏や叔孫氏の名が頻出するのに,孔子の名は一度も現れない。孔子が大司寇となり宰相の職務を代行したのが事実ならば,当然その名とその活躍が記録されたはずである。《論語》にも孔子が高位に登って敏腕をふるった記事は見あたらない。《論語》に見えるのは,志を得ない,真摯な学匠としての孔子像である。

 しかし,のちに学匠としての偉大さのうえに,世俗的な官位をも高められるようになった孔子は,前漢の初めに儒教が国教となった後,その権威はさらに飛躍する。とくに前漢の末から後漢になると,緯書と呼ばれる一群の書の出現によって,孔子の神格化が進められ,理性的な尊敬の対象から,宗教的な信仰の対象へと転じたことさえあった。孔子の人柄や思想を伝える,もっとも確実な資料は《論語》である。《論語》は孔子とその門人たちの言行や師弟間の問答などを集めたもので,約500の章から成り,使われている漢字の種類はぜんぶで1520字にすぎず,他の古典に比べて平易である。中国の歴史を通じて《論語》ほど広く読まれた書物はない。儒家の経典として尊重されたためでもあるが,《論語》自体に潜む魅力による点も少なくない。そこには現代からみて批判さるべき点もあるけれども,人間肯定の精神に即した人生の英知が,きわめて簡潔な表現で語られている。

 孔子が理想の人物として思慕したのは,周の礼楽文化を定め,周王朝の基礎をきずいた,名宰相の周公である。直接に強い影響をうけたのは,孔子が30歳のころに没した鄭の子産--人間中心の立場,合理主義を力強く宣言した博学の政治家であった--とみられている。《論語》によるかぎり,孔子は常識人であり,凡人であったのではないか,と思われる。偉大な哲学者には常識を超えて,常識のかなたにある真理を発見した者が多いが,孔子は常識を超えるかわりに,常識の下に隠されている真理を発掘しようとした。偉大な凡人なのであろう。

 常識人の孔子は超越的な神について語ることなく,また永遠の問題にも冷淡であった。その関心は現実の人生にいかに処すべきかにあり,理想は高邁に走らず,卑近な現実のなかに求めた。人間相互の愛情を重んじて道徳政治を説き,後世,儒家の祖と仰がれる。
→儒教 →朱子学
[日原 利国]

[索引語]
Kǒng zǐ 孔丘 仲尼 論語 子産
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検索コンテンツ
1. こうし【孔子】(Kǒngzǐ)
世界人名大辞典
見られる.後に六芸・六経などと総称される経典は,基本的に孔子以前から古典として伝承され,孔子もそれを学んだが,《史記》などによれば,孔子は当時既に混乱していた《
2. く‐じ【孔子】
日本国語大辞典
【一】(「く」は「孔」の呉音)「こうし(孔子)【一】」に同じ。*今昔物語集〔1120頃か〕一〇・九「父は叔梁と云ふ、母は顔の氏也。此の孔丘を世に孔子(くじ)と云
3. くじ【孔子】[頭見出し]
故事俗信ことわざ大辞典
孔子(くじ)の倒(たお)れ
4. くじ【孔子】
全文全訳古語辞典
〔名詞〕《呉音読み》儒教の祖の名。孔子
5. くじ【籤・鬮・孔子】
日本国語大辞典
〈東馬場殿庭、内府大将見証〉以〓孔子〓
6. 孔子
日本大百科全書
これらの経典が旧中国で権威を有したのは、孔子の手になるという信仰のためである。孔子の死後、その弟子または再伝の弟子が孔子の言行録を編んだ。『論語』20篇ぺんがそ
7. 孔子
世界大百科事典
て前漢の初めの資料によった叙述で,いわば伝統的な孔子伝である。孔子が没してから《史記》の成立までには,約380年の歳月が過ぎており,この間に孔子の権威はしだいに
8. こう‐し【孔子】
日本国語大辞典
すなわち易、書、詩、礼、楽、春秋を選択編定したとされる。後世、文宣王と諡(おくりな)され、至聖として孔子廟(文廟ともいう)にまつられ、近代に至るまで非常な尊敬を
9. こうし【孔子】[頭見出し]
故事俗信ことわざ大辞典
孔子(こうし)臭(くさ)い・孔子(こうし)倒(だお)れ・孔子(こうし)珠(たま)を穿(うが)つ・孔子(こうし)に=学問(がくもん)〔=語道(ごどう)〕・孔子(こ
10. こうし【孔子】
国史大辞典
作集』六)、貝塚茂樹『孔子』(『岩波新書』青六五)、H・G・クリール『孔子』(田島道治訳)、渡辺卓「孔子伝の形成」(『古代中国思想の研究』所収) (宇野 精一)
11. 孔子 【こうし/コンヅー】
世界文学大事典
政治を婉曲に批判することができるという,文学の効用に孔子が着目していたことにも基づこう。「述べて作らず」(『論語』述而篇)の態度をとった孔子は先人の教えを祖述し
12. 【孔子】こうし
新選漢和辞典Web版
人名。名は丘(きゅう)、字(あざな)は仲尼(ちゅうじ)。子は、男子の美称。儒教の祖。春秋時代、魯(ろ)の人。初め魯の国に仕え、のち去って、天下の諸侯に道を説い
13. 孔子像 (見出し語:孔子)
古事類苑
文學部 洋巻 第2巻 1094ページ
14. 孔子像 (見出し語:孔子)
古事類苑
文學部 洋巻 第2巻 1446ページ
15. 孔子廟 (見出し語:孔子)
古事類苑
文學部 洋巻 第2巻 1433ページ
16. 祭孔子 (見出し語:孔子)
古事類苑
文學部 洋巻 第2巻 1335ページ
17. 孔丘 【こうきゅう】
世界文学大事典
→ 孔子 【こうし】
18. くじ‐くさ【孔子種】
日本国語大辞典
〔名〕孔子(こうし)の説くことに適合するような事柄。また、孔子は仁を説き、みずからも仁者であったところから、きまじめな事柄の意にもいう。*浄瑠璃・傾城三度笠〔1
19. くじ‐だおれ[‥だふれ]【孔子倒】
日本国語大辞典
〔名〕孔子(こうし)のような聖人君子でも、時として失敗することもあるということ。孔子の倒れ。*今昔物語集〔1120頃か〕一〇・一五「馬に乗り給に、吉く恐れ給ひに
20. くじ-だふれ【孔子倒れ】
全文全訳古語辞典
〔名詞〕⇒くじのたふれ
21. くじ に 取(と)る
日本国語大辞典
くじを引いて決める。くじを取る。*古今著聞集〔1254〕四・一二六「左伝・礼記・毛詩を分ちたびて、題をえらばされけり。みな紙切に書分けて、頭の弁朝隆朝臣をして、
22. くじ の 倒(たお)れ
日本国語大辞典
「くじだおれ(孔子倒)」に同じ。*源氏物語〔1001~14頃〕胡蝶「右大将の、いとまめやかに、ことごとしき様したる人の、『恋の山にはくじのたうれ』まねびつべき気
23. 孔子の倒れ
故事俗信ことわざ大辞典
うれへたるも」世俗諺文(1007)「孔子仆(タフレ)」今昔(1120頃か)一〇・一五「馬に乗り給に、吉く恐れ給ひにければ、轡を二度取り□□し鐙を頻に踏み誤ち給ふ
24. 孔子の倒(たふ)れ
全文全訳古語辞典
孔子のような聖人でも、失敗したり、心を迷わしたりすることがある、の意のことわざ。「弘法も筆の誤り」の類。「くじだふれ」とも。 「恋の山には孔子の倒れ」〈源氏・胡
25. くじ の 役(やく)
日本国語大辞典
84頃〕四「孔子(クジ)の役と云は殿中にて正月評定始の時評定方の諸役人列座し将軍家も出御ありて評定始の規式あり。其時役人鬮を取て鬮に当りたる人評定の発言する也。
26. くじ は 三度(さんど)
日本国語大辞典
くじは一度引いただけでは本当のところはわからないの意。*俳諧・世話尽〔1656〕曳言之話「鬮(クジ)は三度」
27. くじ を 取(と)る
日本国語大辞典
くじを引く。くじに取る。*吾妻鏡‐治承四年〔1180〕一〇月三日「賢慮猶危給之間、任〓神鑒
28. くじ を 引(ひ)く
日本国語大辞典
たくさんのくじの中から一つを取る。また、くじで決める。*明治大正見聞史〔1926〕〈生方敏郎〉政府の恐露病と日露戦争・一「寄宿舎にゐる時分になぞ、皆で阿弥陀の籤
29. こうし‐あたま【孔子頭】
日本国語大辞典
こうしがしら。*浮世草子・本朝二十不孝〔1686〕四・四「近年孔子頭にかへて名も夢遊と改めける」*浮世草子・世間子息気質〔1715〕五・三「近年孔子頭(コウシア
30. 孔子改制考
世界大百科事典
書。21巻。1898年(光緒24)刊。康有為は,孔子を六経の刪述(さんじゆつ)者だとする伝統的な経書観を否定し,六経はみな孔子の制作であり,孔子はその時代を改革
31. こうし‐かがり【孔子─】
日本国語大辞典
〔名〕(「かがり」は接尾語)謹厳な様子。まじめな様子。かたくるしい風。*茶屋諸分調方記〔1693〕六「夜に入しょやまでおやかたのまへにてそろばんならして、かうし
32. こうし‐がお[‥がほ]【孔子顔】
日本国語大辞典
〔名〕(孔子のような顔の意から)分別くさい顔つき。謹厳な顔つき。聖人づら。孔子の顔つき。*浮世草子・浮世親仁形気〔1720〕二・二「我とてもすかぬ孔子面(コウシ
33. こうし‐がしら【孔子頭】
日本国語大辞典
〔名〕「こうしあたま(孔子頭)」に同じ。*浮世草子・世間手代気質〔1730〕二・三「月代(さかやき)のばして、孔子がしらにかへて」コーシ
34. こうし‐きょう[‥ケウ]【孔子教】
日本国語大辞典
〔名〕孔子を祖とする教え。儒教。コーシキョー〓[0]
35. 孔子臭い
故事俗信ことわざ大辞典
き物を孔子くさしとなどていふらん」俳諧・西鶴五百韻(1679)早何「本朝通鑑一代の秋〈西花〉洗濯物孔子嗅(クサ)くもうつ衣〈西友〉」浮世草子・好色一代男(168
36. こうし‐くさ・し【孔子臭】
日本国語大辞典
*狂歌・銀葉夷歌集〔1679〕九「聖人はかもなくふかもなき物を孔子くさしとなどていふらん」*俳諧・西鶴五百韻〔1679〕早何「本朝通鑑一代の秋〈西花〉 洗濯物孔
37. 孔子家語画像
日本大百科全書
孔子の言行、逸話を集録した書。略して『家語』ともいう。『漢書かんじょ』芸文志げいもんしの六芸りくげい略論語類には、撰者せんじゃ不明の『孔子家語』27巻が記載され
38. こうしけご【孔子家語】
日本国語大辞典
中国の儒書。現行本一〇巻四四編は魏の王粛の偽作とされる。原本は「漢書‐芸文志」によると二七巻。孔子の言行および弟子との問答(論議)、伝聞などを「左伝」「史記」「
39. こうしけご【孔子家語】
国史大辞典
賜わると、最初に元の王広謀の『標題句解孔子家語』を印行した。いわゆる伏見版である。その後、太宰純(春台)が日本伝存の古鈔本をもって校訂し王注本の旧にかえし『増注
40. 孔子家語(こうしけご)
古事類苑
文學部 洋巻 第3巻 1081ページ
41. 『孔子家語句解』
日本史年表
1515年〈永正12 乙亥②〉 2・‐ 上杉憲房, 『孔子家語句解』 を足利学校に寄進。
42. こうし‐さい【孔子祭】
日本国語大辞典
〔名〕孔子をまつる儀式。釈奠(しゃくてん・せきてん)。《季・春》*俳諧・四季名寄〔1836〕二月「孔子祭 えど霊堂にて春秋二たび」コーシサイ
43. こうしじまときにあいぞめ[コウシじまときにあゐぞめ]【孔子縞于時藍染】
日本国語大辞典
黄表紙。三巻。山東京伝作・画。寛政元年(一七八九)刊。聖賢の御代になり、非人は孔子を論じ、町人は人に物品を施し、女郎は客に金を押しつけ、芝居は礼銭を与えて客を入
44. 孔子珠を穿つ
故事俗信ことわざ大辞典
通すという難題を、孔子が桑摘みの女のヒント「静かに(密)考えなさい」から、玉の穴の出口に蜜をぬり、蟻に糸を引かせて解いたという話。日本の蟻通し説話に類似している
45. こうし‐だおれ[‥だふれ]【孔子倒】
日本国語大辞典
〔名〕「くじだおれ(孔子倒)」に同じ。*宇治拾遺物語〔1221頃〕一五・一二「轡を二たびとりはづし、あぶみをしきりにふみはづす。これを、世の人こうしたうれすと云
46. 孔子倒れ
故事俗信ことわざ大辞典
孔子のような聖人でも、あわててころぶことはある。だれでもまちがうことはあるというたとえ。孔子(くじ)の倒れ。 宇治拾遺(1221頃)一五・一二「孔子また云ふべき
47. こうしどうあと【孔子堂跡】熊本県:菊池市/高野瀬村
日本歴史地名大系
り今其所を亀甲と云近き比迄は孔子堂礎の石とて一つ残り居しを今吟味するに見えず」と記し、「肥後見聞雑記」は「孔子堂之跡尋れ共不分明、松囃子能場之上之方ニ畠之間ニ孔
48. こうし に=語道(ごどう)[=学問(がくもん)]
日本国語大辞典
説く必要のないことをするたとえ。釈迦に説法。*小津桂窓宛馬琴書簡‐天保五年〔1834〕二月八日「釈迦に説経、孔子に語道に似て、をかしく思召候半〓
49. 孔子に=学問〔=語道〕
故事俗信ことわざ大辞典
孔子に学問を説く。その道の専門家によけいな意見や教えを説くこと。説く必要のないことをするたとえ。孔子に論語。釈迦に説法。 小津桂窓宛馬琴書簡‐天保五年(1834
50. 孔子に倒される
故事俗信ことわざ大辞典
思いがけないひどい目にあわされる。「孔子倒(こうしだお)れ」から派生していう。 浄瑠璃・義経新高館(1719)二「女房是非も泣声にて、まる三年を独寝の、つらきが
「孔子」の情報だけではなく、「孔子」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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