滝川亀太郎『史記会注考証』四七、諸橋轍次『(如是我聞)孔子伝』(『諸橋轍次著作集』六)、貝塚茂樹『孔子』(『岩波新書』青六五)、H・G・クリール『孔子』(田島道治訳)、渡辺卓「孔子伝の形成」(『古代中国思想の研究』所収)
国史大辞典
岩波 世界人名大辞典
中国春秋時代の思想家.
祖先は宋の人.父
世界大百科事典
中国,春秋時代の思想家。名を丘,字を仲尼といい,魯の陬(すう)(山東省)の生れ。その73歳の生涯は,周王朝の支配体制がくずれ,諸侯の対立抗争する春秋末の動乱期に過ごされている。当時,魯国でも君主の威権は地に落ち,季孫氏・孟孫氏・叔孫氏という3公族が政治を専断していた。さらに3公族のうちもっとも強力な季孫氏では,家臣の陽虎が権勢をふるい,下剋上の様相さえあった。
幼いとき父に死別した孔子は,貧困と苦難のなかに育った。青年時代,季孫氏に仕えて委吏(倉庫番),司職(家畜係)となったことがある。きわめて低い地位である。のち魯の定公に召されて中都(邑の名)の宰となり,やがて司空(農事の長官),大司寇(だいしこう)(司法の長官)に累進し,55歳のとき宰相の職務をも代行して,その治績は大いに見るべきものがあったという。だが3公族の横暴に義憤をいだき,改革をはかって失敗し,やむなく職を退いて亡命の旅にでた。衛,陳,宋,蔡,楚を漂泊すること14年,諸侯に遊説してまわったが,その徳治主義の理想を受けいれるには,諸国の政情はあまりに厳しく急であった。つぶさに辛酸をなめ,3度まで生命の危険にもさらされている。現実政治への強い執着にもかかわらず,けっきょく68歳のとき宿望むなしく祖国の魯に舞いもどり,以後は世を終えるまで,弟子の教育と研究に専念した。
もっとも弟子の教育,学園の形成は,すでに壮年時代から始められていた。だから諸国の歴遊にも,子路や顔回ら何人かの門弟がつねに行をともにしている。しかし,帰国してから没するまでの数年間は,まったく一個の民間教育家として余生を送った。〈弟子三千人,六芸に通ずる者七十二人〉と伝えられ,学問の普及に果たした役割には,はかり知れないものがある。
以上は,司馬遷の《史記》など主として前漢の初めの資料によった叙述で,いわば伝統的な孔子伝である。孔子が没してから《史記》の成立までには,約380年の歳月が過ぎており,この間に孔子の権威はしだいに上昇し,かなり大幅な潤色が加えられたもののようである。たとえば《史記》には,孔子が〈書伝・礼記(らいき)を叙し,詩を刪(けず)り,楽(がく)を正し,易の十翼を序し,春秋を作った〉とあり,六経(りくけい)をことごとく孔子の編集に帰している。だが《詩経》と《書経》に孔子が整理を加えたことは肯定できるものの,他の四経との関係は疑問とされる。また,魯の宮廷年代記ともいうべき《春秋》には,孔子の在世中,魯国の政権をにぎった季孫氏および孟孫氏や叔孫氏の名が頻出するのに,孔子の名は一度も現れない。孔子が大司寇となり宰相の職務を代行したのが事実ならば,当然その名とその活躍が記録されたはずである。《論語》にも孔子が高位に登って敏腕をふるった記事は見あたらない。《論語》に見えるのは,志を得ない,真摯な学匠としての孔子像である。
しかし,のちに学匠としての偉大さのうえに,世俗的な官位をも高められるようになった孔子は,前漢の初めに儒教が国教となった後,その権威はさらに飛躍する。とくに前漢の末から後漢になると,緯書と呼ばれる一群の書の出現によって,孔子の神格化が進められ,理性的な尊敬の対象から,宗教的な信仰の対象へと転じたことさえあった。孔子の人柄や思想を伝える,もっとも確実な資料は《論語》である。《論語》は孔子とその門人たちの言行や師弟間の問答などを集めたもので,約500の章から成り,使われている漢字の種類はぜんぶで1520字にすぎず,他の古典に比べて平易である。中国の歴史を通じて《論語》ほど広く読まれた書物はない。儒家の経典として尊重されたためでもあるが,《論語》自体に潜む魅力による点も少なくない。そこには現代からみて批判さるべき点もあるけれども,人間肯定の精神に即した人生の英知が,きわめて簡潔な表現で語られている。
孔子が理想の人物として思慕したのは,周の礼楽文化を定め,周王朝の基礎をきずいた,名宰相の周公である。直接に強い影響をうけたのは,孔子が30歳のころに没した鄭の子産--人間中心の立場,合理主義を力強く宣言した博学の政治家であった--とみられている。《論語》によるかぎり,孔子は常識人であり,凡人であったのではないか,と思われる。偉大な哲学者には常識を超えて,常識のかなたにある真理を発見した者が多いが,孔子は常識を超えるかわりに,常識の下に隠されている真理を発掘しようとした。偉大な凡人なのであろう。
常識人の孔子は超越的な神について語ることなく,また永遠の問題にも冷淡であった。その関心は現実の人生にいかに処すべきかにあり,理想は高邁に走らず,卑近な現実のなかに求めた。人間相互の愛情を重んじて道徳政治を説き,後世,儒家の祖と仰がれる。
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