1. 始皇帝
日本大百科全書
この代で秦帝国は崩壊した。尾形 勇始皇帝の遺跡近年の盛大な考古学的調査発掘によって、始皇帝に関する多彩な史料や遺跡、遺構が出現した。まず新しい調査によって、始皇
2. 始皇帝
世界大百科事典
次々と滅亡させ,古代帝国の成立を実現させた(前221)。太古の三皇五帝から採って皇帝の称号を定め,みずからは始皇帝と称して帝位を2世,3世と無窮に伝えることを意
3. し‐こうてい[‥クヮウテイ]【始皇帝】
日本国語大辞典
)【二】〔名〕(秦の始皇帝が松の下で雨を避け、その松に大夫の位を授けた故事から)松をしゃれていった語。*雑俳・柳多留拾遺〔1801〕巻一四下「きの字やの台にはび
4. しん(の)しこうてい【秦始皇帝】(Qín Shǐhuángdì)
世界人名大辞典
生号:皇帝 追号:始皇帝 名:政 称:嬴政; 趙政〔前259~10〕 中国の皇帝[前221/10].秦の荘襄王の子.秦は嬴(えい)姓の国で,始皇帝を〈嬴政〉と
5. うつりょう【尉繚】(Wèiliáo)
世界人名大辞典
家,思想家.魏の人.六国の合従を警戒し,諸国の重臣に賄(まいない)して備えることを秦王政(秦始皇帝)に説いた.秦王はこの計略に従い,彼に対等の人に対する礼でもっ
6. えいえい【嬴嬰】(Yíng Yīng)
世界人名大辞典
中国秦代の王.秦二世(しん(の)にせい)の兄の子(《史記》秦始皇本紀).一説に秦始皇帝の弟の子(《史記集解》李斯列伝).秦始皇帝が死去し[前210],宦官の趙高
7. えん(の)たいしたん【燕太子丹】(Yāntàizǐ Dān)
世界人名大辞典
名:丹〔†前227[始皇帝20]〕 中国戦国時代,燕国の太子.燕王喜の太子.かつて趙に人質に出され,同じ人質の秦の公子政(秦始皇帝)と仲が良かった.政が秦王に
8. おうじちゅう【王次仲】(Wáng Cìzhòng)
世界人名大辞典
中国の書家.ほとんど伝説上の人物で伝記に異説がある.一つは,秦始皇帝時代の人で,倉頡(そうけつ)の旧文を変えて隷書を作ったというもの.始皇帝の時,官務煩多となり
9. おうせん【王翦】(Wáng Jiǎn)
世界人名大辞典
すると王翦に詫びを入れ,王翦は楚に出陣して楚を破った[前223].六国統一[前221]後,秦始皇帝の治世中に没した.〖文献〗 史記73.
10. おうはく【王柏】(Wáng Bǎi)
世界人名大辞典
生没頭.朱熹の経書本文批判の精神を継承しつつ,文献批判研究の世界を開拓.《詩経》《書経》は秦始皇帝の焚書により孔子以来の伝承が失われ前漢初に再編されたと疑って内
11. おうわん【王綰】(Wáng Wǎn)
世界人名大辞典
中国秦代の政治家.秦始皇帝の中国統一の時,廷尉の李斯(りし),御史大夫の馮劫とともに,丞相として帝号の審議を行った[前221].諸侯王の封建を提案したが,李斯に
12. かき【夏姫】(Xiàjī)
世界人名大辞典
たどったため,淫乱・不祥の美女として名高い.なお同名の人物として,秦の孝文王の夫人の一人で,秦始皇帝の父にあたる荘襄王を生んだ夏姫がいる(荘襄王の即位とともに夏
13.
かんぎ【桓
】(Huán Yǐ)
世界人名大辞典
中国戦国時代の軍人.秦の人.《史記》では主に趙との戦争で活躍している.秦王政(秦始皇帝)の時,将軍となり[前237],王翦(おうせん)らと鄴(現,河北臨漳)を
14. かんぴし【韓非子】(Hánfēizǐ)
世界人名大辞典
憂え,しばしば韓王安を文書で諫めたが用いられず,かえって韓非の著書は秦にもたらされ秦王政(秦始皇帝)の関心をそそり,そこで秦は韓を攻めた.果たして韓から韓非が使
15. きりょう【杞梁】(Qǐliáng)
世界人名大辞典
も崩したという伝説が加えられる.さらに後代には杞梁の妻に孟姜女(もうきょうじょ)と名が与えられ,秦始皇帝によって万里の長城建設に動員され命を落とした男の妻の伝説
16. けいか【荊軻】(Jīng Kē)
世界人名大辞典
督亢(とくこう)(河北東部)の地図を手みやげに,秦に使者として派遣され,咸陽宮にて秦王政(秦始皇帝)の引見を受けた.その場で秦王を殺そうとしたが失敗し,左右の者
17. げいふ【黥布】(Qíng Bù)
世界人名大辞典
中国秦末-前漢の武将.六県(現,安徽六安)の人.黥(入れ墨)刑を受けたので黥布とよばれる.驪山の始皇帝陵の建設現場から脱走して群盗となり,項梁,項羽の配下となっ
18. こうぜんり【高漸離】(Gāo Jiànlí)
世界人名大辞典
荊軻の秦王(秦始皇帝)暗殺が失敗に終わり,秦が天下を併せた後は,姓名を変えて酒屋で雇われ仕事をし,宋子の地で隠れていたが,再び筑を撃つようになり,評判は始皇帝に
19. さいたく【蔡沢】(Cài Zé)
世界人名大辞典
とをおそれて病と称して職を辞し,綱成君と号した.秦に10年余り居り,昭王,孝文王,荘襄王,秦始皇帝に仕えた.秦のために燕に使いし[前234],燕太子丹を人質とし
20. さんこう【三皇】(Sānhuáng)
世界人名大辞典
3人の神.戦国時代の三皇は天皇,地皇,泰皇(人皇)であり,《史記》秦始皇本紀にも,秦王政(秦始皇帝)が天下統一を果たした時に王に替わる新たな君主号として天皇,地
21. しゅう(の)へいおう【周平王】(Zhōu Píngwáng)
世界人名大辞典
よって携王が滅ぼされた[前759]後,西周の故地は秦が掌握する.その後,戦国各国が滅ぼされ秦始皇帝の焚書,項羽の咸陽焼討ちを経て,携王の存在は忘れられ,平王即位
22. しん(の)にせい【秦二世】(Qín Èrshì)
世界人名大辞典
追及を恐れた趙高の一派に迫られて自殺した.この間,始皇帝を顕彰する事業を進め,始皇帝が巡守先の各地に建立した刻石の文面の末尾に,それが始皇帝によるものであること
23. しんかい【秦開】(Qín Kāi)
世界人名大辞典
信頼された.燕に帰還してから東胡を襲ってこれを破り,東胡は千里余りも退却した.荊軻とともに秦始皇帝暗殺に出向いた秦舞陽は彼の孫だという.〖文献〗 史記110.
24. じゅんし【荀子】(Xúnzǐ)
世界人名大辞典
免ぜられ,晩年は蘭陵に家居し,「数万言」の著作をのこして死んだと伝えられる.弟子中の有名な人物に,秦始皇帝のもとで丞相となった李斯(りし)と,法家の思想家韓非子
25. じょふく【徐福】(Xú Fú)
世界人名大辞典
(じょふつ) 中国秦代の方士.斉出身.秦始皇帝が不老不死の仙薬を求めたとき,これに応じて「東海に蓬莱・方丈・瀛州の三神山があり,そこに仙人が
26. じんごう【任囂】(Rén Xiāo)
世界人名大辞典
中国秦の武将.秦始皇帝の嶺南遠征の時[前219:始皇帝28],主将の屠睢,副将の趙佗(ちょうた)とともに越族と戦い,屠睢の死後に主将となった.桂林郡,南海郡,
27. たいこう【泰皇】(Tàihuáng)
世界人名大辞典
中国の伝説上の人物.秦王政(秦始皇帝)は天下統一後,臣下に帝号を議論させた.丞相の王綰(おうわん),御史大夫の馮劫,廷尉の李斯(りし)らは,天下を平定してこと
28. ちょうこう【趙高】(Zhào Gāo)
世界人名大辞典
中国秦の宦官,書家.秦始皇帝の死後,偽詔を渙発して皇太子扶蘇(ふそ)に死を賜い,次子胡亥(こがい)(秦二世)を立てて二世皇帝とした.また,丞相李斯(りし)を殺し
29. ちょうりょう【張良】(Zhāng Liáng)
世界人名大辞典
授けた謀臣.韓の人.祖父と父は戦国時代の韓の宰相を務めた.秦が韓を滅ぼす[前230]と,天下巡幸中の秦始皇帝に重さ120斤の鉄槌を投げつけて暗殺を謀ったが失敗し
30. ていばく【程邈】(Chéng Miǎo)
世界人名大辞典
もと衙県の獄吏で,秦始皇帝の時,罪を得て雲陽の獄に繋がれた.獄中で覃思(たんし)すること10年,ついに大小篆の方円を増減して,隷書3000字をつくり,これを上奏
31. てんこう【天皇】(Tiānhuáng)
世界人名大辞典
中国の伝説上の帝王.三皇の一人.戦国時代の三皇は天皇,地皇,泰皇(人皇)であり,《史記》にも,秦始皇帝の時に天皇,地皇,泰皇が議論され,泰皇の〈泰〉を除いて〈帝
32. とうまんぜんう【頭曼単于】(Tóumànchányú)
世界人名大辞典
説あり,頭曼はトルコ・モンゴル語共通のtümän(テュメン;万)で〈万人長〉の意味という.秦始皇帝が派遣した蒙恬(もうてん)に討たれ,オルドスから退去した.蒙恬
33. とぼく【杜牧】(Dù Mù)
世界人名大辞典
代表する文学者として広いジャンルにわたって力を発揮する.賦では進士登第の前に書いた《阿房宮の賦》が名高い.秦始皇帝の宮殿を詠じながら同時代の敬宗(李湛824/2
34. はんおき【樊於期】(Fán Yúqī)
世界人名大辞典
氏:樊 名:於期〔†前227〕 中国戦国時代の軍人.秦の将軍であったが,秦王政(秦始皇帝)に罪を得て,燕に逃げ,燕太子丹のところに身を寄せた.秦王は彼に莫大な
35. ふきゅうはく【浮丘伯】(Fúqiūbó)
世界人名大辞典
.秦帝国が成立すると魯の片田舎に隠棲して,穆生,白生,楚元王劉交などに詩の学問を授けたが,秦始皇帝が焚書するに及び門人は四散した.劉邦の軍が魯を攻囲した時,浮丘
36. ふくせい【伏生】(Fúshēng)
世界人名大辞典
中国秦-前漢の尚書学者.済南(現,山東章丘)の出身.伏は姓,生は尊称.秦の博士.焚書[前213:始皇帝34]の際に《尚書》を壁に隠した.漢の世となってからそのう
37. ふそ【扶蘇】(Fúsū)
世界人名大辞典
名:扶蘇〔†前210〕 中国秦始皇帝の長子.始皇帝が諸生460余人を咸陽に穴埋めにした際[前208],天下安まらずと諫言したが,不興を買い,蒙恬(もうてん)を
38. もうき【蒙毅】(Méng Yì)
世界人名大辞典
中国秦の政治家.蒙恬(てん)の弟.蒙驁(ごう)の孫.秦始皇帝の信頼した忠臣.かつて宦官の趙高に死刑を判決したことがあり,趙高に怨まれていた.始皇帝の死後,趙高の
39. もうきょうじょ【孟姜女】(Mèngjiāngnǚ)
世界人名大辞典
中国の悲劇的伝説の主人公の女性.秦始皇帝の時代,万里の長城建設に動員された夫の范杞梁(はんきりょう)の身を案じて工事現場を訪ねると,彼は既に死んで埋められたと
40. もうてん【蒙恬】(Méng Tián)
世界人名大辞典
〔†前210〕 中国秦の武将.秦始皇帝に信頼された.蒙驁(ごう)の孫.蒙毅の兄.秦の将軍として斉を破った功績で内史となった[前221:始皇帝26].秦は中国を統
41. ゆうせん【優旃】(Yōuzhān)
世界人名大辞典
中国古代の芸能者.秦始皇帝(しん(の)しこうてい)と秦二世(しん(の)にせい)胡亥の2代にわたって仕えた宮廷芸人.優は姓ではなく,俳優の意味で,また旃は字だと
42. りし【李斯】(Lǐ Sī)
世界人名大辞典
学んだ.のち秦の宰相呂不韋(りょふい)に仕え,その推薦により秦王政(始皇帝)の長史となり,のち丞相.天下が統一される[前221]と,始皇帝は諸制度の改革を断行し
43. りし【李贄】(Lǐ Zhì)
世界人名大辞典
る〈人欲〉や〈私〉を人間のありのままの欲望(童心=真心)として肯定したほか,孔子を相対化し秦始皇帝(しん(の)しこうてい)を絶賛するなど,牢固とした既成の枠組み
44. りゅうび【劉濞】(Liú Bì)
世界人名大辞典
〔前214[始皇帝33]~154[景帝3]〕 中国前漢の王.高祖劉邦の兄の劉仲の子.高祖は濞を呉王に封建した時[前196:高祖11],顔に謀反の相を読んで危惧し
45. りゅうほう【劉邦】(Liú Bāng)
世界人名大辞典
沛(はい)(現,江蘇沛県)の農民の出身で,劉太公と劉媼の子.秦二世皇帝の時,亭長の劉邦は,秦始皇帝の陵を建設する人夫の引率中に亡命して群盗となり,陳勝・呉広の反
46. りょふい【呂不韋】(Lǚ Bùwéi)
世界人名大辞典
献上したが,このときすでに呂不韋の子を妊娠していた.女性は男子を生み[前259],政(後の秦始皇帝)と命名された.趙から秦に帰還した子楚は,父の孝文王が即位する
47. ろうあい【嫪毒】(Lào'ǎi)
世界人名大辞典
〔†前238〕 中国戦国時代の政治家.秦の人.秦王政(後の秦始皇帝)の母である太后と淫した呂不韋(りょふい)は事の発覚を恐れたため,大陰の人である嫪毒を舎人とし
48. アッチラとフン族 17ページ
文庫クセジュ
た。匈奴がちゃんとした国家組織をもって集結したのは、秦の諸王が中原に覇を唱え(その最後の王が始皇帝となる)、中国の統一をなしとげたのと、ほぼ同時期と思われる。
49. あ‐ほう【阿呆・阿房(ハウ)】
日本国語大辞典
…美しいといふ」(1)語源については、諸説があり不明であるが、江戸時代には、秦の始皇帝の造った「阿房宮」に結びつける説が一般的であった。この語源説に支えられてか
50. 阿房宮
日本大百科全書
秦の都は統一前の孝公12年(前350)以来、渭水いすい北岸の咸陽かんよう(現在の咸陽市の東)に置かれていたが、始皇帝が天下を統一した紀元前221年に大規模な拡張