NHK大河ドラマ「光る君へ」特集
ジャパンナレッジは約1900冊以上の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書」サービスです。
➞ジャパンナレッジについて詳しく見る
  1. トップページ
  2. >
  3. カテゴリ一覧
  4. >
  5. 歴史
  6. >
  7. 歴史上の人物
  8. >
  9. 日本史上の人物
  10. >
  11. 阿野全成

阿野全成

ジャパンナレッジで閲覧できる『阿野全成』の国史大辞典・世界大百科事典のサンプルページ

国史大辞典

阿野全成
あのぜんじょう
一一五三 - 一二〇三
鎌倉時代前期の僧籍の武士。幼名今若、醍醐禅師・阿野冠者という。また勇力あり悪禅師という。父は源義朝、母は常盤。義朝が平治の乱に敗死したのち母は今若・乙若(義円)・牛若(義経)の三児を連れて逃れたが、平清盛に召し出され、今若は京都の醍醐寺に入って僧となった。治承四年(一一八〇)兄源頼朝挙兵のことを知って十月下総国鷲沼(千葉県習志野市)の宿に兄を訪れ頼朝を感激させた。同十一月には武蔵国長尾寺に住し、やがて駿河国阿野(静岡県沼津市の西方か)に住したようである。北条時政の女を娶り、その間に時元をもうけた。建仁三年(一二〇三)五月謀叛の噂が鎌倉に聞え、将軍源頼家は武田信光に命じて捕えさせて常陸に流した。同六月二十三日八田知家によって下野に誅せられた。五十一歳。上記の時元のほかに頼全・道暁など数子がある。
[参考文献]
『大日本史料』四ノ七 建仁三年五月二十五日条
(渡辺 保)


世界大百科事典

阿野全成
あのぜんじょう
1153?-1203(仁平3?-建仁3)

鎌倉初期の武士。源義朝の子。母は常盤。義経の兄,頼朝の異母弟。幼名今若。平治の乱後,醍醐寺に入れられ悪禅師と号した。1180年(治承4)頼朝の挙兵にあたり京都から下向して参加し,駿河国阿野に住した。北条時政の女阿波局(源実朝の乳母)を妻としていたが,1203年謀反の疑いありとして将軍頼家により逮捕されて殺され,ついでその子頼全も京都で殺された。
[佐藤 圭]

上記は、日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書サービス「ジャパンナレッジ」のサンプル記事です。

ジャパンナレッジは、自分だけの専用図書館。
すべての辞書・事典・叢書が一括検索できるので、調査時間が大幅に短縮され、なおかつ充実した検索機能により、紙の辞書ではたどり着けなかった思わぬ発見も。
パソコン・タブレット・スマホからご利用できます。


阿野全成の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 33
※検索結果は本ページの作成時点のものであり、実際の検索結果とは異なる場合があります
検索コンテンツ
1. 阿野全成
世界大百科事典
1153?-1203(仁平3?-建仁3) 鎌倉初期の武士。源義朝の子。母は常盤。義経の兄,頼朝の異母弟。幼名今若。平治の乱後,醍醐寺に入れられ悪禅師と号した。1
2. あのぜんじょう【阿野全成】
国史大辞典
一一五三―一二〇三 鎌倉時代前期の僧籍の武士。幼名今若、醍醐禅師・阿野冠者という。また勇力あり悪禅師という。父は源義朝、母は常盤。義朝が平治の乱に敗死したのち
3. 阿野全成
日本史年表
1203年〈建仁3 癸亥〉 5・19 源頼家,源頼朝の弟 阿野全成 を謀反の疑いで捕える(吾)。 1203年〈建仁3 癸亥〉 5・25 頼家,阿野全成を常陸国へ
4. あの-ぜんじょう【阿野全成】
日本人名大辞典
1153−1203 平安後期-鎌倉時代の武将。仁平(にんびょう)3年生まれ。源義朝の子。母は常盤御前(ときわごぜん)。源義経の兄。阿野時元の父。平治(へいじ)の
5. 阿野全成[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:0件 【逐次刊行物】:1件 『芳賀郡名墓誌』佐藤行哉
6. あの・あののしょう【阿野・阿野庄】静岡県:沼津市/旧駿東郡地区
日本歴史地名大系
通じて東歌なので当地とみる説が有力である。源頼朝の異母弟(幼名今若)は頼朝の挙兵に応じて東下、のち当地に住して阿野全成と名乗った。全成は建仁三年(一二〇三)謀反
7. あのときもと【阿野時元】
国史大辞典
?―一二一九 鎌倉時代前期の武士。父は阿野全成、母は北条時政の娘。源義朝の孫にあたる。承久元年(一二一九)駿河国から鎌倉へ飛脚が走って、同国阿野(静岡県沼津市
8. 阿野時元
日本史年表
1219年〈承久元(4・12) 己卯②〉 2・22 幕府,駿河国に挙兵した阿野全成の子 時元 を討つ(吾)。
9. あの-ときもと【阿野時元】
日本人名大辞典
?−1219 鎌倉時代の武将。源義朝の孫。阿野全成(ぜんじょう)の子。母は阿波局(あわのつぼね)。将軍源実朝が暗殺された直後の建保(けんぽ)7年,宣旨をうけて関
10. 阿波局
世界大百科事典
つくった。また1203年(建仁3)の阿野全成(頼朝の弟)の謀反・没落も全成の妻であった阿波局が,父時政や姉政子の指示で端緒をつくったとみられる。小田 雄三 阿野
11. あわのつぼね【阿波局】
日本人名大辞典
これを事前に察知して朝光につげて景時を失脚させた。建仁(けんにん)3年源頼朝の異母弟である夫の阿野全成(ぜんじょう)は謀叛(むほん)の疑いで殺されたが,局は政子
12. 伊豆国
世界大百科事典
集まり,鎌倉御家人となった。頼朝の死後,頼家の修禅寺での暗殺,実朝の横死と相次ぐ中で,沼津の阿野全成父子,仁田氏の没落等伊豆の武士の興亡もみられた。この間,北条
13. いでむら【井出村】静岡県:沼津市/旧駿東郡地区
日本歴史地名大系
朝異母弟阿野全成の居館跡とされ、境内に全成と子の時元の墓がある。天文五年(一五三六)一一月二七日に今川義元は「阿野庄内大泉寺領」として田一町二反大などを安堵し、
14. いまわか【今若】
日本人名大辞典
阿野全成(あの-ぜんじょう)
15. ぎえん【義円】
国史大辞典
(一) 一一五五―八一 平安時代後期の僧。源義朝の子。母は常盤。阿野全成(ぜんじょう)・源義経は同母の兄・弟。幼名乙若。初め円成、のちに義円と改む。平治の乱
16. ぎえん【義円】 : 義円/(一)
国史大辞典
(一) 一一五五―八一 平安時代後期の僧。源義朝の子。母は常盤。阿野全成(ぜんじょう)・源義経は同母の兄・弟。幼名乙若。初め円成、のちに義円と改む。平治の乱
17. ぎえん【義円(1)】
日本人名大辞典
1155−1181 平安時代後期の僧。久寿2年生まれ。源義朝(よしとも)の子。母は常盤(ときわ)御前。今若(阿野全成(あの-ぜんじょう))の弟。牛若(源義経)の
18. 義経記 2 170ページ
東洋文庫
盛i七代略一時政宗時義時幼名江間小聖政子頼朝室時房政範女子女子女子畠山重忠妻女子女子女子女子阿野全成妻女子女子   とによってすべてが処理できたのに違いない。そ
19. しくみごう【志久見郷】長野県:下水内郡/栄村
日本歴史地名大系
」とあるから志久見郷も平家の没官領であったとみられる。寿永三年(一一八四)三月六日源頼朝の弟阿野全成(醍醐禅師)の下文(市河文書、以下同文書による)に「下、信濃
20. するがのくに【駿河国】静岡県
日本歴史地名大系
の岡部氏や庵原郡の高橋氏などもみられ、鎌倉初期には阿野庄(現沼津市)を領していた頼朝の異母弟阿野全成などもいた。この時代の主だった庄園としては以下のものが挙げら
21. ぜんじょう【全成】
日本人名大辞典
阿野全成(あの-ぜんじょう)
22. 曾我物語 103ページ
日本古典文学全集
藤原実宣の妻など四人を載せる。『北条系図』(続群書類従)は、この他に足利義兼の妻、畠山重忠の妻、坊門忠清の妻、阿野全成の妻などを載せる。本書では、異腹の妹一人が
23. 太平記秘伝理尽鈔 1 108ページ
東洋文庫
たい。五二故頼朝の御舎弟 (20オ) 頼朝の弟のうち希義・範頼・円成・義経は頼朝生前に死去、阿野全成
24. 太平記秘伝理尽鈔 1 109ページ
東洋文庫
建仁三年(一二〇三)、頼家の代に謀叛の嫌疑により殺害されている。実朝死去の翌二月、阿野全成の子時元らが駿河に挙兵し敗死した事件を踏まえるか。五三伹長隠謀の時 (
25. 常盤御前
世界大百科事典
平安末期の女性。生没年不詳。九条院(近衛院の后藤原呈子)の雑仕女であったが,源義朝の妾となって今若(のちの阿野全成),乙若(のちの愛智円成,義円),牛若(のちの
26. ときわごぜん【常盤御前】
国史大辞典
生没年不詳 平安時代末期の女性。九条院雑仕女。源義朝の妾で阿野全成(今若)・義円(また円成。乙若)・源義経(牛若)の母。平治の乱(平治元年(一一五九))で義朝
27. ときわごぜん【常盤御前】
日本人名大辞典
平安時代後期,源義経(よしつね)の母。九条院の女官から源義朝(よしとも)の妻となり,今若(阿野全成(ぜんじょう)),乙若(義円),牛若(源義経)を生む。平治(
28. ときわごぜん【常盤御前】
日本架空伝承人名事典
平安末期の女性。生没年不詳。九条院(近衛院の后藤原呈子)の雑仕女であったが、源義朝の妾となって今若(のちの阿野全成)、乙若(のちの愛智円成、義円)、牛若(のちの
29. ぬまづし【沼津市】静岡県
日本歴史地名大系
地頭職は北条氏一族に伝えられたとみられる。大岡庄の西隣には金持庄がある。その隣には阿野庄があり、頼朝の弟阿野全成の一族が鎌倉初期に支配し、井出の大泉寺に居館があ
30. 源義経
世界大百科事典
幼名牛若,九郎と称す。平治の乱(1159)で父義朝が敗死したのち母および2人の兄今若(のちの阿野全成(ぜんじよう)),乙若(のちの円成(えんじよう))とともに平
31. みなもとの-らいぜん【源頼全】
日本人名大辞典
?−1203 鎌倉時代の僧。阿野全成(ぜんじょう)の3男。父が甥の将軍源頼家(よりいえ)に対する謀反の疑いで建仁(けんにん)3年6月殺害されたあと,7月16日京
32. 1203年〈建仁3 癸亥〉
日本史年表
5・19 源頼家,源頼朝の弟 阿野全成 を謀反の疑いで捕える(吾)。 5・25 頼家,阿野全成を常陸国へ配流(吾)。 6・23 八田知家,頼家の命により,阿
33. 1219年〈承久元(4・12) 己卯②〉
日本史年表
源実朝 ,公暁に殺される. 三浦義村 ,公暁を討つ(吾)。 2・22 幕府,駿河国に挙兵した阿野全成の子 時元 を討つ(吾)。 閏2・1 北条政子の使上洛,
「阿野全成」の情報だけではなく、「阿野全成」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶

阿野全成と同じ日本史上の人物カテゴリの記事
真田幸村(真田信繁)(国史大辞典・日本大百科全書・日本架空伝承人名事典)
一五六七 - 一六一五 安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。幼名御弁丸、のち源次郎。左衛門佐と称す。名は信繁。幸村の名で有名であるが、この称の確実な史料はない。高野山蟄居中に剃髪して好白と号した。永禄十年(一五六七)信濃国上田城主真田昌幸の次男
上杉景勝(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一五五五 - 一六二三 安土桃山・江戸時代前期の大名。越後春日山城・会津若松城主、出羽国米沢藩主。幼名を卯松、喜平次と称し、はじめ顕景と名乗った。弘治元年(一五五五)十一月二十七日に生まれる。父は越後国魚沼郡上田荘坂戸(新潟県南魚沼郡六日町)
真田昌幸(国史大辞典)
安土桃山時代の武将。初代上田城主。幼名源五郎、通称喜兵衛。安房守。真田弾正幸隆の第三子として天文十六年(一五四七)信濃国に生まれる。信之・幸村の父。武田信玄・勝頼父子に仕えて足軽大将を勤め、甲斐の名族武藤家をついだが、兄信綱・昌輝が天正三年(一五七五)に
真田信之(真田信幸)(国史大辞典)
安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。初代松代藩主。幼名は源三郎。はじめ信幸、のち信之と改めた。号は一当斎。真田安房守昌幸の嫡男として永禄九年(一五六六)生まれた。母は菊亭(今出川)晴季の娘。幸村の兄。昌幸が徳川家康に属したため
本多正信(国史大辞典)
戦国時代から江戸時代前期にかけて徳川家康に仕えた吏僚的武将。その側近にあり謀臣として著名。通称は弥八郎。諱ははじめ正保、正行。佐渡守。天文七年(一五三八)三河国に生まれる。父は本多弥八郎俊正。母は不詳であるが松平清康の侍女だったという。徳川家康に仕え
日本史上の人物と同じカテゴリの記事をもっと見る


「阿野全成」は武将・大名・王・官僚・僧に関連のある記事です。
その他の武将・大名・王・官僚・僧に関連する記事
武田勝頼(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一五四六-八二戦国・安土桃山時代の武将。甲斐の武田信玄の四男。母は諏訪頼重の娘。天文十年(一五四一)六月、父晴信(信玄)が武田家当主となり、翌十一年信濃国諏訪郡を攻め、諏訪頼重を誅殺した際、その娘を側室として同十五年勝頼が生誕した。四男なので諏訪氏の
松平広忠(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一五二六-四九戦国時代の三河国の武将。徳川家康の父。千松丸、仙千代、次郎三郎。父は清康、母は青木貞景女。大永六年(一五二六)岡崎生まれ。天文四年(一五三五)十二月に清康が尾張守山で死んだ時は十歳。織田信秀の来襲は撃退したが、桜井松平家の信定に追われて
松平信康(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一五五九-七九戦国時代の武将。竹千代、次郎三郎。永禄二年(一五五九)三月六日駿府で誕生。徳川家康の長男。母は関口義広女(築山殿)。桶狭間の戦後も駿府に抑留されていたが、同五年人質交換で母とともに岡崎へ引き取られた。六年三月、織田信長の女五徳(徳姫)と
平岩親吉(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一五四二-一六一一戦国時代末期徳川家康に仕えた武将で、江戸時代初頭に譜代大名となる。天文十一年(一五四二)三河国に生まれる。父は松平宗家譜代の親重。母は天野清右衛門貞親の女。幼時より徳川家康に仕え、家康が幼名竹千代のころ、人質として駿府の今川義元のも
鳥居元忠(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一五三九-一六〇〇戦国・安土桃山時代の武将。天文八年(一五三九)生まれ。鳥居忠吉の子で、徳川家康が今川氏の人質となったとき駿府に随従し,のち,家康の三河統一、遠江経略の戦に従軍する。元亀三年(一五七二)の三方原の戦で負傷して跛になったという。天正十年
武将・大名・王・官僚・僧に関連する記事をもっと見る


ジャパンナレッジは約1900冊以上(総額850万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のインターネット辞書・事典・叢書サイト」です。日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶