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ガリレイ(Galileo Galilei)

ジャパンナレッジで閲覧できる『ガリレイ(Galileo Galilei)』の岩波 世界人名大辞典・デジタル版 集英社世界文学大事典・世界大百科事典・日本大百科全書のサンプルページ

岩波 世界人名大辞典

ガリレイ
Galilei, Galileo
1564.2.15~1642.1.8

イタリアの物理学者,天文学者.

ピサに生まれる.ピサ [1589]およびパドヴァ [92-1616]の各大学数学教授.ピサの聖堂の吊灯を見て振子の等時性を発見した [1583].ピサの斜塔で落体の実験を行い,アリストテレスの自然学の誤りを正し,近代的力学成立の基礎をおいた.また望遠鏡を発明し [1609],これを天体観測に応用して種々の発見をなし,特に木星の衛星を発見し [10],コペルニクスの地動説に一証を与えた.これは教会の主張する宇宙論にとっては面白くない証明であった.フィレンツェ大公メディチ家のコジモ2世(Cosimo II de' Medici 1590~1621.1609/21)に招かれ [同],以後研究に専心した.しかし彼の研究成果に対する反対が多かったので,自らローマに赴き弁解した [15-]が,宗教裁判にかけられ [16],地動説の放棄を命ぜられた.フィレンツェに帰り《天文対話:Dialogo sopra i due massimi sistemi del mondo, 1632》を著し,検閲を受けて出版したが,異議が出てローマに幽閉される.赦された時に「それでも地球は動く」と言ったというのはバレッティによる創作と考えられる.フィレンツェの郊外で余生を送り,この間に《新科学対話:Discorsi e dimostrazioni matematiche intorno a due nuove scienze, 1636》を著し慣性の法則,落体の法則を記述した.また弾性についても〈ガリレオの問題〉をとり上げて理論弾性学の端緒をなした.晩年は両眼失明した.彼の功績は,数学的法則の定立と経験的事実の数量的分析とを科学研究法としたことで,自然科学の方法と対策とを明確にしたことは,近代自然科学の祖と称せられるゆえんである.

〖全集〗S.Timpanaro編, 2巻, 1936-38.

デジタル版 集英社世界文学大事典

ガリレーイ ガリレーオ
Galileo Galilei
イタリア 1564.2.15-1642.1.8
イタリアのルネサンス末期,近代実験物理学の創始者,天文学者,数学者,著述家。フィレンツェ出身の音楽家の子としてピーサに生まれ,ピーサ大学(1589),パードヴァ大学(1592−1610)の数学講座を担当しつつ,実験物理学を開拓。『運動論』De Motu(1590)などで近代力学を基礎づけ,ピーサ時代には振り子の等時性,落体の法則を発見し,パードヴァ時代には望遠鏡を組み立てて(1609),木星の衛星,土星の環(わ),金星の相,月面の凹凸,太陽の黒点など天文学上の偉大な発見を相ついで行い,その成果の一部を『星界の報告』Sidereus nuncius(1610)で発表。1610年以後はトスカーナに戻り,メーディチ家のコージモ1世の庇護(ひご)の下で研究を進めるが,コペルニクスが唱え始めた地動説の公認を実現するためベネデット・カステッリらに書簡を送ったため,ロリーニ神父により告発され(15),ローマ教皇庁の検邪聖省に喚問されて地動説の撤回を命じられる(16)。イエズス会士オラーツィオ・グラッシと彗星(すいせい)の正体をめぐって論争し(18),その結果が『贋金(にせがね)鑑定官』Il saggiatore(23)を生むが,そこでは教会の命令への配慮が感じられる。だが友人ウルバヌス8世が教皇に就任したのを機会に,再度地動説の公認化を企て,主著『天文対話』Dialogo sopra i due massimi sistemi del mondo(32)を公刊,再度ローマに喚問され,自らの誤りを公式に誓うことを命じられたうえ,終身禁固を宣告されるが,病身を考慮しフィレンツェ郊外アルチェートリの別荘に軟禁された(33)。最愛の娘の死(34),失明(37)など不幸の相つぐなかでもう一つの主著『新科学対話』Discorsi e dimostrazioni matematiche intorno a due nuove scienze(38)を執筆。優れた散文家として,優雅ながら辛辣(しんらつ)な鋭い文体を用い,T.タッソアリオストらの評論をも書き残した。
(米山喜晟)


世界大百科事典

ガリレイ
Galileo Galilei
1564-1642

ルネサンス末期のイタリアの自然学者,天文学者。近代の数量的な自然観の樹立のために多大の貢献を行い,しばしば〈近代科学の父〉と呼ばれる。ピサで生まれた。父親ビンチェンツィオVincenzio Galilei(1520ころ-91)は微禄したフィレンツェの貴族出身で,織物商を生業としたが,音楽に造詣が深く,かなり名の知られた人物であった。ガリレイは初め医者を志して,1581年にピサ大学に入ったがスコラ的な講義に幻滅を味わい,中途で退学した。その後フィレンツェでリッチOstilio Ricci(1540-1603)から個人的にユークリッド(エウクレイデス)やアルキメデスを学んだ彼は,科学における数学の重要性を認識し,その研究に打ちこんだ。そして89年にピサ大学の数学教授となり,次いで92年にはパドバ大学に移り,そこに1610年まで在職した。20年以上にわたる両大学の数学教授時代に彼が学生に教えたのは,ユークリッド幾何学やプトレマイオスの天動説的な天文学を初めとする伝統的な諸学科であったが,自分の研究対象としたのは主として場所運動論であった。彼は早くも90年ころその最初の考察を《運動について》と題する論稿としてまとめあげた。この中で彼は,あらゆる物体が同一種類の物質から成ることを前提にしたうえで,アルキメデスの静力学的な浮力の原理を拡大することによって,落体の速度が落体の比重から媒質の比重を差し引いたものに比例すると論じている。だが,その後まもなく彼は,斜面や振子の研究を深めることによって,《運動について》では副次的役割しか与えられなかった加速度こそが,落体の運動の本質的要因であることを見抜き,ついには真空中での落下距離が落下時間の2乗に比例し,しかもそのためには落下速度が落下時間に比例しなければならないという落体の基本法則を発見した。さらにこの研究の過程で運動の合成の法則と慣性の法則を導き出し,投射体の経路がパラボラ曲線になることを証明することができた。だが彼の慣性の法則はあくまで地球の中心から同一距離だけ離れた水平面上での等速運動の継続を主張する〈円運動の慣性〉の法則にすぎず,直線運動の慣性の法則ではなかったことを忘れてはならない(この点で彼は円の完全性という古代・中世の観念からまだ脱却してはいなかったのである)。ほかにも彼は幾多の成果を得たが,なかでも特筆すべきは,振子の等時性とその周期の2乗がひもの長さに比例するという成果である。

 以上の研究が大きな前進を遂げている間に,彼の生涯における大きな転機が1610年に訪れる。この前年,彼はオランダで望遠鏡が発明されたといううわさを伝え聞いて,早速みずからその製作に着手した。そして倍率30倍の望遠鏡を用いて初めて天体観測を行い,月面の凹凸,木星の4個の衛星,太陽の黒点,金星の満ち欠け等の一連の驚嘆すべき新現象を発見した。これらの現象はいずれも,地上界は不完全で可滅的であるのに対し,天上界は完全で不滅であり,しかもすべての天体は地球を中心としてそのまわりを回転するというアリストテレスの宇宙論の根幹をゆさぶるものであった。かなり早い時期からコペルニクスの地動説に賛同していた彼は,決定的にその信念を強めるとともに,これらの画期的な発見を《星界の報告》(1610)等に次々と発表した。これまでさほど有名でもない一介の学者にすぎなかった彼は一躍ヨーロッパ全体から大きな脚光を浴びただけではなく,トスカナ大公コシモ2世から宮廷お抱えの哲学者兼首席数学者としてフィレンツェに招かれた。

 こうして,必ずしもみずからの意志に添うものでなかった大学での講義の義務から解放され,研究と著作に専念しうるようになった彼は,断続的に起こる病気に悩まされながらも,長年にわたって蓄積してきた研究をまとめあげる仕事に取り組み,まず23年には科学方法論に関する論争の書《黄金計量者》を出版し,自然という書物が数学の文字で書かれていることを力強く主張した。さらに32年には地動説的な宇宙論を全面的に展開した《天文対話》を発表した。しかし《天文対話》は時の教皇ウルバヌス8世の忌諱(きい)に触れ,翌年彼は異端審問所から断罪され,地動説を誓絶させられた。この結果彼はフィレンツェ郊外のアルチェトリに蟄居(ちつきよ)させられたが,その旺盛な研究への情熱はほとんど衰えを見せず,38年には静力学と動力学の成果について体系的に論じた《新科学講話》を教皇庁の権力の及ばない新教国オランダから出版した。この著作は,その後ニュートンの《プリンキピア》(1687)が現れるまで,近代的な力学研究に関する最も重要な著作としてたえず参照されることになった。晩年彼は,両眼失明という不幸に襲われながらも,若い弟子トリチェリやV.ビビアーニとの科学の諸問題をめぐる対話に大きな楽しみを見いだしながら,天寿を全うした。
[横山 雅彦]

[索引語]
Galilei,G. ガリレイ,V. ビンチェンツィオ Galilei,V. リッチ,O. Ricci,O. 運動について 振子 加速度 慣性の法則 星界の報告 黄金計量者 天文対話


日本大百科全書(ニッポニカ)

ガリレイ(年譜)
がりれいねんぷ

1564 2月15日イタリアのピサに誕生
1574 一家がピサからフィレンツェに移る。このころ初等教育を受ける
1581 ピサ大学医学部進学教養部に入学
1583 数学者リッチに出会う。振り子の等時性を発見
1585 ピサ大学を退学、フィレンツェに戻る
1586 最初の論文「小天秤」を書く
1587 「固体の重心について」を書き、アカデミア・デル・ディシェーニョに提出
1589 ピサ大学数学講師となる
1590 落体の実験「運動について」を書く
1591 父ビンチェンツォ死去
1592 パドバ大学数学正教授となる
1593 この年以降、1599年までに「レ・メカニケ」「築城論」「簡単な軍事技術入門」などを書く。計算尺を製作
1599 このころマリナ・ガンバとの生活開始
1600 長女ビルジニア誕生
1601 次女リビア誕生
1605 メディチ家コジモ2世の家庭教師となる
1606 長男ビンチェンツォ誕生。『幾何学的軍事コンパスの効用』刊
1609 望遠鏡製作。月面観測、木星の衛星を発見
1610 トスカナ大公第一数学者兼哲学者になり、フィレンツェに戻る。『星界からの報告』刊
1611 リンチェイ学士院会員となる
1613 『太陽黒点論』刊。弟子に聖書と地動説の矛盾を書いた手紙を送る
1615 ローマの異端審問所に告発される
1616 2月26日第一次裁判判決
1618 3個の彗星出現
1619 弟子名で『彗星についての講話』刊
1623 『偽金鑑識官』刊
1625 『天文対話』執筆に着手
1632 2月『天文対話』刊。7月『天文対話』発売禁止。10月異端審問所への出頭命令
1633 4月尋問開始。6月22日第二次裁判判決。「異端誓絶」強制される。12月アルチェトリに幽閉の身となる
1634 長女ビルジニア死去
1638 両眼失明
1638 7月『新科学対話』刊。9月詩人ミルトンが来訪
1641 『新科学対話』第5日目用を脱稿
1642 1月9日死去

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1. ガリレイ
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3. ガリレイ
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〔1564.2.15~1642.1.8〕 イタリアの物理学者,天文学者.ピサに生まれる.ピサ[1589]およびパドヴァ[92-1616]の各大学数学教授.ピサの
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7. ガリレイ・サークル
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8. ガリレイの生涯
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ひそかに『新科学対話』を弟子の手によって未来に救い出す主人公ガリレイを30年にわたって15景で展開する。1945年から47年のアメリカ稿は原爆時代を反映してガリ
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10. ガリレイ の 相対性原理(そうたいせいげんり)
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11. ガリレイ変換
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12. ガリレイ変換
世界大百科事典
両方でまったく同じ形,同じ内容で成り立っている。これがガリレイ変換に対する運動方程式の不変性である。しかし電磁気学の基礎方程式はガリレイ変換に対して不変ではない
13. ガリレイ‐へんかん[‥ヘンクヮン]【─変換】
日本国語大辞典
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14. 刀狩令
日本史年表
1588年〈天正16 戊子⑤〉 7・8 秀吉, 刀狩令 ・ 海賊取締令 を発布(小早川家文書)。
15. 愛書趣味 136ページ
文庫クセジュ
・コペルニク著『天体の動きについて』(一五四三年、ニュルンベルク、四折判) 右を補足する理論書として、 ・ガリレイ著『世界の二大組織に関する対話』(一六三二年、
16. 愛書趣味 187ページ
文庫クセジュ
GALLAND 55 ガリソン GARRISON 108, 110 ガリマール GALLIMARD 68 ガリレイ GALILEI, Galileo 106 ガ
17. あおき-せいぞう【青木靖三】
日本人名大辞典
。昭和52年12月27日死去。51歳。東京出身。神戸経済大(現神戸大)卒。著作に「ガリレオ・ガリレイ」など。
18. アカデミア・デル・チメント
日本大百科全書
それらを用いた実験を数多く行い、たとえば、気圧の変化の影響を受けない温度計を初めてつくった。またガリレイが理論的に指摘し、当時確証されていない問題についても多く
19. アカデミー
日本大百科全書
ナチュラエAcademia Secretorum Naturae(1560年代、ナポリ)や、ガリレイが活躍したアカデミア・デイ・リンチェイAccademia d
20. アカデミー
世界大百科事典
,当時の学問の最先端を開拓し,古典研究のほかにとりわけ自然科学に力を入れた。中でも有名なのがガリレイの属していたローマのアカデミア・デイ・リンチェイAccade
21. アリストテレス
日本大百科全書
彼以降の物質の運動についての考え方を大きく規定し、力学の発展という点では大きな障害となった。ガリレイ、ニュートンらによって新たな知見が加えられ、この区分が除去さ
22. アリストテレスの車輪[カタカナ語]
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[Aristotle's wheel]【数学】逆理の一つ.ガリレオ・ガリレイの「新科学対話」にある,同軸の車輪の回転を用いて設定された難問.
23. アルキメデス(Archimēdēs)
世界大百科事典
与えることになった。たとえば,1543年にこのギヨームの訳がタルターリアによって印刷され,それがガリレイの力学研究の出発点になったことは有名である。また近代の数
24. イオ
世界大百科事典
(1)木星の第I衛星。1610年,G.ガリレイによって発見され,ギリシア神話の女神官イオにちなんで名付けられた。木星中心より42万1800km(木星半径の5.9
25. イオ(木星の第一衛星)画像
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26. イタリア音楽史 72ページ
文庫クセジュ
ヴィンチェンツォ・ガリレイのあの有名な『新旧音楽に関する対話』Dialogo della musica antica e della moderna(一五八一)
27. イタリア音楽史 186ページ
文庫クセジュ
ガリレイ,ヴィンチェンツォ Galilei, Vincenzo 66 1520―91.作曲家,音楽理論家,リュート奏者.科学者ガリレオ・ガリレイの父.カメラータ
28. イタリア語
日本大百科全書
グイッチャルディーニ、ロレンツォ・デ・メディチ(イル・マニフィコ)、芸術のラファエッロ、ミケランジェロ、科学のガリレイ、トリチェリなどの名をみれば、このことが知
29. イタリア哲学
日本大百科全書
無限と観じるブルーノ、『太陽の都』の著者カンパネッラへと連なる。さらにレオナルド・ダ・ビンチやガリレイは近代自然科学の先駆となり、その基礎を置いた。大谷啓治近代
30. 異端審問 73ページ
文庫クセジュ
それはもはや名誉職としての値打ちしかないものであった。 * とくに、一六三三年ガリレイに対し聖庁が行なった裁判を思いおこそう。ガリレオ・ガリレイは、判決の結果そ
31. 異端審問 109ページ
文庫クセジュ
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32. いわぶち-たつじ【岩淵達治】
日本人名大辞典
平成25年2月7日死去。85歳。東京出身。東大卒。著作に「ブレヒト」「反現実の演劇の論理」,訳書にブレヒト「ガリレイの生涯」など。
33. 因果関係
世界大百科事典
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34. 宇宙画像
日本大百科全書
天体運行の規則性をめぐって提起されたコペルニクスの太陽中心模型は、17世紀から18世紀にかけて、ガリレイ、ニュートンによる天体の運動を地上の運動法則と同一の法則
35. 宇宙画像
世界大百科事典
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36. 宇宙開発画像
日本大百科全書
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37. 宇宙物理学
日本大百科全書
宇宙物理学は始まった。その萌芽ほうがは遠く4~5世紀の古代ギリシアにさかのぼるが、ガリレオ・ガリレイが月の表面が鏡のように滑らかではないことを示す反射の考察を行
38. 宇宙論
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39. ウルバヌス[8世](Urbanus Ⅷ)
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,聖務日課書の改訂,ヤンセンの著書《アウグスティヌス》の発禁など,教会改革には熱心であった。ガリレイに対しては好意を持っていたが,33年の第2回目の裁判で彼の地
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世界人名大辞典
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42. 運動の法則
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43. エイズ研究の歴史 115ページ
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44. 衛星画像
日本大百科全書
その項目を参照されたい。大脇直明衛星の観測史月を除き、他の惑星にも衛星があることを初めて発見したのはガリレイで、1610年に木星の4個(イオ、ユーロパ、ガニメデ
45. 衛星画像
世界大百科事典
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46. エネルギー画像
日本大百科全書
16世紀末から17世紀初めにかけてガリレイ、ケプラーによる力学、天体運動に関する研究が進む。物体が落下に際し、もとの位置に戻るのに必要な速度を得るという事実は、
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世界大百科事典
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48. 円運動
世界大百科事典
動を円運動の組合せで表そうというプトレマイオスの天動説が永く宇宙観を支配した。地動説を唱えたガリレイもなお円運動には拘泥していたといわれ,ケプラーにいたってよう
49. エンゲル エーリヒ
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世界大百科事典
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ピアノ音楽に比類ない境地を開いたポーランド出身の作曲家、ピアニスト。主要な作品のほとんどがピアノ曲で、その個性的で斬新(ざんしん)な書法はリリシズムを基調に、雄々しさ、気品、メランコリーなど多彩な性格をあわせもち、「ピアノの詩人」とたたえられ、世界的
山本周五郎(日本近代文学大事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
本文:既存小説家。山梨県北都留郡初狩村八二番戸(現・大月市下初狩二二一番地)生れ。父清水逸太郎、母とくの長男。本名は三十六(さとむ)。家業は繭、馬喰、そのほか諸小売りであった。生前、本籍地の韮崎市若尾を出生地と語ったのは、そこが武田の御倉奉行と伝え
築山殿(日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典)
徳川家康の室。駿河御前(するがごぜん)ともいう。父は関口義広(よしひろ)(一説に氏広、また親永(ちかなが)など)、母は駿河の今川義元の妹。1556年(弘治2)義元の養女として、当時今川氏の人質となり駿府(すんぷ)にあった三河岡崎城主の家康に嫁し
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