1. 千利休(せんのりきゅう)
日本大百科全書
安土(あづち)桃山時代の茶人。本姓は田中。千は通称、ただし子孫はこれを本姓とした。初名与四郎。宗易(そうえき)、利休と号す。与兵衛の子として堺(さかい)(大阪府 ... ...
2. 千利休
世界大百科事典
1522-91(大永2-天正19) 桃山時代の町衆茶人,茶道の大成者。通称与四郎。法諱宗易。抛筌斎と号し,利休は居士号。堺今市に魚問屋を営む千与兵衛の子として生 ... ...
3. せん‐の‐りきゅう【千利休】
デジタル大辞泉
[1522〜1591]安土桃山時代の茶人。堺の人。名は与四郎。宗易(そうえき)と号す。侘茶(わびちゃ)の大成者で、千家流の開祖。茶の湯を武野紹鴎(たけのじょうお ... ...
4. せん‐の‐りきゅう【千利休】
日本国語大辞典
安土桃山時代の茶人。千家流茶道の祖。幼名与四郎。法諱は宗易。号は抛筌斎。堺の人。能阿彌派と珠光派の茶法を究め、千家流をおこす。織田信長、豊臣秀吉に仕えたが、のち ... ...
5. せんのりきゅう【千利休】 画像
国史大辞典
』、芳賀幸四郎『千利休』(『人物叢書』一〇五)、杉本捷雄『千利休とその周辺』、熊倉功夫『千利休』(『日本を創った人びと』一五)、芳賀幸四郎『わび茶の研究』、村井 ... ...
6. せんの-りきゅう【千利休】
日本人名大辞典
1522−1591 戦国-織豊時代の茶人。大永(たいえい)2年生まれ。堺(さかい)の商人。茶を武野紹鴎(たけの-じょうおう)にまなび,織田信長,豊臣秀吉の茶頭( ... ...
7. せんのりきゅう【千利休】
日本架空伝承人名事典
桃山時代の茶人、茶の湯の大成者。堺の商家に生まれ、若き日より茶の湯の才能が認められた。やがて織田信長、豊臣秀吉の茶堂として取り立てられた。利休が活躍した時代に茶 ... ...
8. 千利休[文献目録]
日本人物文献目録
1‐13』桑田忠親『千利休』肥後和男『千利休書状集』桑田忠親『千利休伝』-『千利休伝 1‐15』石田誠斎『千利休展雑感』磯野風船子『千利休の生涯と茶道』桑田忠親 ... ...
9. 千利休(せんりきゅう)
古事類苑
遊戲部 洋巻 第1巻 603ページ ... ...
10. 千利休 本覺坊遺文
デジタル大辞泉プラス
1989年公開の日本映画。英題《The Death of a Tea Master》。監督:能井啓、原作:井上靖、脚本:依田義賢。出演:奥田瑛二、三船敏郎、萬屋 ... ...
11. Sen no Rikyū 【千利休】
Encyclopedia of Japan
1522−1591 Tea master of the Azuchi-Momoyama period (1568−1600); founder of the S ... ...
12. 千利休(せんりきゅう)
日本大百科全書
→千利休 ... ...
13. 千利休門弟 (見出し語:千利休)
古事類苑
遊戲部 洋巻 第1巻 596ページ ... ...
14. 千利休花押[図版] 画像
国史大辞典
(c)Yoshikawa kobunkan Inc. ... ...
15. 千利休・謎の殺人事件
デジタル大辞泉プラス
山村美紗の長編ミステリー。1990年刊行。アメリカ副大統領令嬢・キャサリンシリーズ。 2012年12月 ... ...
16. 千利休木像 (見出し語:木像)
古事類苑
遊戲部 洋巻 第1巻 608ページ ... ...
17. あい‐ばしら[あひ:]【間柱】
日本国語大辞典
〔名〕茶室で、下地窓がある壁面の真ん中に立てる竹の柱。壁の補強と野趣を出すためで、千利休が考案したもの。力竹(ちからだけ)。 ... ...
18. 秋野文琳[イミダス編 文化・スポーツ]
イミダス 2015
中国伝来の唐物(からもの)茶入で、中国南部の窯(かま)で作られ、13~14世紀ころ、日本に渡来したとみられる。千利休の弟子、日野輝資(1555~1623年)、幕 ... ...
19. あさがお の 茶(ちゃ)の湯(ゆ)
日本国語大辞典
(1)千利休が朝顔の花を庭に植えておかないで、床の間にいけて趣向を凝らしたという茶の湯。(2)((1)の故事から) 朝顔の花を観賞しながら行なう早朝の茶の湯。* ... ...
20. 安土桃山時代
日本大百科全書
今井宗久(そうきゅう)、博多(はかた)町人の神谷宗湛(かみやそうたん)ら多くの茶人を輩出した。ことに堺の千利休(せんのりきゅう)は従来の趣味的な茶の湯を生活芸術 ... ...
21. 安土桃山時代
世界大百科事典
茶会は社交の域を超えて政治的折衝の場となり,茶の作法は大名たちの必須の教養となった。堺の町人で秀吉側近の千利休によってわび数寄の茶が大成し,今井宗久,島井宗室, ... ...
22. 安土桃山時代(年表)
日本大百科全書
京都所司代となる1590(天正18)6月遣欧少年使節帰国、印刷機伝わる1591(天正19)2月千利休自殺(71)。3月禁中修理完成1592(文禄1)7月秀吉生母 ... ...
23. 安土桃山時代美術 画像
世界大百科事典
侘茶(わびちや)の美術が深化をとげたのも桃山前期美術の特色である。その推進の役を果たしたのが千利休であった。利休の設計になる妙喜庵の茶室待庵は,利休好みの楽茶碗 ... ...
24. あと‐がま【後窯】
日本国語大辞典
模様を焼き付けすること。釉上彩色着画のこと。(2)茶人の間でいわれていた茶入れの窯分けの名。千利休、古田織部、小堀遠州にわたる時代に、瀬戸または京都で作られた瀬 ... ...
25. あまのや-そうや【天野屋宗也】
日本人名大辞典
?−? 織豊時代の茶人。千利休(1522-91)の門下で,大坂にすむ。 ... ...
26. あみだ‐どう【阿弥陀堂】 画像
デジタル大辞泉
阿弥陀仏を本尊として安置する堂。 2 利休好みの茶の湯釜の一。豊臣秀吉の供で有馬温泉へ出かけた千利休が、阿弥陀堂で大きな湯釜を見つけ、それをかたどり作らせたとい ... ...
27. 荒木村重
世界大百科事典
78年信長にそむき,翌年敗れて尾道に逃れ,剃髪して道薫と号した。82年信長死後は豊臣秀吉に近侍した。茶を千利休に学び茶人としても著名で,後世七哲の一人に加える書 ... ...
28. あらきむらしげ【荒木村重】
国史大辞典
に亡命した。その後剃髪し、道薫と号して尾道にひそみ、信長の死後堺に居住した。村重はかねてから千利休に茶湯を学び、茶湯の道で秀吉に仕え、数寄の道を愉しんで、天正十 ... ...
29. ありまおんせん【有馬温泉】
国史大辞典
秀吉はしばしば有馬温泉を訪れたが、天正十八年小田原征伐から凱旋して有馬に湯治したときは、阿弥陀堂で千利休や津田宗及を招いて茶の湯を催した。江戸時代に入って有馬温 ... ...
30. ありまおんせん【有馬温泉】兵庫県:神戸市/北区/湯山町
日本歴史地名大系
浅野文書など)。秀吉は同年八月の入湯(「宇野主水日記」同月一九日条)以来、妻・側室をはじめ、千利休・津田宗及・今井宗久らの茶頭を伴ってたびたび有馬に入湯し、徳川 ... ...
31. あわたぐちぜんぽう【粟田口善法】
国史大辞典
行きかう人々に一碗の茶をすすめ、老後の楽しみとしていた。のちに豊臣秀吉が、それを聞き伝え、これを慕って、千利休に命じ、その手取釜のありかを探させたが、わからず、 ... ...
32. あんこくじ【安国寺】熊本県:熊本市/熊本城下/高麗門外
日本歴史地名大系
太鼓形水盤は加藤清正が朝鮮から持帰ったものと伝えるが、かの地の産とは思われない。嘉永三年(一八五〇)に千利休を追慕して城下の茶人たちが建てた利休居士塔がある。細 ... ...
33. いえはら-じぜん【家原自全】
日本人名大辞典
煕(このえ-いえひろ)の「槐記(かいき)」では,蒔絵の目利(めきき)として並びなき者とする。千利休作「園城寺(おんじょうじ)花入れ」を所持した茶人家原自仙と同一 ... ...
34. 家元
世界大百科事典
名を家元が与えることがある。本来は禅寺より在家修行者に許された法諱に由来するものであろうが,千利休が宗易と称したので,その1字をもらって茶名としているのである。 ... ...
35. いけばな 画像
世界大百科事典
定めず自由なかたちにいれるものとされていた〈なげいれはな〉は,安土桃山期に茶の湯のいけばな,茶花として千利休によって確かな地位が与えられた。元禄期の町人たちのあ ... ...
36. いけばな
国史大辞典
それにふさわしく立花は豪華をきわめた。それと対照的に、茶湯の流行とともに簡素な「茶花」があらわれた。千利休は「花ハ野にあるように」といって一種類か、二種類の草花 ... ...
37. いしがきやまじょうあと【石垣山城跡】神奈川県:小田原市/早川村 地図
日本歴史地名大系
昼夜兼行で京都聚楽第や大坂城に劣らぬ築城を命じている(同月四日「豊臣秀吉朱印状案」県史三)。秀吉に随軍した千利休は六月二〇日の古田織部宛書状(東京国立博物館蔵) ... ...
38. いしばし-りょうしつ【石橋良叱】
日本人名大辞典
?−? 織豊時代の茶人。堺(さかい)の人。千利休の門人で,利休の娘婿となる。「津田宗及茶湯日記」によれば,天正(てんしょう)10年(1582)山上宗二と宗及を茶 ... ...
39. いずみさのし【泉佐野市】大阪府 地図
日本歴史地名大系
わらず経済の発展は著しく、まず佐野には中世末には魚・塩など海産物を扱う問屋が発達し、堺の茶匠千利休がその佐野問屋に対する支配権をもっていた。浦の発展は近世も同様 ... ...
40. いた‐ふろ【板風炉】
日本国語大辞典
上面の中央に丸い穴をあけ、五徳がなくても釜をかけることができるようにしてあるもの。豊臣秀吉の小田原征伐の時、千利休が小田原陣中で創案したと伝えられるところから、 ... ...
41. いたべおかこうせつ【板部岡江雪】
国史大辞典
正十七年二月、北条氏の使者として上洛の折、当時秀吉に追われて北条氏に身を寄せていた山上宗二(千利休の高弟、もと秀吉の茶頭)に懇望して口伝秘事を授けられている。『 ... ...
42. いたみや-じょうむ【伊丹屋紹無】
日本人名大辞典
?−? 織豊時代の茶人。堺(さかい)の人。千利休(1552-91)にまなぶ。富裕な商人で,「尺八」の銘がある利休作の花入れなどおおくの名器を所蔵した。号は心甫庵 ... ...
43. いちご‐いちえ[:イチヱ]【一期一会】
日本国語大辞典
〔名〕(安土桃山時代の茶人で、千利休の弟子であった宗二の著「山上宗二記‐茶湯者覚悟十体」にある「一期に一度の会」から)一生に一度会うこと。また、一生に一度限りで ... ...
44. いちご‐いちえ【一期一会】
仏教語大辞典
千利休の弟子であった宗二の著『山上宗二記‐茶湯者覚悟十体』にある「一期に一度の会」から 一生に一度会うこと。また、一生に一度限りであること。 茶湯一会集 「抑 ... ...
45. いちじょうもどりばし【一条戻橋】京都市:上京区/聚楽学区/堀川下之町 地図
日本歴史地名大系
しいことを記す。またこの橋の近辺は罪人をさらす所でもあった。天正一九年(一五九一)豊臣秀吉が千利休の木像を磔とし、その首をさらしたのも一条戻橋である。江戸時代に ... ...
46. いとや-そうゆう【糸屋宗有】
日本人名大辞典
?−? 織豊時代の茶人。和泉(いずみ)(大坂府)堺(さかい)の町人で千利休(1522-91)の門人。糸屋裂(ぎれ)という名物裂を所持していたという。 ... ...
47. 今井宗久
日本大百科全書
歓待されている。これ以後、武器、火薬の調達、生野(いくの)銀山の開発など、政商として活躍する一方、宗及や千利休(せんのりきゅう)らとともに信長の茶頭(さどう)と ... ...
48. 今井宗久
世界大百科事典
権を与えられ,堺町人の随一として信長の政権に関与した。そのうえ信長の茶頭ともなって津田宗及,千利休の参仕をもはからっている。また秀吉の時代になっても同様の力をも ... ...
49. いまい‐そうきゅう【今井宗久】
デジタル大辞泉
に茶を学ぶ。織田信長に近づいて堺対策に協力し、多くの利権を握る。のち、豊臣秀吉の茶頭となり、千利休・津田宗及とともに三大宗匠と称された。「今井宗久茶湯日記抜書」 ... ...
50. いまい‐そうきゅう【今井宗久】
日本国語大辞典
宗久と号す。武野紹鴎に茶を学び、その女婿となる。一五代将軍足利義昭、織田信長、豊臣秀吉に仕え、千利休、津田宗及とともに三宗匠と称された。永正一七〜文祿二年(一五 ... ...