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  11. 夏目漱石
日本大百科全書(ニッポニカ)

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夏目漱石
なつめそうせき
[1867―1916]

小説家。本名金之助。慶応(けいおう)3年1月5日(新暦2月9日)に江戸牛込馬場下横町(東京都新宿区牛込喜久井町)に生まれた。
[三好行雄]

生い立ち

父は同町一帯を支配する名主小兵衛直克(こひょうえなおかつ)、母千枝との5男3女の末子であった。父母晩年の子として疎まれ、生後まもなく里子に出され、続いて塩原昌之助の養子になった。9歳のとき養父母が離婚したため夏目家に帰ったが、父母はかならずしも温かく迎えなかった。肉親の愛に恵まれなかった幼時の原体験は漱石を他人の愛情に敏感な内向型の人間に育て、また、肉親のなかにさえ他者をみる非情な人間観を培った。後年の漱石文学が愛とエゴイズムの種々相を描くことになる遠因の一つである。初めは漢学好きの少年として二松学舎(にしょうがくしゃ)などに学んだが、成立学舎を経て大学予備門(東京大学教養学部)に進むころから英文学研究を生涯の仕事として選び、1890年(明治23)に帝国大学文科大学(東大文学部)英文学科に入学した。予備門時代に正岡子規(まさおかしき)を知り、漢詩文を介して親交を結び、俳句の手ほどきを受けた。1893年大学を卒業、一時大学院に籍を置いたが、東京高等師範学校講師、第五高等学校教授を経て、1900年(明治33)には文部省から英語研究のためイギリス留学を命じられるなど、英文学者としての道は順調に伸びていった。その間、1895年から翌年にかけて愛媛県の松山中学校の教師を勤めたが、その体験は『坊つちやん』(1906)に生かされている。
[三好行雄]

小説家の誕生

イギリス留学は足掛け3年に及んだ。帰国後、1903年(明治36)に第一高等学校教授に就任、兼ねて文科大学の講師として英文学を講じた。大学での講義をまとめた『文学論』(1907)と『文学評論』(1909)は、日本人の手になる最初の英文学研究として評価が高い。しかし、漱石自身は早くから東洋の伝統的な文学精神と英文学のパトス(情念)との矛盾に悩み、日本人として異国の文学を研究することの困難と不安を感じ続けていた。教師生活にも耐えがたい嫌悪を覚えるようになった。加えて、1896年に結婚した妻鏡子との不和、旧養父母との金銭上のトラブルなど家庭内の心労も重なり、学生時代からの神経衰弱が高じて、強度の発作に悩むことも多かった。当時の危機的な日々はのちに『道草』(1915)で描かれるが、そうした暗鬱(あんうつ)な心情のカタルシスとして書かれたのが、処女作の『吾輩(わがはい)は猫である』(1905~1906)である。自他を含めて、現実の地平に集う衆愚の生活相が鋭く風刺され、辛辣(しんらつ)に笑い飛ばされている。近代文学に類のないユニークな作風で、闊達(かったつ)自在な語り口と相まって多くの読者を集め、小説家としての地位を不動のものにした。併行して『倫敦塔(ロンドンとう)』や『幻影(まぼろし)の盾』(ともに1905)などのロマンチックな短編も書き継がれ、『坊つちやん』では多感、直情のさわやかな青年像の創出に成功した。
[三好行雄]

漱石文学の原点

初期の文学観は『草枕(くさまくら)』(1906)に具体化されている。「非人情」の美を求める画家の感想に託して、煩わしい日常生活を逃れ、趣味と唯美の世界に遊ぶ「©徊(ていかい)趣味」をよしとしたのである。しかし、漱石はやがて小説家としての自覚を深めるとともに、出世間の芸術観を自ら否定し、現実と正面から対決する文学を目ざすに至った。同時に、創作に生涯を賭(か)ける決意を固め、1907年に教職を辞して朝日新聞社に入社した。入社第一作の『虞美人草(ぐびじんそう)』(1907)は誇り高い自我の女を創造して利己と道義の対立を描いているが、この作あたりから漱石の作風は明瞭(めいりょう)に変化し、日本の近代社会に潜む矛盾や葛藤(かっとう)を正面から描き出そうとする方向に向かった。『三四郎』(1908)では純朴な青年の愛の形とともに、「迷羊(ストレイシープ)」に似た青春の危うさが描かれ、『夢十夜』(1908)も自分のみた夢に擬して、同時代文明の批判や人間性の謎(なぞ)を語っている。また、『三四郎』のヒロインを通じて問われた個の自立と我執の問題は、さらに『それから』(1909)と『門』(1910)の三部作に発展し、愛をめぐる人間心理の明暗を執拗(しつよう)に追求するテーマの端緒を開くことになった。『それから』は姦通(かんつう)という極限状況を設定して性愛の倫理的根拠を探り、『門』は背徳によって結ばれた夫婦の浄福と不安を描いて、癒(い)やしがたい近代人の孤独を彷彿(ほうふつ)する。漱石はやがて『現代日本の開化』(1911)について講演し、西欧列強の圧力によって開国した性急な近代化の外発性を厳しく批判することになるが、そうした同時代文明への懐疑と知識人の命運の洞察とに、漱石文学の原点があった。
[三好行雄]

人間認識の深化

1910年、漱石は胃潰瘍(いかいよう)の療養に赴いた修善寺(しゅぜんじ)温泉で、大量の吐血のため人事不省に陥り、いわゆる「三十分の死」を経験した。その間の心情は『思ひ出す事など』(1910~1911)に回想されているが、「死すべき者」としての人間認識がさらに深まるとともに、我執への批判もいっそう徹底して、『彼岸過迄(ひがんすぎまで)』(1912)以下『行人(こうじん)』(1912~1913)、『こゝろ』(1914)を経て『道草』(1915)、『明暗』(1916)に至る一連の知識人小説が書かれることになる。『彼岸過迄』は軽い筆致の作品だが、実生活で幼い娘を亡くした作者の感慨が基調に沈み、死者のあわれと対照して浮薄な生の諸相が強調される。『行人』は傲慢(ごうまん)な自我に憑(つ)かれた知識人の孤独地獄を描いて、我執にとらわれた愛の不毛を告知する。他方、『彼岸過迄』と『行人』の間に明治帝の崩御と乃木希典(のぎまれすけ)の殉死があり、漱石はとくに乃木の殉死に大きな感動を受けた。『こゝろ』はその感動を契機として書かれた作品で、徹底した自己否定を貫き、他者と自己を同時に傷つけるエゴイズムの限界を見極めた主人公は、大正という新しい時代を迎えて「明治の精神」に殉死する。続く『道草』ではイギリス留学から帰国後の数年間に題材を求め、実生活の記憶を再構成しながら相対世界の暗鬱な精神的風景画が描かれている。いずれも、自己の思想の「時勢遅れ」(こゝろ)を自覚しながら、なお現在へかかわるための倫理的根拠を確認しようとする意図が読み取れる。「則天去私」の心境について語り始めたのも、同じころである。漱石はこうして、我執を超える絶対の倫理を憧憬(しょうけい)しながら、人間存在の深奥に潜む暗い部分を直視する『明暗』を書き始めた。日常のさまざまな人間関係のはらむ利害と愛憎、打算と策略のおぞましい人間喜劇を執拗に追い続けた長編であるが、起稿後まもなく宿痾(しゅくあ)の胃潰瘍が悪化し、ついに起(た)てなかった。大正5年12月9日、大内出血を繰り返して没し、病臥(びょうが)の間に書き継がれた『明暗』は未完のままに中絶した。享年50歳であった。
[三好行雄]

漱石文学の影響

漱石の文学は虚構と想像力による文学空間の提示という、本格的な客観小説の方法を最後まで失わず、また、強健な思想性と倫理性を貫くことで、同時代の自然主義とは明確な一線を画した。東洋と西洋の亀裂(きれつ)、愛とエゴイズム、知識人の孤独と不安など多彩な主題を描いたが、それらは現代の生と状況にもかかわる重要な問題として多くの読者を集めている。長編小説のほか、『文鳥』『永日(えいじつ)小品』などの短編や俳句・漢詩の秀作もある。漱石はまた多くの門下生に慕われ、師弟交歓の「木曜会」を週一度、自宅で開いた。小宮豊隆(とよたか)、森田草平、鈴木三重吉、阿部次郎、内田百©(ひゃっけん)、野上弥生子(やえこ)、芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)らの俊秀が育ち、大正期の市民文学に大きな影響を与えている。東北大学に旧蔵書が架蔵され、熊本市とロンドンに記念館がある。
[三好行雄] 

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4.なつめ‐そうせき【夏目漱石】画像
デジタル大辞泉
[1867〜1916]小説家・英文学者。江戸の生まれ。本名、金之助。英国留学後、教職を辞して朝日新聞の専属作家となった。自然主義に対立し、心理的手法で近代人の孤 ... ...
5.なつめ‐そうせき【夏目漱石】
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小説家。英文学者。東京出身。本名、金之助。帝国大学英文科卒。大学時代正岡子規と親交があり俳句をつくる。松山中学教諭、五高教授を経て、明治三三年(一九〇〇)イギリ ... ...
6.なつめそうせき【夏目漱石】
国史大辞典
聞集成夏目漱石像』、同編著『雑誌集成夏目漱石像』、津田青楓・夏目純一監修『夏目漱石遺墨集』、吉田精一・荒正人・北山正迪監修『図説漱石大観』、小宮豊隆『夏目漱石』 ... ...
7.なつめ-そうせき【夏目漱石】画像
日本人名大辞典
1867−1916 明治-大正時代の小説家,英文学者。慶応3年1月5日生まれ。松山中学,第五高等学校で英語教師をつとめ,明治33年文部省留学生としてイギリスに留 ... ...
8.夏目漱石[文献目録]
日本人物文献目録
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9.NatsumeSōseki【夏目漱石】画像
Encyclopedia of Japan
1867−1916 Novelist and scholar of English literature. Real name Natsume Kinnosuk ... ...
10.夏目漱石(年譜)
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1867(慶応3)1月5日(新暦2月9日)江戸牛込馬場下横町(現、東京都新宿区牛込喜久井町)に誕生。本名は金之助。里子に出され、翌年塩原家の養子となる1876( ... ...
11.AutobiographyofaFlea[タイトル]
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を蚤の目をとおして描き,英国ヴィクトリア朝の偽善的なモラルを風刺している;本書を参考にして,夏目漱石は『吾輩は猫である』を創作したという説もある. ... ...
12.PrideandPrejudice[タイトル]
e-プログレッシブ英和
舞台に,ベネット家の娘エリザベスを中心に繰り広げられる恋愛・結婚騒動を描く;明るい諧謔と鋭い風刺に富む作品で,夏目漱石が「則天去私」の作品例としてあげたことで知 ... ...
13.TheEgoist[タイトル]
e-プログレッシブ英和
主人公に,当時の上流階級に生きる人々の虚栄,うぬぼれ,利己心といった人間の愚かしさに光をあてたコメディー;夏目漱石の文体に多大な影響を与えたとされる. ... ...
14.ああ
日本国語大辞典
ああも仕やうか、斯うもしやうかと漸(やっ)との事で一策を案じ出し」*坊っちゃん〔1906〕〈夏目漱石〉一一「ああやって喧嘩をさせて置いて」(2)(「ああだ、ああ ... ...
15.ああ‐あ
日本国語大辞典
有り、仮寐する者有り、欠伸又欠伸唖々々(〈注〉アアア)」*吾輩は猫である〔1905〜06〕〈夏目漱石〉一「あーあと大(だい)なる欠伸(あくび)をした」(2)ため ... ...
16.ああ‐ああ
日本国語大辞典
」*二百十日〔1906〕〈夏目漱石〉三「けふは湯葉に椎茸ばかりか。ああああ」(2)相手の話し掛けに対して気軽に同意して答えるときのことば。*門〔1910〕〈夏目 ... ...
17.あい【愛】
日本国語大辞典
也」*吾輩は猫である〔1905〜06〕〈夏目漱石〉一「どうしても我等猫族が親子の愛(あい)を完(まった)くして美しい家族的生活をするには」* ... ...
18.あいあい‐がさ[あひあひ:]【相合傘】画像
日本国語大辞典
是は落書にて女郎芸子の色男と二人りの名を仇書にして傍輩の芸子女郎色事をそやすなり」*虞美人草〔1907〕〈夏目漱石〉一四「撫でて通る電信柱に白い模様が見えた。す ... ...
19.あい‐う・つ[あひ:]【相打】
日本国語大辞典
云ぞ」*文明論之概略〔1875〕〈福沢諭吉〉二・四「父子相戦ひ兄弟相伐ち」*道草〔1915〕〈夏目漱石〉四二「彼の弱点が御常の弱点とまともに相搏(アヒウ)つ事も ... ...
20.あい‐おう・ずる[あひ:]【相応】
日本国語大辞典
一二・一〇「人は常々往来する朋友と感情相通じ、声気相(あヒ)応じ」*坊っちゃん〔1906〕〈夏目漱石〉四「此野郎申し合せて、東西相応じておれを馬鹿にする気だな」 ... ...
21.あい‐きょう[:キャウ]【愛敬・愛嬌(ケウ)】
日本国語大辞典
しゃいましの、愛敬(アイキャウ)を背(そびら)にうけて」*吾輩は猫である〔1905〜06〕〈夏目漱石〉一〇「此位公然と矛盾をして平気で居られれば愛嬌になる」(4 ... ...
22.あいきょう‐らし・い[アイキャウ:]【愛敬─】
日本国語大辞典
のむすめがうつくしいの』『かぎやの小ぢょくめらもあいきゃうらしい』」*彼岸過迄〔1912〕〈夏目漱石〉松本の話・七「田口は愛嬌(アイケウ)らしく笑って」アイキョ ... ...
23.あい‐けん【愛犬】
日本国語大辞典
「主君の愛犬なるをもて、等閑(なほざり)ならずとりはやしつ」*カーライル博物館〔1905〕〈夏目漱石〉「五尺余の地下にはカーライルの愛犬(アイケン)ニロが葬むら ... ...
24.あい‐こく・する[あひ:]【相剋】
日本国語大辞典
つのものが互いに勝とうとして争う。相剋(そうこく)する。*思ひ出す事など〔1910〜11〕〈夏目漱石〉一九「静かなのは相剋(アヒコク)する血と骨の、僅に平均を得 ... ...
25.あい‐ご・する[あひ:]【相伍・相互】
日本国語大辞典
・三「国に帰るに及んでは、百姓と相伍して自ら武勇に誇り」*吾輩は猫である〔1905〜06〕〈夏目漱石〉五「庸人(ようじん)と相互する以上は下って庸猫(ようべう) ... ...
26.あい‐じん【愛人】
日本国語大辞典
幾度も軽るく足を踏み、愛人の眠りを攪(さま)さんとせし」*吾輩は猫である〔1905〜06〕〈夏目漱石〉九「親友も汝を売るべし。父母も汝に私あるべし。愛人も汝を棄 ... ...
27.あい‐・する【愛】
日本国語大辞典
人を愛するといふからには、必ず先づ互に天性気質を知りあはねばならぬ」*虞美人草〔1907〕〈夏目漱石〉一二「愛せらるるの資格を標榜して憚からぬものは、如何なる犠 ... ...
28.あい‐ず[あひヅ]【合図・相図】
日本国語大辞典
・二〇回「千里烽(せんりほう)もて暗号(アヒヅ)とせん」*吾輩は猫である〔1905〜06〕〈夏目漱石〉四「話しては行けぬ行けぬと顋(あご)と眼で主人に合図する」 ... ...
29.あいそ‐らし・い【愛想─】
日本国語大辞典
あいそらしい詞もかけず、ついに一度の添臥(そひぶし)もなく候へ共」*行人〔1912〜13〕〈夏目漱石〉帰ってから・二「母はさも愛想(アイソ)らしく又弁疏(いひわ ... ...
30.あいそ‐わらい[:わらひ]【愛想笑】
日本国語大辞典
〔名〕相手の機嫌をとるためにする笑い。おせじわらい。あいそうわらい。*それから〔1909〕〈夏目漱石〉二「婆さんは相手にされないので、独りで愛相笑(アイソワラ) ... ...
31.あい‐ぞう[:ザウ]【愛蔵】
日本国語大辞典
〔名〕物を大切にして、しっかりしまっておくこと。*草枕〔1906〕〈夏目漱石〉八「『へえ、どんな硯かい』『山陽の愛蔵したと云ふ…』」*故旧忘れ得べき〔1935〜 ... ...
32.あいだ‐がら[あひだ:]【間柄】
日本国語大辞典
)といって某学校の英語の教師で、文三とは師弟の間繋(アヒダガラ)」*硝子戸の中〔1915〕〈夏目漱石〉一七「顔を合(あ)はせさへすれば挨拶をし合ふ位の間柄(アヒ ... ...
33.あい‐つう・ずる[あひ:]【相通】
日本国語大辞典
常々往来する朋友と、感情相通じ、声気相応じ、自ら相視倣(みならふ)ものなれば」*永日小品〔1909〕〈夏目漱石〉金「同じ金で代表さして、彼是(ひし)相通(アヒツ ... ...
34.あいづっ‐ぽ[あひづっ:]【会津─】
日本国語大辞典
〔名〕会津の人を卑しめて呼ぶ語。また、親しみをこめて呼ぶ語。*坊っちゃん〔1906〕〈夏目漱石〉九「『僕は会津だ』『会津っぽか、強情な訳だ』」 ... ...
35.あい‐てら・す[あひ:]【相照】
日本国語大辞典
〉一「結句双方相照(アイテラ)して趣をなす変化の妙あり」*吾輩は猫である〔1905〜06〕〈夏目漱石〉八「其一字一句が層々連続すると首尾相応じ前後相照(あひて) ... ...
36.アイディアリズム
日本国語大辞典
〔名〕({英}idealism )《アイデアリズム・アイデヤリズム》(1)観念論。*点頭録〔1916〕〈夏目漱石〉トライチケ「元来独乙のアイヂアリズムは観念の科 ... ...
37.アイデンティファイ
日本国語大辞典
のであると認めること。確かにその人またはものであると認めること。*創作家の態度〔1908〕〈夏目漱石〉「一度かう云ふ風に推し立てられると、スコットは浪漫主義で浪 ... ...
38.あい‐とう[:タウ]【哀悼】
日本国語大辞典
思ふ事のかくも深きや』と宣ひて、哀悼(アイトウ)気色(けしき)にあらはれしか」*こゝろ〔1914〕〈夏目漱石〉下・七「父母の墓の前に跪づきました。半ば哀悼(アイ ... ...
39.アイドル
日本国語大辞典
視たっても気移りはしない。我輩には『アイドル』(本尊)が一人有るから」*それから〔1909〕〈夏目漱石〉一三「広瀬中佐は〈略〉当時の人から偶像(アイドル)視され ... ...
40.あい‐なか[あひ:]【相中・相仲】
日本国語大辞典
〔名〕(1)中間。途中。*草枕〔1906〕〈夏目漱石〉三「人に死して、まだ牛にも馬にも生れ変らない途中はこんなであらう。いつ迄人と馬の相中に寝てゐたかわれは知ら ... ...
41.あい‐なら・ぶ[あひ:]【相並】
日本国語大辞典
如くにして、相(あヒ)並んで行かざるべからざるものあり」*吾輩は猫である〔1905〜06〕〈夏目漱石〉一一「座敷の入口には、寒月君と東風君が相(アヒ)ならんで」 ... ...
42.あい‐にく【生憎】
日本国語大辞典
(アイニク)に二本摺り損なって三本目で漸(やっ)と火が点(つ)いた」*彼岸過迄〔1912〕〈夏目漱石〉須永の話・二〇「生憎(アイニク)な天気なので人の好い母はみ ... ...
43.あい‐の‐くさび[あひ:]【間楔】
日本国語大辞典
の楔だから、ちょっと何ぞ短く遣って、邪魔にならねえ内引っ込まうぜ」*坊っちゃん〔1906〕〈夏目漱石〉一一「夫(それ)ぢゃおれを間のくさびに一席伺はせる気なんだ ... ...
44.アイバンホー
日本大百科全書
アシュビーの豪壮な馬上大試合で、ひそかに帰国したアイバンホーがジョン方の諸騎士を打ち破る場面はとくに有名。夏目漱石(そうせき)の『文学論』中「間隔論」の項に言及 ... ...
45.あい‐まって[あひ:]【相俟】
日本国語大辞典
ひき起こす場合などに使われる)互いに作用し合って。互いの力によって。*彼岸過迄〔1912〕〈夏目漱石〉報告・一〇「其畑が彼の顔の傍で何時の間にか消えて行く具合が ... ...
46.あい‐よう【愛用】
日本国語大辞典
〔名〕物を好んでいつも使用すること。楽しんで使用すること。*彼岸過迄〔1912〕〈夏目漱石〉風呂の後・一二「僕の愛用したものだから、紀念のため是非貴方に進上した ... ...
47.あい‐よう・する[あひ:]【相擁】
日本国語大辞典
或時は月光流水の如き下に相擁(アヒヨウ)して泣いたことなどを思ひ出した」*虞美人草〔1907〕〈夏目漱石〉二「妖姫クレオパトラの安図尼(アントニイ)と相擁(アヒ ... ...
48.アイロニー
日本国語大辞典
田魯庵〉「スヰフトの反語(アイロニイ)を用ゆる伎倆の真に古来稀なるは」*こゝろ〔1914〕〈夏目漱石〉上・五「先生は〈略〉私程に滑稽もアイロニーも認めてないらし ... ...
49.アイロン
日本国語大辞典
火熨斗又は鉄 Iron (英)洋服裁縫等に用ゐる鏝即火熨斗のことを云ひ」*明暗〔1916〕〈夏目漱石〉八七「アイロンの注意でもして遣るべき所を」(2)調髪用のこ ... ...
50.あい‐わ・す[あひ:]【相和】
日本国語大辞典
朋友相信じ」(2)互いに交じりあう。また、互いに調和する。*吾輩は猫である〔1905〜06〕〈夏目漱石〉一〇「打ち洩(も)らされた米粒は黄色な汁と相和して」*入 ... ...
「夏目漱石」の情報だけではなく、「夏目漱石」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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