今昔物語集1000以上の説話を載せる、仏教&世俗説話の集大成
〈今昔(いまはむかし)……〉で始まる和漢混交文で書かれた1059の説話を、1~5巻「天竺(てんじく)部」(インド)、6~10巻「震旦(しんたん)部」(中国)、11~20巻「本朝(日本)仏法部」、21~31巻「本朝世俗部」の31巻で構成。このうち本朝仏法・世俗部を収録。内容は多岐にわたり、貴賎上下も老若男女も、はては犯罪者や霊鬼・妖怪まで跳梁暗躍する。編者成立年ともに未詳。
[中古][説話]
校注・訳:馬淵和夫 国東文麿 稲垣泰一
今昔物語集 巻第十一 本朝付仏法
●聖徳太子於此朝始弘仏法語第一
●行基菩薩学仏法導人語第二
●役優婆塞誦持呪駈鬼神語第三
●道照和尚亘唐伝法相還来語第四
●道慈亘唐伝三論帰来神叡在朝試語第五
●玄昉僧正亘唐伝法相語第六
●婆羅門僧正為値行基従天竺来朝語第七
●鑑真和尚従震旦渡朝戒律語第八
●弘法大師渡宋伝真言教帰来語第九
●伝教大師亘宋伝天台宗帰来語第十
●智證大師亘宋伝顕蜜法帰来語第十二
●聖武天皇始造東大寺語第十三
●淡海公始造山階寺語第十四
●聖武天皇始造元興寺語第十五
●代々天皇造大安寺所々語第十六
多くの僧が東大寺に移った。そのうち、何かにつけてこの両寺は不和となり、にわかに合戦となった。戦(いくさ)は老僧のなすべきふるまいでないにもかかわらず、いつか悪にひかれて鎧兜(よろいかぶと)をつけ、諸経典も手にせず、あちこちの堂に捨てたまま四方八方に逃げてしまった。若い僧は、「わが師の僧が逃げ去ってしまう以上、自分たちもまたこの寺にとどまるわけにはゆかぬ」と言って、泣く泣く、おのおの離散する。その結果、五日の間に千余人の僧がすっかりいなくなってしまった。それ以来、元興寺の仏法は絶え果てたのである。 しかしながら、かの弥勒の仏像は今もなおおいでになる。権化の人がお造り申した仏像でおありだからまことに尊い。そしてまた、天竺・震旦(しんだん)・本朝の三国にお渡りになった仏像である。まさに何度も光を放ち、これを深く信仰する人はみな兜率天に生れた。世の人は格別拝み奉るべきである。 奈良の元興寺というのはこれである、とこう語り伝えているということだ。十六 今は昔、聖徳太子が熊凝(くまごり)の村に寺をお造りになったが、まだ造り終らぬうちに太子がお亡くなりになったので、推古天皇がそ

●天智天皇造薬師寺語第十七
●高野姫天皇造西大寺語第十八
●光明皇后建法華寺為尼寺語第十九
●聖徳太子建法隆寺語第二十
●聖徳太子建天王寺語第二十一
●推古天皇造本元興寺語第二十二
●建現光寺安置霊仏語第二十三
●久米仙人始造久米寺語第二十四
●弘法大師始建高野山語第二十五
●伝教大師始建比叡山語第二十六
●慈覚大師始建楞厳院語第二十七
●智證大師初門徒立三井寺語第二十八
●天智天皇建志賀寺語第二十九
●天智天皇御子始笠置寺語第三十
●徳道聖人始建長谷寺語第三十一
●田村将軍始建清水寺語第三十二
●秦川勝始建広隆寺語第三十三
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建法輪寺語第三十四 ●藤原伊勢人始建鞍馬寺語第三十五
●修行僧明練始建信貴山語第三十六
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始建竜門寺語第三十七 ●義淵僧正始造竜蓋寺語第三十八
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