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  11. 唐招提寺

唐招提寺

ジャパンナレッジで閲覧できる『唐招提寺』の日本大百科全書(ニッポニカ)のサンプルページ

唐招提寺
とうしょうだいじ

奈良市五条町にある律宗総本山。本尊は盧舎那仏(るしゃなぶつ)。756年(天平勝宝8)、聖武(しょうむ)・孝謙(こうけん)両上皇の勅願により来朝した唐僧過海(かかい)大師鑑真和上(がんじんわじょう)が新田部(にいたべ)親王の旧宅を譲り受けて建立した寺で、戒壇(かいだん)を設け律宗の根本道場とした。初めは唐律招提寺(とうりつしょうだいじ)、唐寺(とうじ)、律寺などと称され、延喜(えんぎ)式十五大寺、南都七大寺の一つに数えられた。759年(天平宝字3)「唐招提寺」の勅額が下賜されたが、その勅文には、「招提是諸寺本寺十方僧依所、日域七衆根本寺、故號唐招提寺」とあり、四方僧坊の義をとり、諸寺の根本とした。以後、天皇・皇后以下百官も皆ここで受戒し、帰依(きえ)も厚かった。『大般若経(だいはんにゃきょう)』『金光明(こんこうみょう)経』を読ませ、鎮護国家金光明建初律唐招提寺と号したこともあった。王朝とともに隆盛を極めていた唐招提寺はやがて勢力を失い、平安末期には興福寺(法相(ほっそう)宗)の末寺となった。その後、嘉禎(かてい)年間(1235~38)覚盛上人(かくじょうしょうにん)が中興第1世となって戒律を復興し寺域を整えたが、ふたたび戦国の兵乱、地震による倒壊などで衰えた。江戸時代に徳川5代将軍綱吉(つなよし)、その生母桂昌院(けいしょういん)らの帰依により大規模な修理がなされた。1900年(明治33)独立して律宗総本山となる。
[里道徳雄]

文化財

金堂、講堂、経蔵・宝蔵は奈良時代、鼓楼(ころう)は鎌倉時代の建物で、おのおのたびたび修補を経ているが、創建当初の姿をよく伝え、国宝に指定されている。金堂は鑑真の弟子如宝(にょほう)の建立と伝える。正面7間、側面4間の単層寄棟(よせむね)造で、前面の1間は吹流しの形式をとり、太いエンタシスの柱が屋根を支える。大棟(おおむね)東西端の鴟尾(しび)のうち西側のものは創建当初のもの。堂内には本尊盧舎那仏像をはじめ、薬師如来(にょらい)、千手観音(せんじゅかんのん)、梵天(ぼんてん)・帝釈天(たいしゃくてん)、四天王の立像(いずれも奈良時代、国宝)を安置している。講堂は平城京の東朝集殿(ひがしちょうしゅうでん)を移築したものといい、天平(てんぴょう)の宮殿建築の唯一の遺構。もと開山堂にあった鑑真和上坐像(ざぞう)(奈良時代、国宝)は、1964年(昭和39)移建された旧一乗院宸殿(しんでん)(国重要文化財)の御影堂(みえいどう)に安置されている。像は脱乾漆造で、法隆寺夢殿の行信僧都(ぎょうしんそうず)の像とともにわが国肖像彫刻中の最高傑作、最古の遺品として名高い。そのほか、木造大悲菩薩(だいひぼさつ)像(覚盛上人像)、紙本着色東征(とうせい)絵巻5巻、絹本着色大威徳明王(だいいとくみょうおう)像、絹本着色十六羅漢(らかん)像(以上、重文)、鑑真が唐より将来した舎利を納める舎利容器1具(国宝)など多くの文化財を蔵している。また境内の西に石造3段の戒壇がある。もと覆堂があったが、嘉永(かえい)年間(1848~54)に焼失、現在は戒壇上に1980年(昭和55)建造の宝塔が建つ。唐招提寺は1998年(平成10)、世界遺産の文化遺産として登録された(世界文化遺産。奈良の文化財は東大寺など8社寺等が一括登録されている)。
なお、5月19日に鼓楼で行われる「うちわまき」はよく知られている。
[里道徳雄]

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唐招提寺の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 471
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検索コンテンツ
1. 唐招提寺
日本大百科全書
南都七大寺の一つに数えられた。759年(天平宝字3)「唐招提寺」の勅額が下賜されたが、その勅文には、「招提是諸寺本寺十方僧依所、日域七衆根本寺、故號唐招提寺」と nbsp;...
2. 唐招提寺
世界大百科事典
ゥーパが建設された。宮本 長二郎 招提寺 招提寺 鑑真 如宝 実範式 覚盛 証玄 唐招提寺金堂 如宝 唐招提寺講堂 鑑真和上(座)像 ...
3. とうしょうだい‐じ【唐招提寺】地図
デジタル大辞泉
奈良市にある律宗の総本山。開創は天平宝字3年(759)、鑑真(がんじん)の開山で、ここに戒壇を設け律宗の根本道場とした。金堂、平城宮の朝集殿を移築した講堂、経蔵 ...
4. とうしょうだい‐じ[タウセウダイ:]【唐招提寺】
日本国語大辞典
奈良市五条町にある律宗の総本山。天平宝字三年(七五九)唐僧鑑真(がんじん)が創建。東大寺の戒壇院に対し律宗研修の道場として重きをなした。金堂・宝蔵・経蔵は創建当 ...
5. 唐招提寺[図版]
国史大辞典
大和名所図会 (c)Yoshikawa kobunkan Inc.  ...
6. とうしょうだいじ【唐招提寺】
国史大辞典
部三、奈良県教育委員会編『国宝唐招提寺講堂他二棟修理工事報告書』、福山敏男『日本建築史研究』続編、関野貞「唐招提寺講堂」(『考古界』五ノ一)、喜田貞吉「唐招提寺 ...
7. とうしょうだいじ【唐招提寺】奈良県:奈良市/西ノ京地区/五条村
日本歴史地名大系
たと考えられるが、唐招提寺の場合は如宝が有縁檀主らを率いて建立したから、鑑真入寂後の竣工とみなければならない。鑑真は天平宝字七年五月六日に没したが、その後も弟子 ...
8. 唐招提寺(とうしょうだいじ)【篇】
古事類苑
宗教部 洋巻 第3巻 1266ページ ...
9. 唐招提寺
デジタル大辞泉プラス
奈良県奈良市にある寺院。創建は759年。律宗総本山、本尊は蘆舎那仏。国宝の金堂など多くの文化財を保有。「古都奈良の文化財」の一部としてユネスコの世界文化遺産に登 ...
10. 唐招提寺
日本史年表
759年〈天平宝字3 己亥〉 8・1 鑑真 、戒院を設け、 唐律招提寺(のち唐招提寺) と称する(招提寺建立縁起)。  ...
11. Tōshōdaiji 【唐招提寺】
Encyclopedia of Japan
Buddhist monastery founded in 759 in the western sector of the ancient capital o ...
12. 唐招提寺寺領 (見出し語:唐招提寺【篇】)
古事類苑
宗教部 洋巻 第3巻 247ページ ...
13. 唐招提寺戒壇 (見出し語:唐招提寺【篇】)
古事類苑
宗教部 洋巻 第2巻 647ページ ...
14. 唐招提寺鵄尾圖 (見出し語:唐招提寺【篇】)
古事類苑
居處部 洋巻 第1巻 1008ページ ...
15. とうしょうだいじもんじょ【唐招提寺文書】
国史大辞典
[参考文献]奈良国立文化財研究所編『唐招提寺史料』一(『奈良国立文化財研究所史料』七)、福山敏男「唐招提寺用度帳」(『日本建築史研究』続編所収)、田中稔「唐招提 ...
16. 唐招提寺講堂 (見出し語:講堂)
古事類苑
宗教部 洋巻 第3巻 1268ページ ...
17. 薬師寺東塔と唐招提寺金堂の三手先[百科マルチメディア]
日本大百科全書
〓Shogakukan ...
18. 会津八一
世界大百科事典
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19. あかはだ‐やま【赤膚山】
日本国語大辞典
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20. あかはだやま【赤膚山】奈良県:奈良市/西ノ京地区
日本歴史地名大系
現代でも赤膚焼の陶器が作られている。また西ノ京の瓦大工橘氏は鎌倉時代末から近世にかけて法隆寺・唐招提寺などの瓦を製作した。 ...
21. あきめむら【秋目村】鹿児島県:川辺郡/坊津町
日本歴史地名大系
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22. 校倉
日本大百科全書
校木は三角材または角材の角を平らに削り落として積まれる。古くは甲倉、格倉、叉倉とも記される。正倉院宝庫、唐招提寺(とうしょうだいじ)経蔵・宝蔵など奈良時代の校倉 ...
23. 校倉
世界大百科事典
は壁面からの通風があるという利点から宝物倉として用いられることが多い。正倉院宝庫(双甲倉),唐招提寺宝蔵(甲倉)が奈良時代に建てられた代表的な遺構である。鈴木  ...
24. あぜくら【校倉】
国史大辞典
上に一つの屋根をかけた双倉(ならびぐら)もあった。正倉院宝庫はその好例で、普通の校倉としては唐招提寺・東大寺に奈良時代の遺構がある。校倉は日光東照宮神庫にも見ら ...
25. あぜくら‐づくり【校倉造(り)】
デジタル大辞泉
校倉風の建築構造。東大寺の正倉院や唐招提寺(とうしょうだいじ)の宝蔵・経蔵など。  ...
26. あぜくら‐づくり【校倉造】
日本国語大辞典
壁にしたもの。奈良時代から平安初期にかけて寺院や官庁の宝庫、倉として多く建てられた。東大寺の正倉院や唐招提寺の宝蔵、経蔵などが有名。甲蔵。叉倉。あぜり。 ...
27. あまがつじ【尼辻】奈良県:奈良市/西ノ京地区/興福院村
日本歴史地名大系
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28. あみだじようどいんあと【阿弥陀浄土院跡】奈良県:奈良市/佐保・佐紀地区/法華寺村
日本歴史地名大系
飛雲などが取付けられていた。中央には丈六の阿弥陀三尊が漆喰塗の須弥壇に安置されていた。規模は唐招提寺金堂とほぼ同じであったと推察される。〈大和・紀伊寺院神社大事 ...
30. いきのくに【壱岐国】長崎県
日本歴史地名大系
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31. いけじりべつぷ【池尻別符】福岡県:田川郡/川崎町/池尻村
日本歴史地名大系
市)・金国(現田川市)の正税徴収を宗国が請負っている(四月二九日「宗国書状」八幡善法寺文書/唐招提寺史料)。応仁二年(一四六八)一一月一七日には前記三ヵ所の正税 ...
32. い‐こう[ヰ:]【遺構】
日本国語大辞典
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33. 一乗院
世界大百科事典
1812年(文化9)に講堂などが焼失。宸殿は,近代には奈良地方裁判所として使用されていたが,1962年に唐招提寺に移建,開山堂として改修された。堀池 春峰 興福 ...
34. いちじょういん【一乗院】 : 興福寺
国史大辞典
官幣大社春日神社宮司となり男爵に列せられた。門跡は官没されて奈良県庁、ついで裁判所に転用、寝殿造の建物は現在唐招提寺に移建され、同寺の御影堂となった。なお門跡領 ...
35. いちじよういんあと【一乗院跡】奈良県:奈良市/奈良公園地区/興福寺
日本歴史地名大系
明治維新後、寺務職還俗して水谷川氏を称した。慶安三年(一六五〇)再興の宸殿は、昭和三七年(一九六二)唐招提寺に移されて同寺の御影堂となった。同三九年に発掘調査さ ...
36. いちぼくづくり【一木造】
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いわゆる寄木造ではない。一木造は奈良時代の後期に盛んになり平安時代前期に至って頂点に達する。初期の作例には唐招提寺の梵天・帝釈天・大自在菩薩など等身大以上の彫刻 ...
37. いっ‐し【一志】
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38. いといごう【糸井郷】兵庫県:但馬国/養父郡
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40. いほ【伊保】兵庫県:高砂市
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41. 入江泰吉
日本大百科全書
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42. いりもや‐づくり【入母屋造(り)】
デジタル大辞泉
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44. いわれの-いわたて【石村石楯】
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45. いんしょう【印勝】
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46. 浮彫り
日本大百科全書
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47. うごん【有厳】
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48. うだのみくまりじんじゃ【宇太水分神社】奈良県:宇陀郡/菟田野町/古市場村
日本歴史地名大系
陀郡田地帳案)。なお興福寺僧実厳の日記「細々要記」によると、正平六年(一三五一)後村上天皇は唐招提寺に入り、三輪(現奈良県桜井市)を経て宇太水分宮に参って吉野に ...
49. うちわ‐まき[うちは:]【団扇撒】
日本国語大辞典
〔名〕奈良の唐招提寺で、毎年五月一九日(中興開山覚盛和尚の命日)に行なう会式(えしき)。開山、鑑真和尚が行(ぎょう)を修めているとき、弟子が蚊や虻を団扇で追おう ...
50. えこう【恵晃】
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悉曇(しったん),因明(いんみょう)などに通じた。京都泉涌寺(せんにゅうじ)長老をへて,奈良唐招提寺長老となる。元文2年6月8日死去。82歳。俗姓は浜岡。字(あ ...
「唐招提寺」の情報だけではなく、「唐招提寺」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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