1. 三十三間堂
日本大百科全書
京都市東山区三十三間堂廻(まわ)り町にある蓮華王院(れんげおういん)の本堂。本尊は千手観音(せんじゅかんのん)。蓮華王院は天台宗に属し、天台三門跡(もんぜき)の ...
2. 三十三間堂
世界大百科事典
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華王院
...3. さんじゅうさんげん‐どう【三十三間堂】地図
デジタル大辞泉
京都市東山区にある天台宗の寺、蓮華王院(れんげおういん)本堂の通称。長寛2年(1164)後白河法皇の勅願で平清盛が建立。のち焼失したが、文永3年(1266)に復 ...
4. さんじゅうさんげん‐どう[サンジフサンゲンダウ]【三十三間堂】
日本国語大辞典
。三十三。三十三間。*わらんべ草〔1660〕四「一 神鳴 京の三十三間堂の、神鳴を写す」*書言字考節用集〔1717〕二「三十三間堂 サンじふさんゲンタウ 城州愛 ...
5. さんじゅうさんげんどう【三十三間堂】 :
華王院
国史大辞典
三十三間堂(さんじゅうさんげんどう) 桁行三十五間、梁行五間で、前に七間の板敷の向拝があり、入母屋造本瓦葺である。平安時代には、母屋桁行と庇が何面につくかで ...
8. Sanjūsangendō 【三十三間堂】
Encyclopedia of Japan
The main hall (hondo), and only building, of the Rengeoin, a small Buddhist temp ...
9. さんじゅうさんげんどう【三十三間堂】
国史大辞典
⇒蓮華王院(れんげおういん) ...
10. 三十三間堂通矢 (見出し語:三十三間堂)
古事類苑
武技部 洋巻 第1巻 149ページ ...
11. 京都三十三間堂 (見出し語:三十三間堂)
古事類苑
宗教部 洋巻 第3巻 600ページ ...
12. さんじゅうさんげんどういせき【三十三間堂遺跡】宮城県:亘理郡/亘理町/下郡村
日本歴史地名大系
遺跡は多数の礎石群と土壇からなる。飛騨匠の一日一夜三十三間堂建立の伝説が伝わる(亘理町史)。礎石群についてはすでに「下郡村安永風土記」に「三十三間堂跡 野山之内 ...
13. さんじゅうさんげんどう‐とおしや[サンジフサンゲンダウとほしや]【三十三間堂通矢】
日本国語大辞典
あるいは深川永代島の三十三間堂でも行なわれた。また、三十三間堂は二間を隔てて柱を立てたので実際の距離は六六間(約一一九メートル)。*俳諧・季引席用集〔1818〕 ...
14. 三十三間堂 通し矢物語
デジタル大辞泉プラス
1945年公開の日本映画。監督:成瀬巳喜男、脚本:小国英雄、撮影:鈴木博。出演:長谷川一夫、田中絹代、市川扇升、田中春男、広沢虎蔵ほか。 2012年10月 ...
15. 三十三間堂の矢殺人事件
デジタル大辞泉プラス
山村美紗のミステリー短編集。1984年刊行。 2012年12月 ...
16. さんじゅうさんげんどうまわりちょう【三十三間堂廻り町】京都市:東山区/大仏廻り地図
日本歴史地名大系
町名はなかった。明治二年(一八六九)二月境内を二分して、北を茶屋町に編入し、南を三十三間堂廻りと称する。当町西半分は三十三間堂(蓮華王院)の寺地、東側には養源院 ...
17. さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい【三十三間堂棟由来】
デジタル大辞泉
浄瑠璃「祇園女御九重錦(ぎおんにょうごここのえにしき)」の三段目だけを上演する場合の別外題。柳の精のお柳が、一子緑丸と別れを告げる場。 ...
18. さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい[サンジフサンゲンダウむなぎのユライ]【三十三間堂棟由来】
日本国語大辞典
浄瑠璃「祇園女御九重錦(ぎおんにょうごここのえにしき)」の三段目、平太郎住家の段だけの上演外題。三十三間堂建立のために切られることになった柳の精お柳が、横曾根平 ...
19. さんじゆうさんげんどうあと【三十三間堂跡】東京都:江東区/旧深川区地区/深川数矢町地図
日本歴史地名大系
[現]江東区富岡二丁目 京都の三十三間堂(蓮華王院)を模して建てられた南北六六間・東西四間、四面回り縁の堂で、本尊は千手観音であった。寛永一九年(一六四二)射術 ...
20. 『都名所之内 三十三間堂後堂之図』[百科マルチメディア]
日本大百科全書
長谷川貞信(初世)画 1854年(安政1) 国立国会図書館所蔵 ...
21. 京都三十三間堂大矢數 (見出し語:大矢數)
古事類苑
宗教部 洋巻 第3巻 603ページ ...
22. 赤松則良半生談 幕末オランダ留学の記録 39ページ
東洋文庫
其夜は川崎宿に泊り、夫れから東海道を下ったが、予定よりは一日遅れて九月八日の朝京都に入り、祇園・清水・三十三間堂其他の神社仏閣を巡って一日を遊覧に費し、夕七ツ半 ...
23. あさおか-へいべえ【浅岡平兵衛】
日本人名大辞典
県)清洲(きよす)城主松平忠吉につかえる。慶長11年(1606)京都の蓮華(れんげ)王院(三十三間堂)で通し矢の射技をこころみ,51本を射とおした。 ...
24. あさくさあさとめちよう【浅草浅留町】東京都:台東区/旧浅草区地区地図
日本歴史地名大系
隔てて浅草本願寺、西・北は武家地。この辺りはかつての沼地を埋立てた地で、寛永一九年(一六四二)三十三間堂が建立された。そのためこの辺り一帯は堂前と通称される。元 ...
25. あさくさきたまつやまちよう【浅草北松山町】東京都:台東区/旧浅草区地区地図
日本歴史地名大系
借地していた浄土真宗二ヵ寺のうち入楽寺(現真宗大谷派)は正保五年平松町(現中央区)に創建され、その後浅草三十三間堂前遍立寺境内に移り、さらに安永七年祝言寺境内を ...
26. あさくさへんりゆうじもんぜん【浅草遍立寺門前】東京都:台東区/旧浅草区地区地図
日本歴史地名大系
浅草龍光寺門前の南にある。遍立寺境内の北と東に立てられた門前町屋。元禄一一年(一六九八)三十三間堂跡地の一部に遍立寺が移転し、翌一二年門前町屋の開設を許可され ...
27. あさくさまつばちよう【浅草松葉町】東京都:台東区/旧浅草区地区地図
日本歴史地名大系
町に移り、元禄一一年再度類焼したのち三十三間堂跡へ移転した。同寺北方にある曹洞宗松源寺は寛永六年には下谷車坂下付近にあり、その後寺地を収公され、三十三間堂跡地に ...
28. あさくさみなみきよしまちよう【浅草南清島町】東京都:台東区/旧浅草区地区地図
日本歴史地名大系
倉義景の子という。初め神田に起立され、その後上野下に移り、さらに新寺町へ移転した。また浅草三十三間堂前にも寺地を与えられたが、同所は遍立寺の寺地になった。境内は ...
29. あさくさりゆうこうじもんぜん【浅草龍光寺門前】東京都:台東区/旧浅草区地区地図
日本歴史地名大系
南は浅草遍立寺門前。龍光寺は三十三間堂別当を勤め、元禄一一年(一六九八)の同堂移転後、その跡地の一部を与えられたという。門前町屋の起立年代は不明だが、かつて三十 ...
30. あゆみ を 運(はこ)ぶ
日本国語大辞典
*滑稽本・風来六部集〔1780〕里のをだ巻評「木場の岡釣には太公望も歩(アユミ)をはこび、三十三間堂の大矢数には養由基も汗を流す」*真鶴〔1920〕〈志賀直哉〉 ...
31. 嵐璃寛
世界大百科事典
4世の養子。初名嵐秀二郎から,和三郎,徳三郎を経て,1918年璃寛を襲名。《合邦》の玉手御前や《三十三間堂》のお柳など,女方の当り芸が多い。向井 芳樹 嵐橘(き ...
32. あらしりかん【嵐璃寛】
歌舞伎事典
初名嵐秀二郎から、和三郎、徳三郎を経て、大正七(1918)年璃寛を襲名。《合邦》の玉手御前や《三十三間堂》のお柳など、女方の当り芸が多い。向井 芳樹 ...
34. いずしごう【出石郷】兵庫県:出石郡/出石町
日本歴史地名大系
免除されている。当郷は神戸郷とともに後白河上皇によって立券された上皇御願寺の京都蓮華王院(三十三間堂)領であることが判明するが、ほかに関係史料は伝わらない。出石 ...
35. 出雲大神宮
世界大百科事典
た中世には
華王院(
三十三間堂)の御領とも関連して社勢が盛んであった。現社殿は南北朝時代の特殊建築で重要文化財。例祭は10月21日
...36. いっせんいっ‐たい【一千一体】
日本国語大辞典
〔名〕京都の蓮華王院(三十三間堂)に安置された仏像の数をいう。坐像の本尊、千手観音一体と、その周囲にある立像の観音一千体。*平家物語〔13C前〕一・殿上闇討「忠 ...
37. いはらさいかく【井原西鶴】
国史大辞典
興行し、『西鶴俳諧大句数』と名づけて公刊した。これが矢数俳諧の最初である。矢数俳諧とは、京都三十三間堂において行われる大矢数に倣ったもので、通し矢の最高記録保持 ...
38. いまくまの-いのすけ【今熊野猪之助】
日本人名大辞典
?−? 織豊時代の弓術家。京都の人。天正(てんしょう)(1573-92)のころ,京都三十三間堂(蓮華(れんげ)王院)ではじめて通し矢をおこなったという。 ...
39. いや‐たか・し【彌高】
日本国語大辞典
非常に良いこと。歌語」*滑稽本・東海道中膝栗毛〔1802〜09〕六・下「いやたかき五重の塔にくらべ見ん三十三間堂のながさを」*竹沢先生と云ふ人〔1924〜25〕 ...
40. いんけい【院恵】
日本人名大辞典
?−? 鎌倉時代の仏師。院賢の子。文永3年(1266)再建された京都蓮華(れんげ)王院(三十三間堂)に供養された千体千手観音像のうち,21体にその名がしるされて ...
41. うんけい【運慶】
日本架空伝承人名事典
し、多額の金品や山海の珍物を贈ったという話が載っていることなど、その最たるものである。京都三十三間堂の像を慶長ころ(一七世紀初め)修理した仏師康正の言が『大仏師 ...
42. えいたいじもんぜんひがしなかちよう【永代寺門前東仲町】東京都:江東区/旧深川区地区地図
日本歴史地名大系
八幡宮の門前から東側にかけて位置する。北は油堀に面し、南は一の鳥居の通りを挟んで永代寺門前町に面する。東は三十三間堂・三拾三間堂町。深川永代寺門前東仲町とも称し ...
43. えど‐いち【江戸一】
日本国語大辞典
江戸中で他より比類なくすぐれていること。また、そのもの。→江戸順一(えどじゅんのいち)。*江戸三十三間堂矢数帳〔1800〕(古事類苑・武技二)「爾来御諸士様方御 ...
44. 江戸参府紀行 230ページ
東洋文庫
婦人の教養-宮廷の服装 化粧-所司代の城 謁見-商品、出発。たくさんの神社-日本の鐘-三十三間堂 弓術-淀川を大坂へ下る 六月二日 〔旧四月二七日〕 到着 ...
45. 江戸参府紀行 236ページ
東洋文庫
インのブドウ酒とソーダ水を飲んで元気をとりもどし、それから直径八フィートの大きな鐘を見て、三十三間堂(ωきε午ωきσQg8)に行く。この寺は太閤の建立した名刹の ...
46. 江戸参府紀行 297ページ
東洋文庫
必要に応じて三十三身を示顕する、と法華経にあるところがら、三三、〇三三体の観音として信仰されている。 また三十三間堂の通矢は保元中から始まり江戸時代に盛んに行な ...
47. 江戸参府随行記 204ページ
東洋文庫
たものであろう。 この前代未聞の像に対する私の驚きがまだ覚めやらぬうちに、我々は他の寺院〔三十三間堂〕へ案内されたが、その寺院もまた威厳があり驚嘆すべきものであ ...
48. 江戸参府旅行日記 232ページ
東洋文庫
第15図三十三間堂 ...
49. 江戸参府旅行日記 307ページ
東洋文庫
。ここの地面には四角形の石が敷きつめてあった。ここから大きな鐘の前を通って、(六)観音寺〔三十三間堂〕に行く。観音の像は中央の奥まった一段高い所にあり、そのそば ...
50. 江戸参府旅行日記 337ページ
東洋文庫
…本社祭神十座。神秘にして其何れの神たる事をしらず・…:」とみえている。六 三万三三三三体仏 三十三間堂(蓮華王院)の堂内には一〇〇一体の十一面千手観世音菩薩の ...