ジャパンナレッジは約1500冊以上の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書」サービスです。
➞ジャパンナレッジについて詳しく見る
  1. トップページ
  2. >
  3. カテゴリ一覧
  4. >
  5. 歴史
  6. >
  7. 歴史上の人物
  8. >
  9. 日本史上の人物
  10. >
  11. 真田氏

真田氏

ジャパンナレッジで閲覧できる『真田氏』の日本大百科全書(ニッポニカ)のサンプルページ

真田氏
さなだうじ

戦国以来信濃国(しなののくに)(長野県)に根拠を有した武士の一族。発祥地は信濃国小県(ちいさがた)郡真田(上田市)で、海野(うんの)氏より出たとされる。天文(てんぶん)年間(1532~55)、幸隆(ゆきたか)が甲斐(かい)武田氏に属し、信玄(しんげん)の信濃侵攻に参加したことにより勢力を伸ばし、武田氏の末期から上野(こうずけ)北部に侵攻し、その滅亡とともに、小県郡および上野国吾妻(あがつま)地方を領有する小戦国大名として自立した。さらに、長篠(ながしの)の戦いで戦死した兄信綱(のぶつな)の後を受け、家督を継いだ幸隆の三男昌幸(まさゆき)は、1583年(天正11)本拠地を上田に移し、小県郡支配をより明確なものとした。1600年(慶長5)の関ヶ原の戦いにおいて、昌幸と二男信繁(のぶしげ)(幸村(ゆきむら))は西軍、嫡男信幸(信之)(のぶゆき)は東軍に分かれて戦い、西軍敗北により昌幸、信繁は高野山(こうやさん)に幽閉された。こののち昌幸は高野山で没し、信繁は1614年高野山を脱出し、大坂冬の陣・夏の陣に大坂方として参戦し、戦死した。一方信幸は、関ヶ原の戦いののち昌幸の旧領を安堵(あんど)され、上田城を居城とした。1622年(元和8)上田から松代(まつしろ)(長野市)へ転封となり10万石を領した。松代移封当初は財政も豊かであったが、しだいに窮乏した。6代幸弘(ゆきひろ)が恩田木工(おんだもく)を登用して、倹約を中心とした財政の立て直しを図ったことは『日暮硯(ひぐらしすずり)』で有名である。また真田家は、7代幸専(ゆきたか)を井伊(いい)家から、8代幸貫(ゆきつら)を越前(えちぜん)松平(まつだいら)家から、10代幸民(ゆきたみ)を伊達(だて)家から迎えて家を存続させ、幸民のとき明治維新を迎え華族となった。

[郷道哲章]



真田氏/略系図[百科マルチメディア]
真田氏/略系図[百科マルチメディア]

注:図では実子を|で、養子を‖で示した ©Shogakukan Inc.
上記は、日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書サービス「ジャパンナレッジ」のサンプル記事です。

ジャパンナレッジは、自分だけの専用図書館。
すべての辞書・事典・叢書が一括検索できるので、調査時間が大幅に短縮され、なおかつ充実した検索機能により、紙の辞書ではたどり着けなかった思わぬ発見も。
パソコン・タブレット・スマホからご利用できます。


真田氏の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 358
検索コンテンツ
1. 真田氏 画像
日本大百科全書
戦国以来信濃国(しなののくに)(長野県)に根拠を有した武士の一族。発祥地は信濃国小県(ちいさがた)郡真田(上田市)で、海野(うんの)氏より出たとされる。天文(て ... ...
2. 真田氏
世界大百科事典
万石)となった。のち沼田を嫡子信吉に分封し,松代は次男信政に譲った。沼田藩の真田氏は4代で滅んだが,松代藩の真田氏は幕末まで続いた。維新後子爵のち伯爵。笹本 正 ... ...
3. さなだし【真田氏】 画像
国史大辞典
領す初代松代藩主となった。のちに沼田領三万石は長男信吉に分封し、松代領十万石は次男信政につがせた。沼田の真田氏は信音が宝永四年(一七〇七)に没した折、跡継ぎがな ... ...
4. 真田氏[文献目録]
日本人物文献目録
誉れ』坂本箕山『真田家は武尊の遠裔か 六文銭紋章の古説』栗岩英治『真田氏祖先について』飯島忠夫『真田氏と南信』藤沢好古『真田氏の文献について』猪坂直一『評伝真田 ... ...
5. 真田氏/略系図[百科マルチメディア]
日本大百科全書
注:図では実子を|で、養子を©で示した ©Shogaku ... ...
6. 真田氏 系図[図版] 画像
国史大辞典
幸隆 信綱 信之 昌輝 幸村 〔信繁〕 昌幸 昌親 信昌 信勝 信吉 熊之助 幸詮 信利 信音 信安 幸弘 幸専 信政 信就 信弘 俊峯 信重 幸道 信弘 繁信 ... ...
7. あかぎむら【赤城村】群馬県:勢多郡
日本歴史地名大系
沼尾川流域は南雲郷とよばれ、南雲衆・宮田衆などの土豪が山麓崖上に点在する長井坂城などの小城に拠り、真田氏と戦った。近世には勢多郡に属し津久田村を除き前橋藩領とな ... ...
8. あがつまぐん【吾妻郡】群馬県
日本歴史地名大系
同心三一人の一七六貫三八六文を安堵している。真田氏は元和二年(一六一六)岩櫃城を破却して城下町であった平川戸(現吾妻町)を吾妻川沿いの原町に移した。同川と名久田 ... ...
9. あがつままち【吾妻町】群馬県:吾妻郡
日本歴史地名大系
る斎藤氏が岩櫃城に拠り、天正一〇年(一五八二)武田氏滅亡後は真田氏の支配下に入った。近世は吾妻郡に属し、天和元年(一六八一)の真田氏改易後は幕府領・旗本領・沼田 ... ...
10. あさいぐん【朝夷郡】千葉県:安房国
日本歴史地名大系
との抗争に敗れ、衰退したとされる。戦国期には里見氏・正木氏の支配下に置かれ、丸氏一族や三原の真田氏一族らは両氏の家臣団に編入され、その命運を共にする。〔近世〕近 ... ...
11. あずまむら【東村】群馬県:吾妻郡
日本歴史地名大系
境として東の岡崎新田・箱島・五町田の三村は白井藩領であったといわれ、西の奥田・新巻は沼田藩領で、真田氏改易後は幕府領となった。江戸後期には幕府領と旗本領が混在す ... ...
12. あずまやさん【四阿山】群馬県:吾妻郡/嬬恋村
日本歴史地名大系
地蔵石幢の塔身部分と基礎などが残る。四阿山は信州側の須坂・真田両方面からも信仰されていたが、真田氏の場合は真田の里の鎮守であるとともに四阿山の里宮としての山家神 ... ...
13. あずまやさん【四阿山】長野県:小県郡
日本歴史地名大系
永享一二年(一四四〇)山家神社銅製懸仏(山家神社蔵)に「願主家吉 四阿山 御正躰」の銘がある。真田氏の信仰が厚く、永禄五年(一五六二)六月、真田幸隆・信綱は四阿 ... ...
14. あみかけむら【網掛村】長野県:埴科郡/坂城町
日本歴史地名大系
慶長三年(一五九八)田丸直昌領、同五年森忠政領、同八年松平忠輝領、元和二年(一六一六)酒井忠勝領、同八年真田氏領。文化一四年(一八一七)、千曲川対岸の幕府領坂木 ... ...
15. ありさか【有坂】長野県:小県郡/長門町/長窪村
日本歴史地名大系
て「同庄有坂分 合籾卅三俵五升此代六貫六百五十文」を割り付けられた。元和七年(一六二一)には真田氏家臣出浦昌相が次の奉書を出した(石合家文書)。札 有坂新町一郡 ... ...
16. あわのくに【安房国】千葉県 地図
日本歴史地名大系
領の停止を命じている。丸御厨の開発領主で、長く拠点としていた丸氏やその一族の岩糸氏、三原郷の真田氏一族は戦国期に里見氏・正木氏の家臣団として組織されたという。ま ... ...
17. あわのじょうあと【粟野城跡】栃木県:上都賀郡/粟野町/粟野村
日本歴史地名大系
同一六年佐野氏を破り当城を奪取、落合徳雲入道を城代としたという(「皆川正中録」など)。その後豊臣秀吉の麾下真田氏によって攻め落され、廃城となったといわれる。皆川 ... ...
18. いいぬまむら【飯沼村】長野県:小県郡/丸子町
日本歴史地名大系
(諏訪大社上社文書)に「依田庄内飯沼之郷」とみえる。天正一〇年(一五八二)武田氏滅亡のあと、真田氏領有となる。同一一年真田昌幸上田城築城のあと、昌幸の兄信綱の子 ... ...
19. いくしまたるしまじんじゃ【生島足島神社】長野県:上田市/塩田地区/下之郷
日本歴史地名大系
誓わせた「生島足島神社起請文」八三通(県宝、生島足島神社蔵)は、中世起請文の代表的なものである。武田氏滅亡後真田氏は慶長六年(一六〇一)下之郷明神に寺社領四〇貫 ... ...
20. いごむら【井子村】長野県:小諸市
日本歴史地名大系
しばらくの間村上氏に属するが、天文二二年には武田氏の領有となり、天正一〇年(一五八二)武田氏滅亡後は真田氏の領有となる。近世に入ると一貫して小諸領で、万治年中( ... ...
21. いせやま【伊勢山】長野県:上田市/神科地区/塚原村
日本歴史地名大系
村内を北から南へ流れる。集落の北側には東信地方屈指の山城、戸石城(砥石城)跡があり、中世から真田氏の一城下町を形成していた。承応四年(一六五五)の伊勢山村田畑貫 ... ...
22. いたばしむら【板橋村】福島県:郡山市/旧西田村地区
日本歴史地名大系
年貢帳(同文書)には同内容で板橋とある。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録では高一九三石余、真田氏の知行地。以降の領主の変遷は大畑村に同じ。享保四年(一七一九) ... ...
23. 犬伏
世界大百科事典
奉行の管轄になり,不足の人馬の提供を常時求める定助郷(じようすけごう)村が定められた。なお,真田氏関係の諸記録の伝えるところでは,1600年(慶長5)関ヶ原の戦 ... ...
24. いわてさん【岩手山】岩手県:総論
日本歴史地名大系
敷跡)。大勝寺は寛永一〇年の創設とされ、羽黒山中興覚書(出羽三山神社蔵)によれば、羽黒山在庁真田氏は南部氏の帰依を得て領内を霞場とし、下向の際は藩主と対面して馳 ... ...
25. いわびつじょうあと【岩櫃城跡】群馬県:吾妻郡/吾妻町/原町
日本歴史地名大系
郡には真田昌幸の勢力が浸透し、岩櫃城は真田氏の支配するところとなった。郭の名称として残る海野長門守屋敷・出浦対馬守屋敷・志摩小屋などの人物はいずれも真田氏の家臣 ... ...
26. うえぐりむら【植栗村】群馬県:吾妻郡/吾妻町
日本歴史地名大系
もつ植栗河内守元吉がいたという。岩櫃城主斎藤憲広の家臣で、永禄六年(一五六三)の岩櫃落城により真田氏に属し、真田昌幸に直接の家臣として重用されたと伝える。天正八 ... ...
27. 上田(市) 画像
日本大百科全書
いわれる三重塔は見学者が多い。このほか、別所温泉や市立博物館、常楽寺美術館、信濃デッサン館、真田氏歴史館などがある。面積552.00平方キロメートル、人口15万 ... ...
28. うえだ【上田】[地名] 画像 地図
デジタル大辞泉
長野県中東部の市。安土桃山時代は真田氏の根拠地。江戸時代は松平氏の城下町。明治から大正期には養蚕・製糸業の中心地。現在は電気機械などの工業が行われる。平成18年 ... ...
29. うえだ【上田】
国史大辞典
、戦国時代には小笠原・村上両氏の争奪の後、武田氏の勢力下に入った。武田氏滅亡後、海野氏支流の真田氏が上州境の山間部から平野部に進出、諸土豪を制圧して天正十二年( ... ...
30. うえだじょう【上田城】長野県:上田市/上田城下
日本歴史地名大系
染谷台と称される。城南の千曲川がつくる深淵尼が淵にちなみ「尼が淵城」あるいは「海士淵」ともいう(上杉年譜)。真田氏のそれまでの根拠地、松尾城(現小県郡真田町)の ... ...
31. うえだじょうか【上田城下】長野県:上田市
日本歴史地名大系
何事も不被成候間、国中へ罷出、方々御手遣仕度候」と述べたと江戸中期の「真武内伝」は伝える。以後上田領は真田氏二代四〇年間、元和八年(一六二二)から仙石氏三代八五 ... ...
32. うえだのしょう【上田庄】長野県:上田市/神科地区
日本歴史地名大系
諏訪大社上社文書)にも、上田郷・上田庄として頭役料銭を課せられているが、それらの記録にみえる真田氏の家臣太田氏・小宮山氏らが、この地を管掌していたのである。荘域 ... ...
33. うえだはらむら【上田原村】長野県:上田市/川辺地区
日本歴史地名大系
展開している(高白斎記・勝山記)。その後武田氏の勢力下におかれ、天正一〇年(一五八二)武田氏の滅亡後は真田氏の領有となり、天正一六年五月真田昌幸は重臣矢沢綱頼に ... ...
34. 上田藩 画像
日本大百科全書
、忠済(ただまさ)、忠学(たださと)、忠優(ただます)、忠礼(ただなり)と襲封、廃藩に至る。真田氏以来貫高(かんだか)制を踏襲している。1761年(宝暦11)の ... ...
35. うえだはん【上田藩】
国史大辞典
同年十一月二十日長野県に統合された。近世を通じて全領規模の検地は施行されなかったと推定されており、一部を除いて真田氏以来の貫高制を用いている。石高表示は一律換算 ... ...
36. うちかわむら【内川村】長野県:埴科郡/戸倉町
日本歴史地名大系
野・寂蒔村等が、海野隠岐守によって、石川武兵衛に預けられている。その後元和八年(一六二二)の真田氏領地目録にも内川村がみえ、寛永元年(一六二四)の「大鋒院殿御事 ... ...
37. うらのやかたあと【浦野館跡】長野県:上田市/川西地区/馬越村
日本歴史地名大系
その後まもなく浦野秀幸は上田城主真田信之の麾下に入り(「大鋒院殿御事蹟稿」慶長七年の条)、元和八年(一六二二)真田氏の松代移封に従って松代城下に住するようになっ ... ...
38. 海野氏
世界大百科事典
た。この一族は鎌倉時代海野荘の地頭を務め,その後中世信濃に大勢力をもち,戦国時代その末流から真田氏を出した。佐藤 圭 宇野氏 ... ...
39. うんののしょう【海野荘】
国史大辞典
鎌倉時代には一族の禰津氏をはじめ滋野氏の大部分が諏訪明神を氏神とする神党になった。戦国時代に勃興した真田氏は海野氏の支流であり、その氏神白鳥神社は、海野氏の鎮守 ... ...
40. うんのまち【海野町】長野県:上田市/上田城下
日本歴史地名大系
市町・宿場町でもある。町の長さ三町二五間(長野県町村誌)。天正一一年(一五八三)上田築城後、真田氏がゆかりの深かった小県郡海野郷の住人、とりわけ太平寺村より多く ... ...
41. えげむら【会下村】鳥取県:気高郡/気高町
日本歴史地名大系
)。拝領高は三一八石余、本免は四ツ七分。藪役銀一〇匁四分が課せられ(藩史)、渡辺氏・和田氏・真田氏・永原氏の給地があった(給人所付帳)。「因幡志」によると家数四 ... ...
42. おおいしむら【大石村】長野県:小県郡/東部町
日本歴史地名大系
攻めにより、村上氏の勢力下に置かれたが、天文二二年武田氏の領有となり、天正一〇年(一五八二)真田氏の領有となる。元和八年(一六二二)甲府徳川忠長領、寛永元年(一 ... ...
43. おおくぼむら【大久保村】長野県:上田市/神科地区
日本歴史地名大系
る土地で、ごく少量の沢水を分ち合って生活をしたと伝えている(神科村誌)。元和八年(一六二二)真田氏が松代に移ったあと、これに代わった仙石氏に幕府が渡した小県郡上 ... ...
44. おおさかのじん【大坂の陣】 画像
国史大辞典
『高山公実録』(藤堂氏)、『池田家履歴略記』(池田氏)、『大坂両陣日記』(前田氏)、『真武内伝』(真田氏)、『蜂須賀家譜』『佐竹家譜』『上杉家譜』などの家譜類に ... ...
45. おおざさせきしょあと【大笹関所跡】群馬県:吾妻郡/嬬恋村/大笹村
日本歴史地名大系
郷村品々記録(小林文書)には関所番として沼田藩真田氏の在地家臣草津郷侍湯本伝右衛門ほか三人と定番伴四郎右衛門、鎌原縫殿支配の同心二人が載る。真田氏改易後の同二年 ... ...
46. おおつかむら【大塚村】群馬県:吾妻郡/中之条町
日本歴史地名大系
の沼田藩領新検地控では一千三七〇石余。貞享二年(一六八五)の沼田藩領再検地控では四二五石余。真田氏改易後幕府領となり、元禄一一年(一六九八)から旗本保科領。地理 ... ...
47. おおどみち【大戸道(信州道)】群馬県:総論
日本歴史地名大系
大戸からは当道の通過地と一致する。鳥居峠越の道は天正一〇年(一五八二)武田氏滅亡後に利根・吾妻両郡を掌中にした真田氏にとって、本拠地信州上田と結ぶ重要なものとな ... ...
48. おおどむら【大戸村】群馬県:吾妻郡/吾妻町
日本歴史地名大系
二月一六日「北条家朱印状」小板橋文書)。この頃斎藤摂津守定盛が大戸に在城して吾妻攻略を図り、真田氏のために吾妻を退いた羽尾修理亮と連絡をとっている。年未詳一〇月 ... ...
49. おおはらむら【大原村】群馬県:利根郡/利根村
日本歴史地名大系
慶長(一五九六―一六一五)初期に当村西部の山口・切畑・栗生、北部の日ヶ久保などに散居していた人々が、沼田藩真田氏の命によって集住、形成したもので、慶長五年二月の ... ...
50. おおぼしじんじゃ【大星神社】長野県:上田市/房山村
日本歴史地名大系
。また上田城主となった真田信之は慶長六年(一六〇一)、「社領五貫参百五拾文」を安堵するなど、真田氏の崇敬した神社であった。明治一一年(一八七八)上田神社と改称し ... ...
「真田氏」の情報だけではなく、「真田氏」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶

真田氏と同じ日本史上の人物カテゴリの記事
真田幸村(真田信繁)(国史大辞典・日本大百科全書・日本架空伝承人名事典)
一五六七 - 一六一五 安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。幼名御弁丸、のち源次郎。左衛門佐と称す。名は信繁。幸村の名で有名であるが、この称の確実な史料はない。高野山蟄居中に剃髪して好白と号した。永禄十年(一五六七)信濃国上田城主真田昌幸の次男
徳川家康(日本大百科全書・国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
江戸幕府初代将軍(在職1603~1605)。三河(愛知県東部)の小大名の家に生まれ、幼年時代は隣国駿河(静岡県)の大名今川氏の人質となって苦労したが、桶狭間の戦いののち今川氏から独立し、織田信長と同盟して駿河・遠江(とおとうみ)(静岡県)・三河3か国に所領を拡大した
坂本竜馬(坂本龍馬)(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
幕末期の討幕運動指導者、海援隊長。竜馬は通称。直陰のちに直柔と名乗り、脱藩後は才谷梅太郎などの変名を使う。天保六年(一八三五)十一月十五日(十月十五日説・十一月十日説あり)、土佐藩の町人郷士坂本八平直足・幸の次男として
織田信長(日本大百科全書・国史大辞典・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
戦国・安土桃山時代の武将。戦国動乱を終結し全国統一の前提をつくった。[脇田 修]家系織田氏は近江津田氏と関係があると伝えられているが、室町期斯波氏に仕え、越前(福井県)織田荘を根拠とし織田劔神社を氏神と崇敬した。斯波氏が尾張(おわり)守護の関係で尾張守護代として尾張(愛知県)に入る
上杉景勝(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一五五五 - 一六二三 安土桃山・江戸時代前期の大名。越後春日山城・会津若松城主、出羽国米沢藩主。幼名を卯松、喜平次と称し、はじめ顕景と名乗った。弘治元年(一五五五)十一月二十七日に生まれる。父は越後国魚沼郡上田荘坂戸(新潟県南魚沼郡六日町)
日本史上の人物と同じカテゴリの記事をもっと見る


「真田氏」は真田丸に関連のある記事です。
その他の真田丸に関連する記事
明石掃部(明石全登/あかしてるずみ)(日本人名大辞典・世界大百科事典・国史大辞典)
織豊-江戸時代前期の武将。宇喜多秀家につかえ,関ケ原の戦いで西軍に属して敗れ筑前(福岡県)秋月にすんだ。大坂の陣では豊臣秀頼の招きに応じ,真田幸村らと活躍したが,慶長20年(1615)大坂落城の際に死んだとも,逃亡して元和4年に病死したともいう。
長宗我部盛親(国史大辞典)
一五七五-一六一五。安土桃山時代の武将。土佐国の大名。幼名千熊丸、右衛門太郎(増田右衛門尉長盛を烏帽子親として右衛門、盛親を名乗る)、土佐守。天正三年(一五七五)岡豊(おこう)城(高知県南国市)に生まる。長宗我部元親の四男、母は斎藤氏。
毛利勝永(日本人名大辞典)
織豊-江戸時代前期の武将。毛利勝信の子。関ケ原の戦いで西軍に属し,敗れて父とともに土佐高知藩主山内一豊(かずとよ)にあずけられる。慶長19年子の勝家と脱走して大坂城にはいり
後藤基次(後藤又兵衛)(改訂新版・世界大百科事典)
織豊政権期の武将。通称又兵衛。氏房,政次ともいう。播磨三木城主別所氏に仕えた新左衛門の子。豊前黒田氏に養われ,孝高・長政父子に仕えた。長政に従って豊臣秀吉の九州征伐,文禄・慶長の役に従軍,関ヶ原の戦にも戦功をあげる。
豊臣秀頼(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
一五九三-一六一五。豊臣秀吉の第二子。文禄二年(一五九三)八月三日大坂城内に生まれた。母は側室浅井氏(茶々、淀殿)。秀吉は実子に恵まれず、浅井氏との間に鶴松を得たが三歳にして死別した。このため秀頼誕生の喜びは大きく、みずから肥前名護屋の陣中より正室北政所に書状を送り
真田丸に関連する記事をもっと見る


ジャパンナレッジは約1500冊以上(総額600万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のインターネット辞書・事典・叢書サイト」です。日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶