[現]津屋崎町勝浦・奴山
津屋崎町のほぼ中央部に位置し、標高一〇―三〇メートル、長さ一キロの細長い台地上に分布する古墳時代中期―終末期の古墳群。昭和五一年(一九七六)に一―四号墳、同五五年に五―六号墳の発掘調査が実施され、同六〇年から四ヵ年で前方後円墳五・方墳一・円墳四四が確認された。最も古い二一号墳は出土土器から五世紀前半とされている。一号墳は墳丘長五〇メートルの前方後円墳で、墳丘はすべて盛土で築かれ葺石がみられる。全長六・五メートルの単室の横穴式石室が設けられ、玄室平面形は羽子板状となる。遺物は多数の鉄製工具類が出土し、農具・漁労具を含まない点は注目される。台地の先端に位置する七号墳は方墳と考えられ、墳丘表面には玉砂利が敷詰められ、琥珀原石や鉄斧が出土した特異な様相を示す古墳である。二二号墳は墳丘長七五―八〇メートルの前方後円墳で、後円部を囲む外堤が半円形に残る。墳丘には葺石がめぐり、後円部三段、前方部二段に築かれていたものと考えられる。遺物は須恵器のほか円筒埴輪が出土した。四四号墳は径一五メートルの円墳で、石室全長八・一メートルの複室の横穴式石室をもち、奥壁に石棚を設ける。遺物は鋸・鉋などの工具類が多く出土した。
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