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  11. 口酒井遺跡
日本歴史地名大系

口酒井遺跡
くちさかいいせき

[現]伊丹市口酒井 穴森ほか

猪名いな川東岸の標高六―七メートルの自然堤防上に立地する遺跡。一〇ヘクタール以上の広がりをもち、一部は尼崎市に及ぶ。縄文時代晩期後半以降の各時代の遺構が重複している。昭和五三年(一九七八)に発見されて以降同六〇年までに一六次の発掘調査が行われた。縄文晩期の遺構は第八次調査で見つかった溝、一〇次と一一次の土壙がある。一一次調査での遺構・遺物の出土状況は、西地区の自然流路とその埋土に含まれる土器・石器群、東地区の第八層・九層遺物包含層と土器溜まり、ならびにC一一区・C一二区で検出された土壙群とその出土土器・石器群の二つに分けられている。弥生時代では前期のV字溝、中期以降では竪穴住居跡三棟、複数の溝・円形周溝墓一基・木棺墓三基・壺棺一基、複数の土壙墓および土壙などが発見されている。

縄文晩期出土の突帯文土器は出土地点(調査次数)層位によって違いがあり、第四次・第八次調査で最も古い土器が出土している。泉拓良は次のように整理している。第一段階の深鉢は口縁部に一条の突帯がめぐり、口縁端部は明確に面取りして刻みが施されている。浅鉢は前型式の特徴をとどめるものと、下半部の削りを特徴とするものがある。第二段階は第一五次調査第一五層出土土器である。深鉢は一条突帯と極少量に二条突帯文からなり、口縁端部の面取りは痕跡的で、刻みを施すものも少ない。浅鉢は黒色磨研「く」の字形口縁のものが特徴的で、上から見ると方形に見える波状口縁土器もこの時期に完成する。第六次調査の突帯文II層出土土器はこの直後の土器である。第三段階は第六次調査突帯文I層出土土器であり全体的に退化が認められる。第四段階は第六次調査第二トレンチ上層出土土器が該当するが資料は少ない。第五段階は第一一次調査出土土器で、出土地点はそれまでと異なり弥生時代の集落と重複する。深鉢は二条突帯文と胴部に屈曲のない一条突帯文の二種類がある。壺が明確になるのに対して浅鉢は数を急激に減じ、形態も皿形が主となる。浅鉢と壺の比率や胎土の違いから西群出土と東群出土の土器の二時期に細分できるという。

稲作との関係から籾痕土器をみると、第二段階に一点の出土があり、三段階以降に数が増す。また第一一次調査では突帯文土器とともに土壙から炭化米が出土している。第八次調査では後半段階の突帯文土器に伴って片刃の石包丁が出土しており、突帯文土器の時期には稲作が行われたものと考えられている。縄文晩期突帯文土器編年と近畿地方の稲作の開始を考えるうえで重要な資料を提供した。土器の胎土は三段階に至るまでは大阪府生駒いこま山西麓の胎土をもつものは二割以下であるが、四段階で三割、五段階では六―七割に達していると観察されている。一方、五段階においても石器類などは石包丁を除き縄文的な色彩が強い。また土偶・石棒という縄文時代に特徴的な祭祀・呪術用具も多く出土している。

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