1. 増上寺
日本大百科全書
東京都港区芝公園にある浄土宗の大本山。山号は三縁山広度院(さんえんざんこうどいん)。もと千代田区紀尾井(きおい)町の貝塚に宗叡(しゅうえい)が創建し、光明院とい ...
2. 増上寺
世界大百科事典
浄土宗六大本山の一つ。三縁山広度院増上寺,略して縁山という。1393年(明徳4)浄土宗第8祖聖聡が,武蔵国豊島郡貝塚台局沢(現,千代田区平河町付近)にあった真言 ...
3. ぞうじょう‐じ【増上寺】地図
デジタル大辞泉
東京都港区芝公園にある浄土宗関東大本山。山号は三縁山。もと貝塚村(千代田区)にあった真言宗の光明寺を、元中2=至徳2年(1385)聖聡が改宗して現名称に改め、の ...
4. ぞうじょう‐じ[ゾウジャウ‥]【増上寺】
日本国語大辞典
井町一帯)に創設し真言宗をとなえた。明徳四年(一三九三)聖聰(しょうそう)が浄土宗に改宗し、増上寺と改名。徳川家康の入府後徳川家の菩提寺となり、慶長三年(一五九 ...
5. ぞうじょうじ【増上寺】
国史大辞典
たが、まだ数百点に及ぶ古文書と日鑑が現存し、史的解明に役立っている。 [参考文献]増上寺史料編纂所編『増上寺史料集』、摂門編『三縁山志』(『浄土宗全書』一九)、 ...
6. 増上寺(ぞうじょうじ)【篇】
古事類苑
宗教部 洋巻 第4巻 389ページ ...
7. 増上寺(ぞうじょうじ)
デジタル大辞泉プラス
東京都港区にある寺院。1393年創建。浄土宗大本山。本尊は阿弥陀仏。三解脱門は国の重要文化財に指定。 2015年05月 ...
8. ぞうじようじ【増上寺】東京都:港区/旧芝区地区/芝公園地地図
日本歴史地名大系
も教線が及び、本芝に田中山相福院西応寺(照誉明賢)が創建され(蓮門精舎旧詞)、増上寺の開創がこれに続いた。増上寺が創建されると、聖冏は五重伝法といった法脈を制度 ...
9. 増上寺住職選擧 (見出し語:増上寺【篇】)
古事類苑
宗教部 洋巻 第2巻 842ページ ...
10. 増上寺大藏經刊行 (見出し語:増上寺【篇】)
古事類苑
宗教部 洋巻 第1巻 307ページ ...
11. 増上寺學寮 (見出し語:増上寺【篇】)
古事類苑
宗教部 洋巻 第3巻 142ページ ...
12. 増上寺鐘 (見出し語:増上寺【篇】)
古事類苑
宗教部 洋巻 第2巻 1108ページ ...
13. 増上寺靈廟 (見出し語:増上寺【篇】)
古事類苑
禮式部 洋巻 第2巻 1207ページ ...
14. 増上寺大殿[百科マルチメディア]
日本大百科全書
徳川家康により1590年(天正18)に徳川家の菩提寺(ぼだいじ)とされ、以来、寺運隆盛を極めた。東京を代表する寺院の一つである。東京都港区 ...
15. ぞうじょうじ‐びゃくし[ゾウジャウジ‥]【増上寺白
】
日本国語大辞典
*日本植物名彙〔1884〕〈松村任三〉「ハナウド ザウジャウジビャクシ」増上寺に多く生え、その形、臭気などが白 ...
16. ぞうじようじしもやしき【増上寺下屋敷】東京都:品川区/上大崎村地図
日本歴史地名大系
に、芝増上寺の下屋敷とそれを取囲む形に子院群が配置されていた。浄土宗大本山増上寺は江戸時代、徳川将軍家の菩提寺として大きな勢力をもっていた。当地の子院群は江戸時 ...
17. 増上寺三大藏經 (見出し語:大藏經)
古事類苑
宗教部 洋巻 第4巻 394ページ ...
18. 増上寺德川將軍廟 (見出し語:德川將軍【篇】)
古事類苑
宗教部 洋巻 第4巻 396ページ ...
19. 歌川広重『東都名所 芝増上寺山内ノ図』[百科マルチメディア]
日本大百科全書
1832年(天保3)
古典版画東洲斎/画像提供
...20. 三縁山増上寺[図版]
国史大辞典
江戸名所図会 (c)Yoshikawa kobunkan Inc. ...
21. しばこうえんいつちようめぞうじようじしいんぐん【芝公園一丁目増上寺子院群】東京都:港区/旧芝区地区/芝公園地地図
日本歴史地名大系
状況は認められないという。江戸時代の当該地は増上寺子院の光学院・貞松院・源興院にあたる。芝公園一丁目五番が光学院・貞松院、八番が源興院である。増上寺が現在地に移 ...
22. あい‐たん【哀嘆】
日本国語大辞典
由を伝聞て、哀歎して、行て中将殿を見奉るに」*東京新繁昌記〔1874〜76〕〈服部誠一〉三・増上寺「自由を得て反って耶須〈僧妻有るを耶須と曰ふ〉に別るるの哀歎有 ...
23. あおやまただなり【青山忠成】
国史大辞典
同十一年に失脚、のち許され、数回の加増を経て二万八千石を領した。慶長十八年二月二十日没。六十三歳。江戸芝増上寺に葬る。 [参考文献]『大日本史料』一二ノ一〇 慶 ...
24. あかばねえんみよういんもんぜん【赤羽円明院門前】東京都:港区/旧麻布区地区地図
日本歴史地名大系
延享二年(一七四五)町奉行支配になって年季を切換えてきたが、天明六年(一七八六)類焼して稲荷境内とも増上寺山内防火明地になり、翌年町奉行掛で新堀河岸通に増坪して ...
25. 赤松則良半生談 幕末オランダ留学の記録 46ページ
東洋文庫
赤松大三郎印 東海道(=)釜屋 此頃は東海道を関西の方 面へ旅立つ場合には、多くは芝赤 羽根橋の西角(増上寺の裏門に向 ひ合った)瓦屋といふ待合茶屋 (店内は ...
26. あかん‐どう[アクヮンダウ]【阿観堂】
日本国語大辞典
〔名〕阿彌陀如来と観世音菩薩とを安置した堂。東京都港区の増上寺などにあった。 ...
27. 秋山記行・夜職草 228ページ
東洋文庫
本所四丁目の宿菱屋に旅装を解いた。江戸では浅草、上野、不忍池、東叡山、蝶螺堂、亀井戸天神、三囲稲荷、愛宕、芝増上寺、泉岳寺、深川八幡、山王祭、吉原などを見物し、 ...
28. あくつむら【明津村】神奈川県:川崎市/高津区地図
日本歴史地名大系
寛永一〇年(一六三三)旗本駒井領、元禄一〇年(一六九七)幕府直轄領、正徳三年(一七一三)以降江戸芝増上寺領。延享四年(一七四七)の稲毛川崎用水通田反別堰々諸色人 ...
29. あさくさこうえんち【浅草公園地】東京都:台東区/旧浅草区地区地図
日本歴史地名大系
成立。同年一月公園設立に関する太政官布告が出され、同年三月二五日、東京府は浅草寺・寛永寺・芝増上寺・深川富岡八幡、飛鳥山(現北区)の五ヵ所を公園として整備するこ ...
30. あざぶいつぽんまつちよう【麻布一本松町】東京都:港区/旧麻布区地区地図
日本歴史地名大系
代不明)で、同社の除地のうちとなり町入用は同町から出している。同所続きの拝領町屋敷一ヵ所は芝増上寺掃除者吉井藤左衛門(他所に住居)が拝領主で、表田舎間七間余・裏 ...
31. あざぶがぜんぼうちよう【麻布我善坊町】東京都:港区/旧麻布区地区地図
日本歴史地名大系
ついで龕前房谷の文字がみえる(貞享四年「江戸鹿子」など)。寛永三年(一六二六)の徳川秀忠夫人お江の増上寺から六本木の火葬地に至る葬儀経路にあたり(文政町方書上な ...
32. あざぶたじまちよう【麻布田島町】東京都:港区/旧麻布区地区地図
日本歴史地名大系
元禄一三年(一七〇〇)武家一〇人が拝領して町屋になった。以後、同年白金御殿番八人、宝永三年(一七〇六)芝増上寺御霊屋掃除頭二人、同五年中に武家一八人・一六人・一 ...
33. あざぶていきやしき【麻布貞喜屋敷】東京都:港区/旧麻布区地区地図
日本歴史地名大系
[現]港区元麻布三丁目 麻布宮村町の西にある拝領町屋。西は同永坂町・同宮村町、南は増上寺隠居屋敷・永坂町、北は麻布宗英屋敷。西丸表坊主頭早野貞喜が拝領し、貞弥が ...
34. あざぶながさかちよう【麻布永坂町】東京都:港区/旧麻布区地区地図
日本歴史地名大系
大田原家上屋敷。南西方に飛地(現元麻布三丁目)があり、東と北は麻布宮村町、西は安全寺、南は芝増上寺下屋敷など。飯倉町通から南へ下る永坂両側の所々に町屋を形成した ...
35. あざぶみなみひがくぼちよう【麻布南日下窪町】東京都:港区/旧麻布区地区地図
日本歴史地名大系
南は二ノ丸留守居小人川治平吉邸、北は麻布北日下窪町・同正信寺門前。西部分は東と西が同永坂町、南が増上寺下屋敷、北が麻布宮村町。南北の町とも文政町方書上・「御府内 ...
36. あざぶみやむらだいちまち【麻布宮村代地町】東京都:渋谷区地図
日本歴史地名大系
、南は下豊沢村のうち医師岡本玄冶抱屋敷。元地の麻布宮村町(現港区)は寛文二年(一六六二)に芝増上寺住職の隠居屋敷ができて各地に代地を受け、同八年新地奉行が初めて ...
37. あざぶみやむらちよう【麻布宮村町】東京都:港区/旧麻布区地区地図
日本歴史地名大系
敷および同抱屋敷)、西は増上寺隠居屋敷の間で樹木が茂っているためか。東側分は町内持、西側は増上寺持。狐坂は新道西方の南の通りで(前掲書上)、狐が女に化けたという ...
38. あざぶむら【麻布村】東京都:港区/旧麻布区地区
日本歴史地名大系
江戸に送って徳川家康の首実検に供したうえ、浅布の原に首塚を築かせ、増上寺源誉と玉蔵院忠義に焼香を命じたという。麻布一本松町付近あるいは同宮村町増上寺屋敷跡ともい ...
39. あざぶりゆうどちよう【麻布竜土町】東京都:港区/旧麻布区地区地図
日本歴史地名大系
[現]港区六本木七丁目 麻布台地頂部からやや北西にある年貢町屋。東方芝増上寺に通じる往還(現外苑東通)に面する片側町で、おもな区画は三角形だが、背後の南西に小さ ...
40. あざぶろつぽんぎちよう【麻布六本木町】東京都:港区/旧麻布区地区地図
日本歴史地名大系
寛永三年(一六二六)二代将軍徳川秀忠夫人お江(お江与・逵子、崇源院、徳川家光生母)が没し、芝増上寺から西方の当地で火葬された。三回忌後の同六年菩提のため火葬地に ...
41. 足尾鉱山
世界大百科事典
47年(正保4)以降は,幕府直営の〈公儀御台所御用山〉として再開発され,江戸城や東照宮,芝の増上寺の銅瓦などを製造した。62年(寛文2)から6年間は毎年300t ...
42. あたごしたちようよんちようめ【愛宕下町四丁目】東京都:港区/旧芝区地区地図
日本歴史地名大系
[現]港区新橋五―六丁目 明治五年(一八七二)に成立した町で、愛宕下町三丁目の南にあたる。増上寺の南、愛宕下大名小路の東側に位置し、幕末には陸奥仙台藩伊達家中屋 ...
43. あねがこうじのつぼね【姉小路局】
国史大辞典
和宮降嫁を上洛して斡旋。のち本所の進家に養われる。明治十三年(一八八〇)八月九日没。八十六歳。増上寺山内松蓮社に葬る。 (進士 慶幹) ...
44. あみだじ【阿弥陀寺】北海道:空知支庁/岩見沢市/岩見沢村
日本歴史地名大系
岩見沢では最も古い寺で、明治二〇年に寺号公称を認められた(阿弥陀寺寺史・寺院沿革誌)。本尊は同二七年に芝増上寺から下付されたもの、脇士の観音・勢至二体は檀徒から ...
45. あみだじ【阿弥陀寺】神奈川県:足柄下郡/箱根町/塔之沢地図
日本歴史地名大系
圭頭碑を造立した。その後、江戸芝の浄土宗増上寺派となり、元禄一六年(一七〇三)増上寺三四世証誉の定(同文書)に「勧行を専らとする無縁の捨世寺として増上寺の許容を ...
46. アメリカ彦蔵自伝 2 209ページ
東洋文庫
間に郵便協定が結ばれた。 岩倉具視の遭難 一八七四年一月。芝の増上寺の壮麗な伽藍が焼失した。 一月十四日には第二国務長官の岩倉〔右 ...
47. あんこくじ【安国寺】埼玉県:越谷市/大泊村地図
日本歴史地名大系
開山などの由来については諸説があり、延文六年(一三六一)称阿が開山した(元禄八年「浄土宗寺院由緒書」東京都増上寺文書)とも、寛正二年(一四六一)誠誉専故が開山し ...
48. nbsp;あんじんちよう【安針町】東京都:中央区/旧日本橋区地区地図
日本歴史地名大系
三浦按針)が家康から当地に屋敷地を与えられたことから名付けられた。アダムズが拝領する以前には増上寺があったという(求涼雑記)。安永三年小間附町鑑によれば京間四二 ...
49. あんま‐し【按摩師】
日本国語大辞典
〉」(2)按摩の術を施す人。あんま。*東京新繁昌記〔1874〜76〕〈服部誠一〉三・増上寺「按摩師牛屎を踏んで前に滑倒して光頭地を拝し」 ...
50. いあいぬき【居合抜】
国史大辞典
居合抜を演じ、その後浅草奥山で長井兵助が歯磨売りに居合抜を演じて明治まで五代に及んだ。その他増上寺御成門外などにもいたという。香具師(やし)仲間の統制下に属し、 ...