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  11. シャクシャインの戦い
日本国語大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典

日本国語大辞典
シャクシャイン‐の‐たたかい[‥たたかひ] 【─戦】

解説・用例

寛文九年(一六六九)、蝦夷(えぞ)地(北海道)で松前藩の不公平な交易方針に反対するアイヌの首長シャクシャインが起こした反松前・反和人の戦い。全北海道に広がったが、鉄砲を持つ松前藩が優勢となり、和議の席でシャクシャインは殺された。以後、松前藩のアイヌ搾取が強められた。

発音

〓[シャ]<2>




日本大百科全書
シャクシャインの戦

1669年(寛文9)、東蝦夷地(ひがしえぞち)シブチャリ(北海道新ひだか町)に拠点をもつアイヌの首長シャクシャインが起こした蜂起(ほうき)。この蜂起は東西蝦夷地の各地に波及し、鷹待(たかまち)(鷹匠)や商船の船頭など日本人390人余(『津軽一統志(つがるいっとうし)』)が殺された。松前(まつまえ)藩への攻撃も企てたが、国縫(くんぬい)(長万部(おしゃまんべ)町)で防ぎ止められ退いた。この戦いの前段には、松前藩への接近策をとるオニビシ(ハエを拠点とするハエクルの首長)との抗争があった。この抗争のなかでオニビシが殺され、ハエクル一族は松前藩に援助要請の使者を送り、援助を求めたが成功せず、使者も帰路に病死した。それが、松前藩による毒殺であるとの風説となって対日本人蜂起の直接のきっかけとなった。しかし、より重要な背景は松前藩の蝦夷交易体制の強化であった。松前藩はアイヌの松前城下、本州方面への渡航を抑え、交易の主導権を蝦夷地へ赴く日本人側に確保しようとしてきた。そのため、干鮭(からさけ)5束(100尾)=米2斗の交換比率が、米7~8升に下がるという状況を引き起こした。また松前藩の砂金取りが河川を荒らすことなどへの不満も前々から積もっており、不満は大きく広範であった。この戦いは、アイヌが日本人の主導権のもとに完全に屈服するかどうかという性格の戦いであった。幕府もこれを重視し、津軽藩兵を派遣した(実戦には不参加)。
 戦いは、鉄砲の威力で松前藩勢の優位の展開となり、ツクナイ(償いの宝物など)の提出、シャクシャインらは助命という条件で和議となった。しかし和議の約束は偽りで、酒宴に酔ったシャクシャインらは松前藩勢に囲まれ殺害され、シャクシャインのチャシ(砦(とりで))も攻め落とされて、この戦いは一段落する。しかし、その後も松前藩は1672年まで出兵を繰り返し、アイヌの動向を点検し続けた。この結果、首長の競合によるアイヌの政治勢力形成の可能性は失われ、同時に蝦夷地における松前藩、日本人側の主導権が確立していったのである。
[田端 宏]



改訂新版・世界大百科事典

1669年(寛文9)6月,北海道日高のシブチャリ(現新ひだか町,旧静内町)を拠点に松前藩の収奪に抵抗して起きた近世最大のアイヌ民族の蜂起。近世初頭以来日高沿岸部のシブチャリ地方のアイヌ(メナシクル(東の人の意)の一部)とハエ(現日高町,旧門別町)地方のアイヌ(シュムクル(西の人の意)の一部)との漁猟圏をめぐる争いが続いていたが,1668年4月,ついにシブチャリ・アイヌの首長シャクシャインがハエ・アイヌの首長オニビシを刺殺するという事件に発展した。そのためオニビシ方のアイヌは藩庁に武器援助を要請したが,藩側に拒否されたうえ,使者のウタフが帰途疱瘡にかかり急死した。このウタフ死亡の報は,アイヌの人たちに松前藩による毒殺として伝えられ,この誤報を契機に両集団間の紛争はまったく新たな方向に発展した。すなわち,シャクシャインが東西両蝦夷地のアイヌに檄をとばし,反和人・反松前の蜂起を呼びかけたため,69年6月,東は白糠(しらぬか),西は増毛(ましけ)(ただし石狩アイヌは不参加)に至る東西蝦夷地のアイヌが一斉に蜂起,和人の商船や鷹待らを襲撃し,東蝦夷地153人,西蝦夷地120人の和人が殺害された。

 このようにシャクシャインの蜂起は,系譜的にはアイヌ民族内部の争いを前提とし,ウタフ毒殺という誤報とシャクシャインの檄を大きな契機にして,民族内部の争いから松前藩に対する全民族的な蜂起へと一挙に質的に変化発展したところに大きな特徴がある。その原因について近世の記録では,和人鷹待や金掘人夫の策動とするものもあるが,事の本質は次の2点にあった。第1は,松前藩の成立と展開,とくに商場知行制と蝦夷地における砂金採取場や鷹場の設置によって,アイヌ民族の収奪や漁猟場の破壊が一段と進み,アイヌ民族はかつてない民族的危機に遭遇していたこと。第2は,アイヌ社会自体が収奪と抑圧の嵐にさらされつつも,和人との関係はいまだ交易を主体にしていただけに,アイヌ民族本来の共同体はまだ破壊されていず,条件さえ整えば共同体首長のもとに立ちあがれるだけの力を内包していたことである。それだけに,この蜂起は松前藩のみならず幕府にも大きな衝撃を与え,幕府は松前氏の一族松前八左衛門泰広(旗本)に出陣を命じ,津軽藩にも出兵を命じた。幕府がアイヌ民族の蜂起に直接的な指揮権を発動したのはこれが最初である。松前藩は急きょ軍隊を編成して鎮圧にのりだし,当初は苦戦したが,鉄砲と毒矢の差,アイヌ勢の分断策もあり,アイヌの勢力はしだいに弱まり,10月シャクシャインは松前軍の奸計でピポク(現新冠町)に誘殺された。その後アイヌの降伏が続出し,71年に最終的に鎮圧された。この過程で松前藩はアイヌに対し絶対服従を誓わせた7ヵ条の起請文を強要したが,これを契機に松前藩のアイヌ民族に対する政治経済的支配は一段と強化された。
[榎森 進]

[索引語]
シブチャリ メナシクル ハエ(蝦夷) シュムクル シャクシャイン オニビシ(人名) ウタフ 松前八左衛門泰広 ピポク
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