1. ほうこうじしょうめいじけん【方広寺鐘銘事件】
国史大辞典
豊臣秀頼による方広寺大仏殿再興に際しひき起され、大坂冬の陣の原因の一つとなった事件。豊臣秀頼は、亡父秀吉追善供養のため、慶長七年(一六〇二)、方広寺大仏殿(東 ...
2. いしん-すうでん【以心崇伝】
日本人名大辞典
ち)院の靖叔徳林の法をつぎ,慶長10年(1605)同寺住持。徳川家康につかえ,外交事務,方広寺鐘銘事件や寺社行政,諸法度の起草,キリスト教の禁圧,紫衣(しえ)事 ...
3. いたくらかつしげ【板倉勝重】
国史大辞典
とに成功。また、豊臣氏や西国諸大名の動静は確実に家康に通報され、豊臣氏滅亡の原因となった方広寺鐘銘事件にも一役買ったらしい。大坂の陣では軍需品輸送の指揮に、秀忠 ...
4. 板倉重昌
世界大百科事典
江戸前期の譜代大名。三河国深溝城主。板倉勝重の三男。1603年(慶長8)徳川家康に仕え,近習出頭人として,方広寺鐘銘事件に関与するなど,家康に信任された。大坂冬 ...
5. いたくらしげまさ【板倉重昌】
国史大辞典
松平正綱・秋元泰朝とともに近習出頭人となった。これは家康の信任が厚かったことを示すものである。同十九年方広寺鐘銘事件がおきると、家康の命を受けて上洛し、五山の僧 ...
6. いたくら-しげまさ【板倉重昌】
日本人名大辞典
1588−1638 江戸時代前期の大名。天正(てんしょう)16年生まれ。板倉勝重の3男。徳川家康につかえ,方広寺鐘銘事件では問題の鐘銘箇所をしらべて家康に報告, ...
7. おおくらきょうのつぼね【大蔵卿局】
日本人名大辞典
?−1615 織豊-江戸時代前期,淀殿(よどどの)の乳母。大野治長の母。慶長19年京都方広寺鐘銘事件で,淀殿の使いとして,豊臣秀頼の陳謝使片桐且元(かつもと)に ...
8. おおさかのじん【大坂の陣】
国史大辞典
家康は早くから弾丸に用いる鉛を購入し、戦争に備えていたようであるが、露骨に戦争を挑発したのはいわゆる方広寺鐘銘事件であった。徳川氏は豊臣氏の財力削減のためしきり ...
9. 御伽物語(仮名草子集) 546ページ
日本古典文学全集
ただいつのけぶりのたねなりし身の、ながらへなんほどばかり物ぐるほしきなけれ。 慶長十九年(一六一四)方広寺鐘銘事件を端緒とする、十月初めの籠城から十二月二十日 ...
10. 片桐且元
世界大百科事典
れ,大坂冬の陣の直前に大坂城を去り徳川家康にくみした。戦後,大和国などで4万石を領した。方広寺鐘銘事件など大坂の陣前後の彼の行動は,さまざまな憶測を呼んでいるが ...
11. かたぎり-かつもと【片桐且元】
日本人名大辞典
秀頼の補佐役となる。慶長6年大和(奈良県)竜田(たつた)藩主片桐家初代。2万8000石。19年方広寺鐘銘事件で摂津茨木城にしりぞいた。大坂の陣では徳川方につき, ...
12. かたぎり-さだたか【片桐貞隆】
日本人名大辞典
秀吉没後は豊臣秀頼につかえる。慶長6年大和(奈良県)小泉藩主片桐家初代となる。1万石。19年方広寺鐘銘事件で大坂城をさった兄にしたがい,摂津茨木城にうつった。寛 ...
13. くげしゅうはっと【公家衆法度】
国史大辞典
圧を開始、十八年には大久保長安一族やその関係者を処罰、十九年には大久保忠隣を改易、ついで方広寺鐘銘事件をひきおこして豊臣氏を滅亡に追い込んだ。このような一連の事 ...
14. てんかい【天海】
日本架空伝承人名事典
近世天台宗中興の祖といわれる。一六〇八年家康に招かれて駿府に赴き、金地院崇伝・林羅山と謀った方広寺鐘銘事件(大坂の陣のきっかけ)は有名。家康の死去の際は、その遺 ...
15. とよとみ-ひでより【豊臣秀頼】
日本人名大辞典
関ケ原の戦いののち65万石余の一大名に転落。慶長8年内大臣となり徳川秀忠の娘千姫と結婚。10年右大臣。方広寺鐘銘事件をきっかけに徳川軍とたたかうが,大坂夏の陣に ...
16. ふゆのじん【冬の陣】 : 大坂の陣
国史大辞典
家康は早くから弾丸に用いる鉛を購入し、戦争に備えていたようであるが、露骨に戦争を挑発したのはいわゆる方広寺鐘銘事件であった。徳川氏は豊臣氏の財力削減のためしきり ...
17. ほうこうじ【方広寺】
国史大辞典
つくり再び巨鐘(重要文化財)をかける。なお大仏殿の旧地に豊太閤塔があり、門前に朝鮮人耳塚がある。→方広寺鐘銘事件(ほうこうじしょうめいじけん) [参考文献]小瀬 ...
18. ほうこうじ【方広寺】 : 方広寺/(一)
国史大辞典
つくり再び巨鐘(重要文化財)をかける。なお大仏殿の旧地に豊太閤塔があり、門前に朝鮮人耳塚がある。→方広寺鐘銘事件(ほうこうじしょうめいじけん) ...