ジャパンナレッジは約1500冊以上の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書」サービスです。
➞ジャパンナレッジについて詳しく見る
  1. トップページ
  2. >
  3. カテゴリ一覧
  4. >
  5. 自然
  6. >
  7. >
  8. 日本の島
  9. >
  10. 沖島

沖島

ジャパンナレッジで閲覧できる『沖島』の日本大百科全書・世界大百科事典のサンプルページ

日本大百科全書(ニッポニカ)

沖島
おきのしま

福岡県北端、宗像市 (むなかたし)に属する小島。沖ノ島とも書く。本州西端と対馬 (つしま)とのほぼ中間、大島の北西約48キロメートルの玄界灘 (げんかいなだ)上の孤島。周囲約4キロメートル、面積0.69平方キロメートル。玄武岩からなる山島で、切り立った断崖 (だんがい)で海に臨んでいる。古来、大陸航路の要衝で、宗像大社の沖津宮 (おきつみや)が置かれている。島全体が女人禁制の神域で、無人島であるが神官だけが駐在。1954年(昭和29)以来、数回にわたる祭祀遺跡 (さいしいせき)の発掘が行われ、多数の祭祀献納品が発見されて「海の正倉院」といわれる。1971年には島全体が国の史跡に指定された。近海はタイなど玄界灘最良の漁場で、避難港が建設された。北限とされるビロウを含む原始林は国指定天然記念物になっている。また、国指定鳥獣保護区および特別保護地区になっている。

[石黒正紀]

〔世界遺産の登録〕2017年(平成29)、沖島は「『神宿る島』―宗像・沖ノ島と関連遺産群」の構成資産(全8件)の一つとして、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産の文化遺産に登録された(世界文化遺産)。沖島とあわせて登録されたのは、沖島周辺の三つの岩礁(小屋島 (こやじま)、御門柱 (みかどばしら)、天狗岩 (てんぐいわ))、大島にある宗像大社中津宮 (なかつみや)および沖津宮遥拝所 (ようはいしょ)、九州本土にある宗像大社辺津宮 (へつみや)および新原 (しんばる)・奴山 (ぬやま)古墳群である。

[編集部]2017年7月19日



改訂新版・世界大百科事典
沖島
おきのしま

福岡県宗像(むなかた)市に属する玄界灘上の孤島。本州西端と対馬とのほぼ中間,九州本土で最も近い同市神湊(こうのみなと)から北西約55kmの位置にある。面積0.69km2,周囲約4.5km。玄武岩で構成された標高243mの山地で,海岸のほとんどが切り立った海食崖である。対馬暖流の影響で暖かく,亜熱帯植物の北限(北緯34°15′)でビロウ,ヒゼンマユミ,オオタニワタリなどの原生林(天)が茂り,オオミズナギドリが生息する。朝鮮半島への航路の要衝で宗像大社の沖津宮が鎮座し,4~9世紀の祭祀遺跡も著名である。全島神域で女人禁制が守られ,1921年開設の灯台が73年無人化されてからは2週間交代の神官1人だけが常住し,上陸の際はすべてみそぎをする。近海はタイ,ブリ,イカなどの好漁場で盛期には300隻近い漁船が集まり,1962年に大規模な避難港(第4種漁港)が完成した。
[土井 仙吉]

祭祀遺跡

考古学では〈沖ノ島祭祀遺跡〉と書く。この島の遺跡が知られるようになったのは江戸時代で,貝原益軒,青柳種信らが調査をしたり,見聞記を残している。明治・大正ころには江藤正澄,柴田常恵らが調査を行い,第2次大戦前には田中幸夫,豊元国らが出土遺物の研究などを行った。その後,宗像出身の実業家出光佐三を中心に宗像大社復興期成会が設立され,社史編纂事業の一環として,1954-57年に第1次,第2次調査,69-71年に第3次調査が行われた。数万点の出土遺物が発掘され,現在すべて重要文化財に指定されている。祭祀遺跡は大きく(1)岩上祭祀(岩の上に祭場を設ける。4~5世紀),(2)岩陰祭祀(岩の接地面に祭場を設ける。6世紀),(3)半岩陰・半露天祭祀(岩の接地面とその周囲に祭場を設ける。7世紀),(4)露天祭祀(平地に祭場を設ける。8~9世紀)に分かれ,四つの段階は時代的な変遷をも示しており,岩上→岩陰→露天という動きをとらえることができる。現在23ヵ所の遺跡が確認されており,ほとんどは島の中腹にある沖津宮の背後の巨岩群に集中している。巨岩を依代として,そこに神が降臨すると考え,種々の神宝を奉納したのである。出土遺物は実にさまざまで,鏡,玉類,武器類,工具類,土器,滑石製品,金銅製祭祀遺物,舶載品,奈良三彩などがあり,量と質からは日本最大の祭祀遺跡である。とりわけ鏡は舶載,仿製あわせて50面以上にものぼり,畿内第一級の古墳の副葬品にせまるものである。舶載品には朝鮮三国時代の馬具(杏葉,雲珠など),中国六朝時代の金銅製竜頭1対,ササン朝ペルシアのカットグラス,唐三彩長頸瓶などがあり,この島が古代大陸交渉に重要な位置を占めていたことを十分にうかがわせ,〈海の正倉院〉といわれている。また沖島の特殊な遺物として滑石製品と金銅製祭祀遺物がある。滑石で人物,馬,舟などをかたどったものは奈良・平安時代に,材質は木,土と違いはあるが,流行したもので,遣唐使,漁民が宗像神に航海の安全を祈るために奉納したのであろう。金銅製遺物は,紡織具を中心に武器,工具,器皿,人形などのミニチュアで,神宮神宝とも合致する遺物である。沖島の遺物は4世紀から10世紀におよび,それぞれの時代の特色を如実に示したものが多い。現在,遺物は宗像神社神宝館に常陳されている。
→宗像大社
[弓場 紀知]

[索引語]
宗像大社 沖津宮 沖ノ島祭祀遺跡 海の正倉院
上記は、日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書サービス「ジャパンナレッジ」のサンプル記事です。

ジャパンナレッジは、自分だけの専用図書館。
すべての辞書・事典・叢書が一括検索できるので、調査時間が大幅に短縮され、なおかつ充実した検索機能により、紙の辞書ではたどり着けなかった思わぬ発見も。
パソコン・タブレット・スマホからご利用できます。


沖島の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 129
※検索結果は本ページの作成時点のものであり、実際の検索結果とは異なる場合があります
検索コンテンツ
1. 沖島(滋賀県)
日本大百科全書
あり、面積1.5平方キロメートル。澳(おく)の島ともいう。島全体が石英斑岩(はんがん)からなる沖島山(220メートル)で、風化、侵食が進み、湖岸は岩石が露出して ...
2. 沖島[百科マルチメディア]
日本大百科全書
南側からの眺望。琵琶湖(びわこ)国定公園域。滋賀県近江八幡(おうみはちまん)市 〓公益社団法人びわこビジターズビューロー ...
3. 沖島
デジタル大辞泉プラス
愛知県西尾市の東幡豆海岸の沖合い約1.6kmにある無人島。かつては名古屋鉄道がニホンザルを放し飼いにして観光地化していた。その際の名称「猿ケ島」(1997年閉園 ...
4. 沖島(福岡県)
日本大百科全書
平成29)、沖島は「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」の構成資産(全8件)の一つとして、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産の文化遺産に登録された(世 ...
5. 沖島
世界大百科事典
古代大陸交渉に重要な位置を占めていたことを十分にうかがわせ,〈海の正倉院〉といわれている。また沖島の特殊な遺物として滑石製品と金銅製祭祀遺物がある。滑石で人物, ...
6. おきのしま【沖島】愛知県:幡豆郡/幡豆町
日本歴史地名大系
[現]幡豆町東幡豆 沖島 東幡豆海岸の南方沖合一・二キロの地点にある。南北二〇〇メートル、東西四〇〇メートル。シイ・タブノキ・モチノキなどによって全島覆われてい ...
7. 沖島(おきのしま)
古事類苑
地部 洋巻 第2巻 858ページ ...
8. おき‐の‐しま【沖ノ島/沖島/沖の島】地図
デジタル大辞泉
正倉院」といわれる。 〓沖島)琵琶湖中で最大の島。滋賀県近江八幡市に属する。面積1.5平方キロメートル。  ...
9. おきのしま‐いせき[‥ヰセキ]【沖ノ島遺跡】
日本国語大辞典
福岡県、玄界灘の海上にある沖ノ島の古墳時代祭祀遺跡。宗像神社の沖津宮があり、また多数の奉献遺物を蔵する岩陰遺跡と須恵器類集積地とがある。 ...
10. おきのしまむら【沖島村】栃木県:下都賀郡/岩舟町
日本歴史地名大系
[現]岩舟町静和 古橋村の南にあり、西は西赤塚村、南は曲之島村。慶安郷帳に沖之島村とみえ、高二六九石余(田畑別の記載なし)、幕府領。「寛文朱印留」では武蔵岩槻藩 ...
11. おきのしまむら【沖島村】徳島県:徳島市/旧板野郡地区
日本歴史地名大系
[現]徳島市川内町 沖島 竹須賀村の南に位置し、西は榎瀬村・名東郡上助任村北原、南は鶴島浦・鈴江村。沖之島村とも記された。慶長二年(一五九七)の分限帳に沖島とみ ...
12. おきのしまむら【沖島村】愛媛県:越智郡/魚島村
日本歴史地名大系
[現]魚島村 天保郷帳に「沖ノ嶋村」と記されている村で、村域は現魚島村に同じ。古くは沖嶋村であったが、元禄以降は藩内では魚島村とよばれたようである。寛永一三年( ...
13. 青
世界大百科事典
意味によって,十字架,司教指輪などに多く用いられる。日本では,筑前(福岡県)宗像神社の沖津宮(沖島)の御神体が青玉であったことが《筑前国風土記》逸文に見える。柳 ...
14. 足跡石
日本大百科全書
の無量寺の境内に「弘法(こうぼう)大師の足跡石」がある。大師(空海)がこの寺から幡豆(はず)郡沖島弁天に向かう途中、海岸の岩に立って「わが巡錫(じゅんしゃく)の ...
15. あらいうら【新井浦】千葉県:館山市地図
日本歴史地名大系
七・秋刀魚船二・小漁船一六・押送船一を所持し、定式網役永六貫九一〇文・納屋場役永一貫文、高島・沖島根付鮑運上銀一〇匁などを含め年貢は米四升余・永一二貫六七二文。 ...
16. 一休和尚年譜 1 80ページ
東洋文庫
親鶯絵像は大津の道場に移され、三月二十九日、延暦寺による「堅田大黄」によって、本福寺本堂は焼失し、堅田衆は沖島(現滋賀県近江八幡市)に逃れた。文明二年(一四七〇 ...
17. いまざとむら【今里村】東京都:港区/旧芝区地区地図
日本歴史地名大系
享保一七年(一七三二)にも筧播磨守により検地が行われた。六ヵ所の小名があり、東は沖島、北東は桑原坂、桑原坂の続きに出口窪、北東沖島の続きに蜀江台、北西は長者ヶ丸 ...
18. いままいりのつぼね【今参局】
国史大辞典
、今参局の呪詛によるものであるとの風説が流れた。局は捕えられて侍所所司代京極持清により琵琶湖の沖島に配流されることになったが、配所に赴く途中、同年正月十九日近江 ...
19. 忌言葉/忌詞
世界大百科事典
,これは忌言葉の観念が日常生活全般にまで拡大されたものといえる。一方宗像大社の鎮座する福岡県の沖島を〈御言わずの島〉,出羽三山を〈あなた山〉,また神木を〈名なし ...
20. うちおろしむら【打下村】滋賀県:高島郡/高島町
日本歴史地名大系
織田信長は沖島惣中(現近江八幡市)に対し、敵地浦々に火による攻撃をかけるので、早船三艘を出すこと、詳細は「林与二左衛門並堅田衆」と相談すべきことを命じている(六 ...
21. えのきぜむら【榎瀬村】徳島県:徳島市/旧板野郡地区
日本歴史地名大系
[現]徳島市川内町 榎瀬 中島浦の南に位置し、東は沖島村・竹須賀村、南は古川村および名東郡上助任村字北原、西は鯛浜村(現北島町)。村域の西から北へ吉野川(現今切 ...
22. おうみのくに【近江国】滋賀県
日本歴史地名大系
津が形成されて水運業者が集住し、大浦・菅浦(現西浅井町)など湖の湾曲した地域に形成された浦や、沖島・奥島(現近江八幡市)では漁業に携わる人々の生活が営まれた。粟 ...
23. 近江八幡(市)
日本大百科全書
1958年武佐(むさ)村を編入、2010年(平成22)蒲生(がもう)郡安土(あづち)町と合併。琵琶湖中の沖島(おきしま)も市域に含まれる。北部は奥島山などの山地 ...
24. おうみはちまんし【近江八幡市】滋賀県
日本歴史地名大系
四・五メートル)南部の沖積平野に広がり、南部境に沿って日野川が西流する。北方に琵琶湖中最大の島沖島が浮ぶ。北西は琵琶湖に面し、東は八日市市・蒲生郡安土町、西は野 ...
25. 大島(福岡県)
日本大百科全書
の島。筑前(ちくぜん)大島ともいわれる。玄界灘(げんかいなだ)と響灘(ひびきなだ)の境をなし、沖島(おきのしま)(沖ノ島とも書く。無人島)とともに宗像郡大島村を ...
26. 大島(福岡県の旧村名)
日本大百科全書
(なかつみや)、沖島には沖津宮(おきつみや)があり、海運業者の信仰を集めている。沖島の原始林は国の天然記念物。石黒正紀 2017年、この地域にある宗像大社の中津 ...
27. おおしま・おきつしまじんじゃ【大島・奥津島神社】
国史大辞典
いるが、古代においては、湖畔からはるかに印象的な山容をながめ得る一島嶼であった。大島の沖にある沖島には、奥宮が祀られているが、本来はこの島に祀られていたのが奥津 ...
28. おおしまおくつしまじんじゃ【大島奥津島神社】滋賀県:近江八幡市/北津田村
日本歴史地名大系
島神社の二社がみえ、奥津島神社は郡内でただ一つの名神大社。神名帳記載の奥津島神社は現近江八幡市沖島町の同名社にあてる説もある。一方、応安元年(一三六八)一一月日 ...
29. おかうえすかむら【岡上須賀村】千葉県:館山市地図
日本歴史地名大系
島田家文書)によれば高三八石余、反別は五町九反余、手繰船役永一〇〇文・釣溜船役永一貫文、高島・沖島根付鮑運上銀一〇匁・真木場代銀五匁などを含めて納永一一貫九五四 ...
30. おきしましんでん【恩貴島新田】大阪府:大阪市/此花区地図
日本歴史地名大系
春日出新田の西に位置。もと沖島と称した地で元禄年間(一六八八―一七〇四)大坂の大宮仁左衛門が地代金七二五両を幕府に納めて開発、元禄一五年検地を受けて一四五石余と ...
31. おき‐つ‐しまやま【沖つ島山】
デジタル大辞泉
滋賀県の琵琶湖にある沖島(おきのしま)の古称。[歌枕] 「近江(あふみ)の海―奥まけてわが思ふ妹が言の繁けく」〈万・二四三九〉 ...
32. おきつしまやま【沖津島山・奥津島山】
日本国語大辞典
滋賀県、琵琶湖にある沖島(おきのしま)の古名。歌枕。*万葉集〔8C後〕一一・二七二八「淡海(あふみ)の海奥津嶋山(おきつしまやま)奥まへて吾が思ふ妹が言の繁けく ...
33. 沖ノ島
日本大百科全書
沖島 ...
34. おき‐の‐しま【沖ノ島】
日本国語大辞典
玄界灘の小島。宗像神社の沖津宮をまつり、全島が女人禁制の神域とされる。御不言(おいわず)。〔二〕(沖島)滋賀県近江八幡市、琵琶湖最大の島。沖津島山(おきつしまや ...
35. 沖ノ島祭祀遺跡
日本大百科全書
福岡県宗像(むなかた)市に所属する沖ノ島(沖島)にある遺跡。沖ノ島は、九州北部の沿岸地域から60キロメートル沖合いにある周囲約4キロメートルの無人島で、宗像大社 ...
36. おきのしま・しんしま【沖之島・新島】千葉県:佐原市
日本歴史地名大系
城県江戸崎町)城主土岐氏旧臣の石田駿河守に年貢は「古より御定のことく三ケ年不入」とする条件で「沖島北はす新田」の開発を許可している(「新田開発認可状」山来家文書 ...
37. おきのしまむら【沖ノ島村】長崎県:西彼杵郡/伊王島町
日本歴史地名大系
元禄国絵図に沖ノ島、宝暦二年(一七五二)の佐賀領郷村帳に沖島とあり、享和三年(一八〇三)の郡村仮名付帳には人家有島として深堀郷のうち沖島とみえ、遠見番所が置かれ ...
38. おきのしまむら【沖之島村】滋賀県:近江八幡市
日本歴史地名大系
[現]近江八幡市沖島町 琵琶湖の中央部、東岸寄りにある沖島に位置する。沖島は周囲約一二キロ、面積約一・五平方キロで琵琶湖最大の島。島の住人の先祖は近江源氏の残党 ...
39. おくしまのしょう【奥島庄】滋賀県:近江八幡市
日本歴史地名大系
庄域は奥島の東半、江戸時代の奥島村・白部村・王之浜村・丸山村を含む一帯に比定され、現在の沖島町(島である沖島を除く)・島町・白王町・円山町などにあたるか。単に島 ...
40. おくのしまむら【奥之島村】滋賀県:近江八幡市
日本歴史地名大系
[現]近江八幡市島町・沖島町 奥島の北部先端にあり、北から西にかけては琵琶湖に面し、東は白部村・王之浜村。集落の中心は村の大部分を占める奥島山の南麓に位置し、枝 ...
41. 改訂 京都民俗志 113ページ
東洋文庫
明恵がかねてから渡天の志をいだいていたが、どうしても素志を実現する望みがなく、紀州へ行ったとき、沖島をはるかに望見し、遺跡の多い天竺の蘇婆の水もこの海水と同じ潮 ...
42. かしわじまむら【柏島村】高知県:幡多郡/大月町
日本歴史地名大系
京都(周防国山口とも)から来住してから開けたと伝えられる。蒲葵島は「南路志」に「去柏島二里、在沖島東、遶島半里」とある。柏島との距離は約六キロ、周囲約二キロ。無 ...
43. かたた【堅田】滋賀県:大津市/北部地域
日本歴史地名大系
主張する堅田の独自の論理があったものと推定される(同文書)。このほか鎌倉時代には守護の佐々木六角氏と沖島(現近江八幡市)の葦の領知をめぐって争い、「六角トノハ海 ...
44. 上島[町]
世界大百科事典
燧(ひうち)灘の中央部に位置する魚島,高井神島と無人島の江ノ島および属島からなる。魚島は古くは沖島と呼ばれたが,元禄期(1688-1704)以降,魚島と称するよ ...
45. からふとにちにちしんぶん【樺太日日新聞】
国史大辞典
織であったが、同年九月、組織を改めて沖島鎌三の個人経営となり、昭和十一年(一九三六)の終りから翌年の初めごろ、沖島は顧問に勇退、太田鎮雄が社長となった。沖島は第 ...
46. きおれむら【木折村】愛知県:海部郡/美和町
日本歴史地名大系
余は藩士九人の給知。田は二七町五畝余、畑は二町四反九畝余で、「村キリニテハ耕田不足ナルニヨリ、沖島村・花長村・金岩村・二ツ寺村へ出作ストナリ、持高ハ平均ノ所ナリ ...
47. きしもと-あきなお【岸本明直】
日本人名大辞典
江戸時代中期の武士,開拓指導者。元文2年生まれ。土佐高知藩の足軽。安永5年浦方下役として幡多郡(はたぐん)沖島にわたる。島には水田がなく,畑はシカの害がはなはだ ...
48. 九州地方
日本大百科全書
こうした亜熱帯植物は日本海流、対馬海流と暖流の洗う青島(あおしま)から五島列島、玄海灘(げんかいなだ)の沖島までもみられる。このほか、屋久島では標高550メート ...
49. 金(元素)
日本大百科全書
古墳時代の遺跡からは、朝鮮から渡来したと思われる金冠など多くの金製品が関東・関西を問わず出土しており、九州沖島(沖ノ島)の宗像(むなかた)大社沖津宮(おきつみや ...
50. 近世俳句集 138ページ
日本古典文学全集
、「みぞれ」がもっともふさわしい。『かなしぶみ』(寛政八年〈一七九六〉)には前書「膽吹おろしは沖島山かけて、比良比叡の雲もむれ入る粟津野の草庵に、ともし火きえ、 ...
「沖島」の情報だけではなく、「沖島」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶

沖島と同じ日本の島カテゴリの記事
沖ノ島(改訂新版・世界大百科事典)
高知県南西部,宿毛湾口に浮かぶ島。面積10.5km2。全島花コウ岩よりなり,アコウ,ビロウなどの亜熱帯植物が繁茂する。海岸は海食崖が広く,海食洞もみられ,足摺宇和海国立公園に属する。周囲の海域は好漁場をなし漁業が中心で,集落は急傾斜地に階段状に立地する。
沖島(日本大百科全書・世界大百科事典)
滋賀県の琵琶湖中最大の島。近江八幡市に属す。市の北部長命寺町から約1.5キロメートルの沖合いにあり、面積1.5平方キロメートル。澳の島ともいう。島全体が石英斑岩からなる沖島山(220メートル)で、風化、侵食が進み、湖岸は岩石が露出して険しい。産業の中心は漁業であるが
淡路島(日本歴史地名大系・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
瀬戸内海の東部に浮ぶ瀬戸内海最大の島。北は明石海峡、東は紀淡海峡によって本州と分たれ、西は鳴門海峡によって四国と分たれている。面積は約五九一平方キロ、本州・北海道・九州・四国および択捉島・国後島を除けば、沖縄島・佐渡島・奄美大島・対馬
対馬(日本国語大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
長崎県北部、対馬海峡の東水道と西水道との間にある島。西海道一一か国の一つ。対馬海峡東水道を隔てて壱岐に、対馬海峡西水道を隔てて朝鮮半島に対する。早くから大陸との交通・軍事上の要地として開け、天智天皇三年(六六四)には防人(さきもり)と烽(とぶひ)が置かれた。
奄美大島(日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
鹿児島県奄美諸島の北端に位置し、同諸島中最大の島。属島に加計呂麻島、与路島、請島などがある。本島の面積712.38平方キロメートル、島の最高点は湯湾岳の694メートル。本島と加計呂麻島はリアス式の海岸線を有し、極度に屈曲に富む。このような地形であるため、北部の笠利半島付近を
日本の島と同じカテゴリの記事をもっと見る


「沖島」は自然に関連のある記事です。
その他の自然に関連する記事
春一番(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
冬から春へと季節が移るころ、冬のうちとは風向きの異なる強風が急に吹き出すことがある。この現象を戒めたことばで、漁業従事者たちの間で、海難防止の意味合いで使われだしたといわれる。春一(はるいち)ともいう。冬のうちの北風、西風を吹かせた西高東低型の気圧
富士山宝永噴火(国史大辞典)
宝永四年(一七〇七)十一月二十三日に始まり、十二月八日まで続いた富士山南東側中腹付近での大噴火。大量の火山弾、火山灰が降ったため「宝永の砂降り」ともよばれる。被災地域は駿河・相模・武蔵三国に及び、江戸でも降灰があり雪が降るようであったという(新井白石
伊吹山(世界大百科事典・日本大百科全書・日本歴史地名大系)
滋賀県と岐阜県の県境を南北にのびる伊吹山地の主峰で,標高1377m。地質は古生代石灰岩よりなり,山麓の古生層は石灰岩が少ない。その地質構造は,巨大な石灰岩が低角度の衝上面で石灰岩の少ない古生層の上に衝上したものとされていたが,褶曲に衝上を伴ったもので
長良川(日本歴史地名大系)
県のほぼ中央部に東西に横たわる位山(くらいやま)分水嶺山脈中に位置する見当(けんとう)山(一三五二・一メートル)を源流とし、濃尾平野を経て、伊勢湾直前で揖斐(いび)川に合流する。地形的には河川争奪によって流域拡大がなされたとも考えられる大日
アルデバラン(日本大百科全書・世界大百科事典)
おうし座のα(アルファ)星の固有名。アラビア語で「後に続くものAlDabaran」の意で、同じおうし座のプレヤデス(すばる)よりも少し遅れて日周運動していることに由来する。日本でもいくつかの地方で「すばるの後星(あとぼし)」とよばれている。冬の夜空で
自然に関連する記事をもっと見る


ジャパンナレッジは約1500冊以上(総額600万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のインターネット辞書・事典・叢書サイト」です。日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶