1. 沖島(滋賀県)
日本大百科全書
あり、面積1.5平方キロメートル。澳(おく)の島ともいう。島全体が石英斑岩(はんがん)からなる沖島山(220メートル)で、風化、侵食が進み、湖岸は岩石が露出して ...
2. 沖島[百科マルチメディア]
日本大百科全書
南側からの眺望。琵琶湖(びわこ)国定公園域。滋賀県近江八幡(おうみはちまん)市

公益社団法人びわこビジターズビューロー
...3. 沖島
デジタル大辞泉プラス
愛知県西尾市の東幡豆海岸の沖合い約1.6kmにある無人島。かつては名古屋鉄道がニホンザルを放し飼いにして観光地化していた。その際の名称「猿ケ島」(1997年閉園 ...
4. 沖島(福岡県)
日本大百科全書
平成29)、沖島は「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」の構成資産(全8件)の一つとして、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産の文化遺産に登録された(世 ...
5. 沖島
世界大百科事典
古代大陸交渉に重要な位置を占めていたことを十分にうかがわせ,〈海の正倉院〉といわれている。また沖島の特殊な遺物として滑石製品と金銅製祭祀遺物がある。滑石で人物, ...
6. おきのしま【沖島】愛知県:幡豆郡/幡豆町
日本歴史地名大系
[現]幡豆町東幡豆 沖島 東幡豆海岸の南方沖合一・二キロの地点にある。南北二〇〇メートル、東西四〇〇メートル。シイ・タブノキ・モチノキなどによって全島覆われてい ...
7. 沖島(おきのしま)
古事類苑
地部 洋巻 第2巻 858ページ ...
8. おき‐の‐しま【沖ノ島/沖島/沖の島】地図
デジタル大辞泉
正倉院」といわれる。

(
沖島)琵琶湖中で最大の島。滋賀県近江八幡市に属する。面積1.5平方キロメートル。
...9. おきのしま‐いせき[‥ヰセキ]【沖ノ島遺跡】
日本国語大辞典
福岡県、玄界灘の海上にある沖ノ島の古墳時代祭祀遺跡。宗像神社の沖津宮があり、また多数の奉献遺物を蔵する岩陰遺跡と須恵器類集積地とがある。 ...
10. おきのしまむら【沖島村】栃木県:下都賀郡/岩舟町
日本歴史地名大系
[現]岩舟町静和 古橋村の南にあり、西は西赤塚村、南は曲之島村。慶安郷帳に沖之島村とみえ、高二六九石余(田畑別の記載なし)、幕府領。「寛文朱印留」では武蔵岩槻藩 ...
11. おきのしまむら【沖島村】徳島県:徳島市/旧板野郡地区
日本歴史地名大系
[現]徳島市川内町 沖島 竹須賀村の南に位置し、西は榎瀬村・名東郡上助任村北原、南は鶴島浦・鈴江村。沖之島村とも記された。慶長二年(一五九七)の分限帳に沖島とみ ...
12. おきのしまむら【沖島村】愛媛県:越智郡/魚島村
日本歴史地名大系
[現]魚島村 天保郷帳に「沖ノ嶋村」と記されている村で、村域は現魚島村に同じ。古くは沖嶋村であったが、元禄以降は藩内では魚島村とよばれたようである。寛永一三年( ...
13. 青
世界大百科事典
意味によって,十字架,司教指輪などに多く用いられる。日本では,筑前(福岡県)宗像神社の沖津宮(沖島)の御神体が青玉であったことが《筑前国風土記》逸文に見える。柳 ...
14. 足跡石
日本大百科全書
の無量寺の境内に「弘法(こうぼう)大師の足跡石」がある。大師(空海)がこの寺から幡豆(はず)郡沖島弁天に向かう途中、海岸の岩に立って「わが巡錫(じゅんしゃく)の ...
15. あらいうら【新井浦】千葉県:館山市地図
日本歴史地名大系
七・秋刀魚船二・小漁船一六・押送船一を所持し、定式網役永六貫九一〇文・納屋場役永一貫文、高島・沖島根付鮑運上銀一〇匁などを含め年貢は米四升余・永一二貫六七二文。 ...
16. 一休和尚年譜 1 80ページ
東洋文庫
親鶯絵像は大津の道場に移され、三月二十九日、延暦寺による「堅田大黄」によって、本福寺本堂は焼失し、堅田衆は沖島(現滋賀県近江八幡市)に逃れた。文明二年(一四七〇 ...
17. いまざとむら【今里村】東京都:港区/旧芝区地区地図
日本歴史地名大系
享保一七年(一七三二)にも筧播磨守により検地が行われた。六ヵ所の小名があり、東は沖島、北東は桑原坂、桑原坂の続きに出口窪、北東沖島の続きに蜀江台、北西は長者ヶ丸 ...
18. いままいりのつぼね【今参局】
国史大辞典
、今参局の呪詛によるものであるとの風説が流れた。局は捕えられて侍所所司代京極持清により琵琶湖の沖島に配流されることになったが、配所に赴く途中、同年正月十九日近江 ...
19. 忌言葉/忌詞
世界大百科事典
,これは忌言葉の観念が日常生活全般にまで拡大されたものといえる。一方宗像大社の鎮座する福岡県の沖島を〈御言わずの島〉,出羽三山を〈あなた山〉,また神木を〈名なし ...
20. うちおろしむら【打下村】滋賀県:高島郡/高島町
日本歴史地名大系
織田信長は沖島惣中(現近江八幡市)に対し、敵地浦々に火による攻撃をかけるので、早船三艘を出すこと、詳細は「林与二左衛門並堅田衆」と相談すべきことを命じている(六 ...
21. えのきぜむら【榎瀬村】徳島県:徳島市/旧板野郡地区
日本歴史地名大系
[現]徳島市川内町 榎瀬 中島浦の南に位置し、東は沖島村・竹須賀村、南は古川村および名東郡上助任村字北原、西は鯛浜村(現北島町)。村域の西から北へ吉野川(現今切 ...
22. おうみのくに【近江国】滋賀県
日本歴史地名大系
津が形成されて水運業者が集住し、大浦・菅浦(現西浅井町)など湖の湾曲した地域に形成された浦や、沖島・奥島(現近江八幡市)では漁業に携わる人々の生活が営まれた。粟 ...
23. 近江八幡(市)
日本大百科全書
1958年武佐(むさ)村を編入、2010年(平成22)蒲生(がもう)郡安土(あづち)町と合併。琵琶湖中の沖島(おきしま)も市域に含まれる。北部は奥島山などの山地 ...
24. おうみはちまんし【近江八幡市】滋賀県
日本歴史地名大系
四・五メートル)南部の沖積平野に広がり、南部境に沿って日野川が西流する。北方に琵琶湖中最大の島沖島が浮ぶ。北西は琵琶湖に面し、東は八日市市・蒲生郡安土町、西は野 ...
25. 大島(福岡県)
日本大百科全書
の島。筑前(ちくぜん)大島ともいわれる。玄界灘(げんかいなだ)と響灘(ひびきなだ)の境をなし、沖島(おきのしま)(沖ノ島とも書く。無人島)とともに宗像郡大島村を ...
26. 大島(福岡県の旧村名)
日本大百科全書
(なかつみや)、沖島には沖津宮(おきつみや)があり、海運業者の信仰を集めている。沖島の原始林は国の天然記念物。石黒正紀 2017年、この地域にある宗像大社の中津 ...
27. おおしま・おきつしまじんじゃ【大島・奥津島神社】
国史大辞典
いるが、古代においては、湖畔からはるかに印象的な山容をながめ得る一島嶼であった。大島の沖にある沖島には、奥宮が祀られているが、本来はこの島に祀られていたのが奥津 ...
28. おおしまおくつしまじんじゃ【大島奥津島神社】滋賀県:近江八幡市/北津田村
日本歴史地名大系
島神社の二社がみえ、奥津島神社は郡内でただ一つの名神大社。神名帳記載の奥津島神社は現近江八幡市沖島町の同名社にあてる説もある。一方、応安元年(一三六八)一一月日 ...
29. おかうえすかむら【岡上須賀村】千葉県:館山市地図
日本歴史地名大系
島田家文書)によれば高三八石余、反別は五町九反余、手繰船役永一〇〇文・釣溜船役永一貫文、高島・沖島根付鮑運上銀一〇匁・真木場代銀五匁などを含めて納永一一貫九五四 ...
30. おきしましんでん【恩貴島新田】大阪府:大阪市/此花区地図
日本歴史地名大系
春日出新田の西に位置。もと沖島と称した地で元禄年間(一六八八―一七〇四)大坂の大宮仁左衛門が地代金七二五両を幕府に納めて開発、元禄一五年検地を受けて一四五石余と ...
31. おき‐つ‐しまやま【沖つ島山】
デジタル大辞泉
滋賀県の琵琶湖にある沖島(おきのしま)の古称。[歌枕] 「近江(あふみ)の海―奥まけてわが思ふ妹が言の繁けく」〈万・二四三九〉 ...
32. おきつしまやま【沖津島山・奥津島山】
日本国語大辞典
滋賀県、琵琶湖にある沖島(おきのしま)の古名。歌枕。*万葉集〔8C後〕一一・二七二八「淡海(あふみ)の海奥津嶋山(おきつしまやま)奥まへて吾が思ふ妹が言の繁けく ...
34. おき‐の‐しま【沖ノ島】
日本国語大辞典
玄界灘の小島。宗像神社の沖津宮をまつり、全島が女人禁制の神域とされる。御不言(おいわず)。〔二〕(沖島)滋賀県近江八幡市、琵琶湖最大の島。沖津島山(おきつしまや ...
35. 沖ノ島祭祀遺跡
日本大百科全書
福岡県宗像(むなかた)市に所属する沖ノ島(沖島)にある遺跡。沖ノ島は、九州北部の沿岸地域から60キロメートル沖合いにある周囲約4キロメートルの無人島で、宗像大社 ...
36. おきのしま・しんしま【沖之島・新島】千葉県:佐原市
日本歴史地名大系
城県江戸崎町)城主土岐氏旧臣の石田駿河守に年貢は「古より御定のことく三ケ年不入」とする条件で「沖島北はす新田」の開発を許可している(「新田開発認可状」山来家文書 ...
37. おきのしまむら【沖ノ島村】長崎県:西彼杵郡/伊王島町
日本歴史地名大系
元禄国絵図に沖ノ島、宝暦二年(一七五二)の佐賀領郷村帳に沖島とあり、享和三年(一八〇三)の郡村仮名付帳には人家有島として深堀郷のうち沖島とみえ、遠見番所が置かれ ...
38. おきのしまむら【沖之島村】滋賀県:近江八幡市
日本歴史地名大系
[現]近江八幡市沖島町 琵琶湖の中央部、東岸寄りにある沖島に位置する。沖島は周囲約一二キロ、面積約一・五平方キロで琵琶湖最大の島。島の住人の先祖は近江源氏の残党 ...
39. おくしまのしょう【奥島庄】滋賀県:近江八幡市
日本歴史地名大系
庄域は奥島の東半、江戸時代の奥島村・白部村・王之浜村・丸山村を含む一帯に比定され、現在の沖島町(島である沖島を除く)・島町・白王町・円山町などにあたるか。単に島 ...
40. おくのしまむら【奥之島村】滋賀県:近江八幡市
日本歴史地名大系
[現]近江八幡市島町・沖島町 奥島の北部先端にあり、北から西にかけては琵琶湖に面し、東は白部村・王之浜村。集落の中心は村の大部分を占める奥島山の南麓に位置し、枝 ...
41. 改訂 京都民俗志 113ページ
東洋文庫
明恵がかねてから渡天の志をいだいていたが、どうしても素志を実現する望みがなく、紀州へ行ったとき、沖島をはるかに望見し、遺跡の多い天竺の蘇婆の水もこの海水と同じ潮 ...
42. かしわじまむら【柏島村】高知県:幡多郡/大月町
日本歴史地名大系
京都(周防国山口とも)から来住してから開けたと伝えられる。蒲葵島は「南路志」に「去柏島二里、在沖島東、遶島半里」とある。柏島との距離は約六キロ、周囲約二キロ。無 ...
43. かたた【堅田】滋賀県:大津市/北部地域
日本歴史地名大系
主張する堅田の独自の論理があったものと推定される(同文書)。このほか鎌倉時代には守護の佐々木六角氏と沖島(現近江八幡市)の葦の領知をめぐって争い、「六角トノハ海 ...
44. 上島[町]
世界大百科事典
燧(ひうち)灘の中央部に位置する魚島,高井神島と無人島の江ノ島および属島からなる。魚島は古くは沖島と呼ばれたが,元禄期(1688-1704)以降,魚島と称するよ ...
45. からふとにちにちしんぶん【樺太日日新聞】
国史大辞典
織であったが、同年九月、組織を改めて沖島鎌三の個人経営となり、昭和十一年(一九三六)の終りから翌年の初めごろ、沖島は顧問に勇退、太田鎮雄が社長となった。沖島は第 ...
46. きおれむら【木折村】愛知県:海部郡/美和町
日本歴史地名大系
余は藩士九人の給知。田は二七町五畝余、畑は二町四反九畝余で、「村キリニテハ耕田不足ナルニヨリ、沖島村・花長村・金岩村・二ツ寺村へ出作ストナリ、持高ハ平均ノ所ナリ ...
47. きしもと-あきなお【岸本明直】
日本人名大辞典
江戸時代中期の武士,開拓指導者。元文2年生まれ。土佐高知藩の足軽。安永5年浦方下役として幡多郡(はたぐん)沖島にわたる。島には水田がなく,畑はシカの害がはなはだ ...
48. 九州地方
日本大百科全書
こうした亜熱帯植物は日本海流、対馬海流と暖流の洗う青島(あおしま)から五島列島、玄海灘(げんかいなだ)の沖島までもみられる。このほか、屋久島では標高550メート ...
49. 金(元素)
日本大百科全書
古墳時代の遺跡からは、朝鮮から渡来したと思われる金冠など多くの金製品が関東・関西を問わず出土しており、九州沖島(沖ノ島)の宗像(むなかた)大社沖津宮(おきつみや ...
50. 近世俳句集 138ページ
日本古典文学全集
、「みぞれ」がもっともふさわしい。『かなしぶみ』(寛政八年〈一七九六〉)には前書「膽吹おろしは沖島山かけて、比良比叡の雲もむれ入る粟津野の草庵に、ともし火きえ、 ...