1. かん‐こう[クヮンカウ]【還幸】
日本国語大辞典
*平家物語〔13C前〕一〇・請文「還幸なからんにおいては、三種の神器いかでか玉躰をはなちたてまつるべきや」*神皇正統記〔1339〜43〕下・後醍醐「つゐに朝敵を ...
2. くゎん-かう【還幸】
全文全訳古語辞典
〔名詞〕天皇や上皇などがお帰りになること。 「還幸」は天皇についてのみ用い、上皇や三后には「還御」を用いる。⇒ぎゃうがう ...
3. 還幸祭
世界大百科事典
神霊が本社へ還幸する祭儀のこと。一般に出御の儀よりも事いそいで行われるが,むしろ還幸祭に重点をおく神社も多い。例えば,伏見稲荷大社の稲荷祭では出御の際は裏門から ...
4. かんこう‐さい[クヮンカウ‥]【還幸祭】
日本国語大辞典
〔名〕神が神幸よりお帰りになった時、神霊を神輿(みこし)から社殿に遷(うつ)す祭。カンコーサイ
...5. いなり の 還幸祭(かんこうさい)
日本国語大辞典
稲荷祭(1)で御旅所から本社へ還幸する祭礼。いなりの御旅。 ...
6. 順德天皇佐渡國還幸 (見出し語:順德天皇)
古事類苑
帝王部 洋巻 第1巻 998ページ ...
7. 青木周蔵自伝 260ページ
東洋文庫
其の際議論を反覆するも事に益なきを知り、三好氏を追窮せずして止めり。 陛下は其の翌日又は翌々日東京に還幸あらせらるべく〔五月二十二日〕御治定ありしを以て、予は京 ...
8. あがたじんじゃ【県神社】京都府:宇治市/宇治郷
日本歴史地名大系
「上林家前代記録」には「五月五日夜県社神事離宮神主因幡相勤、小幣ヲ離宮御旅所江移候事」「神輿本社江還幸之砌、神主因幡小幣ヲ指出シ候、右下行ハ拙者家より出之来り候 ...
9. あしかがよしつぐ【足利義嗣】
国史大辞典
偏愛した義満は彼に天盃をうけさせ、彼を重んじていることを諸人に示した。この行幸の間に正五位下左馬頭、還幸後、従四位下、ついで左近衛中将となった。ついで四月二十五 ...
10. あつただいぐうじまさよし【熱田大宮司昌能】
国史大辞典
建武中興の際に武者所結番となり、建武三年(延元元、一三三六)五月の後醍醐天皇山門行幸および十月の京都還幸に供奉、側近として奉仕した。後村上天皇の時代になってもか ...
11. 阿野廉子
世界大百科事典
南朝に参じた。32年(元弘2)3月後醍醐天皇の隠岐配流に際しては三位内侍としてこれに従い,天皇還幸後,准三宮に叙せられ,建武政府の中枢にたびたび口入(くにゆう) ...
12. アメリカ彦蔵自伝 2 31ページ
東洋文庫
それによれば一「長州らの激徒は、主上を強制して大和に行幸させ、その後をうかがって宮中に火を放ち、還幸の望みを捨てさせて錦旗を箱根にひるがえし、直ちに討幕の軍を起 ...
13. アメリカ彦蔵自伝 2 165ページ
東洋文庫
八七一年(明治四年)秋、ひそかに同志 をつのり、高野山に挙兵して、天皇の京 都還幸を実現し、政体を一変しようと計 画していた。この陰謀が露 ...
14. あわづのかりみや【禾津頓宮】滋賀県:大津市/中部地域/粟津
日本歴史地名大系
志賀山寺(崇福寺)に参詣し、さらに一泊、翌一三日禾津を発って恭仁新京(現京都府相楽郡加茂町)に還幸している。当頓宮は以後文献にみえず、一応臨時的な施設と思われる ...
15. 安養寺
日本大百科全書
のとき、その身を案じた皇女瓊子(たまこ)内親王は当地まで随従して尼僧(安養尼)となったが、天皇還幸ののち、建武(けんむ)年間(1334~1336)に後醍醐天皇勅 ...
16. あんようじ【安養寺】
国史大辞典
この寺は、元弘二年(一三三二)後醍醐天皇の隠岐遷幸のあとを追った皇女瓊子内親王(西月院安養尼)が、天皇還幸ののちも伯耆にとどまり、五代遊行上人安国の弟子となって ...
17. あんようじ【安養寺】 : 安養寺/(四)
国史大辞典
この寺は、元弘二年(一三三二)後醍醐天皇の隠岐遷幸のあとを追った皇女瓊子内親王(西月院安養尼)が、天皇還幸ののちも伯耆にとどまり、五代遊行上人安国の弟子となって ...
18. いしづちさん【石鎚山】愛媛県:総論
日本歴史地名大系
の手で七月一日から一〇日にかけて行われている。初日に三体の神像が弥山に遷幸し、最後の日に本社に還幸するという、近世期とほぼ同じ行事が形をかえて行われている。道者 ...
19. いずもし【出雲市】島根県
日本歴史地名大系
其後浅山二郎八百余騎」と、塩冶氏と朝山氏であった(「太平記」巻七)。同年五月の後醍醐天皇の京都への還幸に際しては「塩冶判官高貞ハ、千余騎ニテ、一日先立テ前陣ヲ仕 ...
20. いちじょうふしみどの【一条伏見殿】
国史大辞典
後花園天皇は以後十二年余一条伏見殿を皇居とせられたが、康正二年(一四五六)七月新造の土御門内裏に還幸された。のち寛正五年(一四六四)七月天皇は再びこの第に移られ ...
21. いっ‐とう【一等】
日本国語大辞典
イチミ シテ〈訳〉一様に、または、一致させて」(3)一つの等級。一等級。*太平記〔14C後〕一七・還幸供奉人々被禁殺事「三公九卿、纔に死罪一等を被 ...
22. いつくしまじんじゃ【厳島神社】広島県:佐伯郡/宮島町/厳島
日本歴史地名大系
まで至り、迎えの船の案内で外宮で雅楽を奏し、再び厳島側に戻って摂社長浜神社・大元神社をめぐって還幸する。この祭がいつ頃から行われたかは不明であるが、近世にはこの ...
23. 逸文(風土記) 540ページ
日本古典文学全集
新羅
還幸、就
於此村
...24. いとうづはちまんじんじや【到津八幡神社】福岡県:北九州市(旧豊前域)/小倉北区/到津村
日本歴史地名大系
安状案」宮成文書)、宇佐の神官・社僧らが神輿を守護して当社に遷座、天正一一年(一五八三)宇佐へ還幸するまで到津にとどまったという(豊前志)。慶長五年(一六〇〇) ...
25. いなしろよしわらじんじゃ【稲代吉原神社】京都府:中郡/峰山町/安村
日本歴史地名大系
、安村祇園祭事御座候。昨子年より蒙御免、出町馬場地の内へ仮屋を立て、七日より御旅御座候。十一日還幸」と記し、「峯山旧記」には、祭六月十四、神輿峰山出町の馬場に神 ...
26. いなみの【印南野】兵庫県:加古川市/旧印南郡地区
日本歴史地名大系
出発、一〇日印南野邑美頓宮(現明石市)に到着、一九日難波宮(現大阪市)に帰り、二九日に平城宮に還幸した(続日本紀)。「万葉集」巻六にこの時に作った笠金村の長歌な ...
27. いなりじんじゃ【稲生神社】広島県:世羅郡/世羅西町/上津田村
日本歴史地名大系
寅の刻(午前四時頃)に神社裏山の高崎山に渡御し、北極星を仰ぎ神酒を供えて神事を行い、翌九日午の刻(正午)に還幸する行事とからなる。明治四五年(一九一二)五月、上 ...
28. いなりたいしゃ【稲荷大社】
国史大辞典
ちなみに、当社は古くから教王護国寺(東寺)の鎮守と仰がれ、五月の還幸祭には、旅所を出た五座の神輿は、途中同寺に入り、神供のことがあって還幸するのを例とした。神宮 ...
29. いなり の お出(い)で
日本国語大辞典
御旅所二十日程也」*俳諧・華実年浪草〔1783〕春・四「稲荷御出。〈略〉此の神二の午の日御出、二の卯の日還幸。故に世俗の諺に云、うまうまと御出、うかうかと御帰と ...
30. いなり の 御旅(おたび)
日本国語大辞典
「いなり(稲荷)の還幸祭(かんこうさい)」に同じ。 ...
31. いなりまつり【稲荷祭】
国史大辞典
神輿に遷し、旅所に渡御があり、駐ること二十日で、上述の四月上卯日に還幸があって祭典が行われる。この還幸祭を稲荷祭という。旅所より還幸の際、神輿が教王護国寺(東寺 ...
32. いなり‐まつり【稲荷祭】
日本国語大辞典
卯日)に本社に還幸する還幸祭(「稲荷のお旅」)とがある。御旅所より還幸のさい、神輿が東寺に入り寺家の神供を受けた。明治以後、改暦により、四月第二午日を神幸祭、五 ...
33. いまざいけむら【今在家村】愛媛県:東予市
日本歴史地名大系
これについては「伊予温故録」に「今在家村字鶴ノ掛の路傍に在り本村汐崎氏系図及里民の口碑に云ふ往古神功皇后三韓より還幸の時此地に御上陸あり当地の住人小千高則の家に ...
34. いわさきじんじゃ【岩崎神社】大分県:宇佐市/旧宇佐町地区/岩崎村
日本歴史地名大系
祀り、旧郷社。社伝によれば、養老年中(七一七―七二四)大隅・日向の隼人の乱を治めた宇佐宮の神輿が還幸の際、当地に荒霊をとどめたのが草創というが(「宇佐郡誌」など ...
35. うさじんぐう【宇佐神宮】大分県:宇佐市/旧宇佐町地区/宇佐村
日本歴史地名大系
奏上し、権禰宜が御米・御酒を海中に注ぎ、さらに蜷と蛤を海に放ち、儀式が終了する。一一日午後に御還幸祭を行い、浮殿―宇佐蔀―平松―百体神社(隼人の霊を祀る)で参拝 ...
36. うさはちまんぐう【宇佐八幡宮】山口県:玖珂郡/錦町/宇佐村
日本歴史地名大系
日より十九日、但十八日之夜試楽神楽を奏シ、十九日常例氏子中神楽相済、神輿三体神田と申所へ神幸、還幸後於馬場流鏑馬興行」とある。 ...
37. うしおくむら【牛奥村】山梨県:塩山市
日本歴史地名大系
一一月中の酉日の通祭には夜一宮浅間大明神(現一宮町)へ神主一人を伴って潜幸、暗中に神事を行って未明に還幸したという。なお古社地鳥居敷地は菱山村にあった(甲斐国志 ...
38. うしのむら【牛野村】宮城県:名取市
日本歴史地名大系
ど一四があげられる。名所紅梅壇があり、往古当村の八幡の二月初卯に白幣に紅梅をかざして名取川まで還幸するという神事があったことにちなむという。殿ノ内屋敷とよばれる ...
39. うじじんじゃ【宇治神社】京都府:宇治市/乙方村
日本歴史地名大系
藤井香太夫によって、翁舞が上演されていた(菟道旧記浜千鳥)。現在も五月八日に神幸祭、六月八日に還幸祭が行われるが、神輿一基の渡御があるのみで昔日の面影はない。 ...
40. うじ‐まつり[うぢ‥]【宇治祭】
日本国語大辞典
〔名〕京都府宇治市、宇治神社の宇治離宮祭。現在は五月八日が御出祭(おいでまつ)り、六月八日が還幸祭(例祭)で、その間を祭礼期間とする。古くは七福神に扮した行列が ...
41. 薄雲(源氏物語) 445ページ
日本古典文学全集
御心の中に思しつづくるに、高き宿世、世の栄えも並ぶ人なく、心の中に飽かず思ふことも人にまさりける身、と思し知らる。上の、夢の中にも、かかることの心を知らせたまは ...
42. うつのみやきんつな【宇都宮公綱】
国史大辞典
再び朝廷方に帰順し、同年夏尊氏が再び京都に攻め上ってきた時、各地に転戦し、後醍醐天皇の山門行幸・京都還幸に供奉するなど天皇の側近に随侍した。ついで室町幕府が成立 ...
43. うまのひ【午の日】
国史大辞典
た。午の日を祭日とする大社では、京都伏見の稲荷大社の神幸祭御輿迎えが旧三月中午日であった。その還幸は四月上卯であった。いまは祭日も変わった。京都賀茂下社の御蔭( ...
44. 栄花物語 350ページ
日本古典文学全集
上はさらに御声も惜しませたまはず、児どもなどのやうに、さくりもよよと泣かせたまふ。〔二四〕天皇還幸 日もはかなく暮れぬれば、殿、「はや還らせたまひなん。夜さりの ...
45. 栄花物語 351ページ
日本古典文学全集
ているように記すが、脩子内親王の居所は定かでない。〔二五〕には「姫宮のおはします所に」とある。還幸の準備はすっかり調ったと天皇を催促する。 ...
46. 栄花物語 439ページ
日本古典文学全集
他の女性たちの反発を心配し、警戒する。里内裏であった四条宮(十三代要略・延久二年十二月十七日)から新造内裏への還幸。延久三年八月二十八日のこと。内裏の焼亡は康平 ...
47. 栄花物語 440ページ
日本古典文学全集
心地に心ゆるびなく苦しく思しめしたり。〔一〇〕新造内裏還幸、後宮の有様 内裏造り出でて入らせたまふ。中宮は弘徽殿にかけておはします。一品宮は藤壺、故右の大殿の女 ...
48. えどかいじょう【江戸開城】
国史大辞典
東京行幸の布告がだされ、十月十三日天皇の東京着とともに江戸城を皇居とし、東京城と改称した。天皇はやがて京都に還幸したが、翌二年三月に再び東京に行幸し、ここを永住 ...
49. 江戸城
日本史年表
11・26 ) 天皇、東京に到着. 江戸城 を 皇居 と定め、 東京城 と改称(12月8日、京都へ還幸.22日、京都着)。 ...
50. えびす‐すがた【戎姿】
日本国語大辞典
すがたども、いと近く見えしも、あらぬ世とのみぞ覚えし」*小島のくちずさみ〔1353〕「同十九日還幸あり。公卿どもは朝衣にて供奉す。〈略〉権大納言今出川宰相中将な ...