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拝謁

ジャパンナレッジで閲覧できる『拝謁』の日本国語大辞典のサンプルページ

はい‐えつ 【拝謁】

解説・用例

〔名〕

身分の高い人や目上の人に面会することをへりくだっていう語。つつしんでお目にかかること。おめどおり。

*吾妻鏡‐治承四年〔1180〕一一月八日「相搆伺〓拝謁之次〓、有〓〓申事〓故也」

*色葉字類抄〔1177〜81〕「拝謁 ハイエツ 対面詞 同分」

*読本・椿説弓張月〔1807〜11〕拾遺・五四回「王女に拝謁(ハイヱツ)し奉れば」

*新令字解〔1868〕〈荻田嘯〉「拝謁 ハイヱツ 御目ミヘ」

*史記‐孝文本紀「代王馳至〓渭橋〓、群臣拝謁称〓臣」

発音

〓[0]〓[0]

辞書

色葉・文明・ヘボン・言海

正式名称と詳細

表記

拝謁色葉文明ヘボン言海


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検索コンテンツ
1. はい‐えつ【拝謁】
日本国語大辞典
〔1177〜81〕「拝謁 ハイエツ 対面詞 同分」*読本・椿説弓張月〔1807〜11〕拾遺・五四回「王女に拝謁(ハイヱツ)し奉れば」*新令字解〔1868〕〈荻田 ...
2. 諸大名拜謁 (見出し語:拜謁)
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3. 諸大名拜謁次第 (見出し語:拜謁)
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4. 挨拶
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抱擁するのがふつうである),あるいはマオリ族が行う舌を出す挨拶などがあげられる。西洋人も国王に拝謁する際には,男は頭を下げ,女は片足を引いてひざを軽く折って挨拶 ...
5. あいばしりむら【鮎走村】岐阜県:郡上郡/高鷲村
日本歴史地名大系
小洞の日置文書に郡上藩主遠藤氏に熊皮を上納したことがみえる。正保三年(一六四六)遠藤慶利が将軍に拝謁した時に熊皮三枚を献上しており(徳川実紀)、当地域は熊皮の御 ...
6. 青木周蔵自伝 242ページ
東洋文庫
静に長椅子を隣室に移し、平臥して食卓上の問答を悉く聴取せられしものの如し。軈て予は、陛下に伊藤氏を紹介し拝謁せしめ、併せて近日の御健康如何と伺ひしに、陛下は握手 ...
7. 青木周蔵自伝 259ページ
東洋文庫
誘くぎ菖の公文をも領得し、漸く本件の結了を見るを得たり。仍て、神戸より京都に帰るや、直に陛下に拝謁して、本件漸く結了せしを以て宸襟を安ぜられんことを奏請し、転じ ...
8. 青木周蔵自伝 260ページ
東洋文庫
〔五月二十二日〕御治定ありしを以て、予は京都御発董〔五月二十一日〕の前日 天顔に咫尺し〔天皇に拝謁し〕、明日鳳輦に陪して帰京すべき筈なるも、此の機会を以て詳に京 ...
9. 青木周蔵自伝 261ページ
東洋文庫
云々辞職を勧告したり。予は、 勿論夙に辞職の決心ありしも、本日は 皇后陛下の御誕辰なるを以て、最後の拝謁を為し、然る後 辞表を捧呈せんとする心算なり。と答へ ...
10. あきづきはんじんやあと【秋月藩陣屋跡】福岡県:甘木市/秋月町
日本歴史地名大系
秋月・甘木の商人・職人を野町村に移して小杉新町を建設している。〔藩政の展開〕 寛永二年黒田長興は将軍徳川秀忠に拝謁するため江戸に上ろうとしたが、本藩の福岡藩(二 ...
11. 秋元泰朝
日本大百科全書
茂兵衛(もへえ)。1580年(天正8)武蔵国深谷に生まれ、1592年(文禄元)父とともに徳川家康に拝謁し、1600年(慶長5)関ヶ原の戦いに従軍。1602年武蔵 ...
12. あさのながのり【浅野長矩】
国史大辞典
母は内藤忠政の女。延宝三年(一六七五)三月父の遺領五万三千五百石を継ぎ、四月徳川家綱にはじめて拝謁、同八年八月従五位下内匠頭に叙任した。天和三年(一六八三)初入 ...
13. 葦原将軍
世界大百科事典
きたし,入院させられた。院内では,誇大な妄想的言辞を常とし,金モールつきの大礼服を着て,謁見料を取り,見学者に拝謁させ,あたかも皇帝のような〈お言葉〉を賜り,部 ...
14. アッチラとフン族 78ページ
文庫クセジュ
オレステスとエスラがまた同行し、たくらみがアッチラに露見したことを知って心配していたテオドシウス帝に拝謁した。しかし、二人は余計なことは言わず、アッチラの書いた ...
15. アブドゥッラー物語 あるマレー人の自伝 250ページ
東洋文庫
糖に群がった。その当時は、だれであろうとアブドゥル・カディールに会いたい人は、まるでスルタンに拝謁するかのようであった。皆敬礼をしてからうやうやしく席についた。 ...
16. あぶらつみなと【油津湊】宮崎県:日南市/平野村
日本歴史地名大系
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17. あみだどう【阿弥陀堂】京都市:東山区/粟田口村/三条坊/青蓮院地図
日本歴史地名大系
知。享保の頃、天王辻子に本間紹信と云ふ人あり。常に宮様に拝謁す。或時申すやう。彼の像は親鸞の像に相違なしと言上す。宮之を御殿に召寄せ、庫中に納め玉ひしとなり ...
18. あめんぼ【水黽・水馬】
日本国語大辞典
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19. アラビアのロレンス 223ページ
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つねに知っているからである。それに彼はシリアの都会人が、「君主にして主にして解放者」なる人に「拝謁を求めて}お世辞たらたらやってくるのを好まなかった。彼はむしろ ...
20. アラビアン・ナイト 2 81ページ
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にバスラの町にっき、そとにはいつ一行きました。市内に宿をとるとその地のスルター`のもとに参り、拝謁いたしました。国王は大い聾遇し、きてその来訪の理由をたずねまし ...
21. アラビアン・ナイト 3 86ページ
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22. アラビアン・ナイト 3 155ページ
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いと強大なるコンスタンティノープルの治者、(東)ロ1マ皇帝の使節どもが当国に到着いたしましたが、御前に参り、拝謁いたしたいと願い出ております。もし国王さまが、か ...
23. アラビアン・ナイト 7 175ページ
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30. アラビアン・ナイト 15 94ページ
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31. アラビアン・ナイト 16 19ページ
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擁しておいでじゃ」と教えましたQハサンが王にお目通りを願い出ると、すぐに許されたので、王室に入り拝謁いたしました。ふと見ると、まことに大王にふさわしい王者である ...
32. アラビアン・ナイト 16 41ページ
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ハサンが妻や子供に会いたくて身を焦がしている様子を見ると、早速女王ヌール・アルホダー姫の御殿に罷り出て、拝謁し、女王の前の床に恭しく口づけしました。さてこの老婆 ...
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その宦官と一緒に出かけ、歩み続けているうちに、ズバイダ夫人の宴席に着きました。彼女はズバイダ夫人に拝謁すると、御前の床に何度も口づけしました。それから両足ですっ ...
34. アラビアン・ナイト 17 147ページ
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ッラシードの宮殿がある所を尋ねました。人々がその場所を教えると、早速宮殿を訪れ、信者らの長への拝謁を願いました。信者らの長がこれを許すと、謁見の間に入って、信者 ...
35. アラビアン・ナイト 17 148ページ
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「拝謁」の情報だけではなく、「拝謁」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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