まるでディザスター(災害)映画の一場面だが、それは現実の事件だった。2013年2月15日、ロシアのチェリャビンスク州上空を隕石が突っ切っていくさまは、現地から動画サイトに次々とアップされ、世界中に衝撃を与えることになる。落下した湖・チェバルクリ湖から「チェバルクリ隕石」として国際隕石学会に申請されていたが、その後、新たな隕石のかけらが次々と発見され、それが州の広い範囲に及ぶことから、名称は「チェリャビンスク隕石」に決まった。 

 ロシア科学アカデミーによれば、分解直前の 隕石の質量は推定10トン。都市部への直撃はまぬがれたが、衝撃波によって建物の窓ガラスなどが割れ、1200人以上の負傷者が出た(報道によると、幸いなことに死者はいなかった)。被害総額も10億ルーブル(約31億円)を超える見通しだという。記録に残るかぎり、隕石による被害としては類を見ない。今回は特に日中の出来事であり、このような落下を早い段階で観測して対処するのは現実的に難しいという。自然、そして宇宙の猛威に対して、人類はまだまだ非力なのかもしれない。

 

   

旬wordウォッチ / 結城靖高   



 民主主義国家では、身分や納税額、男女の性差で選挙権が差別されてはならない。日本国憲法14条も「法の下の平等」を規定している。その考えでいけば、「一人一票」の実現が望ましいわけだ。

 いまこの問題が注目を集めているのは、「一票の格差」が最大2.43倍だった昨年12月の衆院選をめぐり、各地の高裁が、格差是正を迫る厳しい判断をそろって示したからだ。弁護士グループが選挙無効を求めて全国の高裁・支部に起こした16件の訴訟のことだ。内訳は、「違憲状態」2件、「違憲だが選挙自体は有効」12件、「違憲、無効」が2件。「無効」は、選挙のやり直しを求めた、ということだ。

 一連の判決で高裁が問題視しているのは、国会の怠慢だ。2009年衆院選を「違憲状態」と断じた最高裁判決(2011年)について、国会は、昨年の衆院選まで抜本的な是正を行なわず、そのまま選挙に突入したためだ。

 最高裁判決は、衆院小選挙区300議席のうち、47各都道府県に1議席を配分し、人口に比例して残りの253議席を割り振る「1人別枠方式」の廃止を求めたが、国会は具体的な対応をしていない。やっと取り組み始めた議席の「0増5減」は、弥縫(びほう)策でしかない。

 16件の高裁判決はいずれも上告されたが、最高裁はどんな最終判断を下すのか。党利党略で国会が是正に動かないなら最高裁はバッサリと断じるべきだ。判決は年内にも行なわれるという。

 

   

マンデー政経塾 / 板津久作   



 桜の若葉を塩で漬けこみ、その香気を塩気とともに餅に移した桜餅を、日本人は江戸時代から花見と一緒に楽しんでいた。桜餅の発祥は1717(享保2)年のこと。江戸屈指の桜の名所であった東京・向島(むこうじま)で、長命寺の門番をしていた山本新六が考案し、花見客に売り出したのが始まりだった。

 この「長命寺さくら餅」は、小麦粉の薄い焼皮に餡(あん)をくるみ、塩漬けの葉3枚で包んだ春らしい風情の和菓子である。だが、京都や関西の人の桜餅といえば、もっちりとした食感が粒々にほどけていく道明寺粉(どうみょうじこ)の餅と、桜の葉を一緒に口に含んだときの塩味が思い起こされる。

 関西風は、もち米 を一度蒸してから干し、粗く挽(ひ)いた道明寺粉を使う。餅にするときには挽き加減の違う道明寺粉を混ぜることで、独特の粒状感が得られる。桜の葉は、芳香の強いオオシマザクラである。東京風と比較すると、薄く小さい葉が選ばれ、1年前後はしっかりと塩漬けにする場合が多いようである。関西の桜餅は、餡を包んだ道明寺餅が小振りなので、葉は1枚か、2枚。東京風では葉は香りづけという印象が強いが、関西風では餅と一緒に食べる人が多いのではなかろうか。

 嵐山(京都)の桜餅の名店「鶴屋寿(つるやことぶき)」によれば、かの博物学者・南方熊楠の指摘による、桜餅の京都発祥という説があるそうだが、確証を得るには至っていないようである。関西風桜餅の発祥は、椿餅(つばきもち)で用いる椿の葉を桜の葉とし、江戸の人気菓子を参考にしてつくられたという説がもっとも有力といえるだろう。

 とはいえ、東京の桜餅もずっと小麦粉の焼皮だったわけでもなく、江戸後期には粳(うるち)米や葛(くず)粉を使ったものが人気を集めたときもあったという。くわしくはわからない点も多いが、江戸期から日本中で賞味されてきた桜餅が、東京風と関西風という、見た目も、味わいもまったく違う結果を生んでいるわけである。この事実もまた面白い。


手前が道明寺粉を使った関西風の桜餅、奥は薄い焼皮の東京風。いずれも漉し餡である。


   

京都の暮らしことば / 池仁太   



 1930(昭和5)年に作家・酒井潔(1895年生まれ。画の才能があり、英仏の語学に堪能で、西欧の好色文献の収集に励んだ)が著した本のタイトル。出版前の検閲で「公序良俗を乱す」と判断され、発禁処分になってしまった。

 長らく国会図書館内でマイクロフィルムの形でしか閲覧することができなかったが、4年前から収蔵資料のデジタル化が始まり、2011年6月からインターネット上に公開されている。「近代デジタルライブラリー」にアクセスすれば無料で読める。

 『週刊ポスト』(4/5号、以下『ポスト』)の「発禁本『エロエロ草紙』の淫(みだ)らすぎる図録『大公開』」によると、国会図書館が無料公開している約47万点の古典籍や和図書、雑誌類の中で閲覧数第1位を独走中。文化庁が紀伊國屋書店と組んで行なった配信実験でも、芥川龍之介や夏目漱石、永井荷風を押さえてアクセス数第1位を獲得したのである。

 この本が書かれた当時は、「エロ・グロ・ナンセンス」という言葉に風俗文化が象徴される大正デモクラシーが色濃くあった時代だった。カフェやダンスホールが大盛況で、西洋キネマに出てくるような断髪・洋装のモダンガールたちが銀座を闊歩(かっぽ)していた。

 この書物を紐解いてみよう。

 「表紙には、好色そうなオヤジが、水パイプを愉しむイラストが描かれている。
 パイプの上では肉感的な美女が艶めかしく身体をくねらせる。男の顔をよく見てみると、入り組んだ3人の豊満な裸女で構成されており、なかなかのビジュアルセンスがうかがえる。さらに見開き扉には鍵穴があって、上着を脱いで全裸になりつつある西洋美女の写真──。
 ページをめくっていくと、詩を掲げたかと思うと、漫画や彩色絵、写真が満載され、風俗レポートに落語、エッセイ、コラム、コントと、さながら雑誌のようなつくりだ。(中略)どの美女も例外なくショートヘアでパーマがかかっている。和装の女性は一人もいない。ヌードはもちろんのこと、着衣でもストッキングにガーターベルト、ハイヒールで白くむっちりした太腿を強調している」(『ポスト』)

 酒井は、当時大女優だったグレタ・ガルボを念頭に置いて描いたのではないかと永井良和関西大学教授が推測している。

 「ウルトラ」「インポテンツ」「プロポーズ」などの単語も使われ、「全員のスタイルが抜群にいい。だが、乳房のサイズは揃ってAかBカップというところ」(『ポスト』)

 永井教授は発禁の理由はタイトルではなく「表紙と扉絵。これが当時としては少々過激」過ぎたという。「エロ」という言葉には最先端の響きがあり「エロを題名にして検閲をパスした書籍がたくさんあります」(永井教授)

 『週刊現代』(4/6号)の「『エロエロ草紙』の世界へようこそ」によれば、国会図書館で読める艶本はまだまだあるそうである。『色事の仕方』(戯花情子編/1883)、『衛生交合条例─名・閨房秘書』(西山義忠/1883)、『女の肉的研究』(羽太鋭治/1915)、『秘戯指南』(梅原北明/1929)、『エロ新戦術 成功百パーセント』(尖端軟派文学研究会編/1930)、『性慾生活の変態と正態』(性知識普及会編/1936)。ちなみにこれらの本は発売当時、発禁にはなっていない。 
 
 デジタル時代になってもエロは強いことが証明された。私は『週刊現代』編集長在任中に「ヘア・ヌード」なる言葉を生み出し、部数増に貢献した。「エロ」「ヘア・ヌード」の次なる言葉を週刊誌が作り出せていない。「外性器」ではワイセツ感も淫靡な匂いもしないと思うのだが。

 

   

読んだ気になる!週刊誌 / 元木昌彦   



 いまや多くの読書好きが注目する「本屋大賞」だが、「新書大賞」はご存じだろうか。中央公論新社が主催しており、書店員、書評家、新聞記者らの投票で決定。また、各新書の編集長が票を入れる際には、自社の新書を避けることになっている。2008年度からスタート、第1回は福岡伸一(ふくおか・しんいち)氏の『生物と無生物のあいだ』が受賞した。養老孟司(ようろう・たけし)氏の『バカの壁』(2003年初版、新潮新書)が400万部を突破するなど、複数のベストセラーが注目を浴び、出版界に「新書強し」を印象づけた2005年ごろからの勢いが背景となっている。

 2013年度は、阿川佐和子(あがわ・さわこ)氏の『聞く力』 (文春新書) 、早野透(はやの・とおる)氏の『田中角栄』 (中公新書) などを抑えて、小熊英二(おぐま・えいじ)氏の『社会を変えるには』 (講談社現代新書) が「最高の一冊」に選ばれた。新書にしては束(つか)があって値段も張る(1365円、税込)。その内容はともかく、忙しい現代人が気軽に「知」を得られる「新書」というものの本分からは、いささかはずれているかもしれない?

 

   

旬wordウォッチ / 結城靖高   



 この4月2日から、会社員の年金の受給開始年齢が61歳に引き上げられた。

 実は、会社員の年金受給開始年齢は、自営業と同じ65歳に引き上げられることが1985年の年金制度大改正で決まっている。ただし、いきなり変更するとライフプランに影響がでるため、経過措置として当面の間は60~64歳の間も「特別支給」という形で年金を支給し、段階的に引き上げていくことになった。

 会社員は、国民共通の基礎年金に加えて、職域の厚生年金にも加入している。もらえる年金もこれに対応しており、特別支給の年金は、「定額部分」(基礎年金)と「報酬比例部分」(厚生年金)と呼ばれている。

 引き上げスケジュールは、1994年、2000年の年金制度改正で決められ、まず手が付けられたのは定額部分だ。2001年度から段階的に受給開始年齢の引き上げが始まり、定額部分は65歳前にはすでにもらえなくなっている。ただし、報酬比例部分は残っていたため、これまでは会社員は60歳から年金をもらうことができていた。

 しかし、1953(昭和28)年4月2日~1955(昭和30)年4月1日生まれの男性は、報酬比例部分の受給開始年齢が61歳と決められている。このグループが今年4月2日から順次60歳になるため、今年から60歳になっても年金が受け取れなくなったというわけだ(女性は5年遅れのスケジュール)。

 受給開始年齢は、今後も段階的に引き上げられ、最終的に男性は1961(昭和36)年4月2日、女性は1966(昭和41)年4月2日以降に生まれた人は65歳になる予定だ。

 年金の受給開始年齢は67歳以降に引き上げられる案も出ており、今後は60歳以降も働いて収入を得るようにするなど、生活のための自助努力が一層求められるようになる。

 だが、どうしても家計が厳しい場合などは、本来の受給開始年齢よりも前倒しで年金を受け取る「繰り上げ受給」という方法もある。これを利用すれば、60歳から年金を受け取ることも可能だが、1か月繰り上げるごとにもらえる年金額は0.5%ずつ減額される。一度、繰り上げると元に戻すことはできないので、慎重に判断する必要がある。

 

   

ニッポン生活ジャーナル / 早川幸子   



 リーマンショック後のアメリカで、「マンセッション(mancession)」という言葉が流行した。男性の失業が女性よりも深刻な状態をさす、man(男性)とrecession(景気後退・不況)の合成語だ。2012年には永濱利廣(ながはま・としひろ)氏の著書『男性不況── 「男の職場崩壊」が日本を変える』(東洋経済新報社)が上梓 、「男性向き」とされてきた仕事が減った状況が、日本でも認識されつつある。

 ここでの「男性向きの仕事」の例として、製造・建設業が挙げられることが多い。日本企業の生産拠点の多くが海外に移ったことで、男性は雇用を奪われた。そもそも、時代が製造業からサービス業へのシフトを求めているといえる。また一方では、女性が活躍する医療・福祉分野などでの需要は増すばかりだ。昨今の男性は「草食系男子」などと茶化されるが、労働力としても相対的に旧来型の「男らしさ」を失いつつあるのである。

 「家計の中心」は男女どちらでもよい。だが、男性不況が進んだあげく、女性の厳しいお眼鏡にかなう結婚相手が見つからず、さらなる少子化につながるといった指摘もある。

 

   

旬wordウォッチ / 結城靖高   


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