学習図鑑の過去と今のおもしろトピックスを紹介します。毎月15日ころ更新予定。
2017-01-20
最近、立て続けにテレビ局の方から問い合わせをいただきました。
「図鑑に載っている魚はなぜ左向きなのでしょうか?」
何でも、バラエティ番組の「身近な疑問」的なコーナーで取り上げたいのだそうです。たしかに、私たちが作っている魚図鑑も、標本写真は皆、左向きです(ただし、眼が体の右側についているカレイのなかまは例外で、右向き)。
(図1)『小学館の図鑑NEO新版魚』(2015年刊)より。標本はほぼすべて左向きに掲載されています。
(図2)眼が体の右側についているカレイのなかまは、例外的に右向きの掲載。
魚類分類学の論文に掲載されている標本写真やイラストが常に左向きなので、私はこれに倣っているものと思っていたのですが、不安になって少し調べてみることにしました。そもそも、なぜ論文に掲載されている図版の魚が常に左向きなのかということも不思議です。WEB上でざっと検索しますと、怪しそうな意見を含め、複数の説が書き込まれていました。いくつか要約しますと、
①~③については、日本人に限定した理由が書かれています。しかし、Nelsonの有名な魚類学の教科書『Fishes of the World』をはじめとする欧米の魚図鑑も、多くは左向きに描かれており、日本だけに限定する議論には少々無理があるように思えます。世界的な魚のデータベースである『FishBase(フィッシュベース)』もしかり。
④についてはどうでしょう。日頃魚を捌く機会が多く、心臓はいろいろな魚種で見ているのですが、明らかに心臓が左に位置する魚は逆に珍しいのではないかと思います。ためしに『魚類解剖大図鑑』(落合明 編 1994年 緑書房)を見ますと、マアジ、マサバ、マダイ、アユ・・・ほぼすべて心臓は「真ん中」であります。これは違うのではないかなあ・・・。
では、⑤はどうでしょう。この図鑑はMarcus Elieser Blochという高名な魚類学者が作った『Allgemeine Naturgeschichte Der Fishe』という18世紀の図鑑とされています。この本をWEB検索しますと、掲載されている図版はなんと左向きでなく「右向き」の魚ばかりです。実物の本を見ていないので何とも判断出来ないのですが、なんだかこの説も怪しい・・・。
途方に暮れていたところ、昔の図鑑はどうなっているかと思い立ちました。小学館から1956年に出版されている『学習百科図鑑 魚貝の図鑑』を開けてみますと・・・。なんと、大半の左向きの魚に混じって、右向きの魚が描かれているではありませんか。しかも1種や2種ではなく、なかなかの分量であります。
(図4)『小学館の学習図鑑シリーズ③ 魚貝の図鑑』1956年刊 より。見事な右向きのマグロたち。
(図5)『小学館の学習図鑑シリーズ③ 魚貝の図鑑』1956年刊 より。左右入り乱れております。
(図6)『小学館の学習図鑑シリーズ③ 魚貝の図鑑』1956年刊 より。なぜか「ハチ」と「ボラ」だけ右向き。
その次の世代の図鑑はどうかと調べてみますと・・・。
(図7)『小学館の学習百科図鑑シリーズ③ 魚貝の図鑑』1972年刊 より。魚はすべて左向き。
16年の年月を経て、すべて魚は左向きになっていたのでした。
私は、WEB上に載っていた説の中では、⑥が一番自然なのではないかと思っています。たしかに、右利きの人が魚を描くと、頭を左から描き始めるのが自然です。日本でも欧米でも、100%ではないが多くの図版が右利きの人たちこのように左向きに描かれ、やがて前述の16年の間に見られたように、すべての魚が大勢に倣って左向きに統一されていったのではないか。あくまでも憶測に過ぎませんが。
これは専門家に聞いてみるしかないだろうと、最後に著名な魚類学者お二人に尋ねてみました。すると、お二方から異口同音に「はっきりした理由は判らない」というご回答をいただきました。魚類学者が判らないのだから・・・これは永遠の謎ということになりますでしょうか。テレビ局の方にも、「はっきりした理由は判りません」とお答えしました。
<引用文献>
『小学館の学習図鑑 ③ 魚貝の図鑑』(末広恭雄 黒田新市 監修1956年)
『小学館の学習百科図鑑 ③ 魚貝の図鑑』(末広恭雄 阿部宗明 菅野徹 監修1972年)
『小学館の図鑑NEO新版魚』(井田齊 松浦啓一ほか 監修 2015年)<参考文献>
『魚類解剖大図鑑』(落合明 編 1994年 緑書房)