(とさにっき)
紀貫之
紀貫之が女性に仮託して描いた土佐から京までの仮名文の旅日記
〈男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり〉という書き出しで有名な、日記文学の先駆け。『古今集』の撰者でもある歌人・紀貫之(きのつらゆき)が、みずから心情を女性に仮託して、任国土佐から京に戻るまでの55日間の船旅を、歌(全57首)を交えて仮名文でつづる。「土左日記」とも書き、また「とさのにき」とも読む。
[平安時代(935年ごろ成立)][日記(紀行日記)]
《校注・訳者/注解》 菊地靖彦
(かげろうにっき)
藤原道綱母
摂関家の御曹司に嫁いだ不幸な家庭生活を和歌を交えてつづる
作者は歌人としても有名な藤原道綱母(みちつなのはは)。20歳のころに、のちの関白・藤原兼家(道長の父)に嫁ぐも、不安定な家庭や周囲の嫉妬に、不幸な日々を送る。結婚してから兼家が通って来なくなるまでの20年間の心情をつづった日記。自身のかげろうのようなはかない身の上を嘆いた一節、〈あるかなきかのここちするかげろふの日記(にき)といふべし〉に書名は由来する。
[平安時代(974年ごろ成立)][日記]
《校注・訳者/注解》 木村正中 伊牟田経久
(うつほものがたり)
作者未詳
秘琴伝授を描く、『源氏物語』に先行する現存最古の長編
清原俊蔭(としかげ)は遣唐使に選ばれるが、途中で船が難破。波斯国(ペルシア)で天人から琴の奏法を伝授される。この俊蔭の一族の命運(主人公は、俊蔭の孫の仲忠)を軸に物語は進む。清少納言の『枕草子』でも主人公・仲忠を話題にするなど、平安時代の当時よりよく読まれていたことがわかる。作者は古くから源順(みなもとのしたごう)とする説がある。「宇津保(うつぼ)物語」とも表記される。
[平安時代(969~1011年ごろ成立)][物語]
《校注・訳者/注解》 中野幸一
(おちくぼものがたり)
作者未詳
恋あり復讐あり……最も古い継子いじめのシンデレラ物語
中納言源忠頼の娘(主人公)は、実母と死に別れ、継母(ままはは)によって育てられる。しかし継母は、継子(ままこ)の姫を疎んじ、床の一段低い部屋(落窪)に住まわせ、いじめ抜く。やがて周囲の人々の助けによって、主人公が幸せをつかみ取るという、清少納言も愛読した平安時代のシンデレラストーリー。作者は『うつほ物語』と同様、源順(みなもとのしたごう)との説がある。
[平安時代(10世紀末ごろ成立)][物語]
《校注・訳者/注解》 三谷栄一 三谷邦明
(つつみちゅうなごんものがたり)
作者未詳
さまざまな恋や変わった人たちを描いた日本初の短編小説集
姫君を盗み出そうとするが人違いしてしまう「花桜折る少将」、母なき姫を陰から応援する「貝合(あはせ)」、書簡風の短編「よしなしごと」など、10編の物語と数行の断片からなる短編小説集。「逢坂越えぬ権中納言」(小式部・作、1055年成立)以外は、作者も成立年も未詳。虫の好きな一風変わった姫を描く「虫めづる姫君」は、宮崎駿監督の『風の谷のナウシカ』のモデルにもなった。
[平安時代後期~鎌倉時代中期][物語]
《校注・訳者/注解》 稲賀敬二
(まくらのそうし)
清少納言
季節感や後宮の華やかさを、きらめく感性で執筆した代表的随筆
〈春はあけぼの……〉で始まる、日本を代表するエッセイ。作者は、一条天皇の中宮定子(ていし)に仕える女房・清少納言。「をかし」の美を基調にして、人事や季節感を独創的かつ鮮やかにとらえる。「すさまじきもの」「うつくしきもの」などのものづくし(類聚章段)、後宮の日常の記録(日記的章段)、随想章段など、約300章段からなる。『源氏物語』と並ぶ王朝女流文学の傑作。
[平安時代(1001年ごろ成立)][随筆]
《校注・訳者/注解》 松尾 聰 永井和子
(わかんろうえいしゅう)
藤原公任編
日本&中国の漢詩文・和歌をえりすぐったアンソロジー
歌人・歌学者の藤原公任(きんとう)が、朗詠に適した名詩(588首の漢詩句)、名歌(216首の和歌)を編んだ歌謡集。漢詩では、白居易、菅原文時、菅原道真、大江朝綱、源順(みなもとのしたごう)の作品が、和歌では紀貫之や凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)のものが多い。「倭漢抄」「和漢朗詠抄」「四条大納言朗詠集」などともいう。長らく、貴族・武家の学問教養の基本図書だった。
[平安時代(1017~21年ごろ成立)][歌集(詩歌集)]
《校注・訳者/注解》 菅野禮行
(げんじものがたり)
紫式部
日本古典の最高傑作――光源氏の波瀾万丈の生涯を描いた大長編
主人公・光源氏の恋と栄華と苦悩の生涯と、その一族たちのさまざまの人生を、70年余にわたって構成。王朝文化と宮廷貴族の内実を優美に描き尽くした、まさに文学史上の奇跡といえる。藤原為時の女(むすめ)で歌人の紫式部が描いた長編で、「桐壺(きりつぼ)」から「夢浮橋(ゆめのうきはし)」までの54巻からなる。
[平安時代(1001~10年ごろ成立)][物語]
《校注・訳者/注解》 阿部秋生 秋山 虔 今井源衛 鈴木日出男
(いずみしきぶにっき)
和泉式部
恋多き女・和泉式部が10か月の恋愛を自ら振り返る
そのころ、和泉式部は恋人の為尊(ためたか)親王(冷泉天皇の皇子)の若すぎる死に嘆き悲しんでいた。その和泉式部に求愛の歌を贈ったのが、為尊親王の弟、敦道(あつみち)親王。1003年4月から始まった敦道親王との恋の行方を、翌年1月まで、歌を交えながら、三人称形式で物語風に記す。だが求愛の歌を贈られてから約4年ののち、敦道親王の突然の死でまたしても恋が終わる。
[平安時代(1009年ごろ成立)][日記]
《校注・訳者/注解》 藤岡忠美
(むらさきしきぶにっき)
紫式部
『源氏物語』の作者が批評的に宮廷生活を切り取る記録文学
一条天皇の中宮彰子(しょうし)(藤原道長娘)に仕えていた女房・紫式部が、その時の日々(1008年秋~1010年正月)を回想的に振り返ったもの。書簡なども挿入され、日記というより記録に近い。藤原道長政権最盛期の宮廷生活や、他の女房への批評、自己分析などが、冷静な視点で記録される。観察眼は鋭く、辛辣な人物評も多く見られる。『紫日記』『紫の日記』と題する写本もある。
[平安時代(1010年ごろ成立)][日記]
《校注・訳者/注解》 中野幸一