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日本古典文学全集・国史大辞典・世界大百科事典

新編 日本古典文学全集
滑稽本
【閲覧画面サンプル】
滑稽本 全体

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滑稽本 拡大

【目次】
滑稽本(扉)
凡例
酩酊気質(扉)
酩酊気質 上
自叙
凡例
無而七癖酩酊気質品目
かつぎ上戸
面白くない上戸
くどい上戸
小ごと上戸
酩酊気質 下
なき上戸
ゐけん上戸
ねち上戸
りくつ上戸
はら立上戸
さわぎ上戸
しやべり上戸
浮世床(扉)
柳髪新話 浮世床 初編
柳髪新話自序
柳髪新話浮世床 初編 巻之上
柳髪新話浮世床 初編 巻之中
柳髪新話浮世床 初編 巻之下
浮世床後叙 滑稽之魁
柳髪新話 浮世床 二編

柳髪新話浮世床 二編 巻之上
柳髪新話浮世床 二編 巻之下
解説
酩酊気質
浮世床



国史大辞典
〓
こっけいぼん
江戸時代後期、風刺・滑稽を主とした小説の形態であり、寛政の改革を界として、それ以前の前期滑稽本と、それ以後の後期滑稽本とに分けるのが普通である。厳密には、前期は風刺性・教訓性が強いので、談義本(だんぎぼん)とか教訓本という別称があり、後期は『東海道中膝栗毛』を機に流行した滑稽のみを主眼とする小説を指している。宝暦二年(一七五二)江戸に静観房好阿の『当世下手談義(いまようへただんぎ)』という著作があらわれ、当時の江戸の軽薄な風俗を皮肉った。これが江戸人士に大いに受け入れられて、この本に対する賛否こもごもの著作が続出した。『教訓雑長持』『返答下手談義』『評判当風辻談義』『下手談義聴聞集』という類である。しかしこれらは教訓性が強く、まだ小説というに足らなかったが、風来山人(平賀源内)の『根南志具佐(ねなしぐさ)』(宝暦十三年)、『風流志道軒伝』(同)の二作が出て、談義本は本格的な小説となった。前者は地獄や竜宮の風景を借りて鋭い時勢の風刺があり、後者は志道軒の大人国・小人国・女人国などの遍歴を借りて「物になずむな」という一つの世界観を打ち出している。この二作の影響は非常に大きかった。『針の供養』『和荘兵衛』などそれである。しかし寛政の改革は、これらの風刺小説に打撃を与え、小説は風刺を抜きにした滑稽のみの小説に転化する。十返舎一九の『東海道中膝栗毛』(享和二年(一八〇二))は、そのきっかけになった。この作は談義本よりも洒落本の会話を主とする形態を受けつぎ、一方『竹斎』『東海道名所記』などの同行二人の滑稽人物や狂歌の挿入を受けついだ。当時の東海道への関心、弥次郎兵衛・喜多八二人の滑稽味、道中の写生などによって好評を博し、はじめは江戸から箱根までで終る予定であったものが、ついに大坂まで行き、さらに『続膝栗毛』(文化七年(一八一〇))となって、金毘羅・宮島詣、木曾街道となり、また『続々膝栗毛』(天保二年(一八三一))となって東北旅行までするはずであったのが、一九の死によって中絶した。まさに爆発的な人気であって、この結果「何々膝栗毛」「何々道中」といった滑稽本が続出した。一方、式亭三馬は、『浮世風呂』(文化六年)を書いて、これも好評を博した。これは別に滑稽な主人公はなく、銭湯に集まる多数の人間の生態を写実的に、また皮肉に描いたものであるが、やはり人物の会話を主としている。三馬はこういう写生を得意として、さらに『浮世床』『酩酊気質(なまえいかたぎ)』『四十八癖』『客者評判記』など多くの滑稽本を著わしている。一九・三馬は後期滑稽本の代表作家であったが、なお『花暦八笑人(はなごよみはっしょうじん)』(文政三年(一八二〇))を書いた滝亭鯉丈(りゅうていりじょう)、『妙竹林話七偏人(みょうちくりんばなししちへんじん)』(安政四年(一八五七))を書いた梅亭金鵞(ばいていきんが)がいる。これらの作は、一九や三馬の写実を放棄して茶番に近いふざけた作品になっている。滑稽本もここまで来ると、もはや新味のないものになってしまった。明治に入って一九や三馬に心酔した仮名垣魯文が、『西洋道中膝栗毛』(明治三年(一八七〇))を著わして、弥次喜多を神戸からロンドンまで行かせ、『安愚楽鍋(あぐらなべ)』(同四年)で牛店に集まる客の生態を描いて文明開化の世相に同調しようとしたが、もはや滑稽本は古い小説形態となりつつあった。
[参考文献]
本田康雄『式亭三馬の文芸』、野田寿雄「滑稽本」(久松潜一編『新版日本文学史』五所収)
(野田 寿雄)


改訂新版 世界大百科事典
滑稽本
こっけいぼん

江戸後期の小説形態の一種。〈滑稽本〉とは明治以後の文学史用語で,江戸時代は人情本とともにその書型から〈中本(ちゆうほん)〉と呼ばれた。十返舎一九作《東海道中膝栗毛》(初編1802)以後明治初年までの滑稽諧謔を旨とする作品を指すが,文学史上は,中本の源流とみなしうる宝暦・明和(1751-72)のころの,笑いを内包する教訓的作品をもふくめている。

文学史上,滑稽本の最初は1752年(宝暦2)刊の静観房好阿(じようかんぼうこうあ)作《当世下手談義(いまようへただんぎ)》とされ,当時の町の生活,風俗を批判,教訓するものであるが,説経僧の語り口を採用しておのずと笑いをかもし出す。以後この種の作品が続いて出るが,封建社会の矛盾を暴露した風来山人作の《風流志道軒伝》(1763)以後は,洒落本や黄表紙に押されていく。だが,91年(寛政3)の洒落本弾圧もあって,滑稽本は文化・文政(1804-30)のころ全盛期を迎え,《東海道中膝栗毛》の十返舎一九,《浮世風呂》の式亭三馬,《花暦八笑人》の滝亭鯉丈(りゆうていりじよう)らが活躍する。道中記の形式で主人公の滑稽な行動を描く《膝栗毛》,舞台を固定し,雑多な登場人物の行動を克明に描く《浮世風呂》,両者を折衷した形の《八笑人》と,3人の作風はそれぞれ特徴をもつが,後続の作者,《七偏人(しちへんじん)》の梅亭金鵞(ばいていきんが),《西洋道中膝栗毛》(初編1870),《安愚楽鍋(あぐらなべ)》(初編1871)の仮名垣魯文(かながきろぶん)などは3人の亜流で,新しい発展は見られない。
[神保 五弥]

[索引語]
中本 十返舎一九 当世下手談義(いまようへただんぎ) 式亭三馬 滝亭鯉丈
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滑稽本
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酩酊気質 上
自叙
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柳髪新話自序
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柳髪新話浮世床 初編 巻之下
浮世床後叙 滑稽之魁
柳髪新話 浮世床 二編

柳髪新話浮世床 二編 巻之上
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酩酊気質
浮世床



国史大辞典
〓
こっけいぼん
江戸時代後期、風刺・滑稽を主とした小説の形態であり、寛政の改革を界として、それ以前の前期滑稽本と、それ以後の後期滑稽本とに分けるのが普通である。厳密には、前期は風刺性・教訓性が強いので、談義本(だんぎぼん)とか教訓本という別称があり、後期は『東海道中膝栗毛』を機に流行した滑稽のみを主眼とする小説を指している。宝暦二年(一七五二)江戸に静観房好阿の『当世下手談義(いまようへただんぎ)』という著作があらわれ、当時の江戸の軽薄な風俗を皮肉った。これが江戸人士に大いに受け入れられて、この本に対する賛否こもごもの著作が続出した。『教訓雑長持』『返答下手談義』『評判当風辻談義』『下手談義聴聞集』という類である。しかしこれらは教訓性が強く、まだ小説というに足らなかったが、風来山人(平賀源内)の『根南志具佐(ねなしぐさ)』(宝暦十三年)、『風流志道軒伝』(同)の二作が出て、談義本は本格的な小説となった。前者は地獄や竜宮の風景を借りて鋭い時勢の風刺があり、後者は志道軒の大人国・小人国・女人国などの遍歴を借りて「物になずむな」という一つの世界観を打ち出している。この二作の影響は非常に大きかった。『針の供養』『和荘兵衛』などそれである。しかし寛政の改革は、これらの風刺小説に打撃を与え、小説は風刺を抜きにした滑稽のみの小説に転化する。十返舎一九の『東海道中膝栗毛』(享和二年(一八〇二))は、そのきっかけになった。この作は談義本よりも洒落本の会話を主とする形態を受けつぎ、一方『竹斎』『東海道名所記』などの同行二人の滑稽人物や狂歌の挿入を受けついだ。当時の東海道への関心、弥次郎兵衛・喜多八二人の滑稽味、道中の写生などによって好評を博し、はじめは江戸から箱根までで終る予定であったものが、ついに大坂まで行き、さらに『続膝栗毛』(文化七年(一八一〇))となって、金毘羅・宮島詣、木曾街道となり、また『続々膝栗毛』(天保二年(一八三一))となって東北旅行までするはずであったのが、一九の死によって中絶した。まさに爆発的な人気であって、この結果「何々膝栗毛」「何々道中」といった滑稽本が続出した。一方、式亭三馬は、『浮世風呂』(文化六年)を書いて、これも好評を博した。これは別に滑稽な主人公はなく、銭湯に集まる多数の人間の生態を写実的に、また皮肉に描いたものであるが、やはり人物の会話を主としている。三馬はこういう写生を得意として、さらに『浮世床』『酩酊気質(なまえいかたぎ)』『四十八癖』『客者評判記』など多くの滑稽本を著わしている。一九・三馬は後期滑稽本の代表作家であったが、なお『花暦八笑人(はなごよみはっしょうじん)』(文政三年(一八二〇))を書いた滝亭鯉丈(りゅうていりじょう)、『妙竹林話七偏人(みょうちくりんばなししちへんじん)』(安政四年(一八五七))を書いた梅亭金鵞(ばいていきんが)がいる。これらの作は、一九や三馬の写実を放棄して茶番に近いふざけた作品になっている。滑稽本もここまで来ると、もはや新味のないものになってしまった。明治に入って一九や三馬に心酔した仮名垣魯文が、『西洋道中膝栗毛』(明治三年(一八七〇))を著わして、弥次喜多を神戸からロンドンまで行かせ、『安愚楽鍋(あぐらなべ)』(同四年)で牛店に集まる客の生態を描いて文明開化の世相に同調しようとしたが、もはや滑稽本は古い小説形態となりつつあった。
[参考文献]
本田康雄『式亭三馬の文芸』、野田寿雄「滑稽本」(久松潜一編『新版日本文学史』五所収)
(野田 寿雄)


改訂新版 世界大百科事典
滑稽本
こっけいぼん

江戸後期の小説形態の一種。〈滑稽本〉とは明治以後の文学史用語で,江戸時代は人情本とともにその書型から〈中本(ちゆうほん)〉と呼ばれた。十返舎一九作《東海道中膝栗毛》(初編1802)以後明治初年までの滑稽諧謔を旨とする作品を指すが,文学史上は,中本の源流とみなしうる宝暦・明和(1751-72)のころの,笑いを内包する教訓的作品をもふくめている。

文学史上,滑稽本の最初は1752年(宝暦2)刊の静観房好阿(じようかんぼうこうあ)作《当世下手談義(いまようへただんぎ)》とされ,当時の町の生活,風俗を批判,教訓するものであるが,説経僧の語り口を採用しておのずと笑いをかもし出す。以後この種の作品が続いて出るが,封建社会の矛盾を暴露した風来山人作の《風流志道軒伝》(1763)以後は,洒落本や黄表紙に押されていく。だが,91年(寛政3)の洒落本弾圧もあって,滑稽本は文化・文政(1804-30)のころ全盛期を迎え,《東海道中膝栗毛》の十返舎一九,《浮世風呂》の式亭三馬,《花暦八笑人》の滝亭鯉丈(りゆうていりじよう)らが活躍する。道中記の形式で主人公の滑稽な行動を描く《膝栗毛》,舞台を固定し,雑多な登場人物の行動を克明に描く《浮世風呂》,両者を折衷した形の《八笑人》と,3人の作風はそれぞれ特徴をもつが,後続の作者,《七偏人(しちへんじん)》の梅亭金鵞(ばいていきんが),《西洋道中膝栗毛》(初編1870),《安愚楽鍋(あぐらなべ)》(初編1871)の仮名垣魯文(かながきろぶん)などは3人の亜流で,新しい発展は見られない。
[神保 五弥]

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